魔法少女リリカルヴィヴィオ   作:SS_TAKERU

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*注意*

今回は原作キャラクターの死亡が描写されます。
そしてそれが、ViVidやForceへと続く時間軸からの決定的な分岐点となります。
閲覧の際にはご注意ください。


第3話 3分遅れの悲劇

 新暦0077年5月11日。

 

 その日、フェイト・T・ハラオウンは、朝から少しだけ浮かれていた。

 

 もちろん、表情に出していたつもりはない。

 執務官としての顔は崩していない。制服の襟元も乱れていないし、机に並べた資料もいつも通り整っている。補佐官から回ってきた確認書類にも、いつも通り赤字で簡潔な修正指示を入れていた。けれど、胸の奥だけは少し軽かった。

 

 今日は、エリオとキャロがクラナガンへ来る。

 

 機動六課が解散してから、二人は揃って管理世界61番『スプールス』を担当する自然保護隊の一員として頑張っていた。

 エリオは真面目すぎるくらい真面目に任務をこなし、キャロもそんなエリオの良きパートナーとして頑張っている。もちろん、フリードも活躍している。

 

 時々、二人から送られてくる報告は、どれも控えめだった。

 

 今日はこんな動物を見ました。

 フリードが地元の子どもに人気です。

 エリオ君がまた無茶をして怒られました。

 キャロが頑張りすぎて、今度は僕が怒りました。

 

 そんな小さな文章を読むたびに、フェイトは胸が温かくなった。

 

 六課時代、二人はいつも一生懸命だった。

 子どもと呼ぶには戦場を知りすぎていて、大人と呼ぶにはまだ幼すぎた。それでも、互いを支えながら前を向いていた。

 

 だからこそ、フェイトは願っていた。

 

 二人には、できるだけ穏やかな時間を過ごしてほしい。

 危険な任務ばかりではなく、季節を感じ、食事を楽しみ、普通のことで笑ってほしい。

 そのために自分ができることがあるなら、何でもしたいと思っていた。

 

 今日は、その二人と久しぶりにゆっくり会える日だった。

 

 待ち合わせは、クラナガン中央区から少し外れた、緑地公園に隣接する小さな広場。

 昼前に合流し、その後、近くの店で昼食を取る予定だった。

 きっとエリオはたくさん食べるだろうから、キャロと一緒に温かく見守ってあげよう。

 そう思うだけで、フェイトは少し笑いそうになった。

 

「フェイトさん」

 

 補佐官の声で、フェイトは顔を上げた。

 

「第7管理世界からの照会です。至急確認をお願いしたいとのことです」

「至急?」

 

 嫌な響きだった。

 

 端末に送られてきた資料を開く。違法搬送疑惑に関する補足照会。予定より早く現地から返信が来たらしい。

 内容自体は重要だった。処理を遅らせれば、関係者の拘束期限や証拠保全に影響が出る。

 

 フェイトは時計を見た。

 待ち合わせまで、まだ余裕はある。急げば間に合う。

 

「わかりました。今確認します」

 

 そう答えた時、胸の中にほんの小さな引っかかりが生まれた。

 けれど、その引っかかりを、フェイトは仕事の緊張だと思った。

 

 

 その頃、エリオ・モンディアルは、キャロ・ル・ルシエと並んでクラナガンの街を歩いていた。

 

 二人とも、自然保護隊の制服ではない。今日は休暇だった。

 エリオは清潔なシャツに上着を羽織り、キャロは淡い色のワンピースを着ている。フリードは小さな姿でキャロの肩に乗り、興味深そうに辺りを見回していた。

 

「クラナガン、久しぶりだね」

 

 キャロが言った。

 

「うん。六課にいた頃は、何度も来てたのにね」

 

 エリオは周囲を見ながら答えた。

 

 高い建物。行き交う人々。空を走る交通艇。自然保護隊の担当区域とはまるで違う風景だ。

 向こうでは、風の音や獣の足音を聞くことの方が多い。ここでは、人の声と機械音が絶えない。

 

 それでも、不思議と嫌ではなかった。今日は、フェイトに会えるからだ。

 

「フェイトさん、忙しいのに時間を作ってくれて……」

 

 キャロが少し申し訳なさそうに言う。エリオは首を横に振った。

 

「フェイトさんも、会えるの楽しみにしてるって言ってたよ」

「うん」

 

