世界一幸せな男   作:トトロのとろろ

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第4話

部活を終えて家へ帰ると、店にはまだ明かりが灯っていた。うちの営業時間は20:00迄で、仕事終わりに癒やしを求める人や、近所の独り身の常連さんなど、さまざまな人がこの店を訪れる。

 

店に入ると、目当ての人物がはカップを片手にマスターと笑っていた。

 

「ただいま」

 

「幸ちゃんおかえり」

 

「本間のじいちゃん。いらっしゃいませ」

 

「ああ今日も楽しませてもらってるよ。ところで、最近楽器の調子はどうだい。あんまりメンテナンスに持って来てないけど調子が悪くなったりしてないかい?」

 

「はい。特に大きな異常はないです。本間のじいちゃんに教えてもらった調整で何とかなってます。後はまぁ最近コンクールとか出てないんでちょっとサボっちゃってました」

 

「わしが教えた通りにやってるんなら大丈夫だろうけど、たまにはちゃんと持っておいで。」

 

「そうですね。今度またお邪魔させてもらいます。話は変わるんですけど、ちょっと相談がありまして、いま時間ありますか?」

 

「いいよ。どうしたんだい?」

 

「本間のじいちゃんの店って今ユーフォ置いてますか?高校吹奏楽で使う60万位の値段感のやつなんですけど」

 

「もちろん置いてるよ。ただ幸ちゃんはあれだろ、ケースは前と同じでしっかりしてるやつがいいんだろ?」

 

俺が朝楽器を背負って走れているのはこの人に取り寄せて貰ったケースがあったからだ。あのケースがなければ、毎朝走るなんて無茶はできない。傷だらけになっていたのは楽器の方だ。

 

「そうですね」

 

「ケースは取り寄せないといけないから、ちょっと待ってもらうことになるよ。お古のケースで良かったら貸してあげるから今から来るかい?」

 

「いいんですか?営業時間は終了してるんじゃ」

 

「いいんだよ。すぐに使いたいんだろ」

 

「ありがとうございます」

 

まさか今日手に入るなんて思ってもいなかったが、明日も練習はあるし早いに越したことは無い。本間のじいちゃんが選ぶ楽器なら、間違いはないだろう。

 

「そういえば幸ちゃん、バイクに興味ないかい?」

 

「バイク?急にどうしたんですか」

 

「いやぁわしももう歳だから免許を返納しようと思ってるんだけどさ、うちの子達バイクに興味を示さないわ、取りにいっても採算が合わないだとか、金のことしか見とらん。だから幸ちゃんが興味があるなら譲ろうかと思ってなぁ」

 

バイクか。

 

本間のじいちゃんが跨っている姿なら何度も見てきた。あのバイクに俺が乗るのか?…それは少し面白そうだ。

 

基本的には部活優先だが、たまの休みに自動車学校に通うのもいいかもしれない。今まで趣味らしい趣味が無かったからこそ、何でもやってみたかった。とはいえ、人が大事にしていた物を頂くというのは気が引ける。

 

「興味はありますけど流石にあんなに大事にしていた物頂けませんよ」

 

「いいんだよ。ここに置いてくれるならいつだって見にこれるし、幸ちゃんなら大切に乗ってくれるだろ?」

 

「それはもちろんそうしますけど、でも免許だって持ってないですし」

 

「本当にそのつもりがあるならもちろん免許取った後でいいよ。その時まではわしがピカピカに磨いておいてあげるから」

 

「そこまで言って頂けるなら遠慮なく受け取らせて貰います。しっかりと大事にさせてもらいます」

 

「ゆっくりでいいからね。ユーフォの練習だってしないとだろ」

 

「そうですね。その頃にはユーフォでの演奏のリクエストをもらえるくらい練習しておきますよ」

 

「ははっゆっくりでいいとは言ったが、じじいをあんまり待たせんでくれよ」

 

