魔法少女リリカルヴィヴィオ   作:SS_TAKERU

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お待たせいたしました。
第1章最終話をお届けします。


第8話 黒い影

 新暦0077年6月7日。

 

 フェイト・T・ハラオウンがキャロ・ル・ルシエを連れて失踪した翌朝。クロノ・ハラオウンは一睡もしないまま本局の執務室にいた。

 

 端末には、夜通し集めさせた情報が並んでいる。

 静養施設の監視記録。

 転送ポートの利用履歴。

 偽装された通信ログ。

 ハラオウン家周辺の警備記録。

 キャロの医療データ。

 フリードリヒの治療記録。

 

 どの情報も、フェイトの行方には繋がらなかった。

 

 痕跡はある。だが、それは彼女が意図的に残したものばかりだった。

 追跡者を別方向へ誘導する偽の転送履歴。古い事件記録を応用した通信攪乱。執務官時代に扱った偽装戸籍システムへの、短時間の不正アクセス痕。

 

 どれも巧妙だった。フェイトは、自分達がどう追うかを知っている。

 どの部署が動き、誰が解析し、クロノがどこに違和感を覚えるかまで、ある程度読んでいる。

 

「……本当に、嫌になるほど優秀だな」

 

 呟きは、誰にも届かなかった。

 端末の片隅には、フェイトの書き置きの複写が表示されている。

 

 ―もう、ここにはいられない。

 ―キャロは私が守ります。

 ―探さないでください。

 

 探さないで。そんな願いを聞けるはずがない。クロノは目を閉じた。

 血の繋がりこそないが、フェイトは妹だ。家族だ。執務官としても、守るべき関係者だ。

 そして今は、精神的に極めて危うい状態の逃亡者でもある。

 そのどれか一つだけで見られれば、どれほど楽だっただろう。

 

 兄としてなら、すぐにでも全てを投げ出して追いかけたい。

 提督としてなら、冷静に手順を踏み、関係部署へ指示を出し、情報を積み上げるべきだ。

 だが現実には、その両方を同時に抱えなければならない。

 

 何度目かの溜息が出かけたその時、端末が反応した。補佐官からの連絡。半ば反射的に端末を操作する。

 

『提督。八神二佐から通信です。緊急とのことです』

「繋いでくれ」

 

 画面に映った八神はやての顔は硬く、どこか青ざめていた。

 

『クロノ君、ヒルマの件で動きがあった』

「リク・ヒルマか」

 

 その名を聞いただけで、胃の奥が冷える。

 エリオの葬儀を踏みにじり、シグナムを挑発し、管理局への批判映像を拡散した男。

 

『こっちで調べてた偽造識別証の件、少しだけ足が出た。あの識別証、単独犯の手口にしては精度が高すぎる。管理局内部の発行形式を知ってる人間が関わっとる可能性がある』

 

 クロノの目が細くなる。

 

「やはり…か」

 

 葬儀場でヒルマが使った識別証は、完全な偽物ではなかった。

 正規関係者の古い識別データを複製し、現行仕様に合わせて一部を書き換えたもの。外部の記者が一人で作れる代物ではない。

 

『ヒルマの現在地確認。私と謹慎中のシグナム以外…ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、リィン、それからアギトの6人で行く』

「…逮捕ではなく確認だな」

『せや。直接拘束するにはまだ根拠が弱い。けど、話を聞く必要はある。任意同行という形やけど、出来る限りの準備は整えていく。警備局にも一報入れとく』

 

 クロノは数秒考えた。本来なら、自分も動きたい。だが、フェイト失踪の指揮を放り出すわけにはいかない。

 そして、ヒルマの件もまたフェイトの失踪と無関係とは言い切れない。

 

「くれぐれも慎重に頼む。奴は挑発に長けている。記録媒体、遠隔送信、隠しカメラ、何でもあると思え」

『わかっとる』

 

 はやてが頷き、通信が終了する。クロノは一度だけ大きく息を吐き…少しでも有益な情報が得られることを祈った。だが、その祈りは裏切られる。

 

 

