魔法少女リリカルヴィヴィオ   作:SS_TAKERU

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お待たせいたしました。


第6話 守れない場所

 新暦0077年5月20日。

 

 高町なのはは、本局の廊下を歩きながら、自分の手が震えていることに気づいた。

 怒りのせいなのか、疲労のせいなのか、それとも悔しさのせいなのか。もう、自分でもよくわからなかった。

 

 エリオ・モンディアルが死んだ。

 キャロ・ル・ルシエは心に深い傷を負い、フリードリヒも翼に重傷を負った。

 シグナムは葬儀場でリク・ヒルマを殴り、4週間の謹慎処分を受けた。

 更生プログラムを受けていたナンバーズの7名は、更生プログラムを強制停止となり、隔離保護施設へ送られることになった。

 スバル、ギンガ、ゲンヤは無期限休職。マッハキャリバーも、ブリッツキャリバーも、クイントの形見であるリボルバーナックルも、一時預かりという名目で取り上げられる。

 

 すべてが、あまりにも速かった。

 

 事件は一瞬で起こった。処分も一瞬で決まった。

 けれど、それによって壊されたものを戻すには、どれだけの時間が必要なのか。なのはには、それが見えなかった。

 

「なのはちゃん」

 

 隣を歩く八神はやてが、小さく声をかけた。なのはは顔を上げる。

 

 はやての目の下には、濃い疲労の影がある。ここ数日、まともに眠っていないのだろう。

 それでも彼女は、資料を抱え、背筋を伸ばして歩いていた。

 その反対側にはクロノ・ハラオウンがいる。こちらも顔色は良くない。だが、表情は崩れていなかった。

 怒りも疲労も焦燥も、すべて理性の奥に押し込めている。

 3人は、上層部への再協議を申し入れるために歩いていた。

 

「大丈夫?」

 

 はやてが尋ねる。なのはは反射的に頷きかけて、途中で止めた。

 大丈夫。最近、その言葉がひどく嫌だった。

 

 フェイトも言う。

 キャロも言う。

 スバルもきっと言う。

 そして自分も、何度も言ってきた。

 

 でも、本当は誰も大丈夫ではない。

 

「大丈夫じゃないよ」

 

 なのはは正直に言った。

 

「でも、いける」

 

 はやては少しだけ目を細め、それから頷いた。

 

「うん。行こか」

 

 クロノが端末を確認する。

 

「今日の議題は3つだ。ナンバーズ7名の隔離措置解除、ナカジマ家3名の休職措置見直し、デバイス及びリボルバーナックル返還。感情論だと言わせないために、法的根拠と代替案を詰める」

「わかってる」

 

 なのはは答えた。

 わかっている。怒鳴っても駄目だ。泣いても駄目だ。

 ただ『可哀想』では通らない。

 

 だから、資料を作った。

 休職ではなく配置転換で対応できる理由。

 警護強化案。

 本人同意に基づく保護措置。

 更生プログラム継続の必要性。 

 隔離による精神的悪影響。

 デバイスを取り上げることが本人の安全確保に逆効果となる可能性。

 

 なのはは、作戦立案とは違う頭を使った。

 何度もクロノに修正され、はやてに法務面を補ってもらい、リンディとレティにも助言をもらった。

 それでも、胸の奥はずっと熱い。

 スバルからマッハキャリバーを奪う理由など、なのはにはどうしても理解できなかった。ギンガからブリッツキャリバーを奪うことも。母の形見であるリボルバーナックルを預かることも。

 それは安全対策ではない。なのはには、どうしてもそう思えた。

 怖がる人々の目に映らないよう、彼女達から力と象徴を奪っているだけだ。

 

 会議室の扉が開く。

 中には、数名の上層部局員と、法務、広報、監査関係者が座っていた。

 その表情は一様に硬い。だが、そこに怒りや悲しみは見えなかった。

 なのはには、それが一番つらかった。

 

 手続き。

 リスク管理。

 世論鎮静化。

 組織信用。

 

 そういう言葉だけが、そこには並んでいる。

 

「それでは、再協議を始めましょう」

 

 上層部の1人が言った。その声は、丁寧だった。丁寧すぎるほど、丁寧だった。

 だからこそ、壁のようだった。

 

 会議は1時間半続いた。

 クロノは冷静に法的観点から指摘した。

 本人同意の欠如。無期限措置の危険性。解除条件の不明確さ。過剰制限にあたる可能性。

 

