『組決めオーディション』。四ツ星学園内は今日もその話題で大きく盛り上がっているようだ。周囲の生徒達の会話から、
新入生が入学して暫く経ち、近日中に自分がどこの組に入るかを決める為のオーディションがあるらしく、四ツ星学園にある4つの組……『花の
どの組に入ろうか迷っている様子の1年生や、自分らの組にどんな生徒が来てくれるのか心を躍らせている2、3年生。うきうきやワクワクで浮き足立っている様子の生徒達を眺めていると、るいの心も暖かくなっていく。
自分は四ツ星学園の生徒ではないし、組決めオーディションとは無縁の立ち位置に居る為、その話に混ざるのは野暮だと感じたるいは、上機嫌に鼻歌を歌いながら清掃を続け、喉が渇いたタイミングで先程自販機で購入したばかりのミネラルウォーターを開栓しようとしたその時。
「うあぅっ!」
るいのすぐ側で、女性の声。それと同時に、ズザザッとアスファルトと何かが擦れる音がした。驚いて視線を移すと、ジャージ姿の女子生徒がアスファルトの上にうつ伏せに転んでいて、るいは即座にその場にしゃがみ込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あいたたた……だ、大丈夫です! このくらい、へっちゃらです!」
るいに声を掛けられ、女子生徒はゆっくりと姿勢を正す。少女は毛先にかけてピンクのグラデーションがかかった金色の長髪をツインテールにしており、カーネリアンのような赤みがかったオレンジ色の双眸が特徴的である。
「なら良かった……って、手……すりむいてるじゃないですか!」
女子生徒の手のひらがアスファルトに擦れたことで皮が剥けて少し出血していて、それを目にしたるいは慌てるも、少女はそこまで痛がる様子を見せなかった。
「あ……でも平気です! 大したことないですし!」
「だめですよ! バイ菌が入ったら大変です!」
大したことはないと笑う彼女に、るいはそんな訳にもいかないと、作業着から絆創膏とハンカチを取り出す。
「もし嫌じゃなければ……手当てしても良いですか?」
るいにそう言われ、少女のぱっちりとした瞳がより大きく開く。少しの間があってから、彼女は唇を動かす。
「じゃあ……お願いして良いですか?」
「はい! よろこんで!」
女子生徒から手当てを了承してもらい、るいは自分が飲む為に買った新品のミネラルウォーターを開栓し、少しの迷いもなく彼女の手のひらに水をかけて傷口を洗い流す。擦りむけた箇所をハンカチで優しく丁寧に拭き、その上に絆創膏を貼って傷口を覆った。
「これでオッケーです!」
慣れた手付きであっという間に手当てを終えた彼に少し驚きながらも、少女は絆創膏をそっと撫でて嬉しそうに笑む。
「ありがとうございますっ! えっと……」
「あ、すみません……自己紹介がまだでしたね。ぼくは、星町るいと申します! 四ツ星学園の用務員をしています!」
「るいさんですね! わたし、
ゆめと名乗った少女は、手当てをしてくれたるいに対してぺこりと頭を下げる。彼女の口から出た『虹野』という名字……それに、るいは聞き覚えがあった。
「『虹野』……あぁ! この前ひめちゃんが話してた新入生って……!」
先日ひめが用務員室を訪れた際に話してくれた、『興味深い』と言っていた新入生。その名前と彼女の名乗りとが一致し、るいは合点がいったように目を輝かせる。
「えっ? ひめ先輩、わたしのこと話してたんですか!?」
「はい! 面白い子だって、ぼくに話してくれたんです! ひめちゃんがそう言うくらいの方なので、ぜひお会いしたいと思ってたところだったんですが……まさかこんなところで会えるとは! 光栄です!」
「い、いえっ……わたしはそんな……入学してからずっと、色々考え事や悩み事が尽きないですし。今だって……」
ゆめは俯いて、両手をぺたんと地面に落とす。その瞳には憂いが滲んでいて、微かに潤んでいた。彼女は何か悩みを抱えているようで、るいの頭に学園長である
『困ってそうな生徒には声を掛けて、君が解決してやれ』
四ツ星学園の用務員として、なんでも屋として諸星は自分を信頼してくれている。それがとても光栄なことだとるいは自覚している。なればこそ、その期待には応えなくてはならない。困っている生徒を助けて、力になる。自身に与えられた役割を果たす為、るいはそっと口を開く。
「ぼくでよければ、お話……聞きましょうか?」
「えっ?」
「ぼく、ここの用務員であると同時に……学園のなんでも屋でもありますから! 生徒さんのお困りごとや、お悩みを解決するのもぼくの役目なんです!」
