とうとうこの日がやって来てしまった。
メンバー募集の会場である酒場には、既に人をはるかに超える力を持つ怪物達が、一般人みたいな顔で集まっていた。
喉がひくりと鳴る。まだ何もしていないのに、背中に冷や汗が浮かんでくる。
ハンターというのは、人の皮を被った化け物だ。
笑って酒を飲んでいるこの連中の大半が、昨日までに何体の怪物を殺してきたのか、想像するだけで胃が痛くなる。
しかも、その怪物達が「仲間を探しに来ました」みたいな顔をして座っているのだから、冗談がきつい。
正直、今すぐ静かにフェードアウトしたい。
できることなら、誰にも気づかれずに帰りたい。
できるだけ目立たず、誰とも関わらず、空気のようにやり過ごす。
誰にも期待されず、誰にも失望されずに帰る。
それが、今日の目標だった。
——開始五分で失敗した。
「ねぇ、ちょっと? あなたもパーティ志望なの?」
珍しく明るい声だ。無視してもトラブルになりそうなので嫌々ながら眼の少し下を見る。
声を掛けてきたのは十代後半くらいの年齢の女性ハンターだった。よく手入れされた明るいブラウンの髪に、大きな青い目。丈の長いコートと頑丈なベルトにセットされた大きなポーチ。服装は標準的なハンターの物だが、傷んでいない髪と人懐こそうな容貌は、危険な宝物殿を探索するハンターのようには見えなかった。
今のご時世、女性ハンターなど珍しくもないが、経験上こういう雰囲気のハンターは大体二通りに分けられる。
ハンターになる直前か、なった直後で、まだ希望に満ち溢れている者。
そして、無数の冒険を経てなお輝きを失わない、英雄となりうる突出した才能を持った、昔の僕の友人達のような真性の『怪物』。
十中八九前者だが、油断はできない。この業界――本当に人の皮を被った怪物が多いから。
——そういう連中を、僕は何人も見てきた。
如何にも胡散臭そうな目で見る僕に、女ハンターは苦笑いを浮かべ、しかしすぐに明るい表情で言った。
「私、ルーダ・ルンベック。レベル3のハンターよ。ついこの間上がったばかりだけどね」
レベル3のハンター……中堅か。見た目と比べて随分と優秀なようだ。
トレジャーハンターはそれを一括管理する探索者協会――通称『探協』により、その功績に応じてレベルが付与される。
レベルは10まで存在するが、レベル3というのは中堅程度の実力と功績を保証されるレベルだ。
全ハンターの内の七割はレベル3で止まるという統計があるので、まだ若いのにそのレベルに至れたルーダは有望である。
「…………僕は……クライ・アンドリヒ……よろしく、ルーダ」
「私、こういう所来たの初めてなんだけど……..これって全員ハンター?」
店内にはテーブルが点在しており、それぞれに白い制服を着たメンバーが数人、席についている。クラン『始まりの足跡』に所属するパーティのメンバーだ。
「うん、そうだよ」
ルーダが、あまり遠慮もなく、軽い口調で僕に話しかけてきた。
その馴れ馴れしさに、つい身を少し引きそうになる。……いや、引きたくても、この場で無視したら面倒なことになるだろうし、どう返せばいいのか少し迷ってしまう。
「クライ、もしよかったら色々教えてくれない? こういうの、全然詳しくなくて」
「……いいよ。腕のいいハンターに恩を売っておくのも悪くない」
少なくとも、彼女もレベル3で終わる器ではないだろう。
真剣な表情で言葉を待つルーダに、僕は部屋の奥を指差して続けた。
「まず、この部屋にもあるルールがある。奥のパーティ程、レベルが高いってことだ」
一番奥に存在する大きなテーブル――一際大勢のハンターが群がっているテーブルを指差す。
「あれが今回メンバー募集している中で最強のパーティ――《
「レベル7を!?」
「ちなみにあの座ってるのがリーダーのアーク・ロダン。彼に認められれば、ハンターとしての成功は間違いなしだけど、僕の知る限りでは——彼がこういう場でメンバーをとったことは一度もない」
それから一つ一つ指差ししながら数えていく。例年ならば参加していないようなレアなパーティの姿もあった。
どうやら今回のメンバー募集には足跡のほとんどが参加しているようだ。
長々と話を聞かされ、呆れたようにルーダが言う。
「……クライ、詳しいのね。聞いただけで疲れちゃったわ」
「このくらい当然だよ」
『聖霊の御子』の募集テーブル。その奥に置かれた、誰も席についていない大きなテーブルを見て、大げさに指差す。
「じゃあ、あの1番奥の机は?誰もいないけど、」
「あそこは——」
「おいおい、お前ら、本当に何も知らないんだな」
「!?」
