魔法少女リリカルヴィヴィオ   作:SS_TAKERU

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お待たせいたしました。


第4話 墓標を踏む者

 新暦0077年5月14日。

 

 空は、重かった。

 

 雨は降っていない。

 雲も、厚く垂れ込めているわけではない。

 それでも、その日のクラナガンの空は、どこか低く、息苦しく感じられた。

 

 フェイト・T・ハラオウンは、黒い喪服に袖を通したまま、鏡の前に立っていた。

 

 そこに映る自分の顔は、ひどく知らないものに見えた。泣き腫らした目。血の気の引いた頬。整えたはずなのに、どこか乱れて見える金の髪。

 

 それでも、今日は立っていなければならない。

 

 今日は、エリオ・モンディアルの葬儀だった。

 

 本来なら、そんな言葉を考えることすら許せない。エリオはまだ子どもだった。これからもっと背が伸びて、もっとたくさんのことを覚えて、キャロやフリードと一緒に、いくつもの季節を越えていくはずだった。

 

 任務で失われる命があることを、フェイトは知っている。現場に立つ者として、執務官として、それを知らないわけではない。

 けれど、知っていることと受け入れられることは違う。

 

 エリオは任務中ではなかった。休暇だった。自分に会いに来てくれただけだった。

 

 それなのに、彼は死んだ。

 

 キャロを守り、フリードを守り、広場にいた人々を守り、爆発をその小さな身体で抱え込んで死んだ。

 

 英雄だと言われた。

 勇敢だったと言われた。

 被害を最小限にしたと言われた。

 

 その言葉を聞くたびに、フェイトの胸の奥が凍りついた。

 

 そんなものになってほしかったわけではない。英雄になど、なってほしくなかった。ただ、生きていてほしかった。

 

「フェイト」

 

 扉の向こうから、リンディの声がした。

 

 フェイトは目を閉じ、息を整える。泣くのは後だ。崩れるのも後だ。

 

 今日は、キャロの前で立っていなければならない。

 エリオを見送る者として、逃げるわけにはいかない。

 

「大丈夫です」

 

 そう答えてから、自分の声がひどく空っぽだと気づいた。

 大丈夫ではない。大丈夫であるはずがない。それでも、フェイトは扉を開けた。

 

 

 リンディは、フェイトを見るなり、何かを言いかけて口を閉じた。そして何も言わず、そっとフェイトの肩に手を置いた。

 

「行きましょう」

「…はい」

 

 短い返事だけをして、フェイトは歩き出した。

 

 

 葬儀は、管理局関係者用の追悼施設で行われた。

 そこは殉職者や公務中の犠牲者を送るための場所で、白い石造りの壁と、静かな庭園に囲まれている。この場所を訪れるたび、フェイトは胸が痛んだ。けれど今日ほど、この建物の扉をくぐるのが怖いと思ったことはなかった。

 

 受付には、既に多くの関係者が集まっていた。

 

 なのはがいた。

 はやてがいた。

 クロノがいた。

 シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、リィンフォースⅡ、アギト、スバル、ティアナ、ギンガ、ゲンヤ。

 六課で共に戦った者達。自然保護隊の関係者。エリオを知る人々。

 

 誰もが、言葉を失っていた。

 

 フェイトが入ると、なのはがすぐに近づいてきた。

 

「フェイトちゃん」

 

 声をかけたものの、その先の言葉が出てこない。なのはの目は赤かった。泣いたのだろう。何度も、何度も。

 フェイトは、ほんの少しだけ首を横に振った。

 

「ありがとう、なのは。来てくれて」

「そんなの……当たり前だよ」

 

 なのはは拳を握りしめた。

 その横で、はやてが静かに頭を下げる。

 

「フェイトちゃん……」

「はやて」

 

 フェイトは無理に微笑もうとした。うまくいかなかった。

 

「エリオのために、ありがとう」

 

 はやては唇を噛んだ。

 

「お礼なんて、言わんでええ」

 

 その声には、自責が滲んでいた。フェイトは、それに気づいていた。

 クロノも、はやても、きっと自分を責めている。警戒していたのに止められなかった。法と手続きの中で、間に合わなかった。

 

