これは私の師匠である《死神》ヤシロが天使に拉致されたときの話ですが   作:ボブ・ニンジャ

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プロローグ
第1話


 

 

ごん、ごん、ごん、ごん。

 

その男は、ベッドのヘッドボードに繰り返し頭突きをしていた。

夜の静かな病院に、低い衝突音が何度も響く。

 

ごごん、ごごん。

ごん、ごん、ごん、ごごん。

 

男は頭突きし続ける。

他にできることがなかったからだ。

男には手足がなかったし、目と喉は潰れていた。

 

頭突きは一定のリズムで続く。

何百回、何千回と頭を打ちつけ、今日もまた泥のように緩慢な時間が無為に過ぎていくかに思われたその時。

不意に、男は頭突きをやめた。

廊下の方から聞き覚えのない足音が鳴るのを聞いたのだ。

 

からからと音を立てて病室の引き戸が開く。

面会時間はとうに過ぎているはずのこの真夜中に男の個室を訪れたのは、魔王だった。

首から上が鹿で、大きな2本の角を伸ばしている。

腰の左右には長剣を一振りずつ提げていた。

 

「夜分に失礼する。私は《見えざる波》という者だ」

 

魔王はそう名乗ると、懐から注射器を取り出す。

そして、無造作にそれを男の首筋に突き刺した。

薬剤が注入される。

人間に超人的な身体能力と特殊な知覚を与える薬剤《E3》が、男の全身に巡っていく。

男は久々の刺激に脳が痺れるような快感を味わい、身を震わせた。

 

「これで、君のエーテル知覚ならば私の顔が見えたはずだ。──《千里眼》のジョニー」

「うーっ、うーっ」

 

男は唸り、またヘッドボードに頭突きを始めた。

しかし、リズムがさっきまでとは明らかに違う。

《見えざる波》卿は目を細めた。

 

「モールス信号か。こんな境遇にあって狂っていないとは大したものだ。……いや、いっそ狂えた方が楽だっただろうと思うが」

 

鹿頭の魔王はしばらく黙って男の頭突きの音を聞いていたが、やがてそのメッセージを理解。

口頭で返答する。

 

「私は君をスカウトしに来たのだ。身体のことは関係ない。一流の戦闘技術を頭で理解していることと、遠方を見通せるエーテル知覚が必要なのだ」

「うーっ、うーっ」

「私に従うなら、必ずや復讐の機会を用意しよう」

 

《見えざる波》卿は一歩踏み出す。

窓から月光が差し込んで、魔王の頭から生えた、細かく枝分かれした大角を照らし出した。

珊瑚か、さもなくばアンテナのような。

 

「君の憎きライバル──《死神》ヤシロへの復讐の機会をだ」

 

 

 ◆

 

 

「そんじゃ、本日の貢献度ランキング発表といくか」

 

《死神》ヤシロはそう言って、首だけで後ろを振り返った。

 

「1位、印堂。眷属の連中を7割がた殺せてたな。魔王とはイマイチ相性が悪かったが」

「当然」

 

小柄な少女、印堂雪音が仏頂面で頷く。

 

「2位、セーラ。魔王相手はお前がMVPだったな」

「おお。……あんがと」

 

金髪の少女、セーラ・カシワギ・ペンドラゴンが、照れくさそうに目を逸らして髪をいじった。

 

「そしてぶっちぎりのビリッケツがお前だ、城ヶ峰」

「し、師匠! その評価には修正の余地があるものと思います!」

 

3人目の少女、城ヶ峰亜希が反発する。

ヤシロはげんなりした表情で、

 

「そんな余地はねえよ。不殺のせいで眷属無力化するの遅ぇし」

「魔王のエーテル知覚を見抜きました!」

「対処してから威張れよ。簡単にあしらわれやがって……印堂とセーラに負担かけすぎ」

 

4人は東京某所の、荒れ果てた4車線道路を歩いていた。

かつて魔王同士の抗争で汚染され、行政から見捨てられた地域の一角。

この近くに陣取っていた魔王の1人を倒した帰り道だ。

 

「教官。1位のご褒美ほしい」

 

印堂がヤシロに追いつき、横から言う。

 