 キャロは小さく笑った。その笑顔を見て、エリオも嬉しくなる。

 

 二日前、フェイトから記事のことを聞いた。

 機動六課を悪く書いた記事。自分達のことも、ひどい言い方で書かれていると。

 フェイトは、言葉を選んで説明してくれた。全部をそのまま伝えたわけではないのだろう。それでも、エリオは察した。

 自分の生まれについて、また誰かが何かを言っているのだと。

 

 死者の遺伝情報。

 作られた命。

 不自然な存在。

 

 そういう言葉が、世の中にはある。エリオはそれを知っていた。

 自分がどう生まれたかも、自分が誰かの願いや執着の中で形作られた存在であることも、自分自身がよくわかっている。

 けれど、だからといって、今ここにいる自分が消えるわけではない。

 

 フェイトさんがいてくれた。

 キャロがいてくれた。

 六課の皆も、フリードも、自然保護隊の人達も。

 自分をクローンではなく、1人の人間(エリオ・モンディアル)として見てくれた人達がいる。

 

 だから、大丈夫だと思った。

 本当は…少し怖い。でも、キャロの前では言いたくなかった。

 

「エリオ君」

 

 キャロが不意に声をかける。

 

「どうしたの?」

「無理してない?」

 

 エリオは目を瞬いた。キャロは困ったように笑った。

 

「フェイトさんから話を聞いた時、エリオ君、すぐに“大丈夫です”って言ったから」

「……キャロだって言ったよ」

「私は、エリオ君が悪く言われる方が嫌だったから」

「僕も同じだよ」

 

 エリオは少しだけ真面目な顔で言った。

 

「キャロやフリードが悪く言われる方が嫌だ」

 

 二人はしばらく黙って見つめ合った。それから、どちらからともなく笑った。

 

「お互い様だね」

「うん」

 

 フリードが小さく鳴いた。まるで、自分もいると主張しているようだった。

 キャロがフリードの頭を撫でる。

 

「もちろん、フリードも一緒だよ」

 

 フリードは満足そうに目を細めた。

 平和な時間だった。優しい、何でもない時間だった。

 エリオは、その時間がずっと続けばいいと思った。

 

 

 本局の執務室で、フェイトは最後の確認を終えた。

 

「これで第7管理世界への返信をお願いします。添付資料の3番は、必ず暗号化して送ってください」

「了解しました」

 

 補佐官が資料を受け取る。フェイトは時計を見た。

 待ち合わせ時間まで、余裕はあまりない。

 

「すみません。これから外します。緊急の案件があれば通信を」

「はい。お気をつけて」

 

 フェイトは席を立ち、足早に廊下へ出た。

 移動しながら、端末でエリオに短いメッセージを送る。

 

 ――少しだけ、3分くらい遅れます。ごめんね。

 

 すぐに返信が来た。

 

 ――大丈夫です。キャロとフリードと待っています。

 

 それを見て、フェイトは小さく笑った。

 

 3分。たった3分だ。

 急げば、ほとんど遅れずに済む。待たせてしまうことに変わりはないが、二人ならきっと笑って許してくれる。

 

 フェイトは速足で転送ポートへ向かった。

 

 

 その時、クラナガン郊外の広場では、エリオとキャロがベンチに座っていた。

 

 待ち合わせ場所は、休日の昼前ということもあり、人の流れはそれなりにあった。

 買い物帰りの親子。散歩をする老人。昼休憩らしい局員。

 広場の中央には噴水があり、周囲には花壇が整えられている。

 

「フェイトさん、少し遅れるって」

 

 エリオが端末を見せる。

 

「3分くらいなら、遅れたうちに入らないよ」

 

 キャロは微笑んだ。

 

「そうだね」

 

 エリオも笑う。

 フリードがキャロの肩からふわりと飛び立ち、ベンチの周りを小さく旋回した。

 キャロはその様子を見ながら、穏やかな表情を浮かべている。

 

 その時だった。

 

 エリオは、広場の端から歩いてくる一人の男に気づいた。

 

 年齢は三十代前半ほど。灰色の上着。手には小さな鞄。

 特に目立つ姿ではない。人混みに紛れれば、すぐに忘れてしまいそうな普通の男。

 だが、エリオの背筋に、冷たいものが走った。

 