 でも、違う。一番責められるべきなのは、自分だ。3分遅れた自分だ。

 

「フェイト」

 

 クロノが近づいてくる。

 喪服姿でも、彼の背筋はまっすぐだった。だが、目元には深い疲労がある。

 

「報道関係者は区画を分けている。身元確認も行っている。君やキャロには近づけないようにしてある」

「……ありがとう」

「それでも、何かあればすぐに言ってくれ」

「うん」

 

 クロノは一瞬だけ、兄としての顔を見せた。けれど、すぐに提督の顔に戻る。

 彼もまた、立っていなければならない人間だった。

 

 

 少し離れた控室に、キャロはいた。白い肌はさらに色を失い、目元には濃い影がある。

 膝の上には、治療用の固定具をつけたフリードが小さく丸まっていた。

 翼はまだ包帯で覆われている。以前のように元気よく飛び回ることはできない。

 キャロは、フェイトを見ると、ゆっくり顔を上げた。

 

「フェイトさん」

 

 声は細く、今にも消えそうだった。

 フェイトは歩み寄り、膝をついてキャロの目線に合わせる。

 

「キャロ。具合は?」

「大丈夫、です」

 

 その言葉は、あまりにも痛かった。

 キャロは大丈夫ではない。眠れていない。食べられていない。目を閉じるたびに、爆発の瞬間とエリオの姿が蘇る。

 医師からは、強い急性ストレス反応と診断されていた。無理をさせるべきではないとも言われている。

 それでも、キャロは来た。エリオを見送るために。

 

「無理しなくていいんだよ」

 

 フェイトがそう言うと、キャロは小さく首を横に振った。

 

「エリオ君に……ちゃんと、さよならを言わないと」

 

 その言葉の途中で、キャロの目に涙が溜まった。けれど、彼女は泣き声を飲み込んだ。

 フェイトは、そっとキャロを抱きしめた。キャロの身体は、ひどく軽かった。こんなにも小さな身体に、どれほどの痛みを背負わせてしまったのだろう。

 

「一緒にいよう」

「……はい」

 

 キャロは、フェイトの胸に額を押しつけた。

 

 

 

 葬儀は静かに始まった。

 

 棺の中のエリオは、眠っているように整えられていた。管理局の礼服に身を包み、胸元には小さな花が添えられている。爆発で負った傷は、魔法と技術で可能な限り隠されていた。

 それでも、フェイトにはわかった。あの子はもう目を開けない。

 

 フェイトさん。と呼んでくれない。少し照れたように笑うことも、真面目な顔で任務報告することもない。

 

 司祭の声が響く。

 弔辞が読まれる。

 エリオの勇敢さが語られる。

 若くして多くの人を守ったことが讃えられる。

 

 フェイトは、ずっとキャロの手を握っていた。

 キャロの指は冷たかった。けれど、時折強く握り返してくる。まるで、そうしていないとこの場に留まれないかのように。

 

 隣にはなのはがいた。

 その少し後ろにクロノとリンディ。

 さらに後ろには、シグナム達が並んでいる。

 

 シグナムは、黙ってエリオを見つめていた。烈火の将と呼ばれた彼女の表情は、石のように硬い。だが、その拳は震えている。

 

 シグナムにとっても、エリオはただの後輩ではなかった。自分と同じベルカの騎士だった。真面目で、まっすぐで、ひたむきに強くなろうとしていた子。

 何度も稽古をつけた。彼はいつも礼儀正しく頭を下げ、勝利だけでなく敗北からも必ず何かを掴んでくる少年だった。

 その少年が、棺の中にいる。シグナムは奥歯を噛みしめた。

 

 怒りを抑えろ。ここは葬儀の場だ。剣を抜く場所ではない。

 そう自分に言い聞かせていた。

 

 弔辞が終わり、献花の時間になった。

 

 フェイトはキャロと共に歩み出た。花を一輪、棺の前に置く。

 

「エリオ」

 

 声は、ほとんど息だった。

 

「ごめんね」

 

 その一言だけが、どうしても出てしまった。

 

 キャロが隣で震えている。フェイトはキャロの肩を支えた。

 キャロは花を置き、棺の中のエリオを見つめた。

 

