《始まりの足跡》クランハウスの執務室
僕の正面には、少し背筋を伸ばした男と、落ち着かない様子のルーダ。
ルーダは執務室に入ってからずっと、きょろきょろと忙しなく視線を動かしている。
壁に掛けられた紋章、整然と並んだ書類棚、重厚な机——その一つ一つが、彼女にとっては予想外だったのだろう。
「本当に驚いたわ、クライが《始まりの足跡》のクランマスターなんて」
ルーダはそう言って、どこか信じられないものを見るような顔をした。
にこにこしながら頷いてやる。だが別にどうだっていいのだ。
僕がマスターだったとしてもメンバーだったとしても僕は僕以上でも以下でもない。
——だが、ルーダにとっては違ったらしい。
そのとき、執務机の脇に立っていたエヴァが、淡々と口を開いた。
「それで、クライさん。メンバー募集の会場に行ったはずが、なぜ人探しの依頼を連れて戻ってきているんですか?」
「……人助けだよ。ほら、クランの評判にも関わるし」
そう言って、酒場で起きかけていた騒ぎと、そこで偶然出会った人探しの話を、僕はできるだけ簡潔に説明した。
「つまり、酒場でトラブルが起きそうな状況を察知し、一般市民を保護するために行動したと」
「そうそう。だいたいそんな感じ」
……そういうことにしておく。
「分かりました。早急に調査します」
エヴァは眼鏡をくいっと押し上げると、もう次の行動に移ろうとしていた。
僕の言葉を一切疑わないあたり、エヴァって本当にエヴァだなぁ。
「それじゃあ、僕はルーダを案内してくるよ。執務室にずっと立たせておくのも悪いし」
「分かりました。では——」
エヴァは一瞬だけ視線を男へ向け、その目に何か言いたげな光が宿ったが、すぐにそらした。
「こちらの方は、私が引き続きお話を伺いますので」
「あ、はい……」
ソルは、少し驚いたように頷いた。
ルーダの方を見ると、状況を察したのか、どこか居心地が悪そうに僕の袖を引く。
「……いいの?」
「大丈夫。エヴァは優秀だから」
それが何のフォローにもなっていないことは分かっているが、事実ではある。
そうして僕とルーダが執務室を出る直前、背後から淡々とした声が聞こえた。
「ではソルさん。改めて確認しますが——」
扉が静かに閉まり、その軋む音が部屋の余韻を切り裂いた。
中でどんな話をしているのか、正直よく分からない。
どうせ後で、要点だけ教えてくれるはずだ。
———
広々とした《始まりの足跡》クランハウスのラウンジ。
来客用に設えられたその空間の中央には、ひときわ大きな木製のテーブルが置かれている。
その片側に僕は腰を下ろし、ルーダと世間話をしている。
「私、ずっとソロでやってたんだけど、【白狼の巣】っていう宝物殿に手こずっちゃってて……。そんな時、ちょうど大規模なハンターの募集があるって聞いて、やってきたの」
「ソロで――随分、無茶をするんだね」
レベル3認定を貰うには、宝物殿を攻略した実績が必要になる。
それをソロで成し遂げるだけの力があるのなら、短期間で認定を受けられたという話にも納得がいく。
俗に言う『天才』というやつなのだろう。
「そうなの。だから……他のパーティに入れてもらおうと思って。『白狼の巣』も、レベル3が五人もいれば十分攻略できるって――」
「クライさん、お待たせしました」
振り向くと、そこには凛としたエヴァと落ち込み過ぎて猫背になっているソルさんの姿があった。
エヴァは淡々とした口調で続ける
「調査の結果ですが、どうやらルナさんは………..【白狼の巣】にいる可能性が高いです」
………………..なんで?
———
エヴァ・レンフィードは元商人だ。
クランの副マスターという地位につく前は列強である帝国でも一、二を争う商会――ヴェルズ商会の一員だった。
当時はまだ下っ端だったとは言え、請われ職を辞した今もその縁は残っている。
商人のネットワーク。新聞を始めとした情報媒体。所属するハンターの地位を利用し、トレジャーハンター達からの情報収集も怠らない。探索者協会にだって手は伸びている。
そこで得た目撃情報によると、数名の男たちが使っていた馬車に乗り込んでいたらしい。目撃者によると、どうやら自分から乗り込んでいたので、誘拐事件というわけではないらしい。
「その人達が向かっていた場所が【白狼の巣】ってことね」
「はい、前々から【白狼の巣】へ向かう準備をしていたという証言もあり、間違いないかと」
僕は内心で頭を抱えつつ、表情だけは曖昧な笑みを保ったまま、ソルさんの方を見る。
彼は見るからに憔悴していて、背中は丸まり、今にも床に沈み込みそうだった。
「私が目を離したばっかりに……るーちゃんが……」
「いやいや、まだ確定じゃないんでしょ? 可能性が高いって話だし」
「はい。ですが、現状で最も有力な線です」
エヴァは淡々とそう補足する。
その声音には余計な感情が一切混じっていない。事実だけを並べる、いつものエヴァだ。
「向かわれますか?」
「いや、僕は忙しいからエヴァに任せるよ。うちから今すぐ動けそうな人を探してもらえる?」
「分かりました」
「え、クライ行かないの?」
ルーダが目を丸くする。
…………いや、行かないよ、行くわけないでしょ。バカなの? 僕に死ねと言うのか?
