晴れ渡る空の下、荒れ果てているウトナピシュティム地区、あるいはD.U.と呼ばれる地域をひとりの小柄な少女が走り抜けていた。その後ろをいくつものバイクやクルマが追いかけていく。
短い栗色の髪をゆらし、白い作業着とミレニアムの上着に身を包んだ少女のキビキビとした所作は、見る者に作業着の動作性の高さを確信させるだろう。そんな少女の背中には大小さまざまなコンテナを固定した背負子があり、脚部にはけたたましいモーター音をたてる外骨格が備わっていた。
その外骨格こそが、バイクとクルマが全速力で駆け抜ける作業着の少女になかなか追いつけない理由だった。外骨格が少女の脚力を大きくアシストしている。だが、確実に距離は縮まっていた。息を荒くする少女の耳にスケバンたちの怒声が届いた。
「おらおら! テメーの荷物全部置いてけや!」
「逃げたって無駄だぞポーター! どこまでも追い回して荷物を奪ってやる!」
バイクからはパラリラパラリラとミュージックホーンが鳴り響き、クルマからもけたたましいクラクションが威圧する。それでも白い作業着の少女は足を止めることなく、決断的に曲がり角を駆け抜けた。
そこは瓦礫で入口が塞がれている商店街のアーケードだった。スケバンたちの視線を切った少女は作業着の大きなポケットから四角い装置をいくつか取り出して、目立たない壁に投げつけて吸着させると再び走り始める。
「バイクじゃないと先にいけないぜ!」
「じゃあクルマの奴らは先回りしろ。あたしらはこのまま追いかける!」
商店街の入口でスケバンたちは二手に分かれ、バイクのチームが少女の追跡を再開する。だが、スケバンたちは目立たない壁から伸びている赤い光学センサーに気がつかなかった。
だからバイクが横転する大きな物音が連続して響いた。確かに耳にした少女はようやく足を止めて大きく息をつく。胸元のハイドレーションからのびるホースに口をつけて水分補給をしつつ振り返ると、横転したバイク数台と地面に転がって動けないでいるスケバンたちの姿があった。
スケバンたちのヘイローは消えていない。しかしみな例外なく倒れ、もがいている。スケバンたちの体には重りのついている縄が巻きつけられていた。
「くそ! なにしやがったんだお前! ほどけ!」
「ほどくわけないでしょ。じゃあ、先を急いでるから。もう来ないでね」
足早に少女が立ち去っていく。残されたスケバンたちはもがきつつ、協力してスマホを操作してクルマのチームを呼び寄せ、疲労困憊の色も隠さずに通話を切った。
「カモネギだと思ったんだけどな! あいつ、マジでやりやがる」
「もしかしたらあいつじゃね? 凄腕の配達人って」
「なんだそれ?」
「知らないのか? 配送業務の成功率がほぼ100パーだっていう配達人がいるって話だよ」
「なんか噂聞いたことあるな。あいつがそうなのかよ」
「わかんねえけどさ。もしあいつなら、相手が悪かったのかもしれねーな……」
「やっと見えてきた。あと少しだ、がんばれ、わたし」
事前にマークしていた危険地帯を抜け、D.U.の中心へと少女は走っていく。胸元のハイドレーションのホースを手に取って口をつけ、背負子のストラップを持って背負いなおす。
小柄な少女の脚は外骨格でサポートされているが、ストラップはきつく肩に食い込んでいて、身体が痛みを訴えていた。背負っている荷物は食事の出前や各種の日用品など。それらの配送先は連邦生徒会の本部だった。
近頃、元から良くはなかったキヴォトスの治安が悪化し、あちらこちらでトラブルや犯罪が多発している。配送業務の危険性は以前よりも跳ね上がり、重要ではない荷物の配送も信頼のおける配達人を用いることが多くなった。
だから少女のような配達人が駆り出されることが多くなった。休息は十分にとれているが、それでも疲労はたまっている。
早く平和な世の中にならないかな。ぼやきながら少女は連邦生徒会本部のビルの正面にたどり着いた。見上げると首が痛くなるくらいに背が高い建物で、太陽の光を受けて長い影を伸ばしている。
正面玄関に入る前から様子はおかしかった。おそらくヴァルキューレの車両がサイレンを鳴らしてそこかしこを行き交っている。やはり治安の悪化がヴァルキューレの生徒たちを慌ただしくさせているのだろう。
