本作品のベースとなったのは、今を遡ること18年。
リリカルなのはStrikerSが放送終了して数ヶ月が経った頃…2009年初頭に、思いつくまま設定や粗筋を書き殴ったオリジナル続編だったりします。
しかし、いざ小説という形にし始めた頃、魔法少女リリカルなのはViVidの連載がスタート。
この作品は若気の至り、黒歴史として封印していたのですが…先日、実家の倉庫を片付けている時に、ノートを見つけてしまったのが運の尽き(笑)。
覚悟を決めて、小説として書き上げることにしました。暫くの間、お付き合いただければ幸いです。
第1話 蛭の舌
新暦0077年4月28日。
クラナガンの朝は、いつも通り慌ただしかった。
高層ビルの間を飛行許可を得た管理局局員が滑るように飛び、地上では仕事へ向かう人々がそれぞれの一日へ歩き出している。
世界は平穏だった。少なくとも、表面上は。
八神はやては、本局の廊下を早足で歩いていた。
腕に抱えた端末には、午前の会議資料、部隊運用計画の修正案、災害対応訓練の報告書、そして未処理の決裁案件が山のように詰まっている。機動六課が解散してから1年。
あの大事件の後始末は、完全に終わったわけではなかった。
ジェイル・スカリエッティ事件。通称JS事件。
世間ではそう呼ばれるようになった一連の事件は、管理局内外に大きな傷を残した。
戦闘機人。レリック。最高評議会。人造魔導師。違法研究。
表に出せるもの、出せないもの。裁けるもの、裁ききれないもの。救えた者、救いきれなかった者。
機動六課は役目を終え、皆それぞれの場所へ戻った。けれど、あの日々で結ばれた絆は消えていない。それが、はやてにとっては救いだった。
「八神特別捜査官、こちらの確認をお願いします」
執務室に入るなり、補佐官が端末を差し出してくる。
「はいはい。午前中に見る言うてた分やね」
はやては椅子に座る前に端末を受け取り、ざっと目を通した。
形式の不備、承認印の不足、予算配分の文言修正。どれも小さなことだが、小さなことを雑にすれば、後で大きな穴になる。
それを、はやては嫌というほど知っていた。
「こことここ、文言直して。あと添付資料の3番、最新版ちゃう。昨日差し替えたやつにしてな」
「了解しました」
補佐官が一礼して去る。
はやてはようやく椅子に腰を下ろし、軽く息を吐いた。
「朝からフル回転やなぁ……」
机の上には、まだ未決裁の書類が積まれている。その一番上に置かれていた私物端末が、小さく震えた。
差出人は、報道対策室の知人だった。
『確認願います。至急』
その短い件名に、はやての眉がわずかに動いた。報道対策室からの至急連絡に、良い知らせなどほとんどない。
端末を開き、添付されていた記事データに目を通す。数秒後、はやての指が止まった。
画面に躍っていた見出しは、あまりにも品がなかった。
――英雄か、異端か。
――機動六課が隠した“人外兵器”の真実。
――少女達の笑顔の裏に潜む、管理局最大の欺瞞。
「……なんや、これ」
思わず漏れた声は驚くほど低かった。
記事の署名欄には、リク・ヒルマとある。ペンネームは、リーチ・ヒルマ。
その名を知らないわけではない。管理局内でも悪名は届いていた。
違法ギリギリの取材、恣意的な編集、盗撮盗聴まがいの音声入手、脅迫じみたコメント取り。
ただし、いつも法の線を踏み越えきらない。踏み越えたとしても、証拠が残らない。訴訟になっても、逃げ道を用意している。
報道関係者の中には、彼を
だが、同業者の多くは陰で別の名を使っていた。
はやても、何度か耳にしたことがある。蛭野郎、と。
記事は、最初から悪意で組まれていた。
機動六課は、JS事件解決の功労者として讃えられている。だが、その内実はどうか。
そこには、戦闘機人という人造兵器がいた。
死者の遺伝情報を元に作られた少年がいた。
犯罪者の手によって作られた人工生命体達を保護し、更生という名の下に社会復帰させようとしている。
管理局は、これを本当に正義と呼ぶのか。
文章の一つ一つが、事実の断片を拾っていた。だが、その並べ方は醜悪だった。
スバルとギンガが戦闘機人であること。
エリオが、複雑な出生を持つ少年であること。
ナンバーズの一部が更生プログラムに入っていること。
機動六課が、彼女達を仲間として受け入れていたこと。
嘘ではない。だが、真実でもない。
「……最低やな」
はやては小さく呟いた。
記事の中でスバルとギンガは、人間の皮をかぶった戦闘兵器と書かれていた。
エリオは、命の尊厳を踏みにじって作られた存在と書かれていた。
