今回より、第2章開始となります。
また、今回はAI生成による挿絵を2枚掲載しております。
第9話 少年との出会い
新暦0082年5月11日。
その日は、朝から静かな日だった。
高町ヴィヴィオは、自室に置かれた鏡の前でリボンの位置を整えていた。
金の髪に結んだリボン。左右で色の違う瞳。少し大人びた顔立ち。今日はSt.ヒルデ魔法学院中等科の制服ではなく、落ち着いた紺色のワンピースを選んでいる。
「ヴィヴィオ、準備できた?」
部屋の外から、なのはの声がした。
「うん。今行くね」
返事をしてから、ヴィヴィオはもう一度だけ鏡を見る。
大丈夫。ちゃんとできている。
なのはママに心配をかけない。
今日は、エリオお兄ちゃんに会いに行く日だから。
胸の奥で、そう言い聞かせる。
エリオ・モンディアル。
ヴィヴィオにとって、彼は本当の兄ではない。
けれど、幼い頃の記憶に残る彼は、少し照れ屋で、真面目で、優しい兄のような人だった。
キャロ・ル・ルシエもそうだ。
優しくて、小さくて、けれど芯が強くて、ヴィヴィオにとっては姉のような人だった。
その2人のうち、エリオはもうこの世にいない。キャロも、5年前から姿を消したままだ。
5年前。ヴィヴィオはまだ7歳だった。
何が起きたのか、まだ幼かった当時の彼女には全てを理解することは出来なかった。けれど、大人達の顔が変わったことだけは覚えている。
夜、なのはママが1人で泣いていたこと。
フェイトママがいなくなったこと。
キャロお姉ちゃんもいなくなったこと。
はやてさんやクロノさん、シグナムさん達に会える機会が減ったこと。
スバルさんやギンガさんとも、いつの間にか会えなくなったこと。
世界は、あの日を境に少しずつ遠くなった。だからヴィヴィオは心に決めた。
自分まで、なのはの負担になってはいけない。
自分は強くならなければならない。
なのはママの自慢の娘でいなければならない。
「ヴィヴィオ?」
もう一度、なのはの声が聞こえる。
「今行くね!」
ヴィヴィオは笑顔を作り、部屋を出た。
リビングには、黒のパンツスーツを着た高町なのはが待っていた。
26歳になったなのはは、聖王教会の修道騎士指導官として忙しい日々を送っている。
管理局を離れて5年。
それでも、彼女の佇まいは昔と大きく変わらない。優しくて、まっすぐで、強い。
けれど、ヴィヴィオは知っている。
なのはは、時々とても遠い目をする。
誰もいない部屋で、古い写真を見つめていることがある。
フェイトの名前が出た時、ほんの一瞬だけ言葉に詰まることがある。
だからヴィヴィオは、明るく笑う。
「なのはママ、行こう」
なのはは、ヴィヴィオの顔を見て、少しだけ微笑んだ。
「うん。行こうか」
その笑顔もまた、少しだけ無理をしているように見えた。
墓地は、クラナガン郊外の静かな場所にあった。
管理局の殉職者が眠る区画。その一角に、エリオ・モンディアルの墓標がある。
白い石に刻まれた名前。短い生年と没年。あまりにも短い文字列。
ヴィヴィオは、その前に立つたびに思う。
人の一生って、こんなに短く石に刻まれてしまうものなのだろうか。
「エリオお兄ちゃん」
ヴィヴィオは小さく呼んだ。
返事はない。当然だ。けれど、呼ばずにはいられなかった。
墓前には、既に多くの花が供えられていた。
なのはとヴィヴィオが到着した時、そこにはクロノ、リンディ、レティ、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、リィンフォースⅡ、アギト、ユーノ、グリフィス、ヴァイス、シャリオ、アルト、ルキノ、アイナ、マリエル達が集まっていた。
全員ではない。
フェイトはいない。
キャロもいない。
アルフもいない。
はやて、シグナム、ティアナは捜査活動で欠席だと聞いている。
スバル、ギンガ、ゲンヤは、2年前から音信不通になっている。
かつて機動六課と呼ばれた人達は、今はもう同じ場所に集まることすら難しくなっていた。
「なのは。ヴィヴィオ」
声と共に、クロノが近づいてきた。
31歳になったクロノは、以前より少し痩せたように見えた。髪には、白いものが混じっている。
けれど、姿勢は変わらない。声も落ち着いている。
「おはよう、クロノ君」
なのはが挨拶する。
「おはようございます、クロノさん」
ヴィヴィオも頭を下げた。クロノは少しだけ表情を和らげる。
「来てくれてありがとう」
「そんな、当然です」
