「トレーナーさん。こんな夜中に呼び出して何の用ですか?あ、もしかして、次の未勝利戦の日程が決まったんですか?」
私の名前はブリッジコンプ。トレセン学園に入学したばかりの、どこにでもいるモブウマ娘……のはずだった。
7月のある蒸し暑い夜。期待に胸を膨らませてトレーナー室のドアを叩いた私に、デスクの向こうから放たれたのは、想像を絶する冷徹な言葉だった。
「いや、違う。ブリッジコンプ。今日でお前とのトレーナー契約を解除させてもらう」
「えっ……!? ……冗談、ですよね?」
頭の中が真っ白になった。契約解除? いったい何の冗談なのだろう。
つい数ヶ月前、彼は私を「ダイヤの原石だ」「お前には誰も気づいていない才能がある」と熱心にスカウトしてくれたはずだ。二人で一緒にトゥインクル・シリーズの頂点へ行こう、G1の舞台で嬉し涙を流そうと、固く約束したはずなのに。
「冗談なものか。最初の選抜模擬レースでは1着だった。だから期待して契約してやったんだ。しかし、先週のメイクデビュー戦はどうだ? 結果は最下位。惨敗じゃないか。ハッキリ言って失望したよ。あの模擬レースは、周りの連中が弱すぎただけだったんだ」
吐き捨てられた言葉が、胸に深く突き刺さる。
たった一戦。人生で初めての本番レースで、一度負けただけで……?
言い訳をしたかった。あのデビュー戦の前、彼は「ギリギリまで泥泥になって追い込め」と無理なメニューを課してきた。私は彼の期待に応えたくて、毎晩遅くまで泥まみれになって走り込みを続けた。その結果、本番当日は疲労がピークに達し、脚が鉛のように重い最悪のコンディションだったのだ。
でも、それを口にしたところで何になるのだろう。結果がすべての世界だ。
トレーナーは冷え切った目で、デスクの上に1枚の書類を滑らせてきた。そこには『専属トレーナー契約解除合意書』と印字されている。
「早くそれにサインしろ。オレはボランティアじゃないんだ。一刻も早くお前より走るウマ娘を見つけて、賞金を稼がなきゃならないんでね」
結局、この人は私の走る姿ではなく、私を通して手に入るお金と名誉しか見ていなかったのだ。
信じていた絆が、ガラス細工のように脆く砕け散っていく。悔しさと情けなさで視界が歪んだ。私は震える手でペンを握り、涙をボロボロとこぼしながら、白紙の署名欄に自分の名前を書き殴った。ぽつりと落ちた涙が、文字を黒くにじませる。
「じゃあ、もう用は無いから帰っていいぞ。明日からせいぜい一人で頑張るんだな」
男の乾いた声が部屋に響く。その言葉が言い終わるよりも早く、私は踵を返し、トレーナー室を飛び出した。
夜の廊下を、ただがむしゃらに走った。涙で前が見えなくても、脚の痛みが引かなくても、走るのを止められなかった。
ようやく息が切れて立ち止まったのは、誰もいない夜の学園中庭だった。
「私、これからどうしたらいいの……?」
ぽつりと呟いた声は、夜風に消されていく。
7月のこの時期、デビュー戦を落とした未勝利のウマ娘を、わざわざ拾ってくれる奇特なトレーナーなどいるはずがない。このまま一度も輝けないまま、ただの「モブ」として学園を去るのだろうか。
――いや、違う。
俯いた視線の先、じっと自分の手のひらを見つめる。悔し涙の温かさが、まだ肌に残っていた。
(あの人に、私の全てを否定されたままで終わるなんて、絶対に嫌だ……!)
胸の奥で、小さく、けれど消えない熱い炎がパチパチと音を立てて燃え始めた。
馬鹿にしたあいつを見返してやる。模擬レースで見せたあの走りが、本物だったと証明してみせる。
私は涙を乱暴に袖で拭うと、静まり返った寮への道を、今度はしっかりと前を向いて歩き出した。
「もう絶対に、モブウマ娘なんて言わせない……!」
ブリッジコンプって何期生なのでしょうか。ぜひコメントで教えてください。その学年にします。