「……え、馬車があんなに?」
身支度を整え、いつも通りクランハウスへ向かっていたティノ・シェイドは、通りの角を曲がった瞬間、思わず足を止めた。
クランハウスの前には、見慣れない数の馬車が並んでいる。
五台以上。どれも複数人が乗れる大型のもので、貴族のものに見られる華美な装飾はない。分厚い鉄板で補強された無骨な造りは、どこか戦車を思わせた。
つながれた軍馬もまた異様だった。
魔物や幻影が跋扈する土地を走破するために配合された屈強な馬たちが、苛立たしげに地面を掻いている。
(……遠征?)
嫌な予感を胸に抱えたまま、ティノはクランハウスの中へ足を踏み入れた。
ロビーには、数十人のハンターが集まっていた。職も装備も、レベルもばらばらだが、全員が『足跡』所属のトレジャーハンターだ。その中には、上位パーティの『黒金十字』もいる。
武装したハンターたちが一堂に会する光景は、まるで戦争前の集結のようで、空気が張り詰めている。
ティノは眉をひそめた。
『足跡』は帝都でも有数の規模を誇るクランだが、所属ハンターがこうして一斉に集まることは滅多にない。
そもそもクランとは互助組織であり、マスターに命令権はない。それがこのクランを大きくした理由でもある。
発足当初から所属しているティノにとって、見知った顔ばかりが集まっているこの状況は、異常以外の何ものでもなかった。
そのとき、ロビーの中央に立つ副クランマスターの姿に気づいた。
「エヴァさん。何があったんですか?」
「ティノさん。探協から依頼された【白狼の巣】の調査依頼です。これから専門家も連れ、虱潰しに調査します」
「……こんな人数で、ですか?」
思わず聞き返してしまう。
『白狼の巣』は、確かレベル3の宝物殿だったはずだ。
ロビーを見渡せば、『足跡』の半数近くが集まっている。しかも精鋭揃いで、ティノより格上のメンバーも少なくない。
調査というには、明らかに過剰だった。
訝しむティノに、エヴァは眉一つ動かさずに答える。
「クライさんはアークさんを所望しておりましたが、アークさんは不在ですので……代わりに招集をかけました」
「……え?」
ティノが瞬きすることすら忘れじっとその顔を見るが、冗談を言っている気配はない。
アーク・ロダンは、帝都でも最強クラスと称される存在だ。そんな彼を派遣する予定だったという事実が、事態の深刻さを物語っている。
今お姉さまに出会ったらもしかしたら、ここに叩き込まれる可能性も――。
「……この人数で、なんとかなるんですか?」
「私の計算では、十分な戦力が集まったと考えています」
ティノの言葉に、エヴァはにこりともせずに真剣な表情で言い切る。その様子に、ティノは訝しげな表情を浮かべた。
エヴァはハンターではないが、誰よりも――マスターを除いて最も、このクランのハンターたちを理解している人物だ。
そして、誰一人不満を漏らしていないという事実が、その計算の妥当性を示していた。
「それに今回の調査には、『足跡』以外のパーティに加え、『
その名を聞いた瞬間、ティノは思わず瞳を伏せた。
『創星界』はメンバー全員が人外の域に達していると噂される帝都一のクラン。幾度も死線を潜り抜けてきた『足跡』の精鋭でさえ、比較にならない。
彼らが動くような依頼は、大抵他のハンターでは手に負えないものばかり。なら、今回もきっとそうなのだろう。
ティノの師匠――リィズ・スマートは、『創星界』の下位メンバーと顔見知りで、ティノ自身も何人かと面識がある。
リィズに強引に連れ回され、模擬戦をさせられたこともあった。結果は惨敗。実力差を理解させられるという意味では貴重な経験だったが、思い出すだけで胃の奥がきりきりと痛む。
あれを「下位」と呼ぶのなら、上位は一体どうなっているのか考えたくもなかった。
その時、クランハウスの奥から、場違いなほど通る怒声が響く。
「ティー! おせーよ!」
聞き覚えのある声——というかこの呼び方をする人物は数人だ。思わず肩が跳ねた。
「お、お姉様!? 今、【
慌てて振り向いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、見慣れた小柄な女性だった。
「そんなのどうでもいいから! ほら、先を越される前に行くぞ!」
「うぇ!? ど、どこにですか!?」
問い終えるより早く、ぐっと腹に腕を回され、地面が遠のいた。
周囲の視線が、一斉にこちらへ向くのを感じる。恥ずかしさと恐怖が、同時にこみ上げてきた。
(ま、まさか……【白狼の巣】!?)