 20分後。端末が反応した。

 

『提督。警備局から通信です。緊急とのことです』

 

 警備局からの緊急通信。脳裏に浮かぶ嫌な予感を必死に振り払い、言葉を紡ぐ。

 

「…繋いでくれ」

『提督、クラナガン東区で殺人事件です。被害者は……リク・ヒルマ』

 

 クロノの思考が一瞬止まった。

 

「…状態は」

『死亡確認済み。任意同行を求める為に、訪問した八神二佐達が、第一発見者に近い扱いになります』

 

 クロノはゆっくりと立ち上がった。

 

『現場座標を送ってくれ。僕も行く』

 

 

 クラナガン東区の雑居ビルは、表通りから少し外れた場所にあった。

 リク・ヒルマが仕事場として使っていた事務所。看板は出ていない。入口には簡易的なセキュリティがあるだけで、表向きは小規模な情報編集会社の一室として登録されていた。

 クロノが到着した時、周囲は既に警備局によって封鎖されており、はやて達はビルの入口近くに立っていた。

 全員顔色が悪い。怒り、困惑、吐き気などを堪えているような表情だった。

 

「クロノ君」

「状況は?」

「…中に入った時には、もう死んでた」

 

 はやての声は低い。

 

「ザフィーラが最初、臭いに気づいた。扉は施錠されとったけど、内側の魔力反応がどうもおかしくてな。警備局に連絡して、立ち会いのもとで開けた」

 

 クロノは頷き、室内へ入った。事務所の空気は、重く、鉄の臭いがした。

 床には、リク・ヒルマが倒れていた。遺体には布がかけられている。

 だが、現場保存のため、周囲の血痕や切断痕はそのままだった。

 

 一刀。魔力刃による鋭い斬撃。

 

 それが第一印象だった。

 クロノは膝をつき、遺体の状態を確認している鑑識担当へ声をかける。

 

「死因は?」

「胴部への斬撃です。ほぼ一刀両断。抵抗痕はほぼ無く、反応する間もなく斬られた可能性が高いです」

「…凶器は?」

「高出力の魔力刃と見られます。残留魔力は確認出来ます、意図的に乱されています。識別妨害の可能性が高いです」

 

 クロノは周囲を見回す。部屋の中は荒れていない。机の上には端末が複数。記録媒体。紙資料。飲みかけのコーヒー。争った形跡はほとんどない。

 つまり、犯人はヒルマに近づき、ほぼ一撃で殺した。あるいは、ヒルマが反応する前に間合いへ入った。

 

 速い。そして、鋭い。

 

「映像記録は?」

「室内監視の一部が残っています。ただし、ノイズが多く、顔は確認できません」

 

 クロノは端末を受け取り、再生する。

 画面は暗い。事務所の簡易カメラの映像だ。

 ヒルマが机に向かっている。何かの記事を書いているのか、端末を操作している。

 

 次の瞬間、画面の端が歪んだ。

 

 高速で動く影。ほとんど残像に近い。

 人型。細身。長い髪のような揺れ。金色、あるいは淡い色に見える。

 ノイズのせいで断定はできない。

 そして、光。魔力刃。

 ヒルマが振り返るより早く、斬撃が走った。

 

 映像が乱れ、数秒後には床に倒れたヒルマだけが映っている。

 犯人の顔は見えない。背格好も不明瞭。

 ただ、画面の一瞬に、長い金髪のようなものと、高速移動の残像が残っている。

 

 クロノは映像を止めた。心臓が、嫌な音を立てる。

 

 フェイト。

 

 その名が、頭の中に浮かぶ。

 彼女ではない。そう思いたかった。だが、映像だけを見れば、そう疑われる要素が揃いすぎている。

 

 金髪。

 高速移動。

 魔力刃。

 ヒルマへの動機。

 

 フェイトには、ヒルマを憎む理由がある。ありすぎるほどに。だが…

 クロノは映像を巻き戻し、再度再生した。違和感がある。

 

 影の踏み込み。

 魔力刃の角度。

 動作の間。

 

