《死神》ヤシロが天使に拉致されたときの話 作:ボブ・ニンジャ
――5時間後。
◆
都内西部、多摩市内の外れにその中古車ショップはあった。
型落ちのセダンやバン、トラックが野晒しで並べられ、色とりどりの値札で着飾っている。
しかし最近では、買い手が現れることは稀だ。
今日も1人の客も来ないまま日が暮れ、周囲の景色が茜色に染まっている。
車両群の奥にある店舗建物の中で、店主の男・磯崎は大欠伸をした。
店に閑古鳥が鳴いていても彼に危機感はない。
この店は親からなんとなく継いだもので特段の思い入れはないし、むかし危ない橋を渡った時にそこそこの蓄えは確保することができた。
自分が老衰まで死ぬまでは食いつなげる。
あとは野となれ山となれだ。
(少し早いが、もう閉めるとするかァ)
磯崎は「本日の営業は終了しました」の掛札を手に、店舗建物を出る。
そこで思いがけない光景が目に入った。
中型のトラックが1台、来客用の駐車場に進入してきたのだ。
「お客さァん! ご来店いただいて嬉しいんですが、あいすみません」
磯崎はヘラヘラ笑いながらトラックに近づいた。
「本日の営業は終了したところでして」
「入口のところに午後6時まで、とあったが」
運転席から、マスクで顔を覆った冷たい印象の男が降りてきた。
《諸手の楔》卿だ。
磯崎は相手が魔王(すなわちヤクザの親玉)であることを知らず、露骨に顔をしかめながら応対する。
「兄ちゃん、わかんねえかなあ。俺が終わりって言ったら終わりなんだよ」
その時、トラックの助手席から女が降りてきた。
その女の威厳を肌で感じ、冷然とした視線に撫でられた瞬間、磯崎は背筋が凍るのを感じた。
この女はただ者ではない。
(やばい。魔王だ。この女は間違いなく魔王だ)
小悪党の嗅覚が危険を察知する。
この女は自分のような小悪党を何百人何千人とこき使い、失敗した者をバサバサと粛清してきた大悪党であることに疑いはない。
それこそ、昔自分に危険な取引を迫ってきた《逆巻く鮫》と同じような。
「はじめまして、私はオリエと申します。こちらは《諸手の楔》卿」
その女ーーオリエが、うっそりと微笑んで挨拶する。
「《逆巻く鮫》卿から紹介されて伺いました。車を売っていただけますか?」
「もちろんです! もちろんです、車屋ですから!」
磯崎は過剰なまでにはつらつとした態度をとった。
「どんな車種がご入用でしょうか? 黒塗りの高級車? 白いワンボックス? それとも戦車とか」
「なんでも構いません」
オリエが《楔》を一瞥する。
魔王は頷き、トラックの車内からボストンバッグを取り出す。
「うおっ」
磯崎は思わず声を漏らした。
《楔》が開いてみせたバッグの中には、ぎっしりと札束が詰め込まれていた。
「2000万円あります。――この店にある車を、全部いただけますか?」
「ええ、それはもう喜んで!」
磯崎は喜色満面、もみ手をして応じた。
「それで、納期はいつです? 私なら半月もあればあちこちに手配して陸運局や税務署をごまかして」
「今日持って帰ります」
「今日!?」
しかし、その笑顔はオリエの無茶な要求に凍り付く。
「オリエ様、そりゃあ困りますぜ。これだけの大口取引を雑にやったら、私は役所や警察に睨まれちまいます」
「あら……そうですか」
女勇者は乾いた笑みを浮かべた。
「――では、存分に困ってください」
「え」
磯崎は間抜けな声を発する。
その瞬間、何かの手が彼の襟首をつかみ、強い力で引きずり上げた。
「うおおおお!?」
磯崎は空中で悲鳴を上げた。
《楔》の操るハンドユニット――人間の手の形をした機械が、彼の首根っこを掴んで吊り上げていた。
「こいつは預かるぞ」
《楔》はそう言って追加でユニットを2つ繰り出した。
もがく磯崎の懐から、スマートフォンと鍵束を奪い取る。
「何しやがる!? 俺を降ろせーっ!」
「いいだろう」
《楔》は鼻を鳴らした。
磯崎をさらに高く持ち上げ、近くにあった高さ10mほどのポールサインの上に降ろす。
「ひいい! バカ野郎、地面に降ろせ!」
「通行人にでも見つけてもらえ」
「お代は店の中に置いておきますので。ではごきげんよう」
2人はもはや店主への興味を失った。
連れ立って、中古車の並ぶモータープールへ歩いていく。
「畜生、ヤクザどもめ! 売らねえぞ! 俺の車だぞーっ!」
小悪党は看板にしがみつきながら虚しくわめいた。
◆
――翌日。
◆
