世界一幸せな男   作:トトロのとろろ

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第6話

 

異変に気付いたのは、朝のことだった。自分の席につき隣を見ると、義井の目元はいつもより暗く、あくびを噛み殺している。

 

「はよーっす」

 

「あ、うん。おはよう」

 

「義井、なんかあった? あんま寝てない?」

 

「大丈夫。なんでもないから」

 

そう言う義井の表情は、どう見ても何でもない人の表情ではなかった。

 

「何でもないって言われてもなぁ。なんか眠そうだし、理由なく夜更かしするタイプじゃないと思うんだけど。まあなんかあったにしても、こんな所で話すことでもないんだよな」

 

「………そうだね」

 

……この反応は当たりという事でいいのだろう。

 

「そっか。じゃあ昼休み時間くれよ。どっか誰にも聞かれないとこで話聞かせて」

 

「……」

 

「あっ先生きたから、続きは昼休みにってことで」

 

「あっ、ちょっと」

 

我ながら少し強引すぎたかと思うが、それでも義井は躊躇っているだけに見えた。もし本当に嫌そうにしていたら、その時はその時だ。無理に聞き出すことは、かえって逆効果になるかもしれない。

 

そんな風にどう話を聞くべきか、あるいは聞かない方がいいのか考えていると、時間が経つのは早かった。授業中は勉強に集中していたが、それ以外はずっとそのことが頭を離れなかった。

 

昼休みのチャイムが鳴り、義井の方を見ると弁当を鞄から取り出し、少し躊躇うようにこちらを見ている。どうやら素直についてきてくれるようだった。

 

学校の中で2人きりになれる場所は少なかったが、確かに存在した。2人で並んで座り、とりあえず弁当を食べ進めながら雑談を交わす。

 

食事を終え、会話も温まってきたところで、義井の表情はどこか躊躇いながらも、覚悟を決めているように見えた。

 

「……私の悩み、聞いてくれるんだよね」

 

「もちろん。同じクラスで同じ部活の仲間だからな」

 

「……真島くんは、高坂先輩の事どう思う?」

 

「高坂先輩? まあ厳しいけど、上手くなるためには必要な厳しさだと思うよ。まあ、一年からの評判は良くなかったりするかもだけど」

 

「そう…だよね。私も大体同じ。憎いとか嫌いって訳じゃないの。でも、必要なのってコンクールメンバーだよね。初心者までそんなに頑張る必要あるかなって」

 

「んー、まあ言ってることは分かる」

 

「初心者の子たちさ、ついていけなくて辞めようかなって言ってる子もいたの。私、それでも辞めないでって止めてたの。頑張って結果出せば楽しくなるからって。でも……どんどん練習厳しくなるし、泣いてる子もいて……それを見たら、私、悪いことしたのかなって」

 

そんな風に他人を気遣いながらも泣いている義井は、きっととても優しい子なのだろう。そして義井のやったことは、悪いことでも、間違ったことでもない。少なくとも俺はそう思った。

 

「義井は悪くない……と、俺は思ってる」

 

「えっ」

 

「俺はさ、正直辞める人がいるのは仕方ないのかなって思ってる。人間なんて100人いれば100人違うわけだし、その人がどう考えるかは、その人次第だから」

 

「……」

 

「俺さ……昔、音楽のこと、別に好きじゃなかったんだよね。ただ必要だからやってて、でもそれだけだと楽しくなかった。それがちょっとしたきっかけで音楽が楽しくなったんだ」

 

必死になって、ただ練習を続けていたあの頃。きっとあのまま終わっていたら、自分の人生はまた違ったものだっただろう。

 

それは多分、悪い方向に。

 

「今辞めようとしている人たちは、音楽の楽しさを知る前に、嫌な気持ちを抱えたまま終わろうとしているんじゃないかなって。でもそれは……なんて言うか……もったいないと思う」

 

言い方として合ってるかなんてわからない。ただ、思ったことが口から出ていた。

 

「やっぱり音楽の楽しさに気付けたから、今の自分がいると思う。だからこそ、辞めるにしても音楽の楽しさは知ってほしい」

 

「そうだね」

 

「だからさ、俺たちが知ってる音楽の楽しさを知ってもらおうとした義井は、間違ってないよ」

 

「でも! ……何も変わらない。私のやってたことが、もし間違いじゃなかったとしても、初心者の子たちが辛い思いをしてることは……何も変わらない」

 

「まあそうなんだけどさ」

 

「そうでしょ……じゃあ、どうすればよかったの……」

 

「どうすればか……とりあえずみんなに音楽の楽しさを知ってもらうとか?」

 

「どうやって?」

 

「初心者だけ集めて演奏会する……とか?」

 

「演奏会? 何で?」

 