「そんなに待たせるつもりはありませんよ。俺面白そうな事にはすぐ飛びつきますけど、やるからには本気なんで」

 

思いがけない話だったが、あのバイクを走らせる自分を想像すると自然と頬が緩む。そして、それは今俺の手にあるユーフォに対しても言えることだった。

 

本間のじいちゃんの店で何本も吹き比べ、ようやく選んだ一本を改めて自室で眺めていると、新品特有の金属の匂いも、照明を映し込むベルの輝きも妙に新鮮で、意味がないと分かっていながら何度も布で磨いてしまう。

 

そんな興奮を抑えきれなかった俺は思わずパソコンの前に座り大急ぎで準備を進めていた。

 

「どうもこんばんはLogです。今日からは新企画やっていきたいと思います。新企画はユーフォニアム0から始めてみたです‼︎はい拍手」

 

元々は、自分の練習を後で聞き返すために録音していただけだった。ただ、ある日動画サイトの存在を知り、小遣い稼ぎにでもなればと作業用BGMとして投稿してみたところ、思いのほか再生数が伸び、コメントまで付くようになった。去年の夏頃からは時間にも余裕ができたので配信も始めてみたが、評判はぼちぼちといったところだ。

 

「本当に0からやっていくんで吹き方すら分からないんで指導のコメントどんどんお待ちしてまーす」

 

興奮そのままに初めてみたはいいもののどうすればいいかわからず、とりあえず聞き齧りの知識で吹いてみる。

 

…鳴らなかった。まあ当然か。

 

アドバイスを求めてコメント欄を見てみると、それはまあ酷いものだった。

 

(音なってないしw)

 

(下手くそじゃんw)

 

「おいおい初心者だって言ってんだろ。そのコメント別のとこではすんなよ。あとお前らは俺の先生になれるんだから、もっといいコメントしてくれよ」

 

(口固めかも)

 

「口固めって具体的にはどんな感じなん?こんな感じ?って出来たわ」

 

(飲み込み早っ)

 

(何で今の文字見ただけで出来んだよ)

 

(そんな感じでアンブシュアをもっと安定させる事が基本かな)

 

「うーん鳴る時は鳴るんだけどなぁ全然安定しねぇなぁ。むっずいなぁけど楽しいねユーフォ」

 

そして俺が配信を終える頃には、多少は吹けるようになっていたが、安定した演奏とは程遠い。ただ、やっぱり1から何かを始めるのはとても楽しく、出来ない事ができる様になっていく感覚は気持ちよく、また明日も吹こうと自然に思いながら眠りについた。

 

 

 

その言葉を聞いたのは翌朝、日課を終えて朝食を食べている時の事だった。

 

「今日の帰りも遅くなるのか」

 

「そうだね。多分ずっと昨日くらいの時間に帰ってくることになると思う」

 

「そうか。うちも久々にバイト雇うかな」

 

「バイト?そっか俺が中学上がる頃が最後だっけ?」

 

「そうそう大学卒業して東京で就職したって言ってたかな」

 

「あ〜なんか言ってたような…まあいいや。やっぱ1人だと大変?」

 

「…いやまあ大変って程忙しすぎるわけじゃねぇよ。ただ、いてもらって困るわけじゃねぇからな」

 

「そっか…ごめん」

 

「いいんだよ。大体お前いらねぇって言ってんのに生活費押し付けてきてるし、ごめんなんて言わなくていいんだよ。お前はお前のやりたいことをやっていいんだ」

 

「ありがとうマスター」

 

マスターはそれ以上何も言わなかったが、今何も言う必要がないとわかっているのだろう。いつでも俺のことを気にかけてくれるその背中は、俺の憧れだった。

 

募集してすぐ来るという物でも無いが新しい人と出会うというのはそれだけで楽しみだったのだが、新たな出会いはそれだけではなかった。

 

「今日から転校してきました。3年の黒江真由です。ユーフォ吹いてました。よろしくね」

 

 

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