「中も大変そう。とっとと納品しないと」
玄関を抜けてエントランスホールに足を踏み入れた少女は冷静に様子を見ていた。動いていない人間はどこにもいない。どこに納品したらよいかなんて聞いて答えられそうにないくらい、誰もが慌ただしくしていた。
受付の人間も電話の応対で空いている者がいない。どうしたものかとあたりを見まわすと、少女のもとに駆け寄ってくる連邦生徒会の生徒の姿があった。
「あの! ポーターズ・ネストのキズナさんですか!? 凄腕の配達人の?」
「
キズナと呼ばれた少女は広い場所に移動して背負子をおろし、積んでいたコンテナを連邦生徒会の生徒に渡していく。
「ちょっとそこの君! 一緒に荷物みてくれる!? ああすみません、コンテナを開けますね。うわ、すごいな、荷物の状態は完璧じゃないですか。外、あんなに荒れてるのに!」
驚いている生徒が開けているコンテナはキズナが自作したものだった。ある程度は銃弾や衝撃から中身を守り、砂や水も通さない、さまざまな大きさのコンテナを生徒が興味深そうに眺めている。
「もういいですか? 確認、おわりましたよね」
「ええ、そうですね。それじゃあ――」
待ってください。言葉を遮ったのは通りすがりの連邦生徒会の生徒だった。彼女は真剣な面持ちでキズナの目を見て口を開く。
「縄手さん。あなたにどうしてもお願いしたい案件があるんです。事情を説明するので上のレセプションルームまで来てもらえませんか」
「え、なんで?」
「上で七神行政官と知らない大人が重要そうなことを喋っていて、ええ、他の学園の生徒とも重要なお話をしていたんです。もしかしたら縄手さんのお力が必要かもって、それで!」
焦っていて要領を得ない説明だったが、彼女が必死になにかを伝えようとしているのは分かった。だからキズナは「案内してくれる?」と慌てる生徒の目を見つめた。
キズナと案内役の生徒を乗せたエレベータは上に動いていく。透明なエレベータから徐々に小さく見えていく都市部の景色をキズナは見下ろした。とてもきれいなように見えるが、見えないところでは犯罪や破壊行為が横行している。ため息をついたキズナはエレベータがチン、と音を立てて止まったのを見て、ドアの方へ向き直った。
階層そのものがレセプションルームである階に止まったエレベータを出たキズナは、案内役の生徒が「あちらが七神行政官です」と示したのを認めた。長身で青の長い髪をしている大人びた美人に見えるが、遠目で見ても不機嫌そうだと感じ取れた。七神リンの周りには4人の生徒と1人の大人がいて、彼女たちと話をしている最中らしい。
「お待たせしました七神行政官! こちらが助っ人のキズナさんです! ポーターズ・ネストで配送率100%の凄腕の配達人なんですよ!」
案内をしてくれた生徒がリンのもとに駆け寄ってキズナを紹介する。リンの方が長身でキズナを見下ろす形になっているが、キズナは臆することなく一歩前に出た。
「そこの彼女に連れられてきたんだけど、わたしに仕事ってなに?」
「……なるほど。私があなたに依頼することを考えたわけではないですが、この事態に対処するには信頼できそうな人物を増やすのはいい判断ですね。
申し遅れました、私が行政官の七神リンです。キズナさん、あなたに依頼したいことがあります。私たちは今からこちらの『先生』を外郭地区までお連れしなければなりません。つきましてはあなたにも協力してほしいのです。いわば先生の配送依頼でしょうか」
なにを言ってるんだ? キズナは困惑を隠せなかった。
D.U.の危険地帯は日に日に増え続け、おそらく外郭地区も危険地帯とみなしてよいはずだ。そんな場所にこの大人を連れていく? しかもこの大人にはヘイローがない。銃弾ひとつが生命の危機につながる可能性が高い。いまから護送するという話で、危険な仕事になるが、そうなれば必然的に敵に暴力をふるうことになる――
そこまで考えてキズナは4人の生徒の中に顔見知りがいることに気がついた。早瀬ユウカだ。ミレニアムの2年生、生徒会「セミナー」の会計。そんな彼女がなぜここに?
