《死神》ヤシロが天使に拉致されたときの話 作:ボブ・ニンジャ
第8話
──《電光の盾》卿のアジトでの戦い、その翌朝。
◆
東京都西部、多摩地域の某所にその施設はあった。
広い庭園に囲まれた、全面ガラス張りのビルだ。
壁が朝日を照り返してキラリと光る。
3台の黒塗りのセダン車両が今、庭園を通る道を抜けて、玄関前のロータリーにまで辿り着いた。
ダークスーツ姿の男女が何人も降車してくる。
──魔王《見えざる波》卿の眷属たちだ。
リーダーは《波》卿の側近、女剣士キルスイッチである。
「開けろ。奴を降ろす」
キルスイッチが部下に指図し、1台のセダンの後部ドアを開けさせる。
そこには、1人の勇者がふんぞりかえって乗っていた。
《死神》ヤシロである。
「おう、ようやく到着か? 朝のドライブは最高だな」
ヤシロは不敵に笑い、自ら車を降りた。
その目は目隠しで塞がれている。
「この目隠しが無きゃもっと良かった」
「外してやれ」
キルスイッチに命じられ、眷属の1人がヤシロの目隠しを外した。
「おう、サンキューな」
死神は軽薄に礼を言った後、周囲を見回した。
芝生が広がり、庭木が点在する広い庭園。
正面の1棟を除けば、他に高層ビルは見えない。
(((ここはどこだ? 都心にある奴らの本部から担ぎ出されて……移動時間からすると埼玉か多摩か)))
ヤシロはキルスイッチたちに追い立てられて、自ら歩いてビルへ入った。
朝の日差しが差し込む、開放感のあるエントランス・ロビー。
《息づく石積》製のゴーレム2体のほかに、マシンガンで武装した眷属が数人立っており、キルスイッチらと二言三言会話している。
受付デスクの背後に「ヘリックス・ラボ」と書かれたロゴがあるのが目につく。
(((バイオテクノロジー系の研究所か何かの跡地を、《波》卿が買収して使ってるってとこか)))
ヤシロは推測する。
《波》がE4やネフィリムを研究するために用意した施設なのかもしれない。
さらに奥へ進む。
ヤシロはキルスイッチら数人の眷属とともにエレベーターに乗った。
これもガラス張りで、突き当たりの壁から庭の様子が見渡せた。
庭木のあわいに何基か対空砲が設置されているのが覗く。
「大した防衛網だな。ちょっとした要塞だぜ」
ヤシロはキルスイッチに話しかける。
「誰が襲ってくる想定なんだ? 《ハーフ・ドラゴン》の連中か?」
「その予定だったが、少し事情が変わった」
「ほお? 俺がお引越しさせられるのもそれ関係かよ」
「どうだろうな」
女剣士はそれ以上答えなかった。
やがてヤシロは、最上階の最奥――かつて上役の執務室だったと思しき部屋まで通された。
シックな調度の施されたその部屋で、魔王とその直臣が待ち受けていた。
「久しぶりだな、《死神》ヤシロ」
鹿頭の魔王《見えざる波》は、来客用のソファに腰かけていた。
「とはいっても……3日ぶりか、4日ぶりといったところか」
「ああ。テメエに電流マッサージしてもらってから4日目だ」
「喜んでもらえたようで嬉しいよ」
《波》はヤシロの皮肉を受け流した後、部屋の奥のほうを手で示した。
1人の男が執務机のところから立ち上がり、ヤシロの方へ歩いてきたところだ。
「彼は私の部下で、この施設を任せている責任者だ」
「初めてお目にかかる! 俺は《
雪虎は、ラガーマンを思わせる大柄で筋肉質な男だった。
すでにE3を使っているらしく、首元にエーテル痣を浮かべている。
ヤシロは鼻で笑った。
「噂は聞いてるぜ。《見えざる波》の下働き、鉄砲玉、ケチな殺し屋ってな」
「ガハハハ! こいつは手厳しい!」
雪虎は大声で笑い返した。
「いかにも、《光芒の蛇》や《嵐の柩》をやったお前からしたら俺はケチな殺し屋同然だろうよ」
「殊勝じゃねえか」
「だからこそ、心底安心してるよ」
そう話しながら、ヤシロの胸倉を掴む。