 フェイトに似ていると言えば似ている。しかし、完全には一致しない。

 

「クロノ君」

 

 入口からはやてが入ってきた。

 

 彼女の後ろには、シャマル、ザフィーラ、リィンフォースⅡがいる。

 シャマルは顔を青くし、リィンははやての肩の近くで震えていた。

 ザフィーラは無言で周囲を警戒している。

 

「映像、見た?」

「ああ」

 

 クロノは端末を渡した。

 

 はやては映像を見て、唇を噛んだ。

 

「……フェイトちゃんに見せかけたいんか、これ」

「見せたい者がいるのは間違いない」

 

 クロノは静かに言った。

 

「僕達にではない。世間にだ」

 

 ヴィータが部屋に入ってくる。

 

「まさかフェイトがやったって、言うんじゃねぇだろうな」

「断定はしない」

「断定できるかよ!」

 

 ヴィータの声が荒くなる。

 

「フェイトがどんだけあの野郎を憎んでたとしても、こんな……こんなやり方……!」

「ヴィータ」

 

 はやてが静かに呼ぶ。

 ヴィータは言葉を飲み込んだ。しかし、拳は震えていた。

 クロノは映像をもう一度見た。

 

「これは、フェイトが犯人であると示すには十分に見える。だが、法的に断定するには不足している。そして、彼女を庇う材料としても不足している」

「最悪やな」

 

 はやてが呟く。

 

「そうだ」

 

 クロノは端末を閉じ、鑑識へ返した。

 

「最悪だ」

 

 万が一、フェイトが本当にやったのなら、彼は兄として、そして管理局提督として、彼女を止めなければならない。

 だが、もし偽装なら。この映像は、フェイトを追い詰めるための罠だ。

 

 どちらにしても、事態は 悪化する。

 

「ヒルマの端末は」

「解析班が入ります。ただ、いくつかの記録媒体が破壊されています」

 

 鑑識担当が答えた。

 

「選んで壊したように見えるか」

「その可能性は極めて高いですね」

 

 クロノは再度室内を見渡す。ヒルマは情報を持っていた。

 

 葬儀場の偽造識別証。

 六課関係者の内部情報。

 生命倫理団体との接触。

 そして、もしかすると、それらを渡した管理局内部の誰か。

 

 口封じ。

 

 その言葉が浮かぶ。だが、今の時点で口にすれば、憶測になる。証拠はない。

 

「クロノ君」

 

 はやてが小声で言った。

 

「これ、上に報告したら……」

「フェイトへの疑いが一気に強まる」

「せやけど、報告せんわけにもいかん」

「当然だ」

 

 クロノは即答した。

 

「映像も、残留魔力も、すべて提出する。ただし、僕達の見解も添える。不自然な点が多いこと、フェイト本人と断定出来ないこと、偽装の可能性があること」

「それでも、庇ってるって言われるやろな」

「間違いなく言われるだろう」

 

 クロノは淡々と答えた。

 

「僕はフェイトの兄だ。君は彼女の友人だ。なのはも同じだ。何を言っても、情実と取られる」

 

 はやては苦しげに目を伏せた。

 

「それでも、言わなあかん」

「ああ」

 

 クロノは、もう一度遺体の方を見た。

 

 リク・ヒルマ。悪質な記者。

 エリオの死を消費し、キャロを傷つけ、シグナムを陥れた男。

 その死に、同情は湧かなかった。だが、殺されていい人間だったわけではない。

 そして、彼の死はまた別の悪意に利用されようとしている。

 死者になってもなお、ヒルマは火種になった。いや、そうなるように殺されたのかもしれない。

 

 

 午後には、事件は管理局上層部にも伝わった。

 クロノは本局の会議室で、映像と初期報告を提示した。

 

 上層部の表情は険しかった。だが、その険しさの奥に、別の色があることをクロノは見逃さなかった。

 

 困惑。

 恐怖。

 そして、どこかで安堵に似たもの。

 

 フェイト・T・ハラオウンを犯人として扱えれば、話は単純になる。

 悲劇に耐えかねた元執務官が暴走した。管理局はその身内の不祥事に厳正に対処する。

 世論に向けて、わかりやすい筋書きが作れる。

 だが、それは危険なほど都合がいい。

 