《死神》ヤシロを地下に捕らえた施設、ヘリックス・ラボ――
その1階エントランスに今、けたたましい警報が鳴り響いていた。
赤いパトランプが走馬灯のように回転する。
「貴様ら、《ハーフ・ドラゴン》のエージェントだな!」
《見えざる波》の眷属の男が、自分の首筋にE3を注射する。
「我々の目は誤魔化せんぞ。一度の失敗で懲りんとは、バカな奴らめ!」
「チッ! 皆、プランBだ!」
消防士に変装していたハーフドラゴンの工作員たちが一斉にE3注射器を取り出す。
しかし、吹き抜けに面した2階のテラス、ホールを見下ろす位置に設置されている機関銃が火を噴いた。
眷属たちも集まってきて、マシンガンで集中砲火を浴びせる。
工作員はE3を使う前に半数が死んだ。
残り半数は刀剣類を振るって暴れはじめたが、《波》側のE3使用者やゴーレムの袋叩きを受ける。
工作員が全滅するのに5分もかからなかった。
大理石敷きの清潔なロビーに消防服を着た死体が散乱し、血だまりが広がる。
「おい、カゴ持ってこい! モップもだ」
眷属の男は部下にそう命じつつ、薙刀についた血糊をふき取った。
近くに設置されているセキュリティゲートを見やり、満足げに目を細める。
「まったく、新しい警備システムは大したもんだぜ。顔と髪型を検知してるんだったか?」
「身長、体格、歩き方もチェックしてますよ」
運用メカニックの男が答え、眼鏡を指でずり上げた。
「勇者や勇者崩れ、魔王の眷属とかの業界人のデータをクラウドに蓄積してますからね。変装して入ろうとしても99%検知できますよ」
「そして検知したが最後、確実にぶち殺せるだけの戦力がここには揃っていると」
眷属の男はエントランスホールを見回した。
2階テラスの機関銃、大勢の眷属、そして《息づく石積》卿のゴーレム。
いざとなれば上階からも地下からも大勢の増援が駆けつける。
「まさしく難攻不落ってわけだ」
「おっ、チーフ。また客ですよ」
メカニックの男が指さして言った。
眷属の男――1階警備班のチーフが振り返ると、3人組が地下駐車場から階段を上って現れたところだった。
全員揃いの作業服を着て、マスクで顔を隠している。
チーフはその作業服の柄やワッペンに見覚えがあった。
「ああ、ありゃ空調の業者だ。今日ちょうど定期点検なんだよ」
「いかにも、お察しの通りです! 毎度どうも!」
3人組のうちの1人、背の低い男が進み出る。
――実際のところ、この男は変装した《もぐり》のマルタだった。
同行している2人は城ヶ峰亜希とセーラ・カシワギ・ペンドラゴンである。
「あ? チビの男が1人に、チビの女が1人に、タッパのある女が1人……」
チーフは視線を空中に彷徨わせた。
「たしか前回は全員中肉中背のオッサンだったろ。人変わってないか?」
「それはその……前任者がこの前の、《嵐の柩》が起こした大抗争に巻き込まれて死んだもんで」
「死んだァ? 3人全員か?」
「ええ、3人全員。作業車両に流れ弾のロケット弾が落ちちゃって」
「アッハッハッハ! そりゃとんだラッキーヒットだ!」
大笑いした後、親指でセキュリティゲートを指し示す。
「3人全員、あそこを通れ。やましいことが無けりゃ普通に通れる」
「あったらどうなるんです?」
「ああなる」
今度は別の方向を指差す。
マルタが目で追うと、ハーフドラゴンの工作員たちの死体がランドリーバスケットに詰め込まれて運ばれていくところだった。
(((バレたら死ぬな。マジで)))
セーラはひそかに生唾を飲んだ。
自分もマルタも城ヶ峰も、今はE3を使っていない。
首にE3痣が出て潜入に差し支えるからだ。
この状況で集中放火を浴びれば──達人級のマルタや特異体質の城ヶ峰はともかく──自分は、死を免れない。
『落ち着けセーラ。大丈夫だ』
その動揺を見て取り、城ヶ峰が通信越しに呼びかけた。
喋っていることを周囲に気取られない、咽頭マイクと小型インカムでの通信だ。
『今は《張巡る闇》卿がうまくやっていることを祈ろう』
『ああ……』
セーラの答える声は少し震えた。
前方を見ると、マルタが先行してゲートをくぐっていく。
……通過した。
「異常ありません」
メカニックの男が、ゲート脇に設置されているPCの画面を見ながら言った。
チーフは頷き、城ヶ峰とセーラにも通るよう促す。
城ヶ峰が通過。
異常なし。
セーラが、少し躊躇した後、ロボットのようなぎこちない歩き方で通過する。
……異常なし。