「今ってさ、楽器の練習も基礎練ばっかりで、配られてる楽譜もコンクール用のやつだったり、サンフェス用のやつで難しいのしか無いじゃん」

 

「うん」

 

「それぞれのパートで簡単な曲を練習したりして楽器の楽しさは味わえてるかもしれないけど、合奏となると別だと思うんだよね。やっぱり合奏の時、参加したとしても下手で迷惑かけてるって気持ちはどうしてもあると思うし」

 

「多分……あると思う」

 

「俺さ、合奏したのは高校が初めてだったけど、やっぱり1人で吹くのとは楽しさが違う気がしたんだよね。初心者だけだったら迷惑なんて思わないだろうし、それで音が揃ったら気持ちいいんじゃないかなって」

 

「確かにそうかもしれないけど、本当にそれで何かが変わるのかな?」

 

「それはわからない。でも楽しいんじゃないかなとは思う」

 

「……そうだね」

 

「とりあえず、やるとなると部活が休みの日に希望者が集まってって形になるかな。勝手にやって怒られてもあれだから、一応黄前先輩に話通しておくか。あの人部長だし」

 

「本当にやるの?」

 

「何もやらないよりは良いかなって。とりあえず、あとは指導役とか監督役みたいな人がいた方がいいかもしれないけど、それは加藤先輩にお願いしてみるかな。一年生指導係だし」

 

「確かにそうだけど、迷惑じゃないかな?」

 

「まあ迷惑だったら、その時謝るしかないかな」

 

「本当にそれで大丈夫かな?」

 

「多分大丈夫だよ。あの人たちなら、少なくとも怒ることはしないと思う」

 

「でも…あっ」

 

少々強引だったかもしれないが、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、お互いに忘れ物がないか軽く確認しながらその場を後にする。義井の顔をちらりと見ると、不安は残っていそうだが、その表情は来た時よりも晴れやかで、少しでも力になれたようで安心した。

 

一日を終えるチャイムが鳴り、部活の時間が来る。だが今日は、その前にやるべきことがあった。隣を見ると義井も準備を終え、こちらを見ている。

 

「とりあえず、部活始まる前に黄前先輩に話通しに行くか」

 

「……うん」

 

義井は授業中にまた考えていたのか、少し躊躇いながら返事をする。だが、その表情は朝ほどひどいものではなく、嫌がっているという訳ではないようだ。その証拠に、低音パートが練習する教室に向かう時も、遅れることなくついてきていた。

 

いつもの教室のドアを開けると、教室の中には3年生の4人が集まっていて、いつも通りの挨拶をする俺に、いつも通りの返事をくれる。いつまでも教室の外に義井を待たせておくわけにもいかなかったこともあり、早速話を切り出した。

 

「黄前先輩、加藤先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど、今いいですか?」

 

「いいけど、葉月ちゃんは?」

 

「私も大丈夫だけど、この2人を呼ぶってことは、一年生絡みってこと?」

 

「まあそうですね。詳しい話は外に人待たせてるんで、場所を変えてもいいですか?」

 

「いいよ。緑ちゃん、遅くなったら先に始めておいてもらっててもいい?」

 

「はい。任せて下さい!」

 

「川島先輩、すみません。よろしくお願いします」

 

2人を連れ教室を出る。外で待っていた義井の姿を見た2人は驚いていたが、場所を移すまでは詳しいことは聞かずにいてくれた。昼休みと同じ場所は放課後でも誰も近づく様子はなく、内緒の話には丁度良い。

 

「話っていうのは、今度の部活が休みの日に予定を合わせて、初心者を集めて演奏会しようかなって思ってまして。黄前先輩には話を通しておきたかったのと、加藤先輩には指導役として参加してもらえないかなーって思ってるんですけど、どうですか?」

 

「どうですかって言われても、随分急だね。まあ休みの日にやるのは自由だし止めないけど」

 

「私もいいけど、何があったの?」

 

「あー…実は」

 

「あの! ……それは……私から」

 

昼の事を話そうとした俺を遮るように、義井が声を上げる。最初こそ威勢は良かったものの、だんだんと勢いを失うその声に、心配する気持ちはあったが、自分の意思で話そうとする義井を止める気はなかった。

 

義井は一度、深く息を吸った。それでも最初の言葉は、小さく震えている。だが一つ一つ、自分の思いを丁寧に言葉にしていった。

 

高坂先輩のこと。

 

初心者のこと。

 

辞めたいと言っていた子のこと。

 

その話を聞いた先輩たちは、すぐに言葉を返さなかった。時間でいえば、ほんの数秒。だがその数秒の間に、俯いていて見えづらくなっていてもわかるぐらい表情が変化している。

 

迷い、後悔、様々な考えが頭を駆け巡ったのだろう。ただ、俯いていた黄前先輩が顔を上げた時、その視線は真っ直ぐ義井を見つめていた。

 

