尾花栃栗毛のストライカー   作:ステイタキオン

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ラストラン

 シャペウ陣営が選択した現役最後の舞台――それは、かつて牡馬たちをねじ伏せ、栄光の頂点へと駆け上がったあの府中二四〇〇メートルの大舞台、ジャパンカップだった。

 

 有終の美を飾るべく、住み慣れた栗東トレセンに戻ってきたシャペウの本格的な調教が始まる。

 主戦の和多騎手もつきっきりで調教に立ち会い、鐙(あぶみ)の位置をミリ単位で調整しながら、限界を超えたスピードを引き出すための乗込みを重ねていく。

 脚元の爆弾を抱えながらの薄氷を踏むような日々。しかし、シャペウの馬体は日に日に研ぎ澄まされていった。

 

 陣営が緊張感に包まれる中、同じ須海厩舎の仲間が世界を震撼させる快挙を成し遂げる。

 十月末の天皇賞(秋)。シャペウの調教パートナーでもあったジャスタウェイが、歴史的な覚醒を遂げたのだ。前年の天皇賞馬エイシンフラッシュや、三冠牝馬ジェンティルドンナといった並み居る超強豪たちを相手に、直線だけで次元の違う末脚を炸裂させ、二着に四馬身もの差をつける大圧勝。厩舎の仲間が魅せた衝撃の走りは、シャペウ陣営にとっても大きな発奮材料となった。

 

 そして、運命のジャパンカップウィークを迎える。

 今年の最大の焦点は、前年の覇者ジェンティルドンナによる「史上初のジャパンカップ連覇」という歴史的偉業なるか、だった。

 過去にはペイザバトラー、テイエムオペラオー、ゼンノロブロイといった競馬史に名を残す数々の怪物が挑みながらも、ことごとく跳ね返されてきた高すぎる壁。

 その絶対女王に挑むのは、宝塚記念を制したゴールドシップ、マイルに続き中距離の頂点を狙うヴィルシーナといった盤石の同期たち。

 さらに虎視眈々と牙を研ぐ海外の強豪勢や、新たな世代のGⅠホースたちが顔を揃え、府中の杜は異様な熱気に包まれていた。

 

 十一月二十四日、決戦の当日。

 晩秋の柔らかな陽光が降り注ぐ東京競馬場のパドックに、可憐な尾花栃栗毛の馬体が姿を現した。チョコレート色の美しい馬体に、風になびく金色の美しいタテガミと尾毛。その神々しいまでの姿に、大観衆からため息のような歓声が漏れる。

 

 ファンも、陣営も、誰もが「無事に走り終えてくれればそれでいい」と心の中で願っていた。

 しかし、奇跡の復活を遂げたシャペウの双眸には、かつてダービーを制した時と同じ、鋭い闘志の炎が小さく灯っていた。

 

 これ以上ない極上の仕上がりを見せる女王が、ゆっくりと本馬場へと向かう。

 大歓声に包まれる中、シャペウは自らの競走馬としての全てを懸け、現役最後となる運命のゲートへと収まった。

 

 ファンファーレが鳴り響き、大歓声の中で運命のゲートが開いた。

 

 明確な逃げ馬が不在の中で始まった二〇一三年のジャパンカップ。場内がざわめく中、押し出されるようにして先頭に立ったのはエイシンフラッシュだった。

 息をのむような膠着状態のまま、レースは進む。電光掲示板に表示された千メートル通過タイムは、六十二秒四。東京二十四〇〇メートルのGⅠとしては異例中の異例と言える、極限の超スローペースだった。

 

 前走、ハイペースの天皇賞(秋)で前に行きたがって自滅しかけたジェンティルドンナにとっては、最も嫌いたい、折り合いを欠きかねない危険な流れ。

 一方、少しスタートが遅れ気味になったシャペウは、現役最後のマウンドを噛みしめるように、この超スローペースを味方につけて外側の後方でじっと牙を研いでいた。和多の手綱を通して、脚元の爆弾のことは忘れ去ったかのような、女王の静かな闘志が伝わってくる。

 

 嵐の前の静けさは、大ケヤキを過ぎて一気に爆発した。

 府中の長い直線。押し切りを図るエイシンフラッシュの脚色が鈍ったところへ、好位から抜群の手応えで抜け出したのは、復活をかける一頭の伏兵、トーセンジョーダン。

 そして、それを外から並ぶ間もなくねじ伏せにかかる、連覇を狙う絶対女 王ジェンティルドンナだった。

 

 ジョーダンを完全に封じ込め、ジェンティルドンナが勝利を確信したその瞬間――。

 

「シャペウだ!! 大外からダービー牝馬シャペウが飛んできた!!」

 

 実況の悲鳴のような絶叫が響き渡る。

 和多の魂の鞭に応え、尾花栃栗毛の美しい金色のタテガミを激しくなびかせながら、シャペウがかつての、いや、かつてをも凌駕する次元の末脚を繰り出して急襲したのだ。

 

 全盛期の輝きを取り戻したシャペウと、歴史の壁に挑むジェンティルドンナ。

 二頭の女王による、互いのプライドを懸けた壮絶なハナ差の一騎打ち。完全に並んだまま、二頭の馬体が同時にゴール板を駆け抜けた。

 

 場内を包む地鳴りのような騒然とした空気の中、長い、あまりにも長い写真判定が続く。

 やがて、東京競馬場の電光掲示板の最上段、一着を示す場所に点灯したのは、七番。

 

 ――一着、七番ジェンティルドンナ。

 