「映像を見る限り、フェイト・T・ハラオウン元執務官の可能性は、否定できない」

 

 上層部の一人が言った。元執務官。

 

 その呼び方に、クロノの眉がわずかに動いた。

 フェイトはまだ正式に職を解かれてはいない。失踪中の執務官だ。

 だが、彼らの中ではもう、切り離す準備が始まっている。

 

「可能性は否定しません」

 

 クロノは言った。

 

「しかし、断定も出来ません。映像は不鮮明で、魔力反応も攪乱されています。動作にも本人と一致しない点が複数あります」

「兄として庇いたい気持ちは理解するが」

「提督として申し上げています」

 

 クロノの声が冷えた。会議室の空気が張り詰める。

 

「証拠不十分な段階で犯人と断定すれば、捜査を誤ります。フェイトが犯人である可能性も、フェイトに罪を着せるための偽装である可能性も、両方を残して捜査すべきです」

「世論は待ってくれませんよ、ハラオウン提督」

 

 別の上層部が言った。

 

「ヒルマ氏は、管理局を追及していた記者です。その彼が殺害された。しかも映像には、失踪中のフェイト・T・ハラオウンを思わせる人物が映っている。これを伏せれば、隠蔽と取られます」

「公開する情報は精査すべきです。映像をそのまま流せば、フェイトが犯人だと印象づけられる」

「ならば、どうするのです?」

「事実のみを公表します。ヒルマ氏が殺害されたこと。魔導師による犯行の可能性。失踪中のフェイト・T・ハラオウンとの関連も含め、複数の可能性を捜査中であること。断定はしない」

 

 上層部は不満そうだった。だが、クロノは譲らなかった。

 断定すれば終わる。少なくとも、フェイトの社会的な生命は終わる。

 そして真犯人が別にいるなら、その者を取り逃がす。

 

「八神二佐の見解は?」

 

 はやてが静かに顔を上げた。

 

「ハラオウン提督と同じです。断定は危険です。現場に残った痕跡は、あまりにも“フェイトちゃんらしすぎる”。せやからこそ、私は疑います」

「友人だからそう思いたいのでは?」

「友人やからこそ、フェイトちゃんが本当にやった可能性も考えています」

 

 はやての声は震えていなかった。

 

「でも、だからこそ、雑に決めつけたくありません」

 

 会議は荒れた。だが、最終的にはクロノの主張が一部通った。

 少なくとも公式発表でフェイトを犯人と断定しない。ただし、重要参考人として行方を追う。

 ヒルマ殺害事件とフェイト失踪事件を関連捜査する。

 

 苦い妥協だった。

 

 

 会議が終了して間もなく、なのはが執務官室に駆け込んできた。

 彼女は既に事件を聞いていた。顔は白く、唇は固く結ばれている。

 

「クロノ君!」

「……映像を、見るか」

 

 クロノが尋ねると、なのはは一瞬だけ躊躇した。だが、すぐに頷いた。

 

「見せて」

 

 渡された端末を操作して、映像を再生する。

 

 高速の影。

 金髪のような残像。

 魔力刃。

 ヒルマの死。

 

 なのはは、じっと画面を見ていた。

 

 1度目。

 2度目。

 3度目。

 

「……違う」

 

 小さく呟いた。

 

「なのは」

「フェイトちゃんに似せてる。でも、違う」

 

 なのはは画面を指差した。

 

「まず、踏み込みのタイミングが違う。フェイトちゃんはもっと重心移動が滑らか。それにここ、斬る前に少しだけ肩が沈んでる。フェイトちゃんの癖とは違う」

 

 クロノは頷いた。

 

「僕もはやても同じ違和感を持った」

「でも、これだけじゃ……」

「彼女の無実は証明出来ない。第三者の指摘ならともかく、身内や友人の指摘なら猶更だ」

 

 なのはの顔が歪んだ。

 

「フェイトちゃんは、こんなことしない…絶対に」

 