「ありがとう」

 

「えっ」

 

「サリーちゃんのおかげで、まだ1人も辞めてないよ。全員いる。一年生だって抜けてない」

 

そう言う黄前先輩は、義井の目を見つめ続けている。だが言葉を切った瞬間、その表情は一転し、次の言葉を言おうか言うまいか、迷っているように見えた。

 

黄前先輩は何度か言葉を飲み込み、小さく息を吐いた。何を考えているのかはわからない。ただ、すぐに言葉に出来なかったことだけは事実だった。

 

「正直に言うとね、私もサリーちゃんと同じこと思った。初心者の子は別にしたほうがいいんじゃないか、練習方法を別にしたほうがいいんじゃないかって」

 

「そうだったんですね」

 

「だけど部員全員、程度の差こそあれ上手くなりたいって気持ちはあると思うんだよね。たかが部活でって言う人もいるかもしれない。でも、始めた以上私たちは高校生活の大半を部活に費やすことになる。だったら後悔したくないし、して欲しくない。やってよかったって思ってほしい。その思いは全員一緒。水を差しちゃいけないと思うんだよね。だから……きっとサリーちゃんの気持ちで、みんな励まされてると思うよ」

 

「それは……このままでいいと思ってるってことですか」

 

「もちろんそうは思わないよ。吹奏楽部ってさ、人多いし、初心者も経験者もいて、考え方も色々あって、どれか一つだけが正解って見つけるのは……すごく難しいなって。そうなんだよね。だから部長って、多分みんなのいろんな気持ちをまとめるためにいるんだと思う。……だから、全部私のところに持ってきて」

 

「先輩のところに?」

 

「うん。サリーちゃん個人の悩みでも、他の一年生の悩みでも、全部話してよ。きっと、みんなどこか似たような悩み抱えてると思うから。……ってこれじゃあ、何一つ解決になってないよね。でも、ちゃんと話せばなんとかなるんじゃないかなって、私は思ってる。だって、目指してる場所は同じだから」

 

「くーみーこー。1人でカッコつけないで」

 

「葉月ちゃん?」

 

「全部久美子が抱えなくていいんだよ。サリーちゃん、私もいるから!じゃんじゃん相談しにきてね」

 

「ありがとう……ございます」

 

義井はまぶたの中にうっすらと涙を溜めながら呟いていた。俺は今まで先輩という物に縁がなかったが、2つ年上というだけでこうも違うのだと思わされる。この人たちの背中は、ついていきたいと思える大きな背中だ。それは義井も同じように感じたのだろうということが、彼女の表情から伝わってきた。

 

「ところで幸人くん。演奏会やるって言ってたけど、場所とか参加人数とか決まってるの?」

 

「なんも決まってないです」

 

「決まってないって……多分滝先生に言えば音楽室使わせてもらえると思うけど、早めに話しておいたほうがいいよ」

 

「じゃあ私は、りりりんに参加するか聞いておこうかな。同じ一年生指導係として仲間外れにはできないし」

 

「あっ、じゃあ私も」

 

「久美子はだいじょーぶ、私たちに任せてよ」

 

「……わかった。じゃあ葉月ちゃんに任せた」

 

「それでよし! じゃあ戻ろっか」

 

 

 

義井と別れ低音パートが練習する教室へと戻る道すがら、唐突に言われたその言葉。最初、その意味が理解できなかった。

 

「幸人くん、ありがとね」

 

「なんの話ですか?」

 

「サリーちゃんのこと。私、全然気付けなかったから」

 

「ああその話ですか。そりゃ俺は義井の隣の席なんで、毎日顔見てれば流石にわかりますよ。今回のことは本当にたまたまです。それに結局俺は、何も分かっていませんでした。人の気持ちとか、そういうこと。先輩たちにおんぶに抱っこです」

 

「人の気持ちなんて、本人が全部話してくれるわけじゃないからね。私だって気付けないことばっかりだよ。でも、幸人くんはちゃんと気付いて声をかけた。それだけでも十分意味があると思う」

 

「そーだぞ後輩。何かが起こる前に声をかけれるのは、それだけですごいんだから」

 

「そんなもんですかね」

 

「そんなもんだよ。きっと」

 

多分これは、励ましなのだろう。今までは、自分一人の問題だった。だから、前へ進むのも自分一人でよかった。

 

でも今は違う。誰か一人の悩みが、周りのみんなにも繋がっていく。集団で過ごすというのは、こういうことなのかもしれない。

 

今回俺は、異変には気付けた。でも、その先は先輩たちがいたから、義井は前を向けた。まだ俺にできることは少ない。

 

それでも今日みたいに、一歩ずつできることを増やしていけばいい。その先で、いつかあの人たちみたいに誰かを支えられる人になれたなら――きっとそれは悪くない。

 

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