「エリオ君……」

 

 名前を呼ぶ。それ以上の言葉は出なかった。

 けれど、それで十分だった。少なくとも、フェイトにはそう思えた。

 

 式は粛々と進み、やがて参列者は屋外の墓苑へ移動した。

 

 白い墓標が並ぶ静かな場所。管理局の殉職者が眠る区画の一角に、エリオの名が刻まれた新しい墓標が用意されていた。

 その小さな石の前に立った瞬間、フェイトは息ができなくなった。

 

 エリオ・モンディアル。

 生年と没年。

 ただ、それだけ。

 

 あまりにも短い。

 

 人の人生を、たった数行の文字に収めるには、エリオの生はあまりにも眩しかった。

 参列者達が順に祈りを捧げていく。

 

 フェイトはキャロを支えながら、墓標の前に立っていた。

 フリードはキャロの腕の中で、弱々しく目を閉じている。

 

 周囲には警備の局員が配置されていた。

 報道陣は離れた区画に制限されているはずだった。

 クロノがそう手配した。身元確認もした。関係者区域への立ち入りは禁止されている。

 

 だから、少しだけ油断があったのかもしれない。

 

「フェイト・T・ハラオウン執務官ですね?」

 

 背後から聞こえた声に、フェイトは振り返った。そこに立っていたのは、見知らぬ男だった。

 

 喪服に似せた黒い服。胸には関係者用の簡易識別証。だが、フェイトはその男を知らない。関係者には見えなかった。

 手には小型の記録端末。そして、目。

 人を見る目ではなかった。獲物を見つけた者の目だった。

 クロノがすぐに気づき、歩み寄ろうとする。

 

「あなたは報道区画の人間ですね。ここは関係者区域です。退去してください」

 

 男は、クロノの言葉を聞いても動かなかった。

 

「リク・ヒルマです。取材許可は得ています」

 

 その名を聞いた瞬間、フェイトの血が冷えた。

 

 リク・ヒルマ。

 あの記事を書いた男。蛭野郎。

 

「取材許可は報道区画内に限ったものです」

 

 クロノの声が低くなる。

 

「その識別証を確認させてください」

 

 ヒルマは大げさに肩をすくめた。

 

「おやおや、管理局は報道の自由をどこまで制限するおつもりで?」

「ここは葬儀の場だ」

 

 クロノは一歩前に出た。

 

「退去してください」

 

 ヒルマは、クロノを無視するようにフェイトを見た。

 

「ハラオウン執務官。今回死亡したエリオ・モンディアル君について、一言お願いします。彼が死者の遺伝情報を元に生み出された存在であったことについて、管理局はどのような倫理的責任を――」

 

 言葉が、途中で止まった。

 

 フェイトが動いたからではない。なのはが、フェイトの腕を掴んだからだった。

 フェイト自身、気づいていなかった。拳を握りしめ、一歩踏み出していたことに。

 

「フェイトちゃん」

 

 なのはの声が震えていた。止めているなのは自身も、怒りに震えている。ヒルマは、それを見て口元を歪めた。

 

「おっと。管理局の執務官が一般人に暴力ですか? これは大変な――」

「黙れ」

 

 低い声が響いた。シグナムだった。

 彼女は、墓標の横から一歩前へ出た。烈火の将の目は、氷のように冷たい。

 

「ここは貴様の腐った記事の続きを書く場所ではない。失せろ」

 

 ヒルマはシグナムに視線を向けた。

 

「あなたはヴォルケンリッターのシグナムさんですね。かつては闇の書事件の関係者であり、現在は管理局に所属。実に興味深い経歴です。犯罪に関わった存在を内部に抱える管理局の象徴とも――」

 

 シグナムの拳がわずかに震えた。クロノが間に入る。

 

「最終警告です。退去しなさい。従わない場合、警備規定に基づき排除します」

「排除?」

 

 ヒルマはわざとらしく笑った。

 

「葬儀に参列する市民を、管理局が排除する。いや、素晴らしい見出しになりますね」

「あなたは参列者ではない」

 

 クロノは端末で識別証を照合しながら言った。

 

「その識別証は、登録情報が一致しない。偽造の疑いがあります」

 