「ちょっと待って。キズナ? なんでここにいるの?」
キズナが顔を横に向けてもユウカが声をかけてくるのは避けられなかった。親しげな声でユウカが近づいてくる。
「配達の仕事で連邦生徒会にきたの? ちょっとやつれてない? ねえキズナ、ちゃんとご飯食べてるの? 無理して夜更かしとかしてないのよね?」
「お母さんみたいなこと言わないで。それに、配送業務でここには来たけど、七神行政官の依頼は受けるつもりはないよ」
「どうして? これはキヴォトスの治安の正常化のために大切なことだって教えられたわよ。先生をシャーレのオフィスに案内して、そこにあるなにかを触ってもらうとかなんとか。
しかもそのエリアは危険地帯で、矯正局を脱出した生徒が騒ぎを起こして、不良生徒を引き連れてとんでもなく暴れているの。ねえキズナ、私からもお願い、手伝ってくれないかしら」
「嫌だよ。わたしはただの配達人で戦闘が得意なわけじゃない。見た感じ、後ろの方たちは荒事が得意なようだから、ルート選択さえ間違えなければユウカたち4人で危険地帯を突破することは出来るよ。それにルート選択なんてユウカの計算にかかれば簡単にできるよ。
わたしの装備だって火力があるわけじゃない。自分の身を守る最低限のものしかないんだ。悪しき者を遠ざける『棒』の役割を担うなんてことは出来ない。戦うことだって得意ではないし、ヘイローのない大人なんてわたしに守れるとは思えないし、そもそも、ユウカなら分かるでしょ」
この場にいる人間のうちユウカだけが自分のことを知っている。どうにかユウカを丸め込めばこの仕事を断れるかもしれない。そんなキズナの隣に先生が歩み寄って視線をあわせるために少しかがんだ。
「はじめまして、キズナ。ヘイローというのは君たちの頭の上にある輪っかのことだよね。みんな違う形をしていて、君のは縄が絡んで輪になってるんだね」
「えっ?」
「ヘイローがないと大変だってことは分かったよ。でも、どう大変なのかは分からないから、教えてくれる?」
「……ここでは人に向けて銃をぶっ放すのは珍しいことじゃなくて。でもヘイローのあるわたしたちには痛いなで済むの。ヘイローがどういう形をしているかなんて分からないけど、ない先生はきっと一発喰らえば重症になると思う。学校ではそう習ったし」
先生は目を丸くして、それでも微笑んでキズナから視線を外さない。
「私からも君に協力をお願いしたいな。君が嫌がる気持ちを理解できているわけじゃない、君のことを知らないんだからね。でも、戦うことをお願いしたいわけじゃない。前に出て戦う必要はない。他のみんなが頑張れるように、装備や弾を運ぶ荷物持ちの役割をお願いしたいんだ。行く手を阻む子たちがどれだけいるか分からないし、君が協力してくれるならとても助かるよ」
「……」
「さっきの子が言っていたけど、君は凄腕の配達人なんだね。君のその力を私たちに貸してくれないかな。外郭地区にあるシャーレのオフィスに、私を届ける手伝いをしてほしい」
まっすぐな目で先生が言う。きっと善性の人間なのだろうと思わせる光が宿った目に、キズナは視線をあわせ続けられなかったが、どうにか言葉を出す。
「……分かった。戦わなくていい、荷物持ちで良いっていうなら、協力できる。もちろん、出来る範囲で先生も守ってみる。でも期待しないで、普通の戦闘は私の領分じゃないから」