大男がニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
水を差されたルーダが眉根を寄せ、大男を睨みつける。
「……誰よアンタ、何か用?」
「つれねえこと言うなよ。先輩ハンターのこのグレッグ様が道理を教えてやろうってのに」
グレッグ様……聞いたことがない。が、僕が知っているのはごく一部――ちょっと業界に詳しいハンターならば誰でも知っている上の方のハンターだけだ。
僕の知らないハンターでも強い奴らはいくらでもいるし、そもそも頭角を現す前である可能性もある。
「あそこはこのクラン『
その名前を呼ばないでくれ。
胸の奥を、鈍い針で突かれたような感覚が走る。
「このクランの……?」
「今回は数年ぶりに《
《嘆きの亡霊》——それは、僕と友人達が田舎から帝都に出てきた時に作ったパーティの名前だった。
怪物五人を擁し、瞬く間に頭角を現した若手パーティ。今ではこの帝都に於いて、『聖霊の御子アーク・ブレイブ』と双璧を成す若手パーティでもある。
「まぁ、ただのガセネタだったようだがな。随分物々しかったから少しは期待していたんだが……」
グレッグ様が肩を竦めてみせる。
《聖霊の御子》や《嘆きの亡霊》に限らず、『足跡』に所属するパーティは総じてレベルが高い。
いかな気の短いグレッグ様でも、一つパーティが来なかったくらいで文句を言うつもりはないのだろう。
「おいッ、どういうことだ! 《嘆霊》はどこだッ!」
だが、文句を言うつもりの者もいたようだ。
いきなり上がった大声に視線が集まる。
その先にいたのは燃えるような赤髪の少年だった。その背に背負われたのは並大抵の腕力では振り回せない両手持ちの大剣。身長は低いが、服の上からでも鍛え上げられた肉体であることがわかる。
「雑魚に用はねえ。トップが出るって聞いたからわざわざこんなとこまで来てやったんだッ!」
少年は誰の同意を求めるでもなく、口汚く続ける。
「若いな。まさかここの全員を敵に回すつもりか?」
グレッグ様がそれを物珍しそうに見て、一言呟いた。
荒くれ者みたいな風采だが、年を食ってるだけあってある種の分別はあるらしい。
ヒートアップしたのか、少年が更に叫ぶ。それは獣が威嚇しているようにも見えた。
「俺は、いずれ最強のハンターになる男だ、レベルだってもう4だぞッ! せっかく帝都最強とやらを仲間にしてやろうと思ったのに、うんざりだッ!」
地団駄を踏む少年に、足跡のメンバーが一人、歩み寄った。
動きやすさを重視した装いの、黒髪ショートカットの少女——ティノ・シェイド。
僕たち《嘆きの亡霊》の後輩であり、リィズ・スマートの弟子だ。
彼女は周囲のざわめきなど意にも介さず、淡々と少年の前に立つと、まるで獲物を見るかのような冷たい視線を落とした。
「あぁ? なんだてめえ!?」
「身の程知らず」
底冷えするような低い声。
少年からガンを飛ばされても平然としていた他の足跡メンバーが慌ててその間に入った。
「ちょ、ティノ。今日の目的はメンバーの募集だ、騒ぎを起こすんじゃないッ!」
「一瞬で終わる。叩き出す。お姉さまがいたら、きっとそうする。『嘆きの亡霊』に入れてもらうのは――私。強くなったら入れてくれるって、約束もしてある」
空気が変わった。
さっきまでのざわめきが、獣の唸り声に近いものへと変質する。
「おう! やれやれッ! 『足跡』の力、見せてくれッ!」
グレッグ様が下品な声で煽り始める。それに釣られるように周りも皆煽り始める。中には足跡のメンバーも混じっていた。もう収拾がつかない。
………..よし、帰ろう
僕は呆然としているルーダの袖を引っ張り、こそこそと言った。
「ルーダ。もう今回は諦めて外に出た方がいい。一回喧嘩が始まったら止まらないよ。巻き込まれたら死ぬ」
「で、でも、私、パーティ探しに来たのよ!?」
「パーティは他にも探せる。でも命は一つしかない」
一瞬だけ迷ったあと、こくりと頷いた。
「……わかった」
その返事を聞いた瞬間、僕はルーダの手を引いたまま、その場からそっと立ち去る。
足元に散らばる人影や、ざわめきに紛れながら、息を潜めて壁際を進む。
ルーダの手の温もりが、少しだけ心を落ち着けてくれる。
振り返らず、声を立てず、ただ静かに酒場の出口へ向かう。
幸い、赤髪の少年や足跡のメンバーたちの視線は、騒ぎの中心に釘付けだ。
誰も、壁際を進む僕たち二人に気づきもしなかった。
扉に手をかける。
背後で誰かが怒鳴る声が聞こえた気がしたが、振り返らない。
——関わるな。見なかったことにしろ。
そう自分に言い聞かせながら、僕たちは静かに酒場を後にした。
———
酒場の扉が閉じた瞬間、耳を刺していた喧騒が嘘のように遠ざかった。