 わずか数センチの差で、史上初のジャパンカップ連覇の偉業が達成された瞬間だった。

 惜しくも二着に敗れた。しかし、大外から王者を極限まで追い詰めたシャペウのあの美しい激走に、スタンドからは勝者を称えるものに負けないほどの、割れんばかりの拍手と歓声がいつまでも降り注いでいた。

 

 

 ジャパンカップの激闘の後。まだ、どこまでも彼女と走っていたいと願った和多騎手の魂に応えるように、シャペウは力強く嘶いた。

 

 後日の精密検査の結果、シャペウの脚元に異常は認められなかった。それどころか、一度はピークを過ぎたと思われた馬体は、過酷な一戦を経て再覚醒の兆しを見せていたのだ。

 

「まだ、この馬の旅路を終わらせるわけにはいかない」

 

 陣営は満場一致で引退を撤回。シャペウの四歳シーズンは、新たなる伝説の幕開けへと変わった。

 

 明けて二〇一四年三月、復帰戦に選んだのは中山記念。同じ須海厩舎のジャスタウェイと共に異次元の脚を伸ばしたシャペウは、覚醒した相棒との激しい追い比べをハナ差で制して見事に復活の勝利を挙げる。

 

 この勝利をステップに、競馬史に深く刻まれる「運命のドバイ遠征」が始まった。

 メイダン競馬場。日本馬たちが世界の度肝を抜いたあの日、須海厩舎のジャスタウェイがドバイデューティフリーを圧勝し、ジェンティルドンナがドバイシーマクラシックを制覇。

 世界が日本の競馬に震撼する中、最終メインレースの「ドバイワールドカップ」のゲートが植えられた。

 世界の強豪牡馬たちを相手に、和多の手綱に導かれたシャペウは猛然とタペタの直線を突き進む。粘る海外勢を力強くねじ伏せ、先頭でゴール板を駆け抜けた。

 

 ドバイワールドカップ制覇。

 ダービー、マイルCSに続く、自身GⅠ三勝目の栄冠は、世界最高峰の頂だった。

 

 凱旋帰国を果たした春の国内初戦は、牝馬マイルの頂点・ヴィクトリアマイル。

 ドバイのタフな競馬からの臨戦過程の中、シャペウは大外から急襲するも、そこへ立ちはだかったのは同期のヴィルシーナだった。

 意地と意地がぶつかり合う壮絶な叩き合いの果て、わずかに遅れての二着。

 スランプを乗り越え見事な連覇を果たしたヴィルシーナの執念に一歩及ばなかったものの、女王の健在を強く印象づけた。

 

 その後、初夏のグランプリ宝塚記念では、同僚のゴールドシップが圧倒的な強さで史上初の連覇を達成。須海厩舎の快速馬たちが、二〇一四年の競馬界を完全に支配していく。

 秋シーズン、シャペウは連覇の懸かるマイルチャンピオンシップへ出走。京都の直線を爆発的な末脚で突き抜け、見事に二度目のマイル王へと君臨(GⅠ四勝目)。そして、季節は冬へと向かう。

 

 中山競馬場。

 シャペウ、そしてジェンティルドンナ。時代を共につくってきた二頭の偉大な女王にとって、これが現役最後のラストラン――有馬記念。

 

 中山の短い直線を、並び立つようにして抜け出してきたのは、やはりこの二頭だった。

 これまで何度も死闘を繰り広げてきたジェンティルドンナの七番の馬服と、シャペウの尾花栃栗毛が完全にシゲル互いの意地と、これまでの全ての馬生を懸けた最後の叩き合い。二頭は全く同時にゴール板を駆け抜けた。

 

 長い写真判定の末、電光掲示板の一着欄に点灯したのは、二つの馬番。

 

 ――一着同着。

 

 歴史的名牝二頭が、互いの栄光を称え合うかのような、奇跡の同着優勝。

 鳴り止まない大歓声と拍手の中、シャペウは至高の輝きを放ったまま、最高の有終の美で激動の二〇一四年を締めくくったのだった。

 

 

 

 

 

 

王道に愛された名馬。

 

その美しき尾花栃栗毛は、いつも時代の中心だった。

 

かつての覇王の相棒と共に立ち上がった。

悲劇を超え、喜劇を演じ、劇的な幕を引いた。

 

君は、王道に愛されていた。

 

―― ヒーロー列伝 No.XX 〈シャペウ〉 ――

 

その馬体は、近代日本競馬の結晶そのものだった。

父スペシャルウィーク譲りの大舞台での強さと、母系から受け継いだ鋭敏な闘争心。

風になびく金色のタテガミ――尾花栃栗毛の美しいシルエットは、現れた瞬間からターフの主役になることを約束されていた。

 

三歳で臨んだ東京優駿。牡馬の強豪たちを並ぶ間もなく置き去りにし、世代の頂点へと駆け上がった。秋にはマイルの頂をも極め、順風満帆に見えたその旅路を、競馬界の死神「屈腱炎」が襲う。

誰もがその早すぎる別れを覚悟した。

しかし、彼女は諦めなかった。

 

明けた二〇一四年。それは、世界を震撼させた奇跡の航路だった。

復帰戦の中山記念を快勝すると、そのまま海を渡り、砂漠の決戦・ドバイワールドカップを制覇。

世界最高峰の舞台で、GⅠ三勝目の盾を掲げてみせた。

帰国後もマイル王への返り咲きを果たし、その強さはもはや絶対的なものとなった。

 

そして迎えた、二〇一四年十二月二十八日、有馬記念。

現役最後のラストラン。激闘を共にしてきた最大のライバル、ジェンティルドンナと一歩も譲らぬ壮絶な叩き合いの果て、二頭の馬体は完全に重なり合ってゴール板を駆け抜けた。

 

判定は、一着同