 理由はわからなかった。ただ、歩き方が不自然だった。

 周囲を見ているようで、見ていない。

 足取りは一定なのに、肩に力が入りすぎている。

 そして、その視線が一瞬、自分に向いた。

 

 その目に、エリオは人を見ている温度を感じなかった。

 

「エリオ君?」

 

 キャロが不思議そうに声をかける。

 エリオは立ち上がった。

 

 男の鞄から、微かな魔力反応が漏れている。隠蔽処理はされている。だが、完全ではない。

 機動六課時代、危険物探知の基礎訓練を受けていたことが、こんなところで役に立った。いや、役に立ってしまった。

 

「キャロ、下がって」

「え?」

 

 男の唇が動いた。

 

 何を言ったのか、聞こえなかった。けれど、エリオにはわかった。

 あれは、自分に向けられている。

 

 男の手が鞄の留め具に触れた。

 

 次の瞬間、エリオは走っていた。考えるより早く、身体が動いた。

 

「エリオ君!」

 

 キャロの叫びが背後で響く。エリオは男へ飛びかかった。

 男が驚愕に目を見開く。鞄の中から、強烈な魔力反応が膨れ上がった。

 

 爆発物。魔力起動式の自爆装置。

 

 それを理解した時、エリオの頭は奇妙なほど冷静だった。

 逃げても間に合わない。キャロがいる。フリードがいる。広場には人がいる。

 フェイトさんが来るまで、あと少しだけ時間がかかる。

 

 自分が止めるしかない。

 

 エリオは男の腕ごと鞄を抱え込み、己の相棒(デバイス)を呼ぶ。

 

「ストラーダ!」

「Panzergeist!」

 

 応じる声は、いつもより遠く聞こえた。

 機動六課の解散が正式に決定し、キャロと共に自然保護隊へ移籍することを決めた頃、シグナムさんから餞別代わりだ。と教わったベルカ式の防御魔法。

 エリオの全身を魔力光と同じ、レモンイエローのバリアが包む。

 だが、足りない。わかっていた。かつて手本として見せてもらったシグナムさんのものに比べて、自分のこれはあまりに未熟。それでも、やるしかなかった。

 

 エリオは一瞬だけ、キャロを振り返った。

 キャロが手を伸ばしていた。泣きそうな顔だった。

 フリードがこちらへ飛ぼうとしている。

 

 エリオは笑おうとした。大丈夫だよ、と言いたかった。

 声にはならなかった。白い光が、広場を呑み込んだ。

 

 

 フェイトが転送ポートから飛び出した瞬間、遠くで爆発音が響いた。

 

 空気が震えた。

 街の音が一瞬で途切れ、悲鳴が遅れて広がる。

 

 フェイトは、己の心臓が止まったように感じた。

 方角は、待ち合わせ場所。

 

「まさか…」

 

 口から洩れた声は。自分のものとは思えなかった。

 フェイトは地を蹴った。

 周囲の制止も、呼びかけも聞こえなかった。

 バリアジャケットを展開する時間すら惜しい。

 ただ、走る。いや、飛ぶように駆ける。

 

 3分。

 

 その言葉が頭の中で鳴り続ける。

 

 少しだけ、3分くらい遅れます。

 大丈夫です。キャロとフリードと待っています。

 

 たった3分。自分が遅れた3分。

 

 広場へ近づくにつれ、焦げた臭いが強くなった。

 煙が上がっている。人々が逃げ惑っている。泣き声。怒号。救急通報の声。

 フェイトはそれらをすべて置き去りにして、広場の中央へ向かった。

 

 噴水の近く。

 石畳が割れ、黒く焦げている。

 防御魔法の残滓と思わしき魔力素が、粒子のように空中へ散っていた。

 

 その中心に…エリオがいた。

 

「エリオ!」

 

 フェイトは叫んだ。返事はなかった。

 エリオは倒れていた。

 制服ではない上着は裂け、身体のあちこちに深い傷がある。

 ストラーダは柄が真っ二つに折れ、刃が砕けて、地面に転がっている。光を失い、機能が停止しているのがわかる。

 

 その少し離れた場所に、キャロがいた。

 彼女は地面に座り込んでいた。

 腕の中に、翼から血を流すフリードを抱いている。

 目は大きく見開かれ、声にならない声を漏らしていた。

 

「キャロ!」

 

 フェイトは一瞬迷った。

 キャロも傷ついている。フリードも危ない。

 けれど、エリオが。エリオが動かない。

 