顔を上げてきょとんとした表情をしたゆめに、るいは明るく返答する。彼の笑顔を受け、彼女はこくりと頷く。
「はい! 良い、ですか?」
「もちろんです! 場所、変えましょっか! 歩けますか?」
「大丈夫です! 歩けますっ!」
るいの問いにゆめは元気良く応じ、2人は歩幅を合わせてゆっくりと歩き出したのだった。
「あの、るいさん。ちょっと……聞いてもいいですか?」
敷地内にあるベンチに座ったところで、ゆめがるいに話しかける。
「はい! なんでしょう?」
「るいさん、なんで四ツ星学園で用務員やってるんですか? わたし達と、そんなに歳変わらないんじゃ……?」
「ひめちゃんと同い年なので、年齢的には中学3年生ですね!」
ゆめからの率直な問いに、るいは素直に答える。その回答に、彼女は尚更わからなくなる。予想通り自分と大して年齢が変わらない筈の彼が何故四ツ星学園の生徒ではなく、用務員として働いているのか。
「じゃあ、どうして……?」
「えっと……ひめちゃんと一緒に四ツ星学園の入試を受けたんですけど、ぼくは不合格になっちゃって。でも、学園長がぼくを用務員として雇って、四ツ星に在籍することを許してくれた……
「『らしいです』って、なんですか……? そのあやふやな感じ……」
自身の来歴を語っている筈なのに、どこか他人事のようで曖昧なるいの口ぶりにゆめは苦笑を溢す。るいにとってはそれが自分が聞いた全てで、それ以上でもそれ以下でもないのだが、普通は彼の言葉に違和感を覚えるのも無理はない。別に隠している訳でもないので、るいは自分に何が起きているのかを話そうと口を動かす。
「実はぼく……過去のこと、何も覚えてないんです。昔のことは、皆さんから聞くしかなくて」
「え……!?」
ゆめは唖然とした様子でるいの方を見て、2人の青と橙色の瞳がかち合う。過去のことを何も覚えていない……それが意味するのは、すなわち。
「じゃ、じゃあるいさんは……記憶喪失ってことですか!?」
「はい。大体、そんな感じです」
「へ、へぇ〜。そうなんですね……」
納得したような、していないような。あまり現実味のない事象に微妙な反応しか出来ずにいたゆめに、るいは軽く頭を下げる。
「すみません。いきなりこんなこと言われても、困りますよね……」
「い、いえっ! その……記憶喪失って、ドラマとか漫画でしか見たことなくて……ホントにあるんだなぁって! ちょっとびっくりしちゃって……」
「そうですよね……まさかぼくもそうなるとは思わなくて……あ、でも今は普通に生活できてますし、毎日色んな発見があって充実してますよ!」
ゆめに心配させない為に明るく振る舞おうと努め、笑顔を作るるいだったが、彼の思いとは裏腹にゆめの表情が曇る。
「るいさん、すごいです。四ツ星の入試に落ちて辛いはずなのに前を向いて……ちゃんとお仕事してて……」
「あはは……ありがとうございます。生徒ではないですけど、今もこうして四ツ星学園に居られてるので、学園長には感謝しかありません。……でも」
必要以上に明るく接するのは逆効果だと思い、るいは少し声のトーンを落とす。
入学試験に落ちた自分を用務員という役職に就かせてくれたことに関しては、諸星に感謝以外の感情はない。この恩は、時間がかかっても必ず返さなくてはならないとも思っている。しかし、それでも夢は見てしまう。自分にアイドルの才能があればあり得た筈の、もうひとつの可能性を。
「自分がもしここの生徒だったら、アイドルだったら。そんな甘い幻想を、たまに思い浮かべてしまいます。……おかしいですよね。そうなれる才能は、初めからなかったのに」
「るいさん……」
「あっ……ごめんなさい! ぼくとしたことが……虹野さんの悩みについて、差し支えなければ聞かせていただけませんか?」
自分の話ばかりになってしまっていたことに気付いたるいは気を取り直して本題に入る。ゆめが何故悩んでいるのか問うと、彼女はそうなった経緯をゆっくりと語り始めた。
「は、はい! えっと……もうすぐ学園で組決めオーディションがあって、わたしは花の歌組に入りたいって思ってるんですけど……わたしより歌が上手い人や、しっかりしてる人がたくさんいて……わたしなんかが、歌組目指して良いのかなぁって。それで……」
ゆめの悩みの種を知り、るいは無言で頷く。花の歌組は他の3組と比べてオーディションでの競争率が高く、最も人気のある組なのだと耳にしたことがある。それ故、歌組を目指す生徒は以前から歌を習っていたり、音感が優れている者もそれなりに居る、と。
