「夢、か……」
濡れそぼる瞳に違和を抱き、鎖是カナタはふと目を覚ます。そのぼやけた視界で廃虚の内に差し込む日の光を捉えて、先程までのそれが夢であると思い知り、独りぼやく。
脳裏に焼きついた、かつての仲間達の姿が後悔となって立ち現れる夢を果たして何度見た事だろうか。
カナタからははと乾いた笑いが漏れる。己の不甲斐の無さを嘲るそれは、一方で深い後悔と寂しさを湛えていた。
カナタはむくりと起き上がり、身体に被さる白い外套でその瞳を拭うと、ふいと枕元を見やる。そこにはいつでも使用出来るようにと、入念に整備されて立て掛けられた自らの機関銃があった。
安堵すると共に、辟易もする。
寝ても覚めても獲物と共にあろうとするそれは、もはやその身に染みついた習性とも言えた。
寝癖に乱れる淡い銀色をした髪を両の手でかき上げて、カナタは長い息を吐いて閉目する。
瞼の裏に思い出すのは夢に蘇る日々。
幸福も希望も無く、あまつさえそれを探し求める事さえ禁じられた、冷たい闇が支配する地。
そこで諍いと争いの絶えぬ幼少期を過ごし、やがて戦いと殺しの訓練を叩き込まれ、今のカナタが形成された。誇れるものは何も無く、ただ血に塗れた技術だけが己の存在意義であった。
それは今でも変わらないのかもしれないと、カナタはまた静かに嘆息する。それどころか今は慰めてくれる仲間も居ない。今日という朝がこんなにも物寂しいのは、きっと見た夢の所為だと感じていた。
やがてカナタは取り直す様に、かき上げた前髪を分けて整えると、フードの付いた白い外套を羽織り、そのショートヘアを覆い隠す。
そしてボロボロのレザーソファから立ち上がり、机代わりの錆びついた弾薬箱の上へとバーナーコンロを持ち出して、クッカーにウォーターボトルから並々と水を注ぎ、点火して湯を沸かし始める。
ふとカナタはかつての”ウォータータイム”なる慣習を思い出し、クッカーから湯気が立ち昇る様を見て苦笑する。それは日々の訓練において、優秀者には温かい水が支給されるという、今にしてみればあまりに粗末な褒美であった。
それでもあの時は、コップ一杯のお湯のために皆が必死になっていた。カナタもその一人であったし、優秀者の常連であったその身には、嫉妬と羨望の混じった視線が向けられていたのを覚えている。
戦いから逃れられぬ己が運命を呪いつつも、カナタには己が強さに対する自負はあった。傲慢になる訳でもなく、ただあの日々を生き伸びる内に於いて、最良の力であった事は確かだった。
それでも決して最強ではなかったと感じるのは、隣に並び立つ”彼女”の存在があったからだ。
歳を同じくして優秀者の常連であり、とある精鋭部隊を率いるリーダーですらあった”彼女”は、カナタにとって一番のライバル、そして密かな憧れであった事に違いなかった。
そしてそんな”彼女”を慕っていた精鋭部隊の面々も、個性に溢れる大切な同輩であった。
無論、彼女達だけではない。あの場所には確かに、日々の苦難を分かち合える者が多くいたのだった。
あの空間に親しさなどという言葉が似つかわしいとも思えないが、それでも確かな繋がりを感じていた。
そんな薄暗くも仄かに温い過去の記憶を懐かしく思いながら、今や仲間達の安否を確かめる術も、もはや顔を合わせる資格すら無いのだと思い詰めて、カナタはやがて蹲る。
あの場所に戻れるとも、戻りたいとも思えない。
されど他の者達を顧みることもなく、独り逃げ出してきたという事実だけが、その心を苛み続けている。
外の世界の有り様を認めた今のカナタにとっては、あの劣悪の地に彼女達を見捨てて来たも同然に感じられるのであった。
願わくは、彼女達がどうかあの地から逃げ仰た先で、再び相見える事が出来たら。
或いはあの恐るべき”女主人”の支配を打ち破る、そんな奇跡が起こり得れば。
そんな絵空事ばかりが頭に浮かんでは消えるのを繰り返す内に、やがて水が沸き立つ音に呼ばれて、カナタは慌てて顔を上げた。
沸騰するクッカーをバーナーコンロから急いで退かし、ガス栓を閉じて火を消して、周りに噴き出した跡がない事を認めると、ほっと息を吐く。
カナタはお湯が冷めぬ内にと、ポーチから紙コップとコーヒー粉、カップパスタを取り出して、器それぞれに注いでいく。
カップパスタの蓋を閉じてから、出来たコーヒーを一口味わうと、続いてクッカー内の湯量に余裕がある事を確認して、そこにインスタントスープの粉末を投入する。
そして付属のプラフォークを開封してそれをかき混ぜると、クッカーの取手を掴んでコンソメスープを口にした。
