《死神》ヤシロが天使に拉致されたときの話 作:ボブ・ニンジャ
「言っておくが、この部屋は監視されている。カメラとマイクでな」
鉄格子の向こうから、《波》の眷属がにやにや笑いながら話しかける。
「おかしな気は起こさんことだ」
「《見えざる波》卿といい、お前といい、人にものを頼むときの態度がなってねえな」
ヤシロは檻の中から笑い返した。
「"どうかおとなしくしていてください"、だろ?」
「おいコラッ、口のきき方には気をつけろよ」
眷属が睨む。
「怪我させるなとは言われているが、飯抜きにすることくらいはできるんだからな」
そして、そう言い残して立ち去った。
ヤシロは鉄格子越しに周囲を見回す。
ろくな内装のない、コンクリ打ちっ放しで殺風景なフロアだ。
自分が今いる場所を含め、鉄格子のはまった独房がいくつか。
――明らかに牢獄だ。
あの小綺麗なガラス張りのビルの地下にこんな空間があるとは、傍からは想像しがたい。
「イヒヒ。イヒヒヒヒ」
ひきつった笑い声が聞こえた。
向かいにある独房からだ。
その奥の暗闇から今、1人の男がひょこひょこと姿を現し、鉄格子にしがみついた。
「驚いた、こいつは驚いた。どんな間抜けがこの地獄に迷い込んだのかと思えば……」
男のやつれた顔はまるで骸骨のようだった。
薄汚れた服や半端に伸びた髪、顎の無精髭が目につく。
落ちくぼんだ目の中で瞳がぎょろぎょろと動き、ヤシロをねめ回した。
「《死神》ヤシロじゃないか。《見えざる波》ごとき小物に捕まるだなんて。イヒヒーッ!」
「……」
ヤシロは顔をしかめた。
《死神》の名は、《光芒の蛇》や《嵐の柩》を倒した功績とともに業界に知れ渡っている。
しかし、顔はごく狭い範囲の者にしか知られていないはずだ。
この狂人はそれを知っている。
「誰だテメエは。なんで俺の顔を知ってる」
「知ってるさ! 知っているとも、もちろん。陛下から話を伺ったからな」
「陛下? どこの魔王だよ」
「アーサー王だよ」
狂人はこともなげに答えた。
――アーサー王。
《円卓財団》の代表にして、城ヶ峰らが在籍する《アカデミー》の実質的なオーナーだ。
そしておそらくは、世界最強の勇者。
たしかにヤシロはアーサー王に顔を晒したことがある。
浅からぬ因縁がある。
しかしアーサー王とて、ヤシロの人相を誰彼構わず吹聴して回るような行為はしないはずだ。
ヤシロに対する宣戦布告に等しいそんな行為をする理由が、現状では無いはず。
「テメエは……誰だ?」
「私か? 私が誰かって? イヒヒ! 知らないよなぁ、そりゃ。知っててもわからんさ」
狂人はきしるような声で笑い、両手を無意味にこすり合わせた。
その手はミイラ男のごとく包帯でぐるぐる巻きにされ、血が滲んでいる。
拷問による怪我であることは察しがついた。
「ここは地獄だ。私は捕えられ、痛めつけられ、落ちぶれて、情けない屑になり果てた。みじめで滑稽に」
「テメエの境遇に興味はねえ。"誰だ"って聞いてんだよ」
「イヴァン」
狂人は目を見開き、血走った目でヤシロを見た。
「円卓の騎士、当代のイヴァンとは私のことだ。アーサー王から密命を授かり、このヘリックス・ラボへ潜入した」
「円卓……!」
ヤシロは衝撃を受けた。
円卓の騎士といえば、円卓財団に属する最強の勇者たちの一角だ。
それがこんなところで捕えられ、狂人に成り下がっているとは信じがたい。
しかし、一定の信憑性のある話ではあった。
アーサー王には《ハーフ・ドラゴン》の首魁という裏の顔がある。
ハーフ・ドラゴンを出し抜こうとしている《見えざる波》の動向を探るべくスパイを送りこむというのは、妥当な成り行きだ。
「密命! そうだ、私は密命を賜ったはずなのだ。この施設の何かを探り……場合によっては破壊せよと……」