るいがもう少し掘り下げてみると、ゆめは小学生の頃にバレーボールをやっていたが、音楽に関することを習ったりはしておらず、大きな声を出すことには自信があるが、歌についてはからっきしとのことだった。
「そうでしたか……自分よりずっとすごい人が居ると、自信を失くしちゃいますよね。気持ち、わかります」
るいは、ゆめの気持ちをよく理解できる。彼の身近には花の歌組のトップ且つ『S4』に選ばれている
絶対音感を持ち、優れた歌の才能を持つひめ。彼女とは対象的にアイドルとしての才能はないと断じられ、四ツ星学園でノウハウを学ぶことすら許されなかったるい。自分より優れた人間が居れば自信もなくなってしまうし、一緒に居て良いのだろうかと考えてしまう。るいには、ゆめの心情が痛いほど分かる。形は異なれど、自分と似た葛藤をしていたのだから。
「そうなんです。わたし、どうすればいいんでしょうか……?」
ゆめの気持ちを理解はすれど、るいはアイドルではないし、それを目指したこともない。その立場で言えることはかなり限られるが、記憶を失ってから今までの1年間で得た知見をゆめに伝えようと、るいは言葉を紡ぎ出す。
「ぼくからは月並みなことしか言えませんが……悩む時は思いっきり悩んで、自分が正しいと思う方へ進んでいってほしいです!」
「悩む時は、思いっきり……」
ゆめが、るいの言葉をリピートする。
「はい。悩んで良いんです。迷ったり悩むことは、決して悪いことじゃありません。悩んでる今この瞬間を楽しめたら、道が開けることもあるかもしれません!」
「えぇっ……? 楽しむもなにも、悩んでたら楽しめないですよぉ……」
そう言って肩を落とすゆめだったが、るいは落ち着いた口調で話を続ける。
「ぼくもそうでした。記憶を失くして、毎日悩みや不安で押し潰されそうだった時……ある人が言ってくれたんです。「何も覚えていないから、これからなんでも覚えていけるんだ」って。見方を変えれば、案外悩みがちっぽけに思えてきたりするんですよね」
るいは自分に嘗て言われた言葉を思い出しながら微笑む。目の前が真っ暗なように思えて、明日が来ることにさえも怯えていた彼は、自分と同い年の女子生徒から『ポジティブシンキング』を教わった。今置かれている悪い状況を、見方を変えてポジティブなものに変換する。その訓練を経て、今の明るく前向きなるいの人格が形成されていった。それと同じことを、ゆめにもできるのではないかとるいは考えた。
「虹野さんの『自分が歌組を目指して良いのか』という不安も、見方を変えると『他の組なら、入れる実力があるかも』、みたいな?」
「あっ……たしかに……!」
ゆめはピンときた様子で首肯し、もっと詳しく聞こうとるいの方へ少し体を寄せる。
「もちろん、歌組になるために頑張るのも良いですが、組はひとつじゃありません。他の組でなら、活かせることも何かあるはずです。たくさん悩んで、なりたい組を選ぶと良いと思います!」
「そうですよね。まだ、どこの組にするか選べる期間ですもんね!」
「その通りです! 組選びに迷ったり、悩めるのもきっと幸せなことです。ぼくには……アイドルとして何かに悩む権利さえ、ありませんでしたから」
「……!」
優しい笑みで紡がれたるいの発言に、ゆめはハッとする。四ツ星学園の入試を受けたのだから、るいだってアイドルになりたかったのだろう。けれど、るいにはアイドルを目指す資格さえ与えられなかった。悩むのは苦しいが、裏を返せばそれだけ自分に選択肢があるということ。どうしよう、どうすればとうんうん迷えるくらいには、まだ心に余白を残しているということ。
るいから色々と気付きを得たゆめは顔を上げて、ベンチから勢いよく立ち上がる。
「るいさん、ありがとうございます! 自分なりにもう少し考えてみます! ランニングして、頭をすっきりさせてきますっ!」
「おぉっ! 良いですね! 虹野さんが納得できる答えを見つけられることを祈ってます! 頑張ってください!」
「はいっ! ありがとうございました! よーしっ、やるぞ〜!」
気合いを入れて一気に駆け出していくゆめに手を振り、その背を見送るるい。恐らく、ゆめの迷いはまだ完全に晴れた訳ではないのだろうが、少しでも気持ちが楽になっていれば良いなとひとり思う。
「虹野さん……頑張って!」
徐々に姿が遠くなっていくゆめに、るいは心からのエールを送るのだった。
いったん出来事のうずの中に身を置いてしまえば
人はおびえないものだ。
人を不安にさせるのは、未知のことだけだ。