 はやては、現場運用と代替措置を示した。

 警護の配置。居住地の秘匿。勤務内容の調整。更生プログラム継続のための閉鎖環境ではない保護施設案。

 

 なのはは、教育者として、そして元六課の指導官として話した。

 スバルとギンガがどれだけ自分の力と向き合ってきたか。ナンバーズ達が更生に向けて、どれほど不器用に努力していたか。一方的に隔離し、デバイスを奪うことが、彼女達に何を伝えてしまうのか。

 

「それは、あなた達は危険だから信用できない、というメッセージになります」

 

 なのはは声を震わせないように言った。

 

「本人達を守るためなら、本人達の心も守ってください。形だけ保護しても、心を折ったら意味がありません」

 

 上層部の一人は、静かに頷いた。

 

「高町一尉の懸念は理解します」

 

 理解します。その言葉を、なのははこの数日で何度も聞いた。

 

「しかし、現在の世論状況では、彼女達を表に出し続けることは本人達にも危険です。管理局として、最悪の事態を未然に防ぐ責任があります」

「それは、彼女達に責任を負わせることと同じではありませんか」

 

 なのはは思わず言った。

 

「悪意を向ける人達がいるから、悪意を向けられる側を隠す。そんなの、間違っています」

「理想としては、その通りです」

 

 別の上層部が答えた。

 

「ですが、我々は理想だけで組織を運営できません」

 

 なのはの胸が、きしんだ。

 理想だけでは駄目。それは、何度も聞いてきた言葉だ。

 正しい。きっと正しい。

 でも、理想を守るために戦ってきたはずではなかったのか。

 

 誰かを助けたい。

 悲しむ人を減らしたい。

 間違っていることを間違っていると言いたい。

 

 それが理想だというなら。その理想を捨てた組織に、何が残るのだろう。

 

 会議は結論を出さないまま終わった。いや、正確には、最初から結論は決まっていた。

 

 措置は継続。

 状況を見ながら再検討。

 関係部署と調整。

 解除条件は追って協議。

 

 言葉だけが積み上がり、何も動かなかった。

 

 

 会議室を出た瞬間、なのはは壁に手をついた。

 

「……っ」

 

 悔しさで、息が詰まった。はやてが隣に立つ。

 

「ごめん、なのはちゃん」

「はやてちゃんが謝ることじゃないよ」

「でも、止められへん」

「私もだよ」

 

 なのはは顔を伏せた。

 

「私も、何もできてない」

 

 クロノが少し離れた場所で端末を操作している。次の申請、次の照会、次の会議。彼はもう次の手を考えている。

 なのははそれを見て、胸が痛んだ。

 

 クロノは諦めていない。

 はやても諦めていない。

 自分も諦めたくない。

 

 けれど、進まない。どれだけ訴えても、壁は動かない。

 丁寧な言葉で受け止められ、丁寧な言葉で先送りされる。

 そのたびに、誰かの時間だけが削られていく。

 

 5月21日。

 2回目の陳情。

 

 5月23日。

 3回目の陳情。

 

 5月23日。

 法務部を交えた再協議。

 

 5月24日。

 広報と監査を含めた調整会議。

 

 5月25日。

 関係者の精神的影響に関する医療部門からの意見書提出。

 

 5月26日。

 6回目の申し入れ。

 

 なのはは、毎日のように本局へ足を運んだ。

 本来の教導隊の仕事もあった。訓練予定も、資料作成も、若手への指導もある。

 けれど、空いた時間はすべてこの件に使った。

 

 夜には欠かさず病院へ行った。

 キャロの様子を見て、フェイトに声をかけ、何も言えずに帰る日もあった。

 フェイトは日に日に静かになっていった。

 

 泣き叫ぶわけではない。

 怒鳴るわけでもない。

 ただ、静かにキャロの傍にいる。

 フリードの治療経過を確認し、医師の説明を聞き、キャロが目を覚ませば手を握る。

 

 そして、誰かが心配すると必ず言う。

 

 大丈夫。

 

 なのはは、その言葉を聞くたびに胸が裂けそうになった。

 

 フェイトは大丈夫ではない。それなのに、大丈夫だと言う。

 なのはが抱きしめても、フェイトは少しだけ微笑んで礼を言う。

 その微笑みが、どんどん遠くなっていく気がした。

 

 

「フェイトちゃん」

 

 5月26日の夜。

 病院の廊下で、なのははフェイトに声をかけた。

 