ナンバーズ達は、犯罪組織の残党でありながら、管理局の甘い判断で保護されている危険物とされた。
読み進めるほど、胸の奥が冷えていく。
怒りはあった。だが、それ以上に、嫌な予感があった。
この記事は、ただ機動六課を貶めるだけではない。人々の恐怖を煽るように書かれている。
“あなたの隣にいる少女は、本当に人間なのか”
“管理局は、兵器に人格を与え、英雄に仕立て上げているのではないか”
“命の倫理を踏み越えた者達を、我々は受け入れてよいのか”
言葉は刃物だった。しかも、刃先は本人達だけでなく、社会の不安へ向けられている。
はやては端末を机に置き、目を閉じた。
スバルの笑顔が浮かんだ。
ギンガの落ち着いた声が浮かんだ。
エリオが真面目な顔で任務報告をする姿が浮かんだ。
キャロがフリードを抱えて、少し恥ずかしそうに笑う姿が浮かんだ。
あの子達が、何をしたというのだろう。ただ、与えられた命を懸命に生きているだけだ。
自分にできることを探し、誰かを守るために戦っただけだ。それを、こんなふうに消費する。
知らず知らずのうちに拳を握り込むはやて。そこへ、通信が入った。
相手は、なのはだった。
「はやてちゃん、今、大丈夫?」
画面に映る高町なのはの表情は、いつもの柔らかさを残していなかった。
すでに記事を読んだのだろう。瞳の奥に、静かな怒りがある。
「うん。今、ちょうど読んどったとこや」
「……ひどいね」
「ひどいな」
短い言葉で十分だった。なのはは唇を噛み、少し視線を落とした。
「スバル達には?」
「まだ確認中や。広報と法務にも回す。本人達に先に話すべきか、上から正式に連絡すべきかも含めて」
「エリオとキャロにも、見せない方がいいよね」
その名が出た瞬間、はやての胸が重くなった。
エリオとキャロは、今は自然保護隊の仕事で管理世界61番『スプールス』に関わっている。
六課時代よりずっと穏やかな環境だ。フェイトも、それを喜んでいた。あの二人には、戦場ではなく、もっと普通の時間を過ごしてほしいと。
「せやな。けど、隠しきれるかはわからん。ネットに出たら、あっという間や」
「……うん」
なのはは、静かに頷いた。
「はやてちゃん、どうするの?」
問いは、責めるものではなかった。けれど、重い問いだった。
はやては少しの間、答えなかった。感情だけなら、今すぐ出版社へ乗り込んで、記事を書いた本人の胸ぐらを掴みたい。法的に取れる手段があるなら、全部取ってやりたい。広報を通じて反論し、事実を示し、本人達の名誉を守りたい。
だが、それは本当に最善か。
「まずは法務と広報に確認する。名誉毀損で動けるか、個人情報の扱いに違法性があるか、記事中の記述で明確に虚偽と言える部分があるか」
「うん」
「ただ……多分、難しい」
はやては苦々しく言った。
「こいつ、やり方がいやらしい。完全な嘘は少ない。事実の一部を切り取って、印象を悪くするように並べてる。反論すればするほど、こっちが隠してた情報を認めた形になる可能性もある」
「じゃあ、無視するの?」
なのはの声に、微かに痛みが混じった。はやては、その痛みがわかった。
無視。それは正しい判断かもしれない。
けれど、傷つけられた本人達から見れば、守ってもらえなかったように感じるかもしれない。
「すぐには決めへん。ただ、今の時点で感情的に反応するのは悪手やと思う」
はやては端末の画面を見つめた。
「相手は、こっちが怒るのを待ってる。管理局が圧力をかけた、報道の自由を潰そうとした、都合の悪い真実を隠した。そう言うつもりや」
なのはは、悔しそうに目を伏せた。
「最低だね」
「ほんまにな」
はやては小さく息を吐く。
「フェイトちゃんには?」
「……私から連絡するよ」
なのはの声には、フェイトを気遣う響きがあった。
フェイト・T・ハラオウン。エリオとキャロの保護責任者であり、2人にとって母親に限りなく近い存在。
この記事で一番傷つく大人の一人だろう。
「お願いしてええ?」
「うん。はやてちゃんは、そっちの対応お願い」
「任せて」
そのやり取りを最後に通信が切れる。はやては、しばらく画面の消えた端末を見つめていた。
やることは多い。だが、それ以上に、心がざわついていた。
その日の午前、緊急の小会議が開かれた。
参加者は、広報部、法務部、監査関係者、そしてはやて。会議室の空気は重かった。
「結論から申し上げます。現時点で、即時の法的措置は難しいです」
法務担当官が、硬い声で言った。
「記事内には不適切な表現、悪質な印象操作が多数あります。しかし、記載内容の多くは既に公的記録、あるいは過去の会見で限定的に触れられた内容を元にしていると思われます。完全な虚偽と断定できる箇所は少ない」