 フェイトはエリオの傍に膝をついた。

 

「エリオ、聞こえる? エリオ!」

 

 呼吸を確認する。

 魔力反応を確認する。

 脈を探す。

 

 指先が震えた。

 

「だめ……だめだよ、エリオ。起きて。お願い、起きて」

 

 フェイトは治癒魔法を使えるわけではない。

 それでも、手をかざして魔力を流そうとした。

 何かしなければ、と思った。

 何もしないでいることに耐えられなかった。

 

「フェイト、さん……」

 

 かすかな声が聞こえた。フェイトの目が見開かれる。

 

「エリオ!」

 

 エリオの瞼が、わずかに開いた。焦点は合っていない。

 それでも、彼はフェイトを見ようとしていた。

 

「キャロ……は……?」

「いる。キャロはいるよ。フリードもいる。だから、エリオも頑張って。すぐ救護が来る。私が、私が何とかするから」

 

 エリオは、ほんの少しだけ息を吐いた。笑おうとしているように見えた。

 

「よかった……」

「よくないよ!」

 

 フェイトの声が震える。

 

「よくない。エリオ、お願いだから、そんなこと言わないで。まだ話したいこと、たくさんあるでしょう? 今日だって一緒にご飯を食べる予定だった。キャロと、フリードと、私と……」

 

 エリオの手が、わずかに動いた。フェイトはその手を握る。

 小さかった。こんなに小さかっただろうかと思った。

 

 機動六課で一緒にいた時より、背は伸びた。声も少し大人びた。

 けれど、フェイトの手の中では、まだ子どもの手だった。

 守らなければならない手だった。

 

「フェイト、さん……ごめん、なさい」

「謝らないで」

「待って……いられなくて」

「謝らないで!」

 

 フェイトは首を横に振った。

 

「あなたは悪くない。エリオは悪くない。何も悪くない!」

 

 エリオの目が、少しだけフェイトを捉えた。

 

「キャロを……お願いします」

 

 その言葉を聞いた瞬間、フェイトの中で何かが軋んだ。

 

「だめ」

 

 フェイトは強く手を握った。

 

「それは、エリオが自分で言うの。キャロに、自分で言わなきゃだめ。だから、起きて。生きて。お願い、エリオ」

 

 エリオは答えなかった。呼吸が浅くなる。

 フェイトは周囲に向かって叫んだ。

 

「救護班! 早く!」

 

 誰かが、もう呼んでいますと答えた。

 遠くからサイレンの音が近づいてくる。

 

 遅い。

 遅すぎる。

 どうしてもっと早く来ない。

 どうして自分は、もっと早く来なかった。

 

 3分。

 

 また、その言葉が頭の中で鳴る。

 

 3分遅れた。

 たった3分。

 されど3分。

 

 もし、あの照会を後回しにしていたら。

 もし、もう少し早く部屋を出ていたら。

 もし、転送ポートまで走っていたら。

 もし、待ち合わせ場所を本局にしていたら。

 もし、2人に今日は来なくていいと言っていたら。

 

 もし。

 もし。

 もし。

 

 エリオの手から、力が抜けた。

 フェイトは息を止めた。

 

「……エリオ?」

 

 返事はなかった。

 

「エリオ」

 

 フェイトはもう一度呼んだ。

 

「エリオ、起きて」

 

 声は、ひどく小さかった。

 キャロが、這うように近づいてきた。

 

「エリオ君……?」

 

 彼女の腕の中で、フリードが弱々しく鳴いた。片翼は不自然な角度で垂れ、血が白い鱗を汚している。

 キャロは、エリオの顔を見た。フェイトの顔を見た。もう一度、エリオを見た。

 

「う、そ……」

 

 その声は、子どものようだった。

 

「エリオ君、噓だよね。ねえ、起きて。フェイトさん、エリオ君、寝てるだけですよね? 疲れただけですよね?」

 

 フェイトは答えられなかった。キャロの顔から、色が消えていく。

 

「だって、さっきまで……一緒に……フェイトさんを待ってて……」

 

 キャロの手が、エリオの肩に触れた。揺すろうとして、途中で止まる。

 壊れてしまうのではないかと恐れるように、指先が震えていた。

 

「エリオ君」

 

 返事はない。

 

「エリオ君」

 

 何度呼んでも、返事はない。

 