「なんだよ。飯か?」

「特訓も」

「ああ……まあ、どうせ城ヶ峰の補講の時間は取らねえといけねえし。その時になら」

「……先生、あたしにも何か」

「おい、セーラ」

 

口を挟もうとしたセーラに、ヤシロは先んじて問う。

前方にある大きな交差点と、そこに架かった歩道橋を睨みながら。

 

「あの交差点に脅威はないな? お前のエーテル知覚に反応は」

「ああ? ……無えよ、別に」

 

セーラは自分の感知能力でそちらをスキャンして答える。

4人の中で彼女だけは、今も能力が使える状態だった。

さきほどの魔王との戦いの終盤に追加でE3を使ったためだ。

 

「なんで気にするんだ?」

「俺たちを待ち伏せするならあそこが最適だと思った。何もないならいい」

「さすがです師匠、帰り道も警戒を怠らないとは! まさに勝って兜の」

「うるせえな! 聞きつけて敵が寄ってくるぞ」

 

ヤシロと城ヶ峰、セーラの3人は喋りながら交差点へ入る。

印堂は1人だけ黙り込んでいた。

ヤシロが待ち伏せを話題に挙げて以来、周囲を気にし続けている。

 

「おい、どうした印堂」

「……なんか、気に入らない」

 

ヤシロの問いに曖昧に答え、ポケットをまさぐる。

彼らが交差点の真ん中に差し掛かったその時、状況は激変した。

 

唐突に、敵が4人出現した。

なんの前触れもなく、世界のテクスチャーが一層剥がされて下にあったものが現れたような出現の仕方だった。

ちょうどヤシロたちの前後左右を塞ぎ、取り囲む陣形。

その全員が首もとにE3使用者特有のアザを浮かべている。

勇者か、もしくは勇者くずれの魔王の眷属。

 

「え」

 

セーラが呆けた声を発した。

真っ先に、印堂がポケットからE3を取り出した。

ヤシロはガンマンの早撃ちのような速度でそれに続き、2人は同時に注射する。

城ヶ峰はわずかに反応が遅れた。

その直後、4人の敵が襲いかかった。

 

ヤシロに向かってきたのは両手剣使いの男だった。

繰り出してきた初手、袈裟懸けの一刀を、ヤシロはバスタード・ソードの抜き打ちでかろうじて弾き返した。

ヤシロの体にE3が巡る。

主観時間が加速し、死神が死神となる。

男が剣を返して繰り出してきた2撃目の横薙ぎに、すれ違いざまのカウンターを合わせる。

男の首が空中へポンと吹き飛んだ。

 

ヤシロは素早く周囲を見渡した。

印堂は自分に襲いかかってきた敵の初撃をかろうじて回避したらしい。

今まさに、地面を転がって「空間の裂け目」に飛び込み、テレポートするところだった。

対応できている。

セーラも、青龍刀使いの敵の一撃を受け止め、鍔迫り合いになっている。

こちらも対応できているか。

 

しかしその瞬間、セーラが表情をさらに強張らせ、目を見開くのが見えた。

ヤシロはその意味を考えた。

目の前の敵が剣越しに電流でも流してきているのか。

あるいは、彼女の「脅威を感知する」エーテル知覚で何か感知したか。

 

ヤシロは見上げた。

5人目の敵が、頭上の歩道橋から飛び降りてきていた。

斧を振りかぶって、セーラの頭をかち割りにきている。

正面で鍔迫り合いしている青龍刀使いの敵が邪悪な笑みを漏らす。

 

「うわあああああ!?」

 

視界の外から、城ヶ峰の間抜けな悲鳴が聞こえた。

何をされているのか。

しかし彼女は特別な体質の持ち主だ。

セーラや印堂よりもはるかに打たれ強く、もろもろの取り返しが効く。

 

ヤシロはひとまずそちらを無視して、セーラのほうへ走った。

彼のエーテル知覚は「体感時間の延長」。

思考を加速できるが、自分の体の動きまで加速できるわけではない。

鈍化した時間の中をもがくようにして進み、斧がセーラの頭に触れる直前になって、やっと辿り着く。

セーラを突き飛ばす。

 

「──うわっ!?」

 