「個人情報の不正入手は?」
はやてが尋ねる。
「疑いはあります。ただ、証拠がありません。情報源の秘匿を主張されるでしょうし、強制捜査に踏み切るには根拠が弱い」
「広報としては、下手に反応すべきではないと考えます」
今度は広報担当が言った。
「この記事は、明らかにこちらの反応を誘っています。公式声明を出せば、かえって話題が拡大する可能性が高い。関係者のプライバシーにも触れざるを得なくなります」
「つまり、黙って見とけ言うことですか」
はやての声は静かだった。だが、会議室の温度が少し下がった。
広報担当は、慎重に言葉を選んだ。
「言い方は悪いですが、現時点ではそれが最も被害を抑える判断です。数日で次の話題に流れる可能性もあります」
「数日で流れる?」
はやては画面に表示された記事の一文を見た。
――人間と兵器の境界を曖昧にする管理局の欺瞞。
「その数日、本人達はどう過ごせばええんですか」
誰もすぐには答えなかった。正論はわかる。組織対応としては、広報の言う通りだ。
反応すれば炎上する。炎上すれば、本人達の情報がさらに掘り返される。守るために声を上げたはずが、結果として傷を広げることもある。
それでも、胸の中の怒りは消えなかった。
会議の終盤、上層部の一人が言った。
「八神捜査官。君の気持ちは理解する。だが、ここは慎重に動くべきだ。機動六課は既に解散している。今さら過去の一記事に過敏反応すれば、管理局としての余裕を疑われる」
はやては、その言葉に顔を上げた。
過去の一記事。その言い方が、どうしても引っかかった。
六課は解散した。けれど、そこで戦った者達は今も生きている。過去の記事で傷つくのは、過去の部隊ではなく、今を生きる仲間達だ。
しかし、はやては反論を飲み込んだ。ここで感情をぶつけても、何も変わらない。今必要なのは、怒りではなく判断だ。
「……わかりました。現時点では公式反応を控える。ただし、関係者への被害が確認された場合は即座に再協議。個人への直接的な攻撃、脅迫、業務妨害が発生した場合は、法的措置を含めて対応する。それでええですね」
「妥当でしょう」
会議はそう締められた。
午後になって、はやてはようやくフェイトと通信を繋いだ。画面に映ったフェイトの表情は、思ったより落ち着いていた。
落ち着いているように見えた、という方が正しい。
「なのはから聞いたよ」
フェイトは静かに言った。
「そうか……ごめんな、フェイトちゃん」
「はやてが謝ることじゃない」
フェイトは首を横に振った。
「エリオとキャロには、まだ伝えてない。できれば、見せたくない」
「うん。私もそう思う」
「でも、いずれ知るよね」
その声が、少しだけ揺れた。はやては答えられなかった。
フェイトは、画面の向こうで目を伏せる。
「エリオは、自分の生まれについて、全部受け止めようとしてる。キャロも、自分ができることを探して頑張ってる。なのに……どうして、あの子達がこんなふうに言われなきゃいけないのかな」
最後の言葉は、怒りというより、困惑に近かった。あまりにも理不尽なものを前にした時、人は怒る前に、理解できなくなる。
「フェイトちゃん」
「うん。大丈夫」
フェイトはすぐに顔を上げた。
「私がちゃんと見る。エリオとキャロには、必要なら私から話す。2人が傷つかないように……ううん、傷ついたとしても、ちゃんと受け止められるようにする」
大丈夫。フェイトはそう言った。
けれど、はやてにはその言葉が痛かった。
フェイトはいつも、大丈夫と言う。自分が傷ついても、誰かを守るためなら平気だと言う。
昔からそうだった。だからこそ、はやては不安になる。
「無理はせんといてな」
「うん。ありがとう、はやて」
通信が切れた後も、はやてはしばらく動けなかった。
窓の外には、クラナガンの空が広がっている。穏やかな青空だった。
世界は何も知らない顔で回っている。そのことが、妙に腹立たしかった。
同じ頃、クラナガンの雑居ビルの一室で、リク・ヒルマは売上データを眺めていた。
画面には、記事公開後のアクセス数、電子版購読数、関連広告の収益予測が並んでいる。どれも悪くない。いや、かなり良い。
「食いつきがいいな」
ヒルマは薄く笑った。
机の上には、安物のコーヒーを注いだカップと、複数の記録媒体が散らばっている。盗撮した写真。編集済みの音声。関係者のコメントを切り貼りしたメモ。どれも、記事を作るための材料だった。
彼にとって、真実とは売れる形に加工して初めて価値を持つものだった。
戦闘機人。
クローン。
人工生命。
元犯罪者。
更生。
管理局の英雄。
