凍える天体 ――あるいはシンオウ神話とヒスイ地方に関する哲学的・民俗学的考察   作:加藤ブドウ糖液糖

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(この小説ではフォントに明朝体を使用しています.表示されていない場合は読み込みを待っていただけると,より小説の世界観に没入していただけると思います.)


1.発端

 

 

 

 

 

 

 ――いづくより生まれ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘

 

 

 

 

 

 

 1.発端

 

 私は旅というものを、旅を語る者たちの言葉ともども、好んだためしがない。にもかかわらず、いま私はこうして、若かった日々のシンオウ行のことを、これほどまで遅れて書きつけようとしている。何ゆえに、これほどの歳月を要したのか。私自身にも、いまだはっきりとした答えはない。あの土地から戻ってから、幾星霜が過ぎ去ったことだろう。そのあいだ幾度となく、私はこの記録に手をつけようとし、そのたびに、一種の羞恥と、名状しがたい嫌悪とに押しとどめられてきた。いったい、なんだというのだろう。あの、あじけない些事の数々、取るに足らぬ出来事の断片を、いまさら克明に語る必要があるだろうか。

 

 神話学という学問がひとにもたらす仕事のなかで、冒険というものは、けっして格別な意義を持ってはならない。冒険とはたかだか仕事の付随物にすぎず、道に迷った幾週間、あるいは幾月という重荷になって、着実な仕事の上にのしかかってくるにすぎないのである。老いた語り部が村を留守にしていたために空費された午後。聞き取れぬ方言、忘れられた語形。慣れぬ携行食による腹の不調。そして幾月にもわたる労苦の果てに、ようやく採集される、たった一つの、まだ記録されていない口碑。あるいは、氏族に伝わる符牒の完全な目録。あるいは、たった一音節の、すでに滅びかけた古語。それだけのことのために、私たちは数ヶ月を、吐き気を催すほどの徒労とむなしさとに費やすのである。

 

 その労苦の果てに残るものといえば、鉱滓のような記憶にすぎない。たとえば――早朝、私が初めてコトブキ空港に降り立ったときのこと。まだ夜の明けきらぬ薄明かりのなかで、地上係員の吐く息が白くけぶり、遠く原野のほうから、コリンクの遠吠えに似た声が聞こえてきたこと。こんな貧しい思い出を、いまさら筆をとって書き広めるだけの値打ちがあるとは、私にはとても思えない。

 

 しかるに、この種の物語は、私にはいまだに合点のいかぬほどの人気を博することがある。ヒスイの荒野や、破れた世界や、あるいは古代シンオウ人の遺跡は、いまや旅行記や、写真つきの特集記事や、あるいはテレビの特別番組などの形をとって、街の書店や、街なかの噂話に侵入している。これらの作品では、視聴者にいかに強い印象を与えるかという配慮が、すべてに優先されている。だから視聴者は、持ち帰られた資料の価値を、みずから吟味することができない。批判の精神が目覚めるどころか、視聴者はこの口当たりのよい食物のお代わりを求めつづけ、その膨大な量を、なんの疑いもなく飲み下してしまうのである。

 

 いまや、神話の研究者はミステリーハンターと並ぶ、れっきとした職業の一種である。この職業は、ひとが思いがちなように、幾年もの労苦を重ねて未知の事実を明らかにすることにあるのではなく、できるだけ多くの遺跡をまわり、できるだけ映えのする画像をこしらえることにある。そうした画像のおかげで、何日ものあいだ、講堂は聴衆でいっぱいになるという寸法だ。

 

 聴衆にとっては、俗悪さや凡庸さすら、天啓に姿を変えてしまう。それというのも、そうした俗悪と凡庸をつくり出した当の本人が、それらのまとう粉飾をその場ではぎとってみせる代わりに、テンガン山の頂へ幾度も足を運んだという、その一事のみによって、それらを神聖化してしまうからにほかならない。

 

 私たちはこれらの講演で、これらの特集記事で、いったい何を聞かされ、何を飲み下しているのであろうか。それは、もう半世紀も前から、あらゆる入門書のなかに顔を出していたような、ありきたりの知見にすぎない。しかも、並はずれた厚顔さによって――だが、それを求める者たちの単純さと無知とにはぴったり調子を合わせて――これらの知見は、あたかも実地の考証であるかのように、さらには新発見であるかのようにさえ、恥じることなく提示されるのである。

 

 もちろん、例外はある。どの時代にも、ホンゴウやラベンのようなすぐれた探究者は存在した。私の目的は、まがい物を告発したり、免状を授与したりすることにあるのではない。むしろ、ある一つの、時代に特有の現象――シンオウという土地にきわめて特有で、しかもこの土地においてさえ、ごく近年になってようやく現れてきた現象――を理解することにある。