熱気と酒と殺気が入り混じった空間から解放され、胸の奥に溜まっていた息を、ようやく吐き出す。
帝都の通りは、相変わらず人通りが多い。
だが、あの酒場とは違い、ここを行き交う人々はちゃんと「人間」に見えた。
露店の呼び声、石畳を叩く靴音、遠くで鳴る鐘の音。
世界は平穏で、何事もなかったかのように回っている。
——さっきまで、あそこで殺し合いが始まりかけていたとは思えない。
しばらく歩いたところで、彼女が意を決したように口を開いた。
「ねえ、クライ。もしよかったらだけど……私とパーティ、組まない?」
力のない僕の言葉に、ルーダがわざとらしく明るい声で提案してくる。
ハンターというのは大抵ろくでもない。
ルーダは、ろくでなしばかりのハンターの中ではいい人だ。きっとその言葉も冗談でもなんでもないんだろう。
だが、僕にとって自分が足を引っ張ることになるというのは耐え難い苦痛だった。
「提案はありがたいけど、同情はいらないよ。将来のためにも、ルーダは自分に合ったパーティに入るべきだ」
「……そ、そう……」
会話が途切れ、少し気まずい沈黙が流れる。
僕は、通りの石畳を踏む足音や、遠くで鳴る鐘の音に意識を逸らそうとした。
内心、胸が早鐘を打っているのを感じながらも、表情はなるべく平静を装う。
そのとき、通りの向こうから、やけに切羽詰まった声が聞こえてきた。
「おーい。るーちゃーん! どこだーい!……困ったな」
声の主は、きょろきょろと周囲を見回しながら歩いている。
何かを探しているというより、置いていかれた子供のような落ち着きのなさだった。
ルーダの視線がふと上がり、男の方を向いた。眉を少し寄せて、困惑と好奇心が混じった表情だ。
「どうかしたんですか?」
男は、心底困ったような表情でこちらを見た。
見た目が中年のその男は、綺麗な服の上に、たぼたぼのローブを羽織り、裾は歩きやすいよう短く仕立てられている。
「女の子を探しているんだ……すごく可愛い子でね。どこかで見かけなかったかな?」
そう言って、懐から一枚の紙を取り出す。
描かれていたのは、長い金髪と大きな瞳をした、七、八歳ほどの少女。
口元から鼻にかけて包帯を巻き、年齢にそぐわない落ち着いた雰囲気をまとっている。
——残念ながら、見覚えはない。
ルーダは紙を手に取った男の絵をじっと見つめ、少し間を置いてから首を横に振る。
その動作は小さいが、見ていないという意思を明確に示していた
「いえ、残念だけど見ていないわ」
「そうかい……」
男は紙を手元に落とすようにして肩を落とす。力の抜けた背中に、日頃の慣れない焦りが滲む。
小さく、途切れ途切れに息を吐く様子は、まるで少年のように不安に押しつぶされそうだった。
「ルナちゃんって言うんだ。ほんの少し目を離した隙にいなくなってね……この子と離れて、もう気が気じゃなくて……」
その声には、取り繕いようのない焦りと不安が滲んでいた。
このままスルーしても何も起こらないのだろうが、流石に気が引ける。
……でも、今日は本当に疲れた。ホームに帰ったらベッドに倒れ込み、ゆっくり寝たい。
だが、僕は酒場を抜け出してきたばかりだ。
このままクランハウスに戻れば、エヴァに怒られ、場合によっては会場に連れ戻されるかもしれない。それだけは絶対に避けたいと思っていた所だ。
と、僕はそこでいいことを思いついた。
困っている人を放っておけなかった、ということにしておけば、エヴァも納得してくれるのではないだろうか?
人探し依頼を受け、やむを得ず酒場を後にした。結果としてクランに戻る理由ができる。
しかも、「責任ある判断をしたクランマスター」という体裁までついてくる。
今日の僕は……冴えてる。
僕は無駄に背筋を伸ばし、ハードボイルドに言った。
「分かった。僕も手伝うよ」
「……え?」
男は目を大きく見開き、思わず間の抜けた声を上げた。その声には、安堵と驚き、そしてまだ残る不安が混ざっていた。
「一緒に探してくれるのかい?」
「もちろんだよ」
「た、助かるよ……。私は、錬金術師をやっているソルという者だ」
「オッケー、それじゃあ行こうかソルさん。あ、せっかくだし、ルーダも一緒に来て」
「え、ええ……」
僕達は《始まりの足跡》がある方角へと足を向けた。
通りの向こうには、白壁の建物や商店の屋根が続き、街路灯に照らされた石畳が揺れて見える。
しばらく無言で歩いていたが、数歩進んだところで、ルーダがちらりとこちらを見上げる。
その顔には、先ほどまで隠していた不安がはっきりと浮かんでいた。
「ねえクライ……大丈夫なの?」
「たぶん」
「たぶんって何よ……」