どれも大衆が好む言葉だ。恐怖を煽れる。嫌悪を引き出せる。正義感を刺激できる。
「綺麗ごとで飯は食えないんだよ」
ヒルマは独り言のように言った。
彼には、戦闘機人への思想などない。クローン技術への信念もない。命の倫理など、考えたこともない。
ただ、醜聞は売れる。美談よりも、疑惑の方が売れる。英雄を持ち上げるより、英雄の影を暴く方が読まれる。
だから書く。それだけだった。
端末に新しい通知が入る。生命倫理団体の公開アカウントが、記事を引用している。
ヒルマの笑みが深くなった。
「いいねぇ。勝手に燃やしてくれ」
彼は椅子にもたれ、次の記事の見出しを考え始めた。
その夜。はやては、八神家のリビングで遅い夕食を取っていた。
ヴィータは腕を組み、不機嫌そうにテーブルの端末を睨んでいる。シグナムは無言で茶を飲み、シャマルは心配そうに皆の様子を見ていた。ザフィーラは窓際に座り、静かに目を閉じている。リィンフォースⅡは、はやての肩の近くをふわふわと浮かんでいた。
「はやてちゃん、本当に何もしないですか?」
リィンが小さく尋ねる。
はやては箸を置いた。
「何もしないわけやない。今は表立って反応せんだけや」
「でもよ」
ヴィータが低く言った。
「こんなの、放っといていいのかよ。スバルもギンガも、エリオもキャロも、ナンバーズの奴らだって……あいつら、悪くねぇだろ」
「うん。悪くない」
はやてはすぐに答えた。
「悪くない子達が、悪く言われとる。それは間違いない」
「だったら」
「でも、ここで私らが怒りに任せて動いたら、余計にあの子達を晒すことになるかもしれん」
ヴィータは悔しそうに黙った。シグナムが静かに口を開く。
「相手は挑発している。こちらが剣を抜くことを望んでいるのだろう」
「せやろな」
はやては頷いた。
「管理局が報道を潰そうとしている。都合の悪い真実を隠している。そう言われたら、記事の中身がどうであれ、話がそっちにすり替わる」
「卑怯ですね」
シャマルが小さく言った。
「卑怯や。けど、卑怯な相手ほど、こっちは慎重にならなあかん」
言いながら、はやては自分自身に言い聞かせていた。
本当にこれでいいのか。無視することが正しいのか。反応しないことは、守ることなのか。それとも、見捨てることなのか。
答えは出ない。
だが、組織の中で動く以上、感情だけでは何も守れない。はやては、それを知っていた。
「明日、関係者の状況確認を進める。何かあったらすぐ動けるようにする。スバルとギンガには、ゲンヤさん経由で様子を確認する。エリオとキャロはフェイトちゃんが見る。ナンバーズの更生プログラムにも、念のため警戒を上げてもらう」
「……わかった」
ヴィータは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
家族だからこそ、わかってくれる。そのことが、はやてにはありがたかった。
夕食後、はやては一人で自室に入った。端末を開く。
記事への反応は、すでに広がり始めていた。
中には、記事を批判する声もある。機動六課の功績を称え、戦った者達を貶めるなと怒る声もある。だが、それと同じくらい、不安や嫌悪を口にする者もいた。
人造兵器を社会に戻して大丈夫なのか。
死者のクローンなど倫理的に許されるのか。
管理局は何を隠しているのか。
英雄扱いされている者達の正体を知る権利があるのではないか。
はやては画面を閉じた。
小さな火だ。今なら、まだ自然に消えるかもしれない。そう思いたかった。
けれど、火というものは、燃える場所を得れば一気に広がる。そして、悪意は乾いた草によく似ている。
「……頼むから、何も起きんといて」
誰に向けた願いなのか、はやて自身にもわからなかった。
窓の外、クラナガンの夜景は美しかった。
無数の光が整然と並び、人々の生活を照らしている。
その光の下で、誰かが笑い、誰かが眠り、誰かが明日を信じている。
はやては、その光を守りたいと思った。
六課で戦った日々も、今こうして書類と向き合う日々も、その思いだけは変わらない。
だからこそ、選んだ。今は動かない。反応しない。燃料を与えない。
それが最善だと判断した。
けれど。
その判断が、十三日後にどんな形で返ってくるのか。
この時の八神はやては、まだ知らない。
薄汚れた数ページの記事。売上のために並べられた悪意ある言葉。誰かの不安を煽り、誰かの怒りを正義に見せかける文章。
それはまだ、小さな火種に過ぎなかった。
だが火種は、確かに落ちていた。
優しい少年と、優しい少女が立つ未来の、そのすぐ足元に。
最後までお読みいただきありがとうございました。