 その声は、信じたいという祈りに近かった。クロノは、すぐには答えなかった。答えられなかった。

 フェイトはこんなことをしない。以前の彼女なら、そう断言出来た。

 だが今のフェイトはどうだ。エリオを失い、キャロとアルフを連れ、世界から姿を消したフェイトは。

 それでも信じたい。信じたいが、捜査官としては断定できない。

 

「なのは」

 

 クロノは静かに言った。

 

「僕も、彼女が犯人ではないと思いたい。だが、思うことと証明することは違う」

 

 なのはは拳を握った。

 

「…わかってる」

 

 その声は苦しかった。

 

「わかってるよ、クロノ君。でも……」

 

 言葉は続かなかった。

 はやてがなのはの肩に手を置いた。

 

「探そう。フェイトちゃんを。それから、真犯人も」

 

 なのはは頷いた。

 

「うん」

 

 

 その夜、八神家は重い沈黙に包まれていた。

 シグナムは謹慎中の身であり、事件現場には行けなかった。

 だが、ヒルマが殺害されたこと、そしてフェイトに疑いが向けられていることは知らされていた。

 リビングで、シグナムは拳を握りしめていた。

 

「私が、あの時殴らなければ」

「シグナム」

 

 はやてが止めるように口を開く。

 

「私があの男を殴ったから、奴はさらに火種になった。葬儀を汚し、管理局を攻撃し、挙句の果てには殺されて、テスタロッサに疑いを向けている」

「それは違うです!」

 

 リィンフォースⅡが叫ぶように言った。

 

「悪いのはヒルマです! それから、ヒルマを殺した人です!」

「そうだよ」

 

 ヴィータも言った。

 

「シグナムが全部背負う話じゃねぇ」

 

 シャマルは静かに俯いている。ザフィーラは壁際で目を閉じ、低く言った。

 

「だが、敵は我らの怒りを利用している」

 

 その言葉に、全員が黙った。

 敵。それが誰なのか、まだわからない。

 

 ヒルマを利用した者。

 葬儀場の偽造識別証を用意した者。

 フェイトに似せた影を残してヒルマを殺した者。

 

 見えない誰かが、ずっと奥で糸を引いているように思えた。

 はやては端末を見つめた。

 

「フェイトちゃんを見つけなあかん。早く」

「見つけて、どうするのですか」

 

 シグナムが尋ねるが、はやては答えに詰まった。

 

 保護する。

 話を聞く。

 疑いを晴らす。

 止める。

 

 どれも正しい。だが、今のフェイトがそれを受け入れるかはわからない。

 

「まずは、会う」

 

 はやてはそう答えた。

 

「会って、話す。それしかない」

 

 だが、その“それしかない”が、今は何より難しかった。

 

 

 6月19日。

 

 ヒルマ殺害事件から12日が過ぎた。

 

 捜査は難航していた。映像の解析は進んだが、犯人の特定には至らない。

 残留魔力は攪乱され、転送痕も巧妙に偽装されていた。

 ヒルマの端末からはいくつかの内部情報らしき断片が見つかったが、重要な記録媒体は破壊されていた。

 彼に情報を流していた者がいる可能性は高い。だが、その証拠は中途半端に消されている。

 

 フェイトの行方も掴めない。アルフも、キャロも、フリードも消えたままだ。

 世論では、フェイト犯人説が広がり始めていた。管理局は明確に断定していない。

 しかし、断定しないことが「身内を庇っている」と攻撃される。

 

 クロノは、毎日のように会議と捜査指示を繰り返していた。はやても同じだった。

 なのはは退職の手続きを進めながら、フェイトの痕跡を探し続けていた。

 

 その日、なのははクロノとはやてを呼び出した。場所は、聖王教会の一室だった。

 カリム・グラシアからの勧誘を受けていたことは、2人とも知っている。だが、なのはが正式に答えを出したのは初めてだった。

 

「私、聖王教会に行く」

 

 なのはは静かに言った。はやては目を伏せ、クロノは表情を変えなかった。

 だが、その沈黙には、覚悟していた痛みがあった。

 