ヴィヴィオが笑顔と共にそう答えると、クロノは頷いたが、その目には疲れがあった。
少し離れたところでは、ヴィータが腕を組んで墓標を見つめていた。
シャマルは静かに花を整えている。
ザフィーラは墓前に座るようにして目を閉じ、リィンとアギトは小さな手を合わせていた。
ヴィヴィオは、なのはと一緒に花を供えた。
「エリオお兄ちゃん。今年も来たよ」
声に出してから、少しだけ喉が詰まる。
「私、中等科に上がったんだ。勉強も、魔法も、ちゃんと頑張ってるよ。なのはママにも心配かけないように……」
そこまで言って、ヴィヴィオは口を閉じた。
違う。墓前でまで、そんなことを言う必要はない。
エリオは、きっとそんな言葉を望まない。もっと普通に、元気にしていると言えばいいだけなのに。
なのはが、そっとヴィヴィオの肩に手を置いた。
「ヴィヴィオ」
「うん。大丈夫」
反射的にそう答えてから、ヴィヴィオは少しだけ笑った。
また言ってしまった。
大丈夫。
私は強いから。
なのはは何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。
墓参りは、静かに進んだ。1人ずつ花を供え、手を合わせる。誰かが短く言葉をかける。
長い沈黙が、花の香りと一緒に墓地を満たしていた。やがて、クロノが皆へ向き直る。
「今日は来てくれてありがとう。仕事に戻る者もいるだろうし、無理に長居する必要はない。エリオも、皆がそれぞれの場所で前に進むことを望んでいると思う」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
それぞれの場所で前に進む。それは正しい。
けれど、5年経っても進めていないものがあることを、全員が知っていた。
「ユーノ君はこれから仕事?」
なのはが尋ねると、黒い背広姿のユーノは軽く頬を掻きながら頭を左右に振った。
「着替えと荷物を取りに一旦家に戻って、そのまま管理外世界の遺跡調査へ向かう予定。有休消化も兼ねてね。2ヶ月弱は向こうに滞在するかな」
「はやてちゃんから聞いたよ。ユーノ君、無限書庫に籠りすぎだって怒られたんでしょ?」
なのはの言葉に苦笑しながら否定はしないよ。と返すユーノ。
「でも、2ケ月もユーノ君がいないと、無限書庫の方は大変なんじゃない?」
「それは…多分、大丈夫かな。一応最低限の体制は整えてきたから」
そう言いながらも、ユーノの表情には少しだけ不安があった。
「ユーノ君がいない間に、大事件が起きないことを心から祈るよ」
「縁起でもないことを言わないでよ。なのは」
ユーノは苦笑したが、ヴィヴィオはその会話を聞いていて、少しだけ胸がざわついた。
大事件。その言葉は、五年前を思い出させる。けれど、何も起きないはずだ。起きてほしくない。
やがて、墓前の集まりは解散となった。
仕事へ戻る者。家路につく者。少しだけ残って祈る者。皆それぞれの道へ歩いていく。
なのはとヴィヴィオも、最後にもう一度だけ墓標へ祈りを捧げた。
「また来るね、エリオお兄ちゃん」
そう言って、ヴィヴィオはなのはと共に墓地を後にした。
2時間後、雨が降り始めた。突然のゲリラ豪雨。
空が黒く曇ったかと思うと、叩きつけるような雨粒が街を濡らし始める。
墓地にも人影はなく、供えられた花が雨に打たれて揺れていた。
その雨の中を、2つの黒い影が歩いてきた。
一人は背が高く、黒いフード付き外套を深く被っている。
もう一人は少年の背丈で、同じようにフードを被り、少し後ろを歩いていた。
墓標の前で、背の高い方が立ち止まった。しばらく動かない。
雨が外套を叩く。
雫が裾から滴る。
それでも、その人物は動かなかった。
やがて、ゆっくりとフードを外す。
白髪の混じった長い金髪が、雨に濡れて肩へ落ちた。
フェイト・T・ハラオウン。
5年前、キャロを連れて姿を消した彼女が、そこにいた。
かつて金の閃光と呼ばれた彼女の姿は、記憶よりも細く、儚く見えた。
頬は痩せ、髪には白いものが混じり、瞳の奥には深い疲労が沈んでいる。
それでも、その目はエリオの墓標だけを見つめていた。
フェイトは膝をつき、雨に濡れる石へ手を当てた。
「エリオ……」
声は、雨音に溶けそうなほど小さかった。
「帰ってきたよ」
その言葉は、誰に聞かせるものでもなかった。
5年分の時間を越えて、ようやく絞り出されたような声だった。
後ろにいた少年が、少しだけ近づく。