イヴァンは唸り、頭をかきむしった。
「思い出せん。思い出せんのだ。このイヴァンは拷問に屈さぬよう自らの記憶を壊してしまった。愚かなイヴァン!」
「それはお可哀そうなこって」
ヤシロはぞんざいに答え、ベッドに寝転んだ。
金属製ベッドが微かにきしむ。
イヴァンが預かった"密命"の正体には察しがついた。
《波》によるE4やネフィリムの研究を探るよう命じられたのだろう。
しかし、ここで詳しく話してやるべき理由はない。
すぐそこの天井に大型の監視カメラがぶら下がって、こちらにじっと視線を向けてきている。
「しかし覚えていることもあるぞ。――"希望の道"だよ」
「あ?」
ヤシロが見やると、イヴァンは自分の牢の鉄格子にしがみつき、かじりつかんばかりに身を寄せていた。
「秘密の抜け道だ。私のみが知る。それが奴らの邪悪な計画を打ち破り、我らを絶対的な勝利へと導く」
「ああ、そうかよ」
ヤシロはあくびしながら答えた。
こちらは信憑性のない話だ。
おそらくは、拷問に耐えかねたイヴァンが無意識のうちに虚構の記憶を作り出したのだろう。
「そしてもう一つ、教えられることがある」
「何だよ、次から次へと」
「しっ」
イヴァンは人差し指を立てて「黙れ」のハンドサインをした。
自分の独房の中をきょろきょろと見回す。
薄暗闇の中――便器の奥あたりから、微かにカサカサと乾いた音がした。
大型の虫の足音だ。
「イヒィーッ!」
イヴァンはそちらへ飛び込んでいった。
そして、数秒後に出てきたときには、モグモグと何かを咀嚼していた。
「これが案外いけるのだ。捕まえるコツはな……」
「冗談じゃねえ」
死神は吐き捨てるように言い、ベッドの上で目を閉じた。
やはりこのイヴァンは狂っており、真剣に話す意味はない。
今できることといえば、いつかチャンスが来た時に備えて体力を温存するくらいのものと思われた。
◆
「うまいもんだ。これも苦戦するかと思ったが」
エド・サイラスは仏頂面のまま、低い声で褒めた。
「ああ、あんがと。――昔、似たような鍛錬をしたことがあって」
セーラはモップでの掃除を続けながら答える。
頭の上には水を入れたバケツが乗っており、彼女自身のバランス感覚で平衡が保たれている。
体幹を鍛える訓練だ。
「誰に教わった? 前に言ってた《ガウェイン》か」
「いや、《イヴァン》だ。たしか、何かでガウェインが不在の時で」
セーラはカウンター席のスツールをどかし、その下をモップで拭きながら過去を回顧した。
イヴァンという男にはカラッとした快男児、頼りになる兄貴分といった印象がある。
「今頃何やってんのかな、あの人も……」
「こんにちは! 城ヶ峰亜希と仲間たちが参りました!」
ドアベルが鳴り、城ヶ峰が早足で《グーニーズ》の店内へ入ってきた。
それに続いてマルタ、オリエ、《諸手の楔》が入店する。
「断じて私はあなたの仲間などではありませんよ」
オリエが心底うんざりしたような目で城ヶ峰を見下ろす。
「……」
《楔》は忌々しげに店内を見回した。
感慨よりもむしろ、勇者時代の仲間とその死が思い出され、苦い感情が胸に沸き上がっていた。
カウンターの奥のエドと目が合う。
「……エド・サイラス。まだ生きていたのか」
「お互いにな」
エドはぶっきらぼうに答えた後、カウンターの下へかがみ込んだ。
一抱えあるサイズの段ボール箱を取り出す。
「あんた宛てに荷物だ。《
「ぬ……」
《楔》卿は箱を受け取り、テーブル席へ置いた。
「また《張巡る闇》卿の名前が出た。気になるなぁ」
マルタが、店の壁にべたべたと貼られた指名手配書の1つを親指で示す。
――魔王《張巡る闇》卿。