「修道騎士指導官として。カリムさんの個人的なアドバイザーとしても、少し手伝うことになると思う」

「そうか」

 

 クロノが言った。

 

「決めたんだな」

「うん」

 

 なのはは頷いた。

 

「管理局を嫌いになったわけじゃない。クロノ君やはやてちゃんが中で頑張ることも、必要だと思ってる。でも、私は外から守る。管理局の中では届かないところに手を伸ばしたい」

 

 はやては小さく笑った。

 

「なのはちゃんらしいな」

 

 その笑顔は、少し泣きそうだった。

 

「ごめんね、はやてちゃん」

「謝らんでええ。約束したやろ。1人で背負わんこと。それだけ守ってくれたらええ」

「うん」

 

 クロノは、なのはを真っ直ぐ見た。

 

「君が教会に行くことは、今後大きな意味を持つかもしれない。管理局の外に、信頼できる強い協力者がいる。それは僕達にとっても重要だ」

「仕事の話?」

「半分は」

 

 なのはが少しだけ笑う。

 

「もう半分は?」

 

 クロノは、わずかに目を伏せた。

 

「友人として、君が折れる前に別の場所を選べてよかったと思っている」

 

 なのはの瞳が揺れた。

 

「ありがとう」

 

 3人の間に、静かな時間が流れた。

 

 失ったものは戻らない。

 フェイトは見つからない。

 キャロもアルフもいない。

 スバル達もナンバーズ達も、まだ元の場所には戻れていない。

 ヒルマ殺害の真相も闇の中だ。

 

 それでも、三人はそれぞれの場所を選び始めていた。

 

 クロノは管理局の中で。

 はやても管理局の中で。

 なのはは聖王教会で。

 

 同じ方向を見ていると信じながら、違う場所に立つ。

 その選択が、正しいのかどうかは誰にもわからなかった。

 

 

 夜。

 

 クロノは本局の執務室で1人、ヒルマ殺害の映像をもう一度再生していた。

 

 高速の影。

 金髪の残像。

 魔力刃。

 

 何度見ても、違和感は消えない。フェイトではない。そう思う。だが、証明できない。

 

 彼は映像を止め、フェイトの失踪記録を開いた。

 

 妹の顔写真が表示される。

 執務官時代の、凛とした表情の写真だった。

 

「どこにいる、フェイト」

 

 答えはない。クロノは椅子にもたれ、目を閉じた。

 

 現実は物語とは違う。章の終わりに相応しい区切りなど、存在しない。

 事件は終わらない。悲しみも、怒りも、後悔も続いていく。人はその途中で、次の朝を迎えるしかない。

 

 エリオの死。

 キャロの喪失。

 シグナムの処分。

 ナンバーズの隔離。

 ナカジマ家の休職。

 なのはの離脱。

 フェイトの失踪。

 ヒルマの死。

 

 すべてが一つの線で繋がっているようで、まだその全貌は見えない。

 クロノは端末に新しい捜査指示を入力した。

 

 ヒルマの情報源追跡継続。

 フェイト・T・ハラオウン、キャロ・ル・ルシエ、及びアルフの捜索継続。

 偽造識別証の発行ルートの再調査。

 生命倫理団体中枢部の通信解析。

 内部協力者の可能性を調査。

 

 送信。それから、彼は小さく息を吐いた。

 

「必ず、辿り着く」

 

 その声は、誰に向けたものでもなかった。だが、確かな誓いだった。

 

 新暦0077年6月19日。

 高町なのはは、聖王教会に所属する道を選んだ。

 八神はやてとクロノ・ハラオウンは、管理局の内側に残る道を選んだ。

 フェイト・T・ハラオウンは、今もどこかに姿を隠している。

 

 悲劇から始まった分岐は、もう元には戻らない。

 

 そして5年後。その分かたれた道の先で、1人の少女が、失われた時間と向き合うことになる。

 

 

第1章新暦0077年編 完




最後までお読みいただきありがとうございました。
次回より第2章新暦0082年編がスタートします。
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