 キャロの喉から、音にならない悲鳴が漏れた。

 次の瞬間、彼女はエリオに縋りつき、泣き叫んだ。

 

「いやぁぁぁぁぁっ!」

 

 その声は、広場の喧騒を切り裂いた。

 フェイトは動けなかった。

 キャロを抱きしめなければ。

 フリードを救護班に渡さなければ。

 周囲の状況を確認しなければ。

 実行犯の痕跡を確保しなければ。

 執務官として、やるべきことはいくらでもある。

 だが、身体が動かない。

 手の中には、まだエリオの温度が残っている。

 それが少しずつ失われていく感覚だけが、鮮明だった。

 

 救護班が到着した。

 局員達が駆け寄ってくる。

 医療魔導師がエリオを確認する。

 別の隊員がキャロとフリードの状態を見る。

 

「この子を!」

 

 フェイトはようやく声を出した。

 

「キャロを、フリードを先に!」

「ハラオウン執務官、あなたも下がってください!」

「私はいいから!」

 

 叫んだ瞬間、自分の声が壊れていることに気づいた。

 

 救護班の一人が、エリオに蘇生措置を試みる。だが、その表情がすべてを物語っていた。

 フェイトはその顔を見たくなかった。見てしまえば、認めなければならないから。

 少し離れた場所で、キャロが医療魔導師に支えられていた。

 彼女は暴れるでもなく、抵抗するでもなく、ただエリオを見つめていた。泣き叫んだ後、声を失ったようだった。

 

「エリオ君が……」

 

 それだけを、何度も呟いている。

 フリードは応急処置を受けていた。翼の傷は深い。命に関わるかどうかはまだわからない。

 それでも、キャロはフリードを見ることすらできていなかった。

 

 フェイトは立ち上がろうとして、膝から崩れた。

 

「フェイト!」

 

 聞き慣れた声がした。

 クロノだった。

 続いて、なのはの声も聞こえる。

 誰かが自分の肩を支えた。 なのはの手だった。

 

「フェイトちゃん!」

 

 なのはの顔が、涙で歪んでいる。

 フェイトは、なのはを見た。何か言おうとした。でも、言葉が出なかった。

 クロノは現場を見渡し、すぐに指示を飛ばしていた。封鎖。証拠保全。目撃者の確保。通信記録の確認。

 その声は冷静だった。けれど、フェイトにはわかった。

 クロノも壊れそうなものを押し殺している。

 

「フェイト」

 

 クロノが近づいてきた。

 

「実行犯は?」

 

 フェイトは首を振った。

 

「エリオが……抱え込んで……爆発を……」

 

 クロノの顔が硬直した。

 

「…そうか」

 

 それだけ言うのに、彼は数秒かかった。

 

「キャロは?」

「心が……」

 

 フェイトはキャロの方を見た。

 医療班に保護されているキャロは、虚ろな目でエリオのいた場所を見つめている。

 その口元が、かすかに動いていた。

 

 エリオ君。

 エリオ君。

 エリオ君。

 

 名前だけが、壊れた祈りのように繰り返されていた。

 なのはがフェイトの肩を強く抱いた。

 

「フェイトちゃん、今は……」

「私が」

 

 フェイトは呟いた。なのはが息を呑む。

 

「私が、遅れたから」

「違う!」

 

 なのはは即座に否定した。

 

「違うよ、フェイトちゃん。これは犯人が悪い。こんなことをした人が悪い。フェイトちゃんのせいじゃない」

「3分」

 

 フェイトは、なのはの声が遠くに聞こえた。

 

「3分だけだった。私が、3分早く着いていれば……」

「フェイトちゃん!」

 

 なのはの声が強くなる。それでも、フェイトの耳には届かなかった。

 エリオの手の感触。キャロの悲鳴。フリードの血。広場の焦げた匂い。すべてが、焼き付いていく。

 

 

 その日の夕方、事件の第一報が管理局内を駆け巡った。 

 

 クラナガン郊外で自爆テロ。

 標的はエリオ・モンディアル二等陸士と見られる。

 同伴していたキャロ・ル・ルシエ二等陸士が重度の精神的ショックを受け、使役竜フリードリヒも翼に重傷。実行犯は死亡。

 エリオ・モンディアル二等陸士、殉職。

 

 殉職。

 

 その言葉を聞いた時、フェイトは壁に手をついた。

 

 殉職。

 