 キャロはようやく眠っている。

 フリードも容態は安定した。

 けれど、翼の機能回復についてはまだ不透明だと医師は言っていた。

 

 フェイトは自販機の前に立っていた。

 飲み物を買ったわけではない。ただ、そこに立っていた。

 

「なのは」

 

 振り返った顔は、ひどく疲れていた。

 

「少し、休もう?」

 

 なのはは言った。

 

「私がキャロの傍にいるから。少しだけでも眠って」

 

 フェイトは首を横に振った。

 

「大丈夫」

 

 また、その言葉だった。

 なのはは唇を噛む。

 

「大丈夫じゃないよ」

 

 フェイトの表情が、ほんの少し揺れた。

 

「フェイトちゃん、ずっと寝てない。食べてもいない。キャロのことが心配なのはわかる。でも、フェイトちゃんまで倒れたら―」

「倒れないよ」

 

 フェイトの声は優しかった。優しいのに、どこか硬かった。

 

「私は、キャロを守らないといけないから」

 

 なのはは息を呑んだ。

 

 守る。それは正しい言葉のはずだった。

 けれど、今のフェイトの口から出ると、ひどく危うく聞こえた。

 

「一緒に守ろう」

 

 なのはは手を伸ばした。

 

「フェイトちゃん1人じゃなくていい。私もいる。はやてちゃんも、クロノ君も、皆いるよ」

 

 フェイトは、伸ばされた手を見た。一瞬だけ、その手を取りそうになった。

 けれど、指先が触れる前に、彼女は静かに目を伏せた。

 

「ありがとう、なのは」

 

 それだけだった。なのはの手は、宙に残った。

 

 

 5月27日。

 7回目の陳情の日。

 その日、なのは達は朝から本局にいた。

 

 クロノが作成した新しい提案書には、かなり具体的な解除条件が盛り込まれていた。

 更生施設内での段階的自由行動。第三者監査の導入。ナカジマ家への心理的支援と警護付き復職準備。デバイス返還に関する安全管理規定。

 はやては、関連法規を徹底的に洗い直した資料を添付していた。

 なのはは、スバル達とナンバーズの訓練記録や面談記録をまとめた意見書を提出した。

 これ以上ないほど、現実的な代替案だった。

 それでも、返ってきたのは同じだった。

 

「検討します」

「現時点では難しい」

「世論の動向を見極める必要がある」

「組織全体の信用を考慮しなければならない」

 

 会議が終わった後、なのははしばらく何も言えなかった。

 会議室を出て、廊下の角を曲がったところで、はやてが小さく息を吐く。

 

「……あかんな。完全に時間稼ぎや」

 

 クロノは黙っていた。なのはは、二人の横顔を見た。

 

 はやての目には疲労と怒りがある。

 クロノの表情は冷静だが、指先がわずかに強張っている。

 

 2人とも、限界に近い。それでも、諦めようとはしていない。

 なのはは、そのことが苦しかった。

 

「…私、忘れ物した」

 

 ふと、なのはは自分の手元を見た。会議室に、資料端末の一つを置いてきていた。訓練記録の原本が入ったものだ。

 

「取ってくるね」

「一緒に行こか?」

 

 はやてが言う。

 

「大丈夫。すぐ戻る」

 

 なのははそう言って、会議室へ引き返した。

 

 

 廊下は静かだった。昼前の本局は人の出入りが多いはずなのに、その区画だけ妙に音が少ない。

 会議室の扉に近づいた時、なのはは足を止めた。中から声が聞こえた。

 

 会議は終わったはずだった。けれど、まだ誰かが残っている。

 なのはは、ノックしようとして、手を止めた。

 

 声の一つに聞き覚えがあった。

 先ほどまで会議にいた上層部の1人だ。

 

「まったく、若い連中は感情論ばかりだ」

 

 その言葉が、なのはの耳に届いた。

 

「エリオ・モンディアルの件は痛ましい。だが、それと組織運営は別問題だ。ハラオウンも八神も高町も、その区別がついていない」

 

 別の声が答える。

 

「高町一尉など、現場の子ども達に肩入れしすぎている。教導官としては優秀だが、政策判断には向かん」

「ハラオウン提督も同じだ。フェイト・T・ハラオウンの兄という立場が判断を曇らせている」

 

 なのはの指先が冷えた。

 兄。

 友人。

 仲間。

 だから判断が曇っている。

 

 そう言われることは、予想していた。でも、実際に聞くと、胸の奥を刺されたようだった。

 