賞金額は《電光の盾》より高く、《見えざる波》の半分程度といったところ。
顔写真はなく、「Unknown」と書かれている。
「なんで奴が情報だのプレゼントだのをよこすんだ? まさか」
「私が雇いました」
オリエがこともなげに言った。
「ヤシロ様を救出するにはかの魔王の情報収集力が必要と判断しましたので」
「反対だぁっ!」
城ヶ峰が瞬間的に激怒し、テーブルを叩いた。
「ただでさえ元《嵐の柩》や《諸手の楔》がいるというのに、さらに魔王が増えるだと!? これでは我々、まるで魔王の軍団ではないか!」
「それが何か問題ですか? ヤシロ様の命のかかったこの状況で体面にこだわるなどと」
「状況が苦しければ廉潔性を捨てていいというものではない! オリエ、貴様も仮にも勇者を名乗るならば民間の方々の信頼について一度」
「お、おい亜希。よせって」
セーラが頭の上にバケツを乗せたまま歩いてきて、輪に加わった。
鼻息を荒くする城ヶ峰を制する。
「先生だって北海道では《
「その荷物を開けてみなさい」
「はっ」
その一幕を無視して、オリエは《楔》に荷物を開封させた。
中から出てきたものは2つ。
ビニールに包まれた何着かの衣服と、ずっしりと重たい箱状の機械だ。
機械の上面からは半球状のレンズが突き出ており、プラネタリウムの映写装置を思わせた。
《楔》は顔をしかめた。
「またこれか」
「うひゃあ、なんだそれ? スイッチとか付いてる?」
マルタが興味深そうに近づいたその時、状況は動いた。
機械の半球状レンズがぴかっと発光。
次の瞬間には、ゴスロリ衣装をまとった少女の立体映像が青白く投影された。
『めぐやっほ~~~!』
ホログラムの少女は天井付近まで伸びあがり、グーニーズ店内の一同を見渡して笑いかけた。
『私こそ東京に舞い降りた暗黒天使、甘く渦巻くブラックホール! 今日もみんなの視線と口座情報を吸い込んじゃうぞ!』
その姿は着飾った少女そのものだが、ただ1つ、頭から生えたヤギのようなねじれた角だけは異質だった。
魔王特有の身体改造を施していることの証左だ。
『最カワ魔王《
魔王がポーズを決める。
グーニーズ店内に一瞬の静寂が流れた。
「え? 何こいつ」
マルタが本気で困惑したような声で言った。
「か」
セーラは《闇》卿の立体映像に目をくぎ付けにされたまま、思わず言葉を漏らす。
「かわいい……」
「は?」
城ヶ峰は信じられないものを見るような目をそちらに向けた。
立体映像のゴスロリ魔王もセーラの方を見る。
『おっ? わかる? このキュートでシックなファッションの魅力に沼っちゃう!?』
「《張巡る闇》卿。つくづく変わらないな貴様も」
《楔》卿が、話が逸れそうなのを見て割って入った。
『クサビくん、お久しめぐめぐ~! 顔を合わせるの何年ぶりかな?』
「これでは顔を合わせたことにならんだろう。いつもながら、ふざけたコンタクトの仕方を」
『えー? 今回ばかりはしょうがないじゃん?』
《闇》は城ヶ峰のほうを見下ろした。
『はじめぐめぐ! 城ヶ峰亜希ちゃん。きみ、人の心が読めるんだって?』
「ああ! E3を使えばな!」
城ヶ峰は反射的に答えた後、ハッとした。
「何故それを知っている!?」
『そりゃあもう、知ってますよ。全然知ってるめぐ。めぐめぐは情報でご飯食べてる魔王だからねっ』
「なるほど、直接会って頭から情報抜かれでもしたら沽券にかかわるって? ゴクゴク」
マルタが、エドに注がせたビールを飲みながら言う。
「暗黒天使でブラックホールの魔王様が、なんともみみっちいことを気にするもんだなぁ」
『もーっ、意地悪な言い方するなあ。昨日の晩御飯はコロッケそば、朝ごはんは菓子パン2個のマルタくん』
「うぐっ、ゲホッ!」