「フェイトさん。あまり濡れると、お身体に障ります」
少年の声は柔らかかった。しかし、その奥には強い心配がある。
フェイトは振り返らずに答えた。
「うん。わかってる……でも、あと少しだけお願い。フェリオ」
フェリオと呼ばれた少年は、それ以上何も言わなかった。
ただ、フェイトの背後に立ち、雨の中で彼女を見守る。
彼の顔はフードの影に隠れている。
だが、雨に濡れた横顔には、エリオ・モンディアルに似た面影があった。
数分後、雨は止んだ。
雲の切れ間から淡い光が差し、濡れた墓石が静かに輝く。
フェイトは立ち上がり、最後にもう一度だけ墓標へ触れた。
「また来るね」
それは約束ではなく、祈りのようだった。
次の瞬間、黒い外套の2人は光に包まれ、姿を消した。
雨に濡れた花だけが、そこに残った。
翌日。
新暦0082年5月12日。
クラナガン中心部の高級タワーマンション最上階フロアに、フェイトと同行者達はいた。
外から見れば、そこはただの富裕層向け住宅だ。広い窓。整えられた内装。街を一望できる眺め。
だが、そのフロア全体が既に偽装結界、通信遮断、簡易医療設備、簡易転送ポートなど、フェイトに同行しているある人物の手によって各種改造が施され、僅か3時間ほどで活動拠点へと変化しつつあった。
名義は架空法人。
支払いは複数口座を経由した洗浄済み資金。
表面上の取引に違法性は見えない。
万が一、捜査機関が踏み込むとしても、それには手続きがいる。手続きにはそれなりの時間がかかる。
その時間があれば、彼女達は撤収できる。
フェイトは窓際に立ち、クラナガンの街を見下ろしていた。
5年前と変わらないように見える街。けれど、フェイトには別のものに見えた。
美しい街。その裏側に、見たくないものを隠す街。
「フェイト」
アルフが近づいてくる。
「フェリオの準備、出来たよ」
「うん」
フェイトは振り返った。
リビングには、キャロが車椅子に座っていた。5年前から時間が止まったような姿。
傍にはフリードが小さく丸まっている。片翼は今も完全には戻っていない。
フェリオは、赤いジャケットにキャップと眼鏡を身につけていた。
変装としては簡素だが、顔立ちの印象を変えるには十分だった。
「本当に1人で大丈夫?」
フェイトが尋ねると、フェリオは真面目に頷いた。
「はい。クラナガン中心部の一般的な社会活動観察。危険行動の禁止。一定範囲外へ出ない。異常があれば即時撤退。すべて理解しています」
「うん。偉いね」
フェイトは微笑む。フェリオは少しだけ目を伏せた。
「フェイトさんが、社会勉強も必要だと判断されたからです」
「私が判断したからじゃなくて、フェリオ自身のためだよ」
フェイトは優しく言った。
「この街を見てきて。良いところも、悪いところも。自分の目で」
フェリオは一瞬だけ迷うように沈黙し、それから頷いた。
「行ってきます」
フェイトは彼を送り出した。
玄関が閉まると同時に、フェイトは小型端末を起動する。
フェリオの眼鏡に仕込まれた小型カメラの映像。さらに、光学迷彩ドローンによる遠隔監視。
アルフが呆れたように言う。
「あんたねぇ、社会勉強って言いながら過保護すぎないかい」
フェイトは画面を見たまま答えた。
「心配だから」
「知ってるよ」
アルフは溜息をつく。キャロは小さく微笑んだ。
「フェリオ君も、気づいてますよ」
「……うん」
フェイトは少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
画面の中で、フェリオはタワーマンションを出て、クラナガンの街へ歩き出していた。
フェリオにとって、クラナガンは眩しすぎる街だった。
高い建物。整えられた道路。笑いながら歩く人々。
店先には色とりどりの商品が並び、街頭モニターにはニュースと広告が流れている。
子どもが親の手を引き、若い局員達が談笑し、老人がベンチで休んでいる。
美しい街だと思った。
こんなに整っていて、こんなに明るくて、こんなにたくさんの人が普通に生きている。
けれど、同時に思う。
この街の裏側で、フェイトは傷ついた。
キャロは壊れた。
エリオは死んだ。
美しいものがある。
それは本当だ。
世界には、フェイトが教えてくれたように、綺麗なものがたくさんある。
朝日。
夕焼け。
雨上がりの匂い。
アルフの作る食事。
キャロの静かな歌。
フェイトの笑顔。
だからこそ、わからなかった。
