【DQ5】誰も知らない、グランバニア大臣の走馬灯 作:正拳くん三号
――歪んだ計画――
教団がもたらした情報は、さらに俺の心を暗い深淵へと追い詰めていった。
密偵の報告によれば、その青年は、確かに常人離れした凄まじい武腕を持つが、子供の頃に何者かにさらわれ、十数年もの間、ただの奴隷として泥水をすすりながら生きてきたという。文字も読めず、まともな王族としての教養も学ばぬまま大人になった、ただの野蛮人。
教団の幹部は、薄気味悪い笑顔を崩さぬまま、凍りつくような声で俺の耳元に囁いた。
『このグランバニアには、未だにパパス殿の影響が強く残っている様子……。そんな場所へ、奴隷上がりの、文字も読めぬ王子を名乗る者が現れたら、果たして国はどうなりましょうな? 民衆や兵士は狂喜し、せっかく築き上げた現在の“安定”は、一時にして崩壊するのでは?』
その瞬間、俺の背筋に凄まじい戦慄が走った。
教団は、俺が最も恐れているものを理解し、正確に突いてきたのだ。
せっかく自分が大臣として血の滲むような思いで繋ぎ止めた交易の利権、ようやく手に入れたグランバニアの安定。それが、パパスの悪い部分だけを煮詰めたような「奴隷の王子」の帰還によって、再びめちゃくちゃに破壊される。それだけは、何があっても阻止しなければならない。
気づけば、俺と教団の幹部は、「交易の破綻を恐れる者同士」という歪んだ大義名分のもと、最高の相談相手になっていた。そして、俺たちは一つの計画を練り上げた。
もしその王子が国へ戻り、王位に就こうとするならば――。
盛大な祝宴を開き、俺が仕込んだ薬で兵士も国民もすべて眠らせる。その静寂のなかに、城内へ教団の手の者を潜入させ、王子一派を丸ごと誘拐し、闇から闇へと葬り去る。
かつてパパス王の夜に起きた悲劇を、今度は俺の手で、完璧なコントロールのもとに再現するのだ。これこそが、無能な王子からグランバニアを守り、真の発展をもたらすための、最も合理的な「処理」だと、自分に言い聞かせた。
慢心があった。実際に王子が現れるその時までは。
城に現れた王子は、驚くほどマーサ様によく似た、心の良さがそのまま顔に出ているような青年だった。
だが、彼の瞳と対峙した瞬間、俺の胸に決定的な確信と、底知れない恐怖が突き刺さった。
(……間違いない。この男には、あのパパス王に勝るとも劣らない、いや、それ以上の本物のカリスマがある……!)
この男を王にすれば、間違いなくグランバニアの民は再び熱狂し、俺が築き上げた教団との秩序は崩壊する。文字が読めぬなど関係ない、この男は「本物の王」の器だ。
その事実が、俺の決意を固めさせた。
消さなければならない。国のために。
教団の兵を城内に引き入れるための時間を稼ぐべく、俺は王子に「試練の洞窟」での古い王者の儀式を提案した。薄暗い洞窟の奥で、そのまま魔物に喰われて死んでくれれば、それが一番波風立たない。そう願っていた。
しかし、王子は平然とした顔で、王者の証を手に生還してみせたのだ。
しかも彼が戻った頃には、連れの結婚相手が、次の世継ぎとなる双子を出産したという知らせがあり、城内はおろか国中がこれ以上ない歓喜と油断に包まれていた。
あまりの心の緩みゆえに、国民や兵たちが口にする祝いの酒、飲み物のすべてに、眠り薬を仕込むことは、城のすべてを把握している俺にとってあまりにも容易な作業だった。
昏い夜の帳が下りる。計画は、すべて私の思い通りに、完璧に遂行されるはずだった。
――本当の裏切り、そして闇へ――
だが。
光の教団の行動は、俺の想定とはあまりにもかけ離れていた。
城内へと引き入れた白い衣の男たちが、一斉にその肉体を歪め、おぞましい魔物へと姿を変えたのだ。その禍々しい気配に、俺の心臓は凍りついた。
奴らは、俺が「闇に葬れ」と指示したはずの、無防備に眠る王子の寝所には目もくれず、俺がたてた計画のすべてを裏切った。そして、あろうことか、まだ出産を終えたばかりで横たわっていた王子の妻を乱暴に拉致し、そのまま部屋を飛び出していったのだ。
「な……何を、している……! ターゲットはそいつだけではない……!」
声にならぬ悲鳴を上げながら、俺はただ突っ立っていることしかできなかった。人間の利権争いだ、御しやすい俗物だと見下していた相手が、最初から人間ですらない本物の怪物だったという現実。