セーラは地面を転がった。

膝をついて身を起こすと、ヤシロが右手1つでバスタード・ソードを2度振るうのが見えた。

青龍刀使いと斧使い、2人の敵が血を噴いて倒れる。

 

「セーラ。早く立て」

 

ヤシロはセーラの方を見もせずに言う。

──青龍刀にやられたのか、斧にやられたのか。

彼の左腕は、肘の少し下あたりでへし折れ、力なく下へ垂れ下がっていた。

セーラは目を見開いた。

 

「先生……! 腕が!」

「どうってことねえ」

「あたしのせいで」

「言ってる場合か! 立てっつったんだ、俺は!」

 

ヤシロはセーラを叱責しながらも、残った敵2人を睨み続けていた。

 

「不意打ちを受けておきながら、一瞬で3人も返り討ちにするとは」

 

そのうち1人、女が口を開く。

さっき印堂を襲った人物だ。

手には日本刀を持っている。

 

「《死神》の2つ名は伊達ではない、といったところか」

「笑わせんな。テメエらがヘボなだけだ」

 

ヤシロは言い返し、残るもう1人の敵をちらりと見た。

こちらは中年の男だ。

武器は持っておらず、片手で空中の何もない場所を握りしめ、下へ引くような仕草をしている。

その頭上では、城ヶ峰が空中に固定されていた。

 

「師匠! お気をつけください、この男にはロープや滑車が見えているようです!」

 

城ヶ峰はジタバタともがきながら言った。

E3の注射は間に合ったが、何かする前に拘束されてしまったらしい。

 

「おのれ、悪党め! 美少女である私を緊縛してどうするつもりだ! 屈しはしないぞ!」

「黙れ! 女の方も読め」

「えっと、カーテンというか、幕? 目隠しのような」

「わかった、もういい」

 

ヤシロは城ヶ峰の言葉を遮った。

女の方に視線を戻す。

 

「お前が『透明マント』ってわけか。味方まで透明にできるし、敵のエーテル知覚もすり抜ける。大層なもんだ」

「そう便利なものでもない。色々と制約がある」

「こいつの言うことは本当です、師匠! こいつが透明化しながら動き回れるのは自分1人だけで──痛たたたた!」

「このガキ、俺たちの能力の仕様書でも見えてるのか」

 

中年男がロープを締め上げながら毒づく。

 

「よせ。大切なお客様だ」

 

日本刀の女がたしなめる。

 

「なるほど、お前らのお目当てはその城ヶ峰か」

 

ヤシロは肩をすくめた。

 

「なんで俺と一緒に居るところを狙うかねえ。そいつが《アカデミー》にいる時にでも勝手に拉致してくれれば俺は知らんぷりするのに」

「師匠!?」

「あいにく、我々も彼らに正面から喧嘩を売れるほどの大所帯ではないのでね」

 

女は乾いた笑みを浮かべる。

ヤシロは敵集団の正体を推理する。

《E4》の話を聞きつけたどこかの魔王か、あるいは《ハーフドラゴン》内の過激派・急進派の類か。

──とにかく、左腕が治癒するまで会話を引き延ばして時間を稼ぐ必要がある。

 

「せ、先生。ヤバい」

 

背後でセーラが怯えた声を話した。

 

「なんか……めっちゃヤバいのが、飛んでくるぞ……!」

「何……?」

「来たか。《天使》が」

 

ヤシロが困惑する一方、"透明マント"の女は平然としていた。

 

「あいつは私の緞帳で隠してやるには差し支えがあるのでね。少し遠くで待機させていた。──時間を稼いでいたのはお互い様ということだ」

 

そう言って上を指差した瞬間、交差点がぱっと明るくなった。

スポットライトのように真上から光が降り注いでいる。

ヤシロが見上げると、低く垂れ込めた雲の中から《天使》が舞い降りてくるところだった。

 

身長は3mほどか。

ゴリラのような筋骨隆々の巨体。

頭の上に輪こそなかったが、全身をびっちりと包む純白の鎧や背中から生えた光の翼は天使と呼ぶのにふさわしかった。

腰には大剣を帯びている。

ゆっくりと降下しながらヤシロを見下ろし、喉をぐるぐると鳴らす。

 

『──殺す』

 

そして、低い声で人語を発した。

天使らしからぬ恨み言を。

 