「全員真っ当なお客様らしいな。ようこそ"ヘリックス・ラボ"へ」
チーフがにっと歯をむき出しにして笑った。
その歯はすべて金歯に置き換えられている。
「空調機械室は地下5階だ。点検、よろしく頼むぜ」
「かしこまりましたぁ」
「お任せください!」
マルタと城ヶ峰が元気よく答える。
セーラはその脇で呼吸を整えるのに精いっぱいだった。
◆
『これぞ、めぐめぐマジック~~~!』
変装したマルタ、城ヶ峰、セーラがエレベーターで地下へ降りていると、通信越しに女が呼び掛けてきた。
魔王《張巡る闇》卿だ。
『本当は3人とも検知されて殺されてるところだったんだからね? それを私が誤魔化しました。はい有能~! めぐめぐ卿有能~!』
「なんだよ、うざったいな。金もらってるんだからそのくらい働いて当然だろ」
マルタがげんなりした顔で答えた。
鼻の下につけた付け髭を指先でなでさする。
「それにしてもあいつら、ゲートでOKとなったら素通しだったな。ボディチェックもしないで」
「防犯意識がなっていませんね! 実に良くない!」
城ヶ峰が批判する。
「いや、良いだろ。魔王の城なんてザル警備の方が世のため人のためだよ」
セーラが汗を拭いながら言った。
「で、だ。地下5階の見取り図は頭に入ってるよね?」
マルタが尋ねると、城ヶ峰とセーラは頷いた。
空調機械室も、ヤシロが囚われていると思しき独房区画も、同じ地下5階だ。
「予定通りいくぜ。オリエのやつと《諸手の楔》卿が上で騒動を起こしたら――」
「機械室から師匠がいるところまでダッシュ、ですね」
城ヶ峰が目を輝かせた。
「この私が、師匠を助けに行く。ああ、燃えるシチュエーションです! くぅーっ!」
「頼むから用心深く動けよ。亜希はただでさえイノシシ武者なんだから」
「イノシシ武者!? なんだその形容は、パワフルで強そうだ!」
「……」
セーラが親友のハイテンションぶりに辟易していると、エレベーターが地下5階に到着した。
扉が開く。
3人はエレベーターから降りようとして、立ちすくんだ。
大柄な男が2人、エレベーターを待って立っていた。
1人は肥満体で、エナメルのパンツとサスペンダーと仮面だけを身に着けた半裸の異様な男。
どういうわけか、長いムチを手にしている。
もう1人は、ラガーマンのように筋肉質な男だ。
右頬に大きな傷跡があり、ダークスーツに身を包み、腰には片手剣を吊っている。
鋭い視線が、マルタたち3人を頭の先からつま先まで瞬時になぞった。
(((こいつ、強い)))
エーテル知覚のない今のセーラにも、その2人目の男はおそるべき達人であることがわかった。
「やー、どーも。空調の業者です。恐れ入ります」
「恐れ入ります!」
「お、恐れ入ります」
マルタがへらへら笑いながらエレベーターを降り、2人もそれに続く。
「おう! 俺はここの責任者の
傷顔の男がにかっと笑う。
セーラにはその表情が牙を剥く虎のように恐ろしく感じられた。
「よく点検しといてくれよ。――あと、関係ない部屋には入るなよ。間違ってもな」
「へえ、それはもう!」
マルタがぺこぺこと頭を下げる中、雪虎とムチの男はエレベーターに乗り込み、姿を消した。
3人は空調機械室へ向かって歩きはじめる。
廊下は清潔で、真っ当なオフィスビルのように思える。
「……なあマルタさん、今のは誰なんだ?」
セーラが切り出した。
「ん? ありゃ悪名高い変態拷問官"ムチリンダ"だ。《見えざる波》卿に捕まったやつはあいつの拷問でその9割が……」
「いや、そっちじゃなくて。もう1人の方だよ」
「そりゃ雪虎だろ。――ああ、雪虎も知らないのか」
移動しながら、マルタは雪虎について語った。
――ムチリンダにも増して悪名高く、ベテラン勇者たちの間では常に《見えざる波》卿とセットで語られる存在。
《波》卿の腹心で、実働部隊隊長の筆頭格で、最強の殺し屋。
エーテル知覚の情報はない。
能力を使われた相手は全員殺されており、誰一人情報を持ち帰れていないのだ。
「まあ、たぶん大丈夫だろ。作戦通りにいけば、あいつはこのビルの上の方から離れられなくなるからな」
マルタは呑気な調子だ。
セーラは不満に思い、意地悪な質問をする。
「……作戦通りにいかなかったら?」
「俺が相手をするよ。君たちは戦っちゃだめだよ? ――たぶん一瞬で殺されるからね」
呑気な口調のまま、シビアな推測を語る。
城ヶ峰とセーラは身を固くした。