E3で強化された雪虎の腕力とスピードに抗えず、ヤシロは締め上げられ、空中へ吊り上げられた。
「ぐ……! テメエ……」
「お前に対する絶対的な優位、生殺与奪の権を握れる状況で会えた。マジにラッキーだぜ」
雪虎はサディスティックな喜びに目を細めた。
――《見えざる波》卿の眷属、雪虎。
かの魔王が何人か抱えている勇者崩れのエージェント、戦闘部隊隊長のうちの筆頭格として界隈に知られている男だ。
《息づく石積》が《波》の右腕なら、雪虎は左腕といえた。
「その辺でやめろ」
《波》が制止した。
雪虎は鼻を鳴らし、ヤシロを解放する。
「部下が失礼したな。私はまだ君に働いてほしいと思っている」
《波》はヤシロの右肩に手を置く。
ヤシロは忌々しげにそれを振り払った。
「人質としてか? 持って回った言い回ししやがって」
「いずれわかる。それまでは君が五体満足でいられることを保証しよう。それ以降も、君の態度次第では――」
「お前のその、何の裏付けもない口八丁なんかどうでもいいけどな」
ヤシロはため息をついた後、言った。
「お前ら、《もぐり》のマルタや《ソルト》ジョーと
「……」
キルスイッチが微かに表情を強張らせた。
「ほう。何故そう思う?」
《波》は興味深そうに尋ねる。
ヤシロは余裕たっぷりに笑ってみせ、
「この慌ただしい移送だよ。俺の人質としての価値が変わったから以外にあり得ないだろ。で、動くとしたらマルタやジョーだ」
「そんなに慌ただしいかね? それに、戦闘が起きたことがきっかけとも限らない」
「臭ぇんだよ。お前とそっちの女は」
ヤシロはずばり言及した。
《波》やキルスイッチから微かに感じていた、戦場の臭気。
「血と火薬の臭いがプンプンするぜ。いくら徹夜でもシャワーくらい浴びろって思ったね」
「マジか?」
「貴様、嗅ぐな……! 殺すぞ!」
雪虎がキルスイッチに顔を寄せ、臭いを嗅ごうとした。
キルスイッチは全力で拒絶する。
「正解だ。君の推理力には感服する」
《波》は平たんな口調で言い、ぽんぽんと拍手した。
「白状すれば、今回の移送は彼らが君を救出するために襲撃してくることを予期してのことだ」
「ほおん。総本山をジョーに爆破されるのが嫌だったか?」
「まあそんなところだ。案外、すぐに彼らに救出してもらえるかもしれんぞ」
「だからおとなしく捕まっとけって?」
「よくわかっているじゃないか」
やがて、5人の眷属が執務室に現れた。
雪虎がヤシロを指差して命じる。
「このお客様を"VIPルーム"へご案内しろ」
「はっ!」
眷属たちはヤシロを取り囲み、マシンガンの銃口で追い立てるようにして移動させはじめる。
「《死神》ヤシロ。君はいい教え子を持ったようだな」
別れ際、《波》が背中越しに言った。
「マルタやジョーばかりではない。城ヶ峰亜希や印堂雪音も、君を助けるために力を尽くしていたよ」
「何……?」
「もっとも、城ヶ峰亜希に関しては戦場に出てきてくれたのは私にとって好都合だったがね」
ヤシロはそのまま、執務室から追い出された。
眷属たちに誘導されて廊下を歩く。
その間も、内心でははらわたが煮えくり返るような苛立ちを覚えていた。
(((あのバカ、バカ、バカめ! なんで敵の狙いが自分だとわかってて出ていくんだ!)))
城ヶ峰が非合理的な行動をとるのはいつものことだ。
しかし、今回は明らかにヤシロを救おうとしてそれに及んでいる。
ヤシロ自身からは、それが無性に腹立たしい。
溜め息を一つ吐いて、強いて思考をクールダウンする。
もっと他に考えるべきことがあるはずだ。
この厳重な施設から自力で脱出する目算はまったく立たないが、それでも、他に何か。
(((――そういえば)))
ヤシロはふと、違和感を覚える。
――さっきの、《見えざる波》卿。
あいつは何をしに来たのか?