『殺してやるぞ、《死神》ヤシロォォォ!』

「セーラ! 城ヶ峰を連れて逃げろ!」

 

ヤシロはセーラの方を見もせずに叫ぶ。

セーラは躊躇した。

 

「い、いくら先生でもあの天使ってやつ相手に片腕じゃ」

「ガタガタ言うな! いつまで甘ったれてんだ、お前!」

「う……うわあああーっ!」

 

セーラはその剣幕に尻を蹴られるようにして走り出した。

城ヶ峰を捕らえている中年男に向かって。

その進路上に透明マントの女が割り込み、立ち塞がった。

 

「お前も刀使いか。青い目のサムライとは面白い」

「どけよっ!」

 

セーラは踏み込みざま、袈裟がけに斬りつけた。

女は自らの刀でそれを払いのける。

そして反撃を試みた瞬間、その背後に印堂がテレポートしてきた。

 

「ぐおっ……!」

「ぐうっ!?」

 

うめきの声が重なった。

──すでに一度テレポートを見ていたためか。

透明マントの女は、印堂のバックスタブに反応してみせた。

肩を浅く切り裂かれながらも、反撃の後ろ蹴りで印堂を吹き飛ばしたのだ。

 

「おおっ!」

「ぬう……!」

 

セーラが踏み込み、さらに斬りつける。

女はギリギリでそれを受け止めた。

鍔迫り合い、"バインド"の形。

セーラが以前ヤシロに教わった誘いの技を実践すべく手元の力を調整した瞬間、女の足払いが炸裂した。

天地が逆転する。

地面に転がされたセーラに振り下ろされた追撃を、再度テレポートしてきた印堂が防いだ。

女が鼻を鳴らす。

 

「面倒なやつだ。死神ヤシロの一番弟子といったところか」

「うん」

 

印堂は臆面もなくそう答え、ナイフの二刀流を構え直した。

 

『ヤシロォォォ!』

「ぐおお!?」

 

その横では、天使が大剣を連続で振るい、ヤシロを吹き飛ばしたところだった。

ヤシロはかつて戦った怪物《ネフィリム》を連想した。

あれと同程度の、圧倒的なパワーとスピード。

それが相応のテクニックを伴って襲ってきている。

到底、片腕で戦える相手ではない。

 

「頑張れ、雪音! 上段が来るぞ! 次は下、いや中段だ!」

 

城ヶ峰は空中に吊られ、透明マントの女と印堂が戦うのを見下ろしながら大声でわめいた。

そのアドバイスは女の思考を読んでのものだが、まったく間に合っていなかった。

城ヶ峰が警告を発した時にはすでに女は技を繰り出し終えている。

 

「亜希、黙ってて……! 気が散る!」

 

印堂は罵り、女が繰り出す一撃を右手のナイフで跳ね除けた後、近くにある空間の裂け目に左手を突っ込んだ。

その裂け目は、女の足元にある裂け目へと通じている。

ナイフを持つ手だけを転移させて、足を切りつけにいく。

 

印堂の左手が消えた瞬間、女は刀で自分の足元を薙ぎ払った。

左手のナイフが弾き飛ばされる。

──読まれた。

印堂は混乱し、とっさにバックステップで後退しようとした。

その足の甲を、女は踏みつけた。

 

「お前のテレポートは、いちいち狙いをつけているな。目線で読めるぞ」

 

女は刀を振りかぶり、必殺の一撃を構えた。

横合いでセーラが何か叫んで駆け寄ってくるが、到底間に合う距離ではない。

印堂は覚悟を決めた。

せめてもの最後っ屁の一撃を繰り出そうとする。

その瞬間、ヤシロとそれを追う天使が視界に割り込んできた。

 

『死ね、ヤシロォォォ!』

「うおおっ!」

「ぬうっ!?」

 

天使の大剣が地面を砕き、アスファルトを爆散させた。

ヤシロが飛び退いて回避。

透明マントの女も身をかわすが、印堂への攻撃チャンスを逃してしまった。

ヤシロが天使を誘導してそのように計らったことは明らかだ。

天使がそれにまんまと乗せられたことも。

 

(((くそっ、ジョニーのやつめ。エーテル知覚でこっちの様子がちゃんと見えてるんじゃなかったのか?)))