僕が行ってどうするんだよ。レベル3宝物殿って簡単に言うけど、しっかり命の危機はあるからな。
すると、エヴァが事務的な口調で答える
「ええ、クライさんにはクランマスターとしての仕事もありますから。これからメンバー募集に戻っ——」
「!? ちょっと待った。」
……….よく考えろ、クライ・アンドリヒ。お前はハンターだろ?弱者を救うのもハンターの仕事だ。
ソルさんはもう3日もルナちゃんと会えていないんだぞ?可哀想じゃないか。
考えろ。考えるんだ、皆が幸せになれる方法を。あるだろ、あるはずだ、あるべきだ。今こと普段は眠っている力を解放する時だ。決して今戻ったりしたら面倒とか言う理由ではない。
拳を強く握り締め、言った。
「やっぱり僕が行くべきだろう。困っている人を助けるのもクランマスターの仕事だ」
「……分かりました」
「【白狼の巣】に向かうのだからメンバーはあと3人は必要よね、」
ルーダが顎に手を当て考えている。
確かにそうだ。
レベル3の宝物殿でも危険なことには変わりない。レベル3になったばかりのハンターとレベル1以下の足手纏いで向かうなど、自殺行為も甚だしい。
だが、しかし、エヴァはにこりともせずに真剣な表情で言い切る。
「いえ、問題ありません。クライさん——うちのマスターはレベル8なので」
何言ってるのこの人?
エヴァも僕に死ねと言っているようだ。
「レベル8!?」
ルーダの目が一瞬で見開かれ、瞳孔が広がった。
僕をただのレベル8だと思ってもらっては困る。もしかしたら僕の実力はエヴァよりも下の可能性すらあるのに。
すると、ソルさんの表情が完全に引きつり、分厚い唇が震える声をあげる。
「レベル8……….クランマスター……..もしや、あなたは、あの《千変万化》かい?」
「…….」
《千変万化》——神算鬼謀にして何者にもその手法、見定めること適わず。
名のあるトレジャーハンターには二つ名が与えられる。
探協はそうやってハンター達の間に一種のアイドルを生み出すのだ。
『嘆きの亡霊』はそれぞれ特化したメンバーを持つパーティだった。僕には役割が一切なかった。
僕がやったのはプライドを捨ててあらゆる方面に頭を下げまくり、なるべく周りに被害を出さないように彼らを宥めることだけだった。
『千変万化』はそんな最強の若手パーティ、『嘆きの亡霊』のリーダーだった僕に温情で与えられた二つ名だ。
なんか怪物達の中に一人混じってるけど、こいつ、いつも何やってんだ。
多分、その二つ名を考えた探協のお偉いさんの心の中にあったのはそれだろう。
かくして僕は、なんだかわからないけど有名だから二つ名を与えておこうという理由で二つ名持ちになった。
ソルさんは僕の顔を呆然とした目で見ながら、震える声を出す。
「……若いとは聞いていたが」
「クライ、レベル8って本当なの?」
訝しげな視線で尋ねてくるので、ネタバラシする。レベル認定は実力の絶対的な指標ではない。
探協のハンターに対するレベル認定は多角的な視点から行われる。
「数字だけ上がったんだよ。パーティリーダーとか、クランマスターになるとメンバーの実績の一部が評価に加えられるんだ。足跡は大きいクランだから、レベル認定に必要な膨大な実績ポイントもすぐに溜まる」
ルーダが納得いったようないっていないような表情をする。
これは、ずるでもなんでもない。探協は後進の育成を推進しており、現実に高いレベルのハンターは皆、パーティリーダーやクランマスター、あるいは師匠などを担っている。
そうじゃなきゃ最前線で宝物殿を攻略しているアークよりレベルが高いなんてことありえない。
「まぁ、そんな事はどうでもいいんだ。よかったらソルさんも一緒に来ない?」
「え、ソルさんも一緒に連れて行くの? ハンターでもないのよ?」
「いや、私も行くよ」
そう言って、彼は一歩前に出た。声は震えていたが、目だけは逸らさなかった。
「足手纏いなのは百も承知だ………. でも……そこにるーちゃんがいるかも知れない。 もしそうなら……今行かなかったら、一生後悔する。だから……私も行くよ」
「その言葉を待っていたよ。それじゃあ行こうか。エヴァ、僕が死んだら、クランマスターは君に譲るよ」
「!? 縁起でもないこと言わないでください!」
一旦自室へ帰り、戻ってきた僕の姿を見て、ルーダが目を丸くした。
「クライ……….その格好は一体、?」
「まあ、今回の依頼は迷子探しだけど、一応武装くらいはしておかないとね………こんな事もあろうかと一通り揃えておいたんだ」
紺色の外套に、背負ったクロスボウ型の宝具と中途半端な長さの剣の宝具。
手にはそれぞれの指に指輪型の宝具が嵌められ、それでも足りずに腰に吊るした細い鎖型宝具に何個も指輪を通し、それでも足りずに残りはベルトに引っ掛けるタイプの道具袋の中に入っていた。
エヴァは小さくため息をつき、視線を僕に向けて静かに告げた。
「気をつけてくださいね……本当に」
「問題ない。全てうまくいくさ」
僕は深く息を吸い込み、肩の力を抜いて呼吸を整える。鏡越しに見える自分の姿に、少しだけ格好つけた笑みを浮かべる。
準備を整え、僕たちはラウンジを後にした。扉の軋む音が小さく響き、街のざわめきと混ざる。
ふぅ、これで、酒場の怪物共とぶつからずに済むだろう。
何も宝物殿に行くって言っても、戦えって話じゃない。さっさと見つけて帰ればいい。そんなに危険でもないはずだ。
……今日の僕は、なかなか冴えてる。