どうして、そんな世界がフェイトを傷つけるのか。
フェリオはキャップの鍔を少し下げ、歩き続けた。
その時だった。
歩道の向こうで、1人の老婆が胸元を押さえて蹲った。周囲の人々が立ち止まる。
「大丈夫ですか?」
「救急を呼んで!」
声は上がる。だが、誰もすぐには触れない。どうしていいかわからず、距離を取っている。
フェリオは足を止めた。
悪意ではない。
戸惑いだ。
それはわかる。
けれど、胸の奥に小さな失望が生まれた。やっぱり、口だけじゃないか。
次の瞬間、半ば無意識に身体が動いた。老婆へとが駆け出す。
それとほぼ同時だった。反対側から、1人の少女が飛び出してきた。
金色の髪。
左右で色の違う瞳。
真っ直ぐな足取り。
「お婆さん、聞こえますか?」
少女は膝をつき、老婆の意識を確認する。
フェリオも隣に滑り込んだ。
「呼吸はあります。脈は速い。胸痛を訴えています」
「救急通報は?」
「周囲の方がしています」
2人は、ほとんど同時に状況を確認していた。少女がフェリオを見る。
「身体を横にしすぎない方がいいかも。楽な姿勢で、締めつけを緩めて」
「了解しました。周囲の確保を」
「うん」
少女は振り返り、周囲の人々へ声をかける。
「すみません、少し下がってください! 救急隊が入れる道を空けてください!」
その声には、不思議な力があった。人々が慌てて道を空ける。
フェリオは老婆の上着の留め具を緩め、呼吸を確認し続けた。
少女は老婆の手を握り、落ち着いた声で話しかける。
「大丈夫です。救急隊が来ます。ゆっくり息をしてください」
フェリオは、その横顔を見た。
真剣で、迷いがない。けれど、怖がらせないように微笑もうとしている。
その表情に、胸の奥が少しだけ揺れた。
救急隊は数分で到着した。老婆は重症化する前に搬送され、周囲から安堵の声が漏れる。
少女は、救急隊員へ状況を手短に説明した。フェリオも補足する。
搬送が終わると、二人はようやく互いに向き合った。
「ありがとう」
少女が言った。
「君が手伝ってくれて助かったよ」
「こちらこそ。あなたの指示が的確でした」
フェリオはそう答えた。少女は少し照れたように笑う。
「私は高町ヴィヴィオ。君は?」
高町。その姓を聞いた瞬間、フェリオの中で何かが止まった。
高町ヴィヴィオ。
フェイトが時折、遠い目で名前を呟いた少女。高町なのはの娘。
5年前、残してきた大切なものの1つ。
「高町……ヴィヴィオ」
フェリオは思わず繰り返した。ヴィヴィオが首を傾げる。
「私のこと、知ってるの?」
フェリオは一瞬だけ言葉に詰まった。
「有名…だから。高町なのはさんの娘さんですよね」
「あ、そっか」
ヴィヴィオは少し困ったように笑った。
「そう言われること、多いんだ」
その笑顔に、わずかな影があったことに、フェリオは気づいた。
「君は?」
「フェリオ」
姓までは名乗らなかった。
「フェリオ君だね」
ヴィヴィオは自然にそう呼んだ。
フェリオ君。その響きが、妙に温かかった。
「また、どこかで会えるといいね」
ヴィヴィオが言う。フェリオは、少しだけ視線を逸らした。
「……そうですね」
本当にそう思っていいのか、わからなかった。
けれど、その時のフェリオには、それ以外の言葉が見つからなかった。
そのままフェリオは軽く頭を下げ、背を向けた。
ヴィヴィオは、その背中を見送った。初めて会ったはずの少年。
それなのに、なぜか胸の奥がざわつく。
前にもどこかで会ったような。
誰かに似ているような。
けれど、思い出せない。
「フェリオ君……」
ヴィヴィオは小さく呟いた。
同じ頃、タワーマンションの一室で、フェイトは画面を見つめていた。
眼鏡カメラ越しに映ったヴィヴィオの姿。成長した少女。
なのはに似た強さと、ヴィヴィオ自身の優しさを持つ子。
キャロも、アルフも、言葉を失っていた。
「ヴィヴィオ……」
フェイトの声は震えていた。
会いたかった。
会ってはいけないと思っていた。
それでも、画面の向こうで彼女が生きて、誰かを助けている姿を見た瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
フェリオは、そんなヴィヴィオと出会った。
偶然か。
それとも、何かが動き始めたのか。
フェイトにはわからなかった。
ただ、5年前に止まった時間が、ほんの少しだけ動き出した気がした。
最後までお読みいただきありがとうございました。