帝都ゼブルディア。クランハウスの私室。
僕はその場でぐるりと一回転し、久々の慣れ親しんだベッドに背中から倒れ込んだ。
適度な反発を持った特注品のベッドが柔らかく僕を受け止める。
まるで重力が増したかのように身体が重かった。こちらに何か実質的な被害があったわけではないが、強い疲労を感じる。
『白狼の巣』。ただの迷子探しだったはずなのに散々な結果に終わった。
宝物殿でレベル3とは思えない幻影にあったとか、伝説級ハンターがなぜか僕のことを知っていたとか、探していた少女が最初から帝都にいたとか。
僕は、運が悪い。
帝都から出ると通常あり得ない襲撃が襲い掛かり、花見に行ったら宝物殿が出現したりと何かと引き寄せてしまう。
2年半のブランクで完全に平和ボケしていたが、今日の一件で改めてそれが分かった。
決めた。僕は絶対に依頼を受けない。しばらくは何があろうと、絶対に受けないぞッ!
部屋の入り口付近で呆れたような顔をしているエヴァに、固い決意を以て宣言する。
「エヴァッ! 僕はしばらく依頼を受けないッ! 国も商人もガークさんも、何か要請が来ても断固拒否してくれ! 僕には他にやることが、あるっ!」
「えぇ……やることってなんですか?」
「何もしないをするんだよ」
「それは…………哲学ですか?」
哲学じゃないよ。ただ頭の休息が必要なだけだ。まぁ疲れる程使っているかと言われるとかなり怪しいんだが……。
ベッドの上で重い身体をねじり、思い切り背筋を伸ばして肉体をほぐす。
クランマスターとして、そしてレベル8として、皆の前で情けない姿を晒すのは避けるべきだが、エヴァ相手ならば大丈夫。
ああ、駄目だ。今すぐにでもベッドと一体化してしまいたい。
早速、全身で情けなさを示す僕に、エヴァが深々とため息をつく。
「……わかりました。しばらくの間、お断りしておきます」
さっそくごろごろ転がりながら英気を養っていると、そこでふと、扉が勢いよく開いた。
「クライちゃーーーん!! おかえり!」
勢いのまま、ピンクブロンドの日焼け娘が飛び出してくる。ぴょんと飛びつくと、そのままキャーキャー言いながら状況がわかっていない僕をベッドに突き飛ばした。
沈むような柔らかな感触が身体を受け止める。のしかかってくるその子になんとか声をあげる。
「リ、リィズ? な、なんでいるの?」
リィズ、というか僕以外の《嘆きの亡霊》のメンバーは今、レベル8の宝物殿【
「クライちゃんに早く会いたくて、帰って来ちゃった!」
リィズは目を輝かせながら僕の胸元に頭をこすりつけてきた。
手慰みにリィズの髪をぐしぐしかき分けながら言う。
「嬉しいけど、皆困ってるんじゃない?」
リィズは本当に自由奔放だ。
本来ならば宝物殿で味方を放り出して帰るなんて許されることではないのだが、うちのパーティはためしに入れてみた新規参加組一名を除くと皆幼馴染だし、割と全員が自由人なのでうまいこと成り立っているのだった。
まぁ、抜けたのはヒーラーではないし、盗賊はもう一人いるのでなんとかなるのだろう。
リィズは一切僕の言葉を聞いていなかった。久しぶりに飼い主にじゃれる狼のように身体をこすりつけてくる。僕たちよりも先に到着してシャワーでも浴びたのか、その髪からはいい匂いがした。
ようやく戻ってきた日常に笑みを浮かべる僕に、エヴァが呆れたようにため息をついた。
———
「ご苦労だったな」
探索者協会帝都ゼブルディア支部の支部長、ガーク・ヴェルターは、ルーナと向かい合っていた。
見る者を威圧する凶相のガークを前にしても、ルーナは何の反応も見せずこくりと小さく頷くだけだ。
逆に、こちらをじっと見据える赤と青のオッドアイは、ガークでさえ蛇に睨まれた蛙のように身がすくむ錯覚を覚えるほどだった。
だが、それが威圧によるものではないことを、ガークはよく知っている。
いや、彼女を知る者なら、誰もが理解していることだ。
彼女は基本的に無表情で口数が少ない。激しい感情を表に出すこともほとんどないが、決して無感情というわけではない。
その近寄りがたい雰囲気とは裏腹に、人当たりは良く、ハンターには似つかわしくないほど穏やかな人間だった。
青空よりも広く、優しい人格者——その純粋な人柄に惹かれるのか、彼女の周囲には人だけでなく、時折、野生動物や虫までもが寄ってくるという。その有様はハンターの模範であり、貴族からも一目置かれている。
そんな彼女が淡々と口を開いた。
「……遭難者は救出した……が、私は大したことはしていない」
「……随分、含みのある言い方だな」
しばしの沈黙の後、ルーナは続けた。
「……遭難者達を見つけたのは、クライ君たち。私は……幻影を倒しただけ」
「なんだと!? クライがいたのか?」
それは、ガークにとって完全に予想外の言葉だった。
『始まりの足跡』は、つい数時間前までメンバー募集を行っていたはずだ。
クランマスターであるクライも、そこにいたはずなのだ。
なのに、なぜクライが【白狼の巣】にいる?