無理です、お姉様。
本気で抵抗しようと力を込めた、その瞬間、がちゃり、と扉が開いた。
一人の影が、気の抜けた足取りで中へ入ってくる。
「あ、クライちゃん! おかえり!」
リィズの声色が、目に見えて変わる。
「やあ、リィズ。ただいま」
応じたのは、間の抜けた調子の青年だった。
『千変万化』。足跡のトップにして万物を見通す力を持つ男。完全武装のハンターたちの中で、私服同然の格好。武器もなく、緊張感の欠片もない。
再び扉が開き、今度は複数の足音が重なって響いた。四人。揃った足取り。無駄のない間合い。
(……あれって、『創星界』の?)
先頭に立つ少年を見た瞬間、ティノは思わず息を呑んだ。
《
その先頭にいるのが——《神童》プルート・エッジ。十五歳という若さで、レベル7に到達した天才ハンター。
その少年が場の緊張をまるで感じ取っていない、明るい声で言う。
「ここが『足跡』ですか! すごいですね、人がこんなに」
「いやー、いつもはこんなにいないんだけど……どうしたの? 祭りでもあったっけ?」
クライの気の抜けた一言に、張りつめていた空気が、わずかに揺らいだ。
———
クランハウスへ戻ってきた僕は思わず足を止めた。
これは一体どうしたことか。
クランハウスのロビーには、完全武装のハンターたちがピリピリした様子で集まっていた。知っている顔も、あまり見かけない顔も、とにかく多い。
それに、ティノが目の前でリィズに担ぎ上げられている。何この状況?。
(……えーと。今日って、何かあったっけ?)
頭の中を軽く探ってみるが、心当たりはない。少なくとも、「全員集合」なんて言った覚えは、まったくない。
視線を動かすと、あちこちからこちらを見ているのが分かる。痛いほどの沈黙と視線に、僕は内心の動揺を誤魔化す笑みを浮かべてみせた。
とりあえず状況を把握するのが先だ。こういう時に一番話が早いのは――。
「おかえりなさい、クライさん」
「あ、ただいま。エヴァ」
聞き慣れた凛とした声に視線を向けると、ロビーの中央から近づいてきたのは副クランマスターのエヴァだった。
いつも通り背筋を伸ばし、無駄のない所作。完全武装のハンターたちの中にいても、その存在感は埋もれない。
僕はロビーを見渡し、改めて状況を確認してから、できるだけいつも通りの調子で、手を軽く上げながら声をかける。
「ねえエヴァ、これって何の集まり?」
「【白狼の巣】の調査協力の件です」
「あー、あれかぁ。でも……こんなに大勢――」
ガークさんから頼まれた奴だ。いや、協力するとは社交辞令的な意味で言ったけど、それはボランティアをするという話ではない。
「本来であれば、クライさんはアークさんを所望しておりましたが」
「……してないけどね」
「アークさんは現在不在です。そのため代替案として、クラン全体に招集をかけました。至らない点があれば何なりと」
代替案がだいぶ極端じゃない?
確かにアークに押し付けようとはしたけどさ、それは、あいつが何でも笑顔でこなしちゃうナイスガイで、任せておけば安心だからだ。
「私の計算では、十分な戦力が集まったと考えています」
エヴァはそう言って、ロビーを一瞥する。
完全武装のハンターたちが並ぶ光景は、どう見ても調査というより制圧だ。
「……へぇ」
僕はそれ以上考えるのをやめた。計算が合ってるなら大丈夫だろう。たぶん。
その中の一人が僕に近づいてきた。
「お、来たな」
濃い緑がかった黒髪の男だ。背丈は僕と同じくらいだが、服の上からでもわかる鍛え上げられた肉体は歴戦のハンターのものである。年齢は僕よりも幾つか上だが、ハンターの中では若手の部類に入る。
うちのクランメンバーの一人。凄腕の射手。スヴェン・アンガー。
足跡の中でも有数――レベル6認定のパーティ、『黒金十字』のリーダーだ。
ああ、これは本当に総出だなぁ。
エヴァはふと、僕の背後へと視線を流した。
「それと……『創星界』にも協力要請がかかっていると聞きましたが……なるほど。《小さな惑星》の皆さんでしたか」
彼女の視線の先にいる面々を一瞥し、わずかに目を細める。
それを聞いた瞬間、僕の頭の中で何かが噛み合った。思わずぽんと軽く手を打つ。
よほど間の抜けた顔をしていたのか、全員の視線が集まっていた。
《
それは、僕たち《嘆きの亡霊》と同じ日にハンター登録を行ったパーティだ。そして、帝都で最も名の知れたクラン《創星界》の所属メンバーでもある。
登録当初は、何度か合同でハントにも出た覚えがある。
……正確には僕がついて行っていた頃だ。
