「ど、どなたかは分かりませんが、姿を見せて頂けませんか……?」
カナタの潜む物陰の向こうから聞こえて来るのは、ゲヘナの風紀委員からの呼びかけである。その口調こそ丁寧だが、緊張の混じる声の様子からして、これは警告でもあるのだろう。
敵対はもっての外であるが、例えこのまま大人しく姿を見せたとして、何しろ今のカナタはガスマスクを被った不気味な姿格好であるからして。果たしてあの大人や彼女達四人から、どのような反応が返って来るか、まるで想像出来ないのであった。
仮にこのガスマスクを外して、善意の協力者として接触を果たすにしても、この戦闘地帯に潜伏していた事自体が不審であるに違いない。
それにカナタが身元不明者である事には、連邦生徒会の息がかかった人物と素顔で接触する事自体が重大なリスクとなり得た。最悪の場合は矯正局行きである。
かくして、ああでもないこうでもないと云々と唸っていたが、やがてその長い沈黙を不気味に思ったのか、
「……閃光弾を投げ込みますか?」
という物騒な文言が飛び出したのを聞き取ると、カナタは堪らず物陰から飛び出した。
機関銃を背負いつつも、両手を上げて敵対の意思がない事を伝えて、彼女達に向き合う事にする。
「んなっ……! が、ガスマスク⁈ 本当に誰なの⁈」
菫色の髪をしたミレニアム生が、カナタの姿を見て半ば取り乱した様に声を上げた。
「敵対する気は無い、と言う事ですか……」
一方でカナタの意図を正しく読み取った長身の正実委員が、冷静に務めた声と共にカナタを見据える。そのロングライフルは、一寸の震えもなくカナタへと向けられていた。
「……どうしましょうか、先生」
そして白い髪のトリニティ生が隣の”先生”をちらり見て、この場の沙汰を委ねた。因みにその手には、アサルトライフルと共に閃光手榴弾らしきものが握られており、先のそれが冗談では無かった事を察して、カナタは思わず息を吐く。
「”……さっきのあれは、君が助けてくれたのかな?”」
すると今まで沈黙を保っていた先生とやらが、まるで緊張の無い柔らかな声と穏和な表情で、カナタに問いかけて来た。
カナタは内心、目の前の大人の思惑と、連邦生徒会の関係者としてのスタンスを警戒していたが、ただここで黙り込んでも埒が開かないだろうと、
「……そうだよ、ボクがやった」
と素直に白状する事にした。
するとその答えを聞いた先生はそっかと一言呟くと、四人の生徒の制止もお構いなしに前へと進み出て、驚くべき事にその頭を下げたのだった。
「”ありがとう、助かったよ”」
「……え、あ、うん。 どういたしまして……?」
あまりに慮外のその出来事に、カナタは呆気に取られたまま、何とも気の抜けた返事をしてしまう。
それは他の生徒達四人も同様で、先生のその行動を咎めるでもなく、驚きの表情でただ呆然と見ているのみであった。
「”ほら、皆んな銃を下げて。 この子は私の命の恩人だからね”」
「……あ、はい、そうですね……
……って、いやいやいや! だとしても流石にこの見た目は怪しすぎませんか⁈」
先生が放つ柔和なオーラに、全員が思わず銃を降ろしかけて、それに気付いたミレニアム生が、流されまいとばかりにカナタを指して大きな声を上げた。
全くもってご尤もなその指摘に、カナタも心の内で同意せざるを得ない。この不気味な姿は正体を隠し、或いは人を脅すには良いが、人と話すにはまるで向かなかった。
「……花粉症対策なんだ」
「それにしては厳重が過ぎますね……」
カナタが思いつきで苦し紛れの言い訳を口にすれば、ゲヘナの風紀委員に呆れた様な顔で咎められる。
更には菫色の髪のミレニアム生から、
「そもそも、今の時期は花粉なんか大して飛んでないでしょ……」と追い討ちを食らう。
ぐうの音も出ない反証を受けてカナタが押し黙っていると、次は大きな翼を持つ長身の正実委員が、困惑の混じる訝しげな顔でカナタを問い質してきた。
「……そもそも、貴方はこの様な危険な場所で何をしていたのですか? 避難指示だって出ていた筈ですが」
「……逃げ遅れて、巻き込まれたから、身を隠してただけだよ」
カナタが再び誤魔化して答えれば、四人からの視線がより険しいものになったのを感じて、カナタはすぐにでもこの場から離れなければと焦燥する。