 

 15年ほど前、人々はいまほど気軽に神話を学ぶことはなかった。そのころ、神話について語る者を迎えるのは、いまのように立派な講堂ではなく、ハナダの図書館の裏手にある、ある古びた建物の、寒くて薄暗い、いくらか薄気味悪い小さな一室であった。

 

 自然史協会は、そこで毎週――おそらく今もつづいていることだろうが――神話と伝承に関する講演を催していた。古い映写機は、大きすぎる壁の上に、弱すぎる灯りで、ぼんやりとした影を投げた。講演者は、壁に鼻をすりつけるようにしても、なかなか画像の輪郭を確かめることができず、来会者もまた、映写された影と、壁を汚している湿気の染みとを、なかなか見分けることができなかった。定刻を十五分も過ぎると、人々はそわそわしはじめる。まばらな影法師を、階段席にぽつりぽつりと点在させている数少ない常連客のほかに、はたして聴衆はもっと来るのだろうかと、誰もが気にかけはじめる。人々があきらめかけたその瞬間、決まって母親や年配の親戚に連れられた子どもたちが入ってきて、講堂の半分ほどを埋めるのだった。

 

 その講堂に、幾度か私を連れていってくれたのが、ウドノという老教授だった。私はまだ、タマムシ大学の学生であった。人と携帯獣とのあいだの、目にみえぬ結びつきを研究するという、いくらか胡乱な学問――当時はまだ名前さえ定まっていなかった――を興そうとしていた彼の生徒に、私は数えられていた。

 

 週に一度、木曜日だったか日曜の朝だったか、いまとなってはもう定かではないが、ウドノ教授は、私たち人文学部の学生を、市街のはずれにある療養施設――手負いのポケモンや、心にひどい傷を負ったポケモンたちを保護する施設――の広間に集めた。そこにはいっただけで、私たちは、ある種の異国情緒に、我とわが身をさらしているのを感じたものである。壁という壁は、施設を訪れた地域の子どもたちの手になる、明るく屈託のない絵で埋め尽くされていた。

 

 講義といっても、たいしたことを教えるわけではなかった。教授は決して講義を準備しなかった。それというのも、変幻自在に動く唇の、表情ゆたかな仕草や、なによりもあの、しゃがれてはいてもどこか歌うような声によって、聴衆に働きかける肉体的な魅力の持ち主であることを、彼自身、よく承知していたからである。

 

 学生が教授の目にとまったときには、褒美として、教授から保護個体をあずけられ、その個体と特別に対話をこころみることが許された。私にとって、いかなる野生のポケモンとの遭遇も、ある朝味わったあの恐怖ほどには恐ろしくなかった。それは、傷ついた一匹のナゾノクサであった。花の香を漂わせる代わりに、自分はすでに枯れ落ちた一片の花弁にすぎず、いま咲いているように見えるのは、誰かがこの体に無理やり水をやりつづけているせいなのだと、そのナゾノクサは思いつめていた。もし誰かが水をやるのをやめてしまえば、自分はたちどころに萎れ、土に還ってしまう――そういう恐怖に、そのポケモンは、来る日も来る日も脅かされつづけていたのである。

 

 この、いくらか人をかつぐことが好きな学者は、しかし同時に、きわめて高貴な心の持ち主でもあった。シンオウ大地震のすぐのちのことであったと思う。ほとんど視力を失い、故郷のクロガネ近郊にひっそりと隠退していたころ、彼は骨を折って、丹念な、そして慎み深い一通の手紙を、私に書いてよこした。その手紙は、あの地震で犠牲になった人々やポケモンたちに対して、彼はいまなお連帯の思いを抱いているのだ、ということを確認する以外に、なんの目的もないように思われた。

 

 私はいつも、彼の若かりし盛りの時代に、彼と知り合わなかったことを、残念に思ってきた。噂に聞けば、髪は栗色で、肩は日に焼け、征服者さながらに、当時ようやく萌芽しつつあった携帯獣心理学の展望に魂をふるわせつつ、彼は古代シンオウの精神的な征服とでもいうべきものへ、出発したのだという。

 

 彼とヒスイの旧家――古代シンオウ人の末裔を称する、幾つかの一族――とのあいだに芽生えようとしていたのは、一種のひとめ惚れというべきものであった。これはたしかに、一つの神秘的な現象であった。だが、その現象を構成する二つの断片は、ともにすでに古びかけた文明の、二つの残骸にすぎなかったのである。一方は、彼自身の属する、旧弊な儀礼と厳格さとを重んじる学統の家系。他方は、ヒスイの奥地で、悠然とした――そしていくぶん退廃した――暮らしを営んでいた、名門と称する幾つかの一族。彼は、この両者のあいだに、なにか根源的な血のつながりを見出そうとしたのであった。