 一瞬、ヒルマの目に焦りが走った。だが、すぐに笑みに戻る。

 

「誤作動でしょう。管理局のシステムも万能ではないようだ」

「身柄を――」

 

 クロノが警備局員へ指示を出そうとした、その時だった。

 

 ヒルマが素早く横へ動いた。警備の隙間を縫うように、フェイトとキャロへ近づく。

 

「キャロ・ル・ルシエさんですね? 目の前で彼が爆死したとのことですが、今のお気持ちは? あなたもまた、危険な召喚魔導師として――」

 

キャロの顔から、血の気が引いた。

 

「やめて!」

 

フェイトが叫んだ。

キャロは硬直していた。フリードを抱く腕が震える。瞳はヒルマを見ていない。もっと別のものを見ていた。

 

爆発の光。

エリオの身体。

自分の叫び。

 

ヒルマはさらに記録端末を向けた。

 

「その竜も負傷したそうですが、管理局は未成年者と危険生物を――」

 

次の瞬間、ヒルマの足が墓標の前へ踏み込んだ。

それが故意だったのか、偶然だったのか。誰にも断言できなかった。

だが、彼の靴先がエリオの墓標の台座に当たり、置かれていた花が崩れた。白い花が地面に散った。

 

時間が止まった。

 

フェイトは、何かが切れる音を聞いた気がした。

 

「……どいて」

 

声は、自分のものとは思えないほど低かった。ヒルマは、ほんの少しだけ口元を上げた。

 

「おや、失礼。見えませんでした。何しろ、墓標が小さくて――」

 

そこまでだった。フェイトの身体が動く。

だが、彼女の拳が届く前に、クロノが後ろからフェイトを抱えるように止めた。なのはも反対側から腕を掴む。

 

「離して!」

「駄目だ、フェイト!」

 

クロノの声が鋭く飛ぶ。

 

「ここで手を出したら、君が利用される!」

「離して、クロノ!」

「駄目だ!」

 

クロノの腕に力がこもる。兄として、提督として、何よりフェイトを守るために。

フェイトは暴れた。涙が視界を滲ませる。

 

「エリオの……エリオの前で……!」

 

 なのはが泣きながら首を振る。

 

「わかってる! わかってるよ、フェイトちゃん! でも駄目!」

 

 ヒルマはその様子を記録していた。

 

「管理局の高官が報道関係者に暴行未遂。しかも葬儀の場で。なるほど、これが彼らの言う正義――」

 

 拳の音がした。鈍く、重い音だった。

 

 ヒルマの身体が横へ吹き飛び、地面に転がる。

 記録端末が手から離れ、墓地の石畳を滑った。

 

 誰も、すぐには動けなかった。

 

 シグナムが立っていた。拳を振り抜いた姿勢のまま。

 

「貴様」

 

 彼女の声は、静かだった。

 

「それ以上、その名を口にするな」

 

 ヒルマは地面に倒れたまま、口元を押さえた。血が滲んでいる。だが、その目は笑っていた。

 

「撮ったぞ……」

 

 小さな声だった。

 

「撮ったぞ、管理局の犬が……一般人を殴った……」

 

 シグナムの表情が、そこで初めて動いた。隠しカメラ。

 クロノが即座に端末へ飛びつき、周囲へ指示を飛ばす。

 

「記録媒体を確保! 通信遮断! この場から外部送信されたデータの確認を急げ!」

 

 警備局員が動き出す。だが、遅かった。

 ヒルマは、痛みに顔を歪めながらも笑っている。

 

「残念でしたね、提督。こういう時のために、自動送信というものがありまして」

 

 クロノの顔が険しくなる。

 ヒルマは警備局員に取り押さえられながら、なお叫んだ。

 

「管理局は真実を暴力で封じる! 葬儀の場で一般市民を殴る! これが、お前達の正義だ!」

「黙れ!」

 

 ヴィータが飛び出しかけたのを、シャマルとザフィーラが必死に止める。

 キャロは、完全に震えていた。フェイトはすぐに彼女を抱きしめた。

 

「キャロ、見なくていい。聞かなくていい」

 