ヤシロを移送してきたキルスイッチや、この施設の責任者である雪虎と違い、あの魔王がこの場に現れるべき理由はなかったのではないか。
(((私はまだ君に働いてほしいと思っている)))
《波》がそう言って肩に触れてきたことが、なぜか気にかかった。
◆
――数時間後、東京23区西部。
◆
「あなたが戦場に出てきたことがそもそも失敗だったのです」
オリエは今日も、時代錯誤な貴族風のドレスを身に纏っていた。
心底軽蔑したような表情で城ヶ峰を見下ろす。
「《ソルト》ジョーや《もぐり》のマルタに任せておけば、奴らに手首を持ち帰られることもなかった」
「ふざけるな! 師匠が囚われているときに私だけ安全な場所で安穏としていられるものか!」
城ヶ峰はライオンに立ち向かう小型犬のごとく果敢に反論した。
「亜希ちゃんがいなかったらさあ、俺もジョーもお前も《天使》に順番に殺されてただけじゃねえの?」
マルタはそう口を挟んだ後、周囲を見回した。
3人はいつものバー、《グーニーズ》の店先に立っていた。
昼を少し過ぎて、ランチタイムのために繰り出すサラリーマンたちの姿も消えた。
ビル街の人通りはまばらだ。
「ていうか、《諸手の楔》のやつはいつ来るんだよ? もう時間過ぎただろ」
「さっき、渋滞で少し遅れると連絡が――おや」
オリエは目を細めた。
1台の無個性な中型トラックが、角を曲がって姿を現したところだった。
「お久しゅうございます、陛下」
魔王《諸手の楔》は運転席から出てくるなり跪く。
魔王時代のオリエ――《嵐の柩》の眷属だったころと同じ、青年将校じみたフォーマルな出で立ちだった。
「立ちなさい、《諸手の楔》。もはや今の私は臣下の礼を取られるべき立場にありません」
「……失礼いたしました」
オリエに促されると、少し目を泳がせた後立ち上がった。
そばにいたマルタを見やる。
「《もぐり》のマルタ……」
「"はじめまして"だな、え? 《諸手の楔》卿」
マルタはへらへら笑いながら応じる。
「まったく立派なもんだぜ。いまだに《嵐の柩》に忠義立てして、こんな危険な仕事に加わろうってんだから」
「まだあの時代に未練があると見えるな。感心しない!」
横から城ヶ峰が加わる。
「しかし今は許そう。《見えざる波》卿の一派を倒して師匠を救出するのに力添えするならば!」
「……貴様は相変わらず頑固なのか柔軟なのかよくわからん」
《楔》は不気味な珍獣でも見るような目を城ヶ峰に向けた。
「《楔》。荷物を見たいのですが」
「はっ! ただいま!」
オリエに声をかけられ、そちらへすっ飛んでいく。
マルタと城ケ峰もなんとなくそれに続いた。
トラックの後方扉を開けると、荷台にはなんらかの木箱がぎっしりと積み込まれている。
マルタが顔をしかめた。
「おいオリ公、なんだよこりゃ。忠犬に何を調達させたぁ?」
「ダイナマイトです」
オリエはこともなげに答え、木箱の1つを開けた。
中には棒状のダイナマイトがぎっしりと詰まっていた。
「い……違法だーーっ!」
城ヶ峰が目を剥いて叫んだ。
「こんな大量の爆発物を、認可を受けた業者でもないお前たちが、何の表示もないトラックで運ぶなどと! 違法でない部分がない! 遵法意識のかけらもない!」
「この程度、魔王としてはほんの軽犯罪だ」
《楔》は取り合わず、鼻を鳴らした。
マルタがなだめにかかる。
「ま、まあまあ亜希ちゃん。ヤシロのやつを助けるためだからここは大目に」
「マルタさん、やはりダメです! 彼らのごとき悪党の手を借りて師匠を助けたとて」
「敵はミサイルをぽんぽん撃つようなスケールの連中なんだぜ。 ましてこっちは城攻め側、ガン不利だ」
「その通りです。ヤシロ様を救うため手段は選んでいられません」
オリエはダイナマイトの1つを取り出し、エロティックに頬ずりした。
「ふふ……まずはこれを使って《見えざる波》卿の本拠の城門を吹きとばして……」
「それなのですが、オリエ様」
《楔》が耳打ちする。
「《張巡る闇》卿から連絡がありまして。敵がヤシロを別の拠点へ移したと」
「おうおう、興味深い話が聞こえたな」
マルタが2人の方に向き直り、《グーニーズ》の入口を指で示した。
「立ち話もなんだ、作戦会議は中でやろうじゃねえか。――お前にとってもスウィートホームだろ、《楔》卿?」
「……」
《楔》は眉根を寄せ、マルタを睨んだ。
――《楔》は、《グーニーズ》のかつての常連だ。
もとは勇者だったが、仲間の死をきっかけとして魔王に堕ちた過去が彼にはある。