 任務中ではなかった。

 今日は休暇だった。

 会いに来てくれただけだった。

 自分に、会いに。

 

 それでも、管理局はそう処理する。

 彼は管理局員で、事件に巻き込まれ、被害を抑えるために命を使った。だから、殉職。

 正しい言葉なのかもしれない。けれど、フェイトにはひどく遠い言葉に聞こえた。

 

 エリオは、英雄になりたかったわけではない。

 キャロと一緒に、フェイトに会いに来ただけだった。

 

 夜になって、フェイトは病院の廊下にいた。

 キャロは鎮静処置を受け、眠っている。眠っているというより、意識を落とされていると言った方が近い。

 目を覚ますたびに泣き叫び、エリオの名を呼び、フリードを抱えようとして暴れた。医師は、強い急性ストレス反応だと説明した。

 

 フリードは集中治療用の小さなケージの中にいる。命は取り留めた。だが、翼の損傷は深刻だった。

 以前のような飛行能力を取り戻せるかは、わからないと言われた。

 

 フェイトは、ガラス越しに眠るキャロを見つめた。

 

 小さな身体。

 涙の跡が残る頬。

 握りしめられた手。

 

 エリオが最後に言った言葉が、何度も蘇る。

 

 キャロをお願いします。

 

「……ごめんね」

 

 誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。

 

 エリオへ。

 キャロへ。

 フリードへ。

 なのはへ。

 クロノへ。

 それとも、フェイト自身へ。

 

 背後から足音がした。クロノだった。

 

「フェイト」

 

 彼の声は静かだった。

 

「実行犯の情報が出た。生命倫理保全連盟の関係者だ。ただし、表層の活動歴しかない。中枢との繋がりはまだ不明」

 

 フェイトは振り返らなかった。

 

「…情報漏洩は?」

「疑いがある。実行犯にエリオの来訪予定が送られていた形跡を確認した。だが、送信経路が多重に中継されている。最低でも7つ以上の中継点、痕跡の消去も行われている。送信者の特定には、かなりの時間がかかる」

「時間」

 

 フェイトは小さく繰り返した。

 

 時間があれば。3分あれば。

 もっと前に気づけていれば。

 

 クロノは沈黙した。

 

「僕の責任でもある」

 

 その言葉に、フェイトはようやく振り返った。クロノは、真っ直ぐにフェイトを見ていた。

 

「警戒はしていた。だが、具体的な脅威が無いという理由で、十分な対応を取れなかった。結果として…エリオを守れなかった」

「違う」

 

 フェイトは首を振った。

 

「クロノのせいじゃない」

「なら、君のせいでもない」

 

 クロノの声は、少しだけ強くなった。フェイトは何も言えなかった。

 それは、正しい。理屈ではわかる。

 

 悪いのは犯人だ。

 情報を流した者だ。

 憎しみを煽った者だ。

 命を人ではなく象徴として見た者達だ。

 

 自分が悪いわけではない。

 クロノが悪いわけでもない。

 

 それでも。

 

 エリオは死んだ。

 キャロは壊れた。

 フリードは飛べなくなるかもしれない。

 

 そしてフェイトは、3分遅れた。

 その事実だけは消えない。

 

 クロノは、何かを言いかけてやめた。代わりに、静かに告げた。

 

「今日は休め。母さんにも連絡した。なのはも外にいる」

「……キャロの傍にいる」

「…わかった」

 

 クロノはそれ以上、無理に連れ出そうとはしなかった。

 一人になった後、フェイトは再びガラス越しにキャロを見た。

 

 キャロの唇が、眠りの中で小さく動く。

 

 エリオ君。

 

 声は聞こえなかった。けれど、フェイトにはそう呼んでいるのがわかった。

 フェイトは、ガラスに額を寄せた。

 

「守るから」

 

 小さく呟く。

 

「今度こそ、私が守るから」

 

 その誓いは、祈りに近かった。だが同時に、どこかで罅割れた音を伴っていた。

 この日、フェイト・T・ハラオウンの中で、何かが折れた。まだ完全には壊れていない。けれど、確かに折れた。

 

 優しい少年が命を落とした。

 優しい少女の心が壊れた。

 小さな竜の翼が傷ついた。

 

 そして、3分遅れた空の下で。

 

 フェイトの世界は、静かに色を失い始めていた。




最後までお読みいただきありがとうございました。
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