話せる本当の事は何一つなく、この調子では疑われてもしょうがないなと、思わず心の内で自嘲してしまう。そしてこのまま捕まって問い詰められると、非常に不利な状況に置かれる事は想像に難くない。
「その……そう言う訳だからさ、ボクはもう行ってもいいかな?」
故に一か八か、カナタは極めて平静に努めて、先程から穏やかな様子のままの先生にそう願い出てみれば、まるであっけらかんとした答えが返ってきた。
「”うん、いいよ。 気を付けてね”」
「いい訳ないでしょ……
……って、ええっ⁈ いいんですか⁈」
それに声を上げたのはカナタではなく、愕然といった様子をした菫色の髪のミレニアム生である。どうにも彼女は情緒の起伏が豊かである様だった。
「……このまま見逃すのは危険では?」
続いて困惑した表情で苦言を呈した白髪のトリニティ生に、先生は柔らかく笑って答える。
「”怪しまれる事も厭わずに助けてくれた子を疑う様な事はしたくないからね。 それに今の私達には別にやる事があるでしょ?”」
その問いかけにトリニティ生ははっとした表情を見せて、その視線が大通りの続く先へと向く。そこには第二波とでも言う様な、不良生徒達の武装集団がじりじりと迫りつつあった。
「……そうですね、まずは部室を奪還しなくてはいけません」
同じくそれを認めた長身の正実委員が改めて銃を持ち出したのを見て、全員が体勢を立て直し始める。
するとそれに連携するかの如く、先の輸送車両が先生を庇う様に前に出て停車すると、中から連邦生徒会の職員であろう操縦手の声が聞こえてきた。
「先生、主席行政官から通信です!」
その声と共に、輸送車両の窓から飛行ドローンが発進し、そこから凛とした声が発せられる。
『先生、聞こえますか?』
「”うん、聞こえてるよ”」
輸送車両の陰で先生がそれに応答すると、ドローンから青いホログラムが投影された。カナタが見るにその姿は、いつの日かのニュースに映っていた連邦生徒会の主席行政官である様だった。
『今、この騒動を巻き起こした生徒の正体が判明しました。 そちらにデータを送ります』
そしてカナタはこの時、全員の視線と注意が自身から外れた事に気付き、ここから離脱するには今しかないと、密かに後退して遠ざかろうとしていた。
しかし。
『孤坂ワカモ。 百鬼夜行連合学院にて停学処分を受けている生徒であり、そして矯正局からの脱獄犯の一人です。』
主席行政官の口から発せられたその内容に、カナタは思わずぴたと動きを止める。そしてふと視線を大通りの先へと向ければ、そのずっと奥に掛かる大きな歩道橋の上に、一際目立つ”黒い影”が間違いなくこちらを向いて立っているのが見えた。
「(……ああ、嫌な予感)」
────その瞬間。
身を刺す殺気に、反射的に身体を大きく捻った。
すると顔の真横を弾丸が掠め飛んだのを感じて、カナタは自身が狙われた事を悟る。或いは、真の狙いはこのガスマスクであったかも知れない。
「(あの時の意趣返しなら、頷ける話だ……)」
その代わりか、被っていたフードはその風圧でハラリと捲られて、その下の淡い銀色の髪が露わになってしまった。
その後の銃声で事に気付いた先生達が、そんなカナタの姿を慌てて振り返ると、一番にゲヘナの風紀委員が心配する様子を見せた。
「狙撃……⁈ だ、大丈夫でしたか⁈」
「……大丈夫、何とか躱したから」
「今のを躱したんですか……⁈」
白髪のトリニティ生からの感心を受けるが、カナタは全くもって喜べなかった。何しろこの場にいる六人の中で、指揮官でも狙撃手でもないカナタが真っ先に狙われたのである。思うにそれは、後退しようとしていた所を咎められたか、或いは”邪魔をするな”と言う意思表示であろうか。
「……っ! 敵集団、来ます!」
すると突然に、長身の正実委員が警告を発して、それに全員が身構える。
先の狙撃はこちら全員の視線誘導も兼ねていた様で、見れば武装集団の前衛がこの機に乗ぜよとばかりに向かって突撃して来ていた。
「”……今度は守勢だね。 ユウカ、弾幕お願い”」
「は、はい!」
「”スズミは弾幕を抜けてきそうな子を叩く”」