 キャロは返事をしない。ただ、フリードを抱いたまま震え続けている。

 シグナムは、立ち尽くしていた。

 

 怒りは消えていない。だが、自分が何をしたのかは理解していた。

 相手の狙い通りに、拳を振るった。葬儀の場で。管理局員として。ヴォルケンリッターとして。

 

「シグナム」

 

 はやての声がした。シグナムは、ゆっくりと主を見た。

 はやての顔は青ざめていた。怒りもある。悲しみもある。けれど、何よりも苦しそうだった。

 

「……申し訳ありません、主」

 

 シグナムは深く頭を下げた。

 

「処分は、如何様にも」

 

 はやては何も言えなかった。

 クロノは、ヒルマを連行させながら、端末を操作していた。

 だが、彼の表情を見るだけで、状況が良くないことはわかった。

 外部送信は既に行われている。映像は切り取られる。音声は加工される。

 ヒルマが墓標を踏んだこと、キャロへ無礼な質問をしたこと、エリオの出自を侮辱したこと。それらは都合よく削られるだろう。

 残るのは、シグナムがヒルマを殴った映像。管理局が、一般人記者に暴力を振るったという絵。

 フェイトは、キャロを抱きしめながら、墓標の前に散らばった花を見た。

 エリオのために置かれた花。踏み荒らされ、崩れ、泥に汚れた花。

 

 世界が歪んで見えた。

 なぜ、こんなことになるのだろう。

 エリオは死んだ。

 キャロは壊れた。

 フリードは傷ついた。

 それでもまだ、足りないのか。

 悲しむことすら、静かに見送ることすら、許されないのか。

 

「フェイトちゃん」

 

 なのはが隣に膝をついた。

 

 フェイトは、なのはの顔を見た。なのはも泣いていた。怒りで、悔しさで、どうしようもない無力感で。

 

「ごめん」

 

 なのはが言った。

 

「止めることしか、できなかった」

 

 フェイトは首を横に振ろうとした。でも、できなかった。

 自分は、殴ろうとした。なのはとクロノが止めてくれなければ、きっと殴っていた。そして、もっとひどい形で利用されていた。

 

 わかっている。

 わかっているのに、感謝の言葉が出ない。

 胸の中は、黒い感情でいっぱいだった。

 

 

 その日の夕方には、映像が出回っていた。

 編集された短い映像。シグナムがヒルマを殴る瞬間。

 前後の音声は不自然に切られ、代わりにヒルマの叫びだけが強調されている。

 

――管理局、葬儀場で記者に暴力。

――真実を問う声を拳で封じたか。

――元闇の書関係者、またも暴走。

 

 クロノは執務室で、その映像を確認していた。

 怒りで端末を叩き壊しそうになるのを、必死に理性で押さえる。

 

「原本は?」

 

 補佐官が青ざめた顔で答える。

 

「ヒルマ・リク本人の端末から一部確保しました。ただし、自動送信されたデータは既に複数の経路に拡散。削除要請は出していますが、追いつきません」

「音声改竄の証拠は」

「解析中です。ですが、世論の初動は既に……」

「わかっている」

 

 クロノは目を閉じた。

 最悪ではない。だが、ひどく悪い。

 シグナムが手を出した事実は消せない。ヒルマがどれほど悪質であっても、管理局員が一般人を殴った。しかも、相手は報道関係者だ。

 法務、広報、上層部。すべてが動く。そして恐らく、処分は避けられない。

 

 クロノは拳を握った。あの場にいた誰もが、ヒルマを殴りたかった。自分ですら、そうだった。

 フェイトを止めながら、自分の中にも同じ怒りがあった。

 シグナムは、それを行動にしてしまっただけだ。だが、組織はそれを区別しない。

 クロノは、端末の別窓に映るエリオの葬儀記録を見た。本来、その日は少年を弔う日だった。

 それなのに、世間が見ているのは、少年の死ではなく、管理局員の暴力映像だ。

 

「……許せないな」

 

 その言葉は、誰に向けたものか自分でもわからなかった。

 

 ヒルマにか。

 世論にか。

 シグナムを守りきれなかった自分にか。

 それとも、こんな時でさえ手続きを考えなければならない組織そのものにか。

 

 