 

 ウドノ教授のあやまちは、この結びつきが、じつはきわめて考古学的な――すなわち、すでに滅び去った過去にのみ属する――性格のものであることに、ついに気づかなかったことである。彼が心をひかれた「古代シンオウ人の末裔」なる家々は、いつかの神話の記憶を、たしかにいくばくか保存してはいた。だがそれは同時に、しだいに資本を、観光と土産物への投資へと移し変えつつある家々でもあったのだ。シンオウ地方への、比較的新しい移住者の家系や、地方の小さな商家の出であった学生たちが、怨恨をこめて「似非(えせ)カンナギ」と呼んでいたのも、ほかでもない、この一族たちのことだったのである。

 

 奇妙なことに、ウドノ教授の生涯の大事業――シンオウ各地の大学における考古学講座の創設――は、まさにこれら、まだ一般社会との隔絶を保っていた伝統的出自の学生たちが、行政上あるいは学術上の地位への通行証たる学位を手に入れ、一般社会の上層へと登っていくことを可能にするものであった。それゆえ、教授が世に送り出した新しい世代の学徒たちは、しだいに、教授自身からも、教授が愛してやまなかった「古代シンオウ人の末裔」からも、遠く離れていくことになったのである。

 

     *

 

 当時、タマムシからシンオウ行きの船を手配するには、幾つかの選び方があった。抜け目のない学生は、自分のふところから差額を払って、より豪華な便の下等な席へと乗り込み、あやしげな便宜を引き出そうとした。そうでない者は、貨物と客とを兼ねた、数日前からでも予約が取れるより質素な便を選んだ。私は、後者であった。

 

 いまになって私は、あのころのその質素な便を、その価値のままに享受できていたならばよかったのに、と思う。あれは、いわば王侯のような特権であった。百人か百五十人を乗せるために設計された船体に、七、八人の乗客だけが、座席のすべてを、一等の食堂を、ひとり占めにしていたのである。海のうえで、幾時間ものあいだ、他に人間がいないためにほとんど無制限になったこの空間は、私たちにとって、一つの小さな国のようなものであった。私たちの領地が、私たちとともに、海の上を移動していたのである。

 

 二、三度この船を利用すると、私たちはまた、おなじみの乗務員と、おなじみの慣わしとに出会うようになった。そのころには私たちはもう、乗り込むまえから、あの寡黙な、しかし手際のよいアローラ人の船のボーイたちの名前を、すべて知っていたのである。彼らが私たちの膳に、どことなくアローラ風のケムリイモの惣菜や、干したきのみの盛り合わせを置くとき、その手つきには、幾百回と繰り返された、ある種の様式美が感じられた。食事はもともと、多めに人数を見込んで積みこまれていたのだが、実際に食事をとる人間の数が、あまりにわずかであったために、なおいっそう豪勢な様相を呈することになった。

 

 ひとつの時代が終わり、もうひとつの時代が始まったということ――私たちの住むこの世界が、そこに住む者たちにとって、おそらくは狭くなりすぎはじめているのだという突然の発見――それらの事実を、私にありありと感じさせてくれたのは、幾多の統計や、幾多の変革の報せではなかった。それは、ほんの数ヶ月前、電話口で受け取った、ある短い返事にすぎなかった。

 

 その電話をかけたとき、私は、あの15年もまえの、船に乗った若い日の自分を、もう一度見出せるかもしれないという、楽しい思いにふけっていた。だが、受話器のむこうから返ってきた答えは、こうであった。事情のいかんにかかわらず、いまでは、船の予約は半年もまえに済ませておくべきなのです、と。かくて私は、飛行機に乗ることとなったのである――

 

     *

 

 空高くから見ると、その島はあるポケモンに似ている。冷たい海流の渦巻く暗い海を、背中に大きなこぶをつけて悠々と泳ぐマンタインである。その背中には龍の背骨のような山脈が古傷のように沈みこみ、何筋かの川が古びた岩肌に寄りそうように流れている。

 

 少し目を凝らせば、血管と見紛う細い脈が見えることだろう。生気溢れるポケモンが数多く潜む自然の中に、人々が命懸けで開拓した道路が通っているのだ。私が研究しつづけたあの時代の面影が、まだ残っていた。山に囲まれた盆地にあるコトブキシティや、海沿いに工場の広がるソノオタウンにもそれは認められる。

 

 マンタインの右のひれには、キッサキとエイチ湖を白く縁取る雪原が広がっていた。その白く染まった皮膚をよくよく見てみると、木々の尖った葉の上にだんだんと雪が降り積もってゆくのが分かるだろう。森の中に潜む町の一つから、時折、ガラスに反射した光が漏れる。シンオウ神話、それが私が研究しているものだ。この地に積み重なった歴史が、はるかなるこのポケモンを、雄大なこの世界でただ一つの存在にまで高めている。