「ナカジマの姉妹についても、優秀ではある。だが代替不可能ではない」

 

 なのはの呼吸が止まった。

 

「戦闘機人という点で、今は扱いが難しすぎる。無理に表に出して管理局全体の信用を損なうより、暫く下げておく方が合理的だ」

「ゲンヤ・ナカジマも現場では慕われているが、娘達の件で感情的になる可能性がある。休ませておいた方がいい」

「ナンバーズも同様だ。更生プログラムは将来的には必要だが、今ではない。世間が神経質になっている時期に、ああいう存在を目につく場所に置いておくべきではない」

 

 ああいう存在。

 なのはの中で、何かが音を立てた。

 

「結局、組織の信用維持が最優先だ。管理局の権威が損なわれれば、より多くの市民が不安になる。代替可能な人員の処遇で全体を危うくするわけにはいかん」

「八神達も、いずれ理解するだろう。今は幼稚な正義感で騒いでいるだけだ」

 

 幼稚な正義感。

 なのはは、もう聞いていられなかった。

 

 手が震える。

 心臓が早鐘のように鳴る。

 今扉を開けて怒鳴り込めば、どうなるだろう。

 きっと、また感情的だと言われる。

 若い現場組は冷静でないと言われる。

 高町一尉は判断に問題があると言われる。

 それでも構わないと思った。

 

 だが、扉に手をかける直前、なのはは思い出した。

 

 スバルのデバイス。

 キャロの震える手。

 フェイトの遠い微笑み。

 はやての疲れた目。

 クロノの押し殺した怒り。

 

 ここで自分が爆発すれば、また利用される。

 なのはは奥歯を噛みしめ、そっと扉から離れた。

 

 資料端末は諦めた。今は、それどころではなかった。廊下を戻る足取りは、いつもより遅かった。

 

 

はやてとクロノは、まだ同じ場所で待っていた。

なのはの顔を見て、二人とも表情を変えた。

 

「なのはちゃん?」

「どうした」

 

 なのはは、少しの間、声が出なかった。それでも、言わなければならない。

 今聞いた言葉を。あの部屋の中で、彼らが何を言っていたのかを。

 なのはは、震える声で話した。

 

 上層部が自分達を感情的だと言っていたこと。

 スバル達を代替可能な人員だと言ったこと。

 ナンバーズを『ああいう存在』と呼んだこと。

 管理局の権威を守るためなら、彼女達を下げておくのが合理的だと言ったこと。

 

 

 話し終えた時、はやての顔から表情が消えていた。クロノは目を閉じた。長い沈黙が落ちる。

 やがて、はやてが小さく笑った。笑った、というより、息が漏れた。

 

「……そっか」

 

 それだけだった。なのはは、はやてのその声が怖かった。

 怒鳴る方が、泣く方が、まだよかった。でも、はやては静かだった。

 クロノが口を開く。

 

「予想はしていた」

 

 その声は低い。

 

「だが、実際に聞くと堪えるな」

「クロノ君」

 

 なのはは、2人を見た。

 

「ねえ」

 

 声が震えた。

 

「守ろうとしない組織に残って、何になるの?」

 

 はやてが、なのはを見た。クロノも、目を開けた。なのはは止まらなかった。

 

「エリオを守れなかった。キャロを守れなかった。スバル達も、ナンバーズの子達も、守ろうとしてない。守るふりをして、見えない場所に追いやってるだけ。そんな場所にいて、何が出来るの?」

 

 それは、数日間ずっと胸の奥にあった問いだった。管理局に入ったことを後悔したことはない。

 なのははこの場所で多くを学んだ。多くの人と出会い、救われた。誰かを助けるための力を得た。

 でも今、その場所が大切な人達を切り捨てようとしている。

 

「私は……」

 

 なのはは拳を握った。

 

「そんな場所に、もう立っていたくない」

 

 はやては静かに息を吸った。

 

「なのはちゃんの気持ちは、わかる」

 

 その声は、優しかった。

 

「私も、何度も思った。こんな場所に残って何になるんやろって。外に出て、別の形で守った方がええんちゃうかって」

「だったら…」

「でもな」

 

 はやては、なのはの言葉を遮らなかった。ただ、静かに続けた。

 

「私がここからいなくなったら、次に切り捨てられる子を止める人間が、1人減る」

 

 なのはは息を呑んだ。

 