「承知しました」
対応が遅れて後手に回ることになったが、それでも先生は落ち着いた様子でそれぞれに指示を出していく。
「”ハスミは弾幕で足が止まった子を確実に”」
「ええ、分かりました」
「”チナツは前衛二人をバックアップ。 あと、囲まれたりしない様に援護してあげて」
「はい、了解です……!」
そうして前線へ散らばった各々が先生の的確な指示の下、戦闘を開始していく。しかしながら、やはり先手を取られた事が効いて、相手の物量に僅かに押され気味であると分かる。
一方でその様子を見ていたカナタも、先の狙撃の件もあって、この状況から引くに引けなくなっていた。
あの”件の相手”からは確実にマークされており、ここで孤立するのはリスクが高い。もしもここで先生達が負ければ、次には自分が標的にされかねない。
それならいっそ傭兵らしく、全面的に”先生”に協力して連中を撃退し、恩を売った上で穏便に見逃して貰える様に図る方がマシではないか。
そう考えたカナタは、意を決して声をかける。
「先生、ボクを雇う気はない?」
するとまるで意外だとでも言う顔で、先生がカナタを見る。流石にこの出方は予想外だったらしい。
「”えっと……どう言う意味かな……?”」
「ボクは傭兵だ。 報酬を貰えれば何だってする」
「”傭兵……。”
“でも、今の私にはあまり持ち合わせが無いよ?“」
「そこはいつかの貸しにしてあげる。 この際、金銭じゃなくても良い。
重要なのは、素性に関して触れない事と、戦闘が終わったら直ぐにボクを見逃す事」
カナタは順に三つ指を立てて、手短に簡潔な交換条件を提示する。何とも情けない大安売りだが、今はなりふり構っていられない。
すると先生はさして長く迷う様子もなく、
「”うん、分かった。 君を雇うよ”」
と簡単に頷いて見せた。
この判断の早さは頭がキレる故なのか、はたまたその逆か。
拍子抜けしたカナタが、思わずそんな事を考えていると、先生は小首を傾げて
「”それなら、君の事はなんて呼べば良いのかな?”」
と聞いて来た。
指示を出そうにも、呼ぶ名が無ければそれも出来まいと、カナタは己の不手際を省察して頭を掻くと、自身の傭兵としてのハンドルネームを口にする、
「……グレイ。 取り敢えず、そう呼んで欲しい」
「”グレイ、だね。 よろしく”」
すると先生はその名前を口にして、それから微笑んで頷いた。この様な逼迫した状況下にあって尚、その穏和な雰囲気は崩れる気配が無い。
更に言えば、その眼差しは純真そのものであり、カナタはガスマスク越しにも拘らず、確かに目線が合っている様に感じていた。
「(……ああ、成る程。 彼女達が従う訳か)」
そんな先生の在る様に、カナタがその内心で妙な納得感を覚えていると、先生が次の質問へと移る。
「”因みに、近接戦闘の経験は?”」
「勿論あるよ。 ……それはもう沢山と」
カナタはそう答えて、それが専らであると肩を竦めて見せた。傭兵とは大抵、戦闘において一番苛烈なポイントに投入されるものである。
すると穏和な雰囲気はそのままに、先生の目付きだけが冴えた様に鋭くなる。
これが彼の、戦術指揮官としての顔の様だった。
「”頼もしいね。 それなら一先ずはあの子、ユウカの援護について欲しい”」
「了解」
先生が指し示す先には、最前線にてサブマシンガンから弾幕をばら撒いている菫色のミレニアム生の姿がある。しかし相手側が数に物を言わせた至近戦を仕掛けて来た事もあり、彼女の下に攻撃の殆どが集中し、思う様に動けない状況にある様だった。
即ちここで求められるのは、あのユウカという生徒を執拗にマークする敵集団の一部を引き付け、その脅威を抑止或いは排除する事であろう。
「取り敢えずは……あの右側最前のバリケード一帯かな。 あそこの連中を制圧すれば良い?」
「”そうだね、その通りだよ”」
そんなカナタの想定に、先生はニコリと笑って大きく頷くと、それと同時にイヤーマイク型の通信機を差し出して来た。
「”改めて、よろしくね”」
カナタはそれを素直に受け取って装着して見せると、
「こちらこそ。 よろしく、先生」
そう言って捲れたフードを被り直し、前線へ向けて翻る様にして駆け出したのだった。