「……うん、美味しい」
インスタント食品のみで揃えて尚、食事の質はかつてと比べるべくもない。それでも今のカナタの周りには、食事を共にする仲間の姿は無い。
果たしてどちらが、などと漠然と思い悩み、やがてそんな自分の女々しさにまたも嘆息する。
どうにも今日は物寂しさに後ろ髪を引かれる様で。
カナタは独りの朝食を手早く済ませようと、出来上がったインスタントパスタを頬張るのだった。
◇◇◇◇◇
朝食の後に暫しの支度を済ませると、外に繰り出す事を決めたカナタは、ポーチバッグを腰に提げ、機関銃を肩に掛けて抱え、フードを深く被り直す。棲家とする廃ビルの裏手口から顔を出し、快晴である事を確認すると、十全なクリアリングをして飛び出した。
狭い路地裏を縫う様にして移動し、一に取り敢えずはと、近場の比較的安全な大通りを目指す。
その途中、物陰から外の様子を窺えば、今日は何やら騒がしい日であると気付く。
元よりこの地域は周辺自治区の様々な学園の不良生徒達が屯する、治安の悪い土地柄であるには違いない。しかし今日の彼女達はまるで何処かに導かれるかの様に、一方向に忙しく流れていくのだった。
「んで、何処に向かうんですか、姉御〜」
「あ〜、向こう幾つか大通り超えた先に連邦生徒会の真新しいデカい建物があったろ? そこだよ、そこを占拠しちまおうって話」
「シシシ、久々に大暴れ出来そうっす!」
「……しっかし、あのカイチョー様が引っ込むと矯正局までボロボロになるモンなんすねぇ」
ふと彼女らの会話に聞き耳を立てれば、やはり行き先が一箇所であると分かる。しかしながらこれだけでは余りに情報が少ないと、カナタは更なる手掛かりを求めて大通りへと歩みを進めた。
車道を見ても車の往来に変わった点はない。強いて言えばここ一週間を通して、以前よりも警備車両や軍用車の往来が増えたかと思える程度である。
一方で行き交う人々に目を向けると、登校中であろう一般の生徒達がスマホの画面を共有しながら、浮き足だった様子で話し込む様子がそこかしこで見てとれた。その会話の端々に聞こえてくるのは、失踪、脱獄、暴動と言った物騒な言葉ばかり。
その異様な雰囲気にカナタは眉を顰めつつ、やがて大通りの交差点広場に辿り着くと、そこに備え付けられた街頭テレビジョンを見上げた。
『……頻発するインフラの混乱に続き、ここ数週間でキヴォトス全体の治安は悪化の一途を辿っています。 しかしながら、この状況に対して連邦生徒会は未だ不気味な沈黙を保っており、生徒会長の不在疑惑に関しても未だ公式な回答がありません』
テレビジョンに映るクロノス報道部のニュースが伝える通り、ここ学園都市キヴォトスの中央行政機関たる連邦生徒会は、今現在、機能不全に陥っていると見て違いなかった。インフラ整備にしても治安維持にしても、まるで何か糸が切れた様な有様である。
原因として考えられるのは連邦生徒会長の不在の件であるが、その消息に関しては失踪か病気か誘拐かと、まるで憶測の域を出ない、暗い噂ばかりが聞こえるのみであった。
『……そんな中で起きた、今回の矯正局脱獄事件。 ヴァルキューレの発表によりますと、脱獄したのは7人。 更には先程の速報でもお伝えした通り、D.U.地区外郭にある連邦生徒会が所有する施設周辺にて、脱獄犯の一人が早くも暴徒を結集しつつあるとの事で、現地は騒然としています』
続いて矯正局からの脱獄事件が伝えられ、カナタの脳内で先程までの数々の情報が線で繋がった。更には報道のLIVE映像を見て、それが確信に変わる。
D.U.地区の外郭部の中でも中々に目立つ高さと形状をした、白く輝くビル。その周辺に、不良生徒を中心とした武装集団が集結する様子が映し出されていた。
「(隣の地域か……どうりで騒がしい訳だ)」
これは中々の大事になりそうだと予感して、カナタは改めてテレビジョンを睨む。世の中には、この手の騒乱があるからこそ希求される仕事という物があり、カナタはまさしくそれを生業としている。
即ち、傭兵であった。
「(連邦生徒会が絡むのは面倒だけど、知らぬ顔をしているのも性に合わない、か……)」
事に対する好奇心も含め、例え暴動への直接的な介入はせずとも、治安が地に堕ちたエリアでなら仕事は探せば出て来るだろうと踏んだカナタは、次の瞬間には報道が示した場所へと急いでいた。
原則として三人称一元進行。
髪型に関してはハンサムショートと言えば伝わるでしょうか。