「今日、止められへんかった。昨日も、一昨日も、止められへんかった。悔しい。腹立つ。情けない。でも、ここに残ってるから、記録に反対意見を残せる。法務に食い下がれる。解除条件を作れる。ほんの少しでも、処分を軽くできるかもしれん」

 

 はやての目に、涙が浮かんでいた。

 

「亀の歩みでも、誰かが中に残って変えなあかん。私は、そう思っとる」

 

 クロノも静かに頷いた。

 

「僕も同じだ。正しい手続きがいつも正しい結果を生むわけではない。今回、それを痛感している。だが、手続きを捨てれば、僕達は腐敗した連中と同じ土俵に落ちる」

「それでも、間に合わなかったら?」

 

 なのはは問うた。クロノの表情が苦しげに歪む。

 

「その時は、その責任を背負う」

「…背負っても、エリオは戻らないよ」

 

 言った瞬間、なのはは自分の言葉の鋭さに気づいた。クロノの顔が、わずかに青ざめる。

 

「ごめん」

 

 なのははすぐに謝った。

 

「ごめん、クロノ君。今のは―」

「いや」

 

 クロノは首を横に振った。

 

「事実だ」

 

 その声に、なのはの胸が痛んだ。

 3人とも、もう限界だった。怒りと悲しみと無力感で、傷つけ合う寸前まで来ている。

 なのはは目を伏せた。

 

「私、少し考えたい」

 

 はやては頷いた。

 

「うん」

 

 クロノも言った。

 

「結論を急ぐな。感情だけで決めるな」

「わかってる」

 

 なのははそう答えた。けれど、その時にはもう、心の奥で答えは出始めていた。

 

 

 その夜。

 なのはは自室に戻っても、明かりをつけなかった。

 

 窓の外には、クラナガンの光が広がっている。

 その美しい光の下で、誰かが切り捨てられ、誰かが隠され、誰かが大丈夫だと嘘をついている。

 

 待機状態で机に置かれたレイジングハートは、静かに輝いていた。

 

「Master」

「……うん」

 

 なのはは椅子に座り、両手で顔を覆った。

 自分は何をしたいのだろう。

 管理局に残り、はやてやクロノと一緒に戦う道がある。それは正しい。きっと、必要な道だ。

 でも、自分の心はもう、あの会議室に立ち続けることに耐えられそうになかった。

 守ろうとしない組織に残って、何になるのか。その問いが、消えない。

 

 そしてもう一つ。

 フェイトの傍にいたい。

 

 あの病院の廊下で、伸ばした手を取れなかったフェイト。

 大丈夫だと言いながら、どんどん遠くなっていくフェイト。

 キャロを守ると言って、自分自身を削り続けるフェイト。

 

 このままでは、フェイトまで失ってしまう。そんな予感があった。

 

 なのはは顔を上げた。涙は出ていなかった。泣く段階は、もう過ぎていた。

 

「レイジングハート」

「Yes, my master」》

「私、管理局を辞めるかもしれない」

 

 言葉にした瞬間、胸が痛んだ。

 この場所で出会った人達がいる。

 この場所で積み上げたものがある。

 この場所で救えた命もある。

 それを捨てたいわけではない。

 でも、今の自分が立つべき場所は、別にあるのではないか。

 

「I will follow you」

 

 レイジングハートの返答は、いつもと同じだった。短く、静かで、迷いがない。

 なのはは、小さく笑った。

 

「ありがとう」

 

 窓の外を見つめる。まだ正式には決めていない。

 退職届を書くのは、もう少し先だ。

 はやてやクロノとも、もう一度話さなければならない。

 フェイトにも、伝えなければならない。

 けれど、高町なのはの中で、何かは確かに変わっていた。

 守れない場所に立ち続けることは、もうできない。

 ならば、自分は別の場所から守る。組織の中ではなく、組織の外から。

 それが正しいのかどうかは、まだわからない。

 でも、今のなのはには、その道しか見えなかった。

 

 新暦0077年5月27日。

 7度目の陳情が、また退けられた日。

 

 その日、高町なのはは、初めてはっきりと管理局を離れる未来を思い描いた。

 

 それは逃げではなかった。少なくとも、彼女はそう信じたかった。

 けれど同時に、それが大きな別れの始まりになることを、なのははまだ知らない。

 自分が伸ばそうとした手が、間に合わない場所へフェイトを押し出してしまうかもしれないことも。

 まだ、知らなかった。




最後までお読みいただきありがとうございました。
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