 

相変わらず空中に吊られていた城ヶ峰は、女が内心で毒づくのを聞き取った。

──今の失敗について、この場にいない"ジョニー"なる人物を批判する意図とは?

城ヶ峰はさらに深く読み取ろうとしたが、その時間はなかった。

 

「雪音! 早く亜希を!」

 

セーラが透明マントの女と斬り結びながら叫ぶ。

次の瞬間には、城ヶ峰の近くの空中に印堂がテレポートして出現した。

左手で粉塵を投げて不可視のロープの輪郭を確かめた後、右手のナイフを振るって切断。

城ヶ峰は拘束を解かれて着地する。

 

「助かったぞ、雪音! さあ、真打たる私が来た以上ここから反撃を」

『捕らえたぞォ!』

「ぐおっ……!?」

 

天使の大きな手が、ヤシロの首を掴んだ。

そのまま空中へ吊り上げる。

バスタード・ソードが彼の手を離れて地面に落ちる。

城ヶ峰は目を剥いた。

 

「師匠! 今、助けに!」

(((やめろ、馬鹿野郎!)))

 

ヤシロは胸の内で叫び散らしながら、懐へ手を伸ばす。

 

(((お前ごときがこのバケモンに勝てるかよ。俺は自分でなんとかする。お前らは敵を嫌がらせることだけ考えてろ)))

「敵を嫌がらせる……?」

(((こいつら、こんなバケモンを抱えてたくせにわざわざ透明化して待ち伏せなんてしていやがった。盤面が滅茶苦茶になる前にお前を確実に捕らえるためだ)))

 

懐から取り出したものを、放り投げる。

スモークグレネードだ。

 

(((逃げろ。敵からしたら、お前に雲隠れされるのが一番困る。──それをやれ!)))

 

カランと音を立てて、アスファルト上にグレネードが落下。

すぐに白煙の噴出が始まった。

充満し、急速に周囲の視界が悪化していく。

 

「煙幕……?」

「オラァ!」

「ぐあっ!?」

 

セーラは透明マント女が気を取られた隙をつき、柄頭で鳩尾へ一撃。

ほどよく間合いが開いたところで、上から下へ斬り下ろした。

敵の肩と腕が浅く裂ける。

 

「おごっ!」

 

さっきまで城ヶ峰を拘束していたロープの男が、喉から血をこぼして倒れた。

印堂はナイフを振るって血を払い、城ヶ峰を見た。

 

「亜希、聞いたでしょ。撤退命令」

『お前のせいで俺がどれほど苦しんだか!』

「ぐわあっ!」

 

煙幕の向こうから、天使がヤシロを痛めつける音が響いてくる。

城ヶ峰は苦しげに顔を歪めた。

 

「でも、雪音……!」

「亜希。先生がああ言ってるから」

 

エーテル知覚で煙幕を見通して、セーラが合流してきた。

今にも泣きそうな顔だ。

 

「頼むから」

「……わかった。敵の潜伏を見抜けなかったうえ敵の攻撃から庇われたキミの心情に、私は配慮する」

「説明しなくていいから」

「では何にも恥じることなく堂々と、逃げるぞ!」

 

3人は煙幕に紛れて逃げ出した。

 

「待て、貴様ら! 逃げるのか!」

 

透明マントの女がそれを察して、叫んだ。

 

「大切な師匠を置いていっていいのか!?」

「あいつ必死。効いてる」

 

印堂が言う。

逃げることが正解だと自分に言い聞かせるような響きを含んでいた。

不意に、城ヶ峰は足を止める。

 

「いいか、"天使"! それに"透明マント"!」

 

振り返って、煙幕越しに叫ぶ。

 

「師匠の身柄は一時預けるが、私たちは必ず迎えにいく! 師匠を少しでも傷つけてみろ、そのとき決して容赦はしないぞ! わかったか!」

(((もう十分傷ついてるよ、くそ! どうでもいいから早く行け!)))

『思い知るがいい!』

(((ぐわっ!)))

 

煙幕の向こうで天使がまたヤシロを攻撃している。

3人はその音から強いて意識を逸らし、走り出した。

 

 

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