遭難者の情報は持っていなかったはずだ。いや——あいつなら、言われなくても察するかもしれない。だが、わざわざ自ら救助に向かったのか? それとも、【白狼の巣】に何らかの異変を感じ取ったのか?
最近、北の街道で『はぐれ』が出たという報告があった。
小規模とはいえ、商隊が全滅したという確かな情報ある。
帝都ゼブルディアは大都市だ。
時折、『はぐれ』と呼ばれる街道付近に発生する幻影によって、被害が出ることがある。
事前予測が難しい存在だが——あいつなら、容易に想定できる。
嫌な予感を覚え、ガークはルーナに確認した。
「ルーナ。【白狼の巣】に、何か異常はなかったか?」
「……幻影のレベルが上がっていた。たぶん、5……か、6」
やはり、か……クライの奴め。
いつもいつも、どうやって予測しているんだ。
クライ・アンドリヒは異才だ。
神ではないが、その未来視に近い予知能力は、もはや神がかっている。
地震をはじめとする天災。遠方で発生する宝物殿の異常。帝国貴族の内紛から、秘密結社の暗躍に至るまで、何の前兆もない事件に、いつの間にか関わっている。
天才などという言葉では言い表せない、得体の知れない先見。
正体不明。《千変万化》とはよく言ったものだ。
ハンター登録当初からの付き合いであるガークですら、その予知の正体は分かっていない。
分かっていることは、ただ一つ。
クライが何らかの前兆を感じ取ったのなら、今回も良からぬ事態が起きようとしているということだけだ。
ガークは渋い顔で自分の禿頭を撫で、ルーナに言った。
「ルーナ……なぜ、それを最初に言わなかった?」
「…………聞かれてない……から?」
ルーナは、不思議そうに言って首を傾げた。
またか……。
どうしてこいつは聞かれたことしか話さないんだ。
悪気がないのは分かっている。
だからこそ、これ以上文句を言う気にもなれず、ガークは小さくため息をついた。
「……まあいい。またすぐに協力を要請することになりそうだ。お前んとこのクランマスターにも伝えてくれ」
「ん…」
ルーナは短く答え、退室した。
そこでガークは、ルーナが副マスターを務めるクランについて思い返した。
【
《無敗女帝》ルーナをはじめ、高レベルハンターが数多く所属し、その頂点には世界でも四人しかいないレベル10、《創神》がいる。
だが、その男について公になっている情報は驚くほど少ない。
本名も素性も経歴も不明。知る者がいるとすれば、認定を行った支部か、本部上層部くらいのものだろう。
(あの《
ガークは短く息を吐く。
一度も姿を見たことはない。それでも、その名だけは嫌というほど耳にしてきた。
だが今は、『創星界』のことを考えている場合ではない。
ガークは思考を切り替え、【白狼の巣】の状況整理へと意識を向けた。
現在の【白狼の巣】では、原因不明のレベル上昇が起きている。
このまま進行すれば、そう遠くないうちに帝都で対応できる人材はほとんどいなくなるだろう。
北の街道が使えなくなる可能性すらある。
状況の解明は急務だ。
だが、心当たりはない。似たような前例も、存在しない。
……クライと話すしかないか。
あいつ、何か知っている。間違いない。
最近、まったく宝物殿に入っていなかった男が、自ら確認に行ったんだ。
それも、《無敗女帝》よりも先にだ。これは、おそらく偶然ではない。それだけの何かがあったということだ。
この帝都にやってきて数年、積み上げられたクライの足跡はそう信じるに足るものだ。
一度、深く息を吐き、ガークは背後に控えていた副支部長へ指示を出す。
「クライと話すぞ。使いを出せ」
その言葉に、カイナは気が進まなそうな表情を浮かべたが、反論することなく頷いた。