マルタは驚いた拍子にビールが気管に入り、せき込んだ。
「貴様、人のプライベートを覗き見ているのか! 人権侵害だ!」
「やめとけって! 話が進まない」
息まく城ヶ峰をセーラが制する。
「本題に入りましょう。《張巡る闇》卿」
オリエが扇子を閉じ、パシッと音を立てた。
「《見えざる波》卿が、ヤシロ様を本拠から別の場所へ移動したと?」
『イエース! ここへです! ――じゃんっ!』
《闇》が手で自分の右側を示すと、そこに1棟のビルの立体映像が出現してクルクルと回転した。
壁がほとんど全面窓になっている、ガラス張りのビルだ。
『"ヘリックス・ラボ"! むかし、外資系の製薬会社が使ってたビルです。会社が日本から撤退するときに《見えざる波》卿のフロント企業に売却したみたいだめぐ~』
立体映像がズームアウトし、ビルの周囲に広がる庭園と、さらにそれを取り囲む高いフェンスを映した。
『めぐめぐが調べたところによると、防衛体制は~。敷地外周の軽い警備のほかに、庭には地雷原と対空砲……』
「地雷原? 対空砲?」
セーラが顔をしかめた。
「北海道の魔王の城みたいな防備の厚さだ。都内でこれかよ」
「おそらくはハーフ・ドラゴンの襲来に備えて強化されているのでしょう」
オリエが口添えする。
《闇》が手ぶりすると映像は再びズームインし、ビルの1階と地下駐車場をチカチカ点滅させた。
「んでんで、《息づく石積》のゴーレムがエントランスに2体と、地下駐車場に10体」
「えーと、1、2、3……合計12体? この前の2倍か。あーもう最高だね」
マルタが投げやりに言った。
「それで、ヤシロが捕まってるのはどこなんだよ?」
『めぐ!』
彼の問いに答えて、《闇》が地下の最下層フロアを点滅させた。
地の底だ。
城ヶ峰がそれを見て唸った後、尋ねる。
「E4の研究施設もこの建物なのか? 《張巡る闇》卿」
『めぐめぐ!』
《闇》は、今度はビルの上層、何層かのフロアを点滅させた。
「……よくこんなに調べられるもんだな。筒抜けじゃん」
セーラは訝しげな顔でゴスロリ魔王の方を見た。
「これ信用できる情報なのか? どうやって調べたんだよ」
『もち、ハッキングで! パソコンカタカタして調べました!』
《闇》は胸を張って答えた。
「……この《張巡る闇》卿は、何かしら通信に関わるエーテル知覚を持っているらしい」
横から《楔》が口を挟む。
「その力で強力なハッキングができるんだそうだ。だから今回この者を雇った」
『どんなエーテル知覚か知りたい? 知りたいよね?』
《闇》が映像越しに一同を覗き込み、にやにや笑った。
『でも教えてあげなーい! 企業秘密だめぐ★』
「誰も聞いていないぞ」
《楔》がたまりかねたように毒を吐いた。
「えーと、要するに……」
マルタが苦笑しながら口を開いた。
「その魔王は、アクション映画によく出てくるオタクなハッカーみたいなやつってことかな?」
「みたいなやつというより、それそのものですね。後方支援役です」
答えたのはオリエだ。
「前線に出て戦わせることに期待ができないのも同様と思っていただければ」
『つーん。めぐめぐ別に戦えないわけじゃないしー。今回はそれほどお代もらってないだけですぅー』
《闇》卿は口を尖らせたが、すぐに表情を明るくして、
『しかしこのめぐめぐ卿、お代相応の仕事はします! さあクサビくん、そのビニール包みをオープン・イット・ナーウ!』
「……」
《楔》は真面目に取り合うのに疲れたらしかった。
無言のまま、立体映像プロジェクターに同封されていた包みを開く。
そこには、揃いのデザインの作業着と身分証が何セットか収められていた。
『アクション映画には潜入がつきものだめぐ?』
ゴスロリ魔王は愛嬌たっぷりにウィンクした。