僕が前線から距離を置くようになってからは、自然と顔を合わせる機会もなくなり、リィズたちも会っていなかったらしい。
結果。
(完全に忘れてたな……)
視線を戻し、改めて彼らを見る。
てことは、いきなり僕を誘拐したこの茶髪の少し気弱そうな雰囲気の少年は……プルート君だ。
名前が出てきただけでも上出来だと思う。
他の子たちについては……うん、ごめん。思い出せない。
そんな中、場の空気を一気に緩めたのは、やっぱりリィズだった。
「プルートちゃん! 久しぶり!」
リィズがぱっと顔を輝かせ、声を張り上げる。
「二年半ぶりくらい?」
「リィズさん……覚えていてくださったんですね。光栄です」
プルートは一瞬目を丸くしたあと、柔らかく微笑んだ。そして、後ろにいた仲間が前に出た。真紅のサイドテールが特徴の美少女だ。
「久しぶりね、リィズ。私のことも覚えてる?」
「エリスちゃんじゃん! 忘れないよ!」
懐かしさと嬉しさが混じった声色で、リィズは胸を張る。
その様子を見て、プルートはどこかほっとしたように肩の力を抜いた。
リィズは勢いよくこちらを振り返り言った。
「てことは、クライちゃん! 今日はプルートちゃんたちと一緒なの!?」
「うんうん、そうだね」
とりあえず肯定しつつ、僕は視線を下に落とす。
「……とりあえず、ティノ下そうか」
「あ、そっか」
今さら思い出したように、リィズは腕の中を見下ろした。軽々と降ろされるティノ。
床に足が着いた途端、彼女は小さく肩をすくめ、怯えた子犬みたいに、ふるふると震え出した。
これは見ちゃいられないな。
僕は床に降ろされたまま、今にも泣き出しそうな顔で震えているティノを一瞥した。
「……ティノは連れて行けないな」
「えー!? 大丈夫だよクライちゃん。私がちゃんと――」
「ダメ。絶対ダメ」
間髪入れずに言い切ると、リィズは一瞬きょとんとした顔をして、それからむっと唇を尖らせた。
「えー……」
「無理なものは無理。今回は調査だし、場所も場所だし」
「……はーい」
不満そうではあったが、意外にもあっさり引き下がった。ティノはほっとしたように、ぺこりと小さく頭を下げる。
「あと、リィズも行っちゃダメだよ」
「えー!? なんでー!?」
即座に抗議の声が飛んできた。
「いや、だって君、団体行動できないでしょ」
「できるよぉ!」
「できてない。却下だよ、却下」
『白狼の巣』にはうち以外のハンターも行ってるんだから、送れるわけがない。
強ければいいって話じゃないのだ。
社会性を得ても、せいぜい全殺しが半殺しになっただけ。そんなリィズは、ともすれば幻影よりも恐ろしい。
「ねぇ……なんでダメなの? なんでぇ?」
ずいっと距離を詰め、甘えるような声で見上げてくる。
そのピンクの虹彩は、きらきらというより、ぎらぎらだ。完全に戦闘モードの目をしている。
「アークちゃんが出るような相手でしょ? 私、行きたいよぉ。ねぇ! クライちゃん、お願い。ねぇ?」
駄々っ子のように腕を掴まれ、前後に揺さぶられる。僕はため息をついて、どう説得するかを考える。このままだとティノ連れて勝手に行くかもしれないし。
僕がさらに言葉を探していると、横から凛とした声が割って入った。
「リィズ。行かないなら、久しぶりに私と模擬戦しない?」
声の主は、エリスだった。
その声は落ち着いていて、場の熱をすっと冷ましていく。少しリィズに似た雰囲気の子だが、今の僕には救世主に見えた。
「えー! やるやるー!」
一瞬で機嫌を直したリィズが、さっきまで僕の腕を掴んでいた手が離れ、嬉々としてエリスの方へ駆けていく。
エリスはちらりとこちらを見て、ウィンクしながらピースを向けていたのに気付いた。リィズの扱い方を理解している。
(ナイスファインプレーだ、エリス)
心の中で、盛大にグッジョブする。
すると今度は、《小さな惑星》の他のメンバーたちがざわつき始めた。
「なら俺は、ルークさんとやりたいんだけど」
「じゃあ、私はルシアさんと」
「ちょ、ケレス! マケマケまで!」
プルートが慌てて間に入った。
「す、すみませんクライさん……」
「いやいや、気にしないで」
僕は苦笑しながら軽く手を振った。
「あと、ルークたちは今【万魔の城】にいるから、しばらくは帰ってこないよ」
それを聞いた瞬間、ケレスと呼ばれた少年が分かりやすく肩を落とし、マケマケと呼ばれた少女の期待が霧散するのが見て取れた。
プルートはその光景を一瞥すると、年不相応な落ち着きで小さくため息をつく。