 夜。フェイトは病院にいた。

 葬儀の後、キャロは再び強い発作を起こし、病院へ戻された。鎮静処置を受け、今は眠っている。フリードも隣のケージで静かにしていた。

 フェイトは椅子に座り、キャロの手を握っていた。

 

「ごめんね」

 

 今日、何度目かわからない謝罪が口から漏れる。

 キャロは眠ったまま返事をしない。ヒルマの声が耳から離れなかった。死者の遺伝情報。危険な召喚魔導師。危険生物。管理局の欺瞞。報道の自由。

 あの男は、エリオを人として見ていなかった。キャロを、傷ついた少女として見ていなかった。フリードを、キャロの大切な家族として見ていなかった。

 

 記事の材料。

 映像の素材。

 売上の種。

 

 ただ、それだけ。

 

 フェイトの中で、静かな怒りが燃えていた。

 

 激しい炎ではない。もっと冷たく、暗いものだった。

 そこへ、扉が静かに開いた。

 

 シグナムが立っていた。

 

「…テスタロッサ」

 

 フェイトは顔を上げる。

 シグナムは部屋に入り、深く頭を下げた。

 

「今日のこと、心から詫びる」

 

 フェイトはすぐには答えなかった。

 

「私の軽率な行動で、エリオの葬儀を汚した。キャロにも、主にも、皆にも迷惑をかけた」

「……シグナムは」

 

 フェイトの声は掠れていた。

 

「私がしたかったことを、しただけだよ」

 

 シグナムは頭を下げたまま動かない。

 

「だとしても、私は剣を持つ者として、怒りに呑まれた。許されることではない」

「許すとか、許さないとか……今は、わからない」

 

 フェイトはキャロの手を見つめた。

 

「でも、あの時、シグナムが怒ってくれたことを、私は責められない」

 

 シグナムは、わずかに顔を上げた。フェイトの目には、涙が浮かんでいた。

 

「エリオのために怒ってくれて、ありがとう」

 

 その言葉に、シグナムの表情が歪んだ。

 

 烈火の将は、泣かなかった。けれど、泣くよりも苦しそうな顔をした。

 

「……私は、あの子を守れなかった」

「私もだよ」

 

 フェイトは小さく言った。

 

「誰も、守れなかった」

 

 病室に沈黙が落ちる。キャロの寝息だけが、かすかに聞こえていた。

 その夜、フェイトは眠らなかった。キャロの傍に座り続けた。フリードの呼吸を確認し続けた。

 端末に流れてくる映像や記事を見ないようにした。それでも、見なくてもわかった。

 

 世界はまた、別の形でエリオを傷つけている。

 キャロを傷つけている。

 シグナムを傷つけている。

 

 フェイトは、キャロの手を握りながら、窓の外を見た。

 クラナガンの夜景は、相変わらず美しかった。けれど、その光の一つ一つが、今は遠く見えた。

 あの光の中に、ヒルマの記事を読んで笑う人がいる。

 映像を見て、管理局は暴力的だと頷く人がいる。

 エリオのことを知らないまま、死者のクローンだと語る人がいる。

 キャロの涙を知らないまま、危険な召喚魔導師だと決めつける人がいる。

 

 世界は広い。

 人は多い。

 そのすべてを憎むことなど、できるはずがない。

 そう思う理性は、まだあった。

 

 けれど、心のどこかで、小さな声がした。

 

 本当に?

 

 フェイトは、その声を聞かなかったことにした。まだ、自分は壊れていない。

 まだ、キャロを守らなければならない。

 まだ、エリオを弔わなければならない。

 

 だから、その声を閉じ込めた。

 だが、閉じ込められた声は消えない。

 

 墓標を踏んだ靴音。

 キャロに向けられた端末。

 シグナムの拳。

 ヒルマの笑い声。

 

 それらが、フェイトの心に深く沈んでいく。

 

 5月11日。エリオ・モンディアルの葬儀の日。

 

 その日、少年は静かに眠るはずだった。

 けれど、彼の墓標は踏まれ、彼の死は消費され、彼を悼む者達の怒りすら利用された。

 

 フェイト・T・ハラオウンの世界から、また一つ、色が失われた。




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