 

 私が手に持つヒスイの古地図には、鮮やかな筆使いでテンガン山が大きく描かれている。とはいえ、実際に見てみると、そこまで大きくはない。得てしてそういうものだ。憧れた人の背中も、あの頃の未来も、居なくなったポケモンの思い出も。

 

 地上から見上げれば、全てが大きく見える。私たちのような研究者にとってみれば、ときに昔の絵や地図は、公的な記録よりも雄弁に、その時代を生きた者がどのように世界を見ていたかを表す。あの時代はまだ、テンガン山は見上げる対象であって、私達が見下ろすものではなかったらしい。きっとシンオウ様の役目だったのだろう。あまり人間が住まぬ頃の世界は、いったいどれほどゆったりと歩んでいたことか。

 

 私はかねてより、ある一つの記録の断片に取り憑かれていた。それは正史と呼ぶにはあまりに粗末で、伝聞と伝聞の隙間を私自身の推測で埋めなければ、とても物語の体裁を保てないような代物である。だが、あえてここに書き記しておきたい。後の考察のためにも、また私自身、この島に降り立つ前に、いま一度その輪郭を心に刻んでおきたいと思うからである。

 

 昔、ひとりの異邦の者が、前触れもなく空から降ってきたのだという。落ちた場所は始まりの浜と呼ばれ、今はもう地図の上にその名を留めていない。どこの生まれかは誰も知らない。持っていたのはただ一つ、見慣れぬ小さな板きれだけであったというが、これもまた、後の世の脚色であるのかもしれない。土地の人々は初め、この者を恐れ、遠ざけた。ポケモンという、当時なお得体の知れぬ獣どもと変わらぬ扱いを受けたと言ってよいだろう。それでもこの者は、幾つかの試練を経て、やがて村の一員として認められるに至ったと伝えられている。

 

 コトブキムラの英雄。のちの記録はそう呼んでいる。

 

 私がこの地に赴こうとしているのも、思えば同じように、空から――正確には飛行機からであるが――降り立とうとしているのであった。この符合をどう受け止めればよいのか、私にはまだ判断がつかない。ただ、幾千年を隔てて同じ土地に、同じように空から舞い降りる者があったという、この単純な事実だけが、妙に私の心を捉えて離さなかった。

 

 同じ時代の同じ社会の中に、死と誕生、消滅と生成の両方が、並び立つだけでなく、たがいに支え合いながら存在する。かつて存在したであろうポケモンたち、そして今存在するポケモンたち。何が生まれ、何が残り、何が滅びゆくのだろう。古い文化の、様々なあり方が、ともすれば強すぎる光の前に、露となって消えていく。そのとき、その同じ土壌に新しい文化が朝露を吸い、やがて花を咲かせる。私にとってのヒスイ、そしてシンオウの歴史は、そのとき一つの山のいただきにある、雲に隠れた見えない遺跡に形をとって現れる。

 

 私は今、昔シンオウの、ヒスイの人々とポケモンが揃って見上げたに違いない、あのテンガン山を見下ろしている。それは私が優れた人間だからか。否である。私とヒスイの人々は、そして私のポケモンとヒスイのポケモンは、無論全く違うけれども、ある意味で全く変わるところがない。幾年にも渡り、幾世紀にも沿って、一瞬一瞬に、私たちはまだ生きている。やがて消え去る体でもなく、種族でもなく、この"こころ"が生き続けている。しかし、シンオウの、そしてヒスイの人々が伝えつづけた"こころ"とは、一体なんなのだろうか。その答えを、我々は出すことができたと言えるのだろうか。

 

 遠い東の空を、一羽のムクホークが飛んでいる。

 

 飛行機がじょじょに高度を下げ始めた。シンジ湖が遠ざかり、いつしか窓から消えたのに気づいた。シンオウのそれぞれの端に位置する3つの泉が、私にここが神話の地であることを思い起こさせた。コトブキ空港につくまで、もう10分もない。私が飛行機の中から見たシンオウ地方は、このような姿をしていた。

 

 私がここに陳述を試みたのは、いくつかの異なる主要な精神の典型に加え、なお多くの人々の生の記録から再構成された、古代シンオウ、そしてヒスイの生活と思考の諸形態についての哲学的・民俗学的考察である。アルセウスと三匹の龍、”こころ”を司る神、国を曳いた伝説の巨人。シンオウ各地を巡り、最後にはテンガン山に登る。それは研究のためでもあったが、私はある種の宗教的な、巡礼にも近い心持ちで臨んだ。思い出の影の足取りを、もう一度捉えるための旅路。懐かしいシンオウが、もう目の前に見えてきていた。

 

 

 




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