その圧倒的な恐怖に、身体が硬直して動かなかった。
ようやく我に返った俺が、狂ったように窓辺へと駆け寄ったとき、目に飛び込んできたのは最悪の光景だった。
王子の妻をその太い腕に抱え、不気味な翼を夜空に羽ばたかせて、黒い群れをなして飛び去っていく魔物たちの後ろ姿。
奴らは…光の教団は魔物の集団だった…
(あ……あ、ああ……あ……)
目の前の現実に思考は硬直していく。
ターゲットは王子のはずだ。なぜあの男を殺さない。なぜルドマン殿とは無関係の村娘を連れていく。俺の…いや私の理解が現実を拒絶している。
次の瞬間、冷たい鉄のような本当の恐怖が背筋を駆け上がった。
奴らは最初から、サラボナの利権も、私の立てた計画も、どうでもよかったのだ。最初から私を騙し、城の守りを無力化するためだけに、私の傲慢さを利用したのだ。
その夜空を舞う黒い翼の群れを見た瞬間、かつてパパス王の夜に起きたあの惨劇が、激しいフラッシュバックとなって脳裏に蘇った。
あの日、目の前の戦いに囚われて城の防衛を疎かにしたパパスを、私は「愚王」と激しく見下していたはずだった。
なのに、私がやったことは何だ。
王子への恐怖と自らの全能感に目を曇らせ、目の前の排除計画にばかり囚われて、本物の悪魔どもに城の守りを手渡しただけではないか。
あの夜のパパスと、今の私の、一体どこが違うというのだ。いや、自らの手で城を無防備に差し出した分だけ、私の方が遥かに愚かで、救いようがない。
ルドマン殿と築き上げた約束も、必死でやりくりした国庫の備えも、父が愛したこのグランバニアの未来も、すべてを自分の手で、この瞬間に終わらせてしまった。
そうだ、私のすべてが、私の手によって崩壊したのだ……。
私が……。
この私が、グランバニアを殺した。
圧倒的な罪悪感と絶望が、帳簿をめくってきた「俺」の冷徹な理性を、跡形もなく消し飛ばした。
「ああああああああああああッ!!」
もはや、保身も、大臣としてのプライドも、軍を動かすための政治的な手順も、何もかもがどうでもよかった。
ただ、自分が招き入れてしまったあの取り返しのつかない怪物を止めなければ、私の人生のすべてが、父の愛したこの国が本当に終わってしまう。
走って追いつけるか? 勝てるわけがない。武器はあるか? ない。そんな計算すら、今の頭には残っていなかった。完全に狂っていた。
激しい焦燥と、脳裏を真っ白に染める混乱のなか、私は我を忘れて走り出していた。
ただの無力な一人の人間に戻り、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、教団が拠点にしているという、あの不気味な塔――デモンズタワーを目指して、夜の荒野をがむしゃらに走り続けたのだ。
だが、そんな無謀な抵抗が、本物の魔王の軍勢に通じるはずもなかった。
必死の思いで塔へと辿り着いた私を待っていたのは、用済みとなった道具を処分するかのような、ジャミたちの冷酷な暴力だった。
「がはっ……!」
激しい衝撃と共に、俺の意識は再び、デモンズタワーの冷たい石の床へと引き戻された。
流れ出る血が、床の冷たさを奪っていく。視界はほとんど黒く染まり、かつて誇らしく見上げていた父の背中も、青い大海原の幻影も、もう霧のように霧散して消えかけている。
すべては、俺の傲慢さが招いた結末だった。
パパスを憎み、王子を恐れ、国を裏から支配しているという全能感に酔いしれた結果が、この無残な結末だ。
(国を……ただ、この国を発展させようとしていただけの私が……なぜ今、こんなところで、こうなっているのだろうな……)
自嘲の笑みを浮かべることすらできぬまま、胸の奥で湧き上がった虚しい問いかけは、冷たい塔の静寂に吸い込まれていく。
そうして、グランバニアを裏切った名無しの実務家は、二度と明けることのない深い闇の底へと、ゆっくりと意識を落としていった。
(完)
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
グランバニアはどうやって発展したのかな、大臣はいったいどんな人間だったのだろう?
なぜ裏切る事になったのか、という素朴な疑問や想像から、気づけばこの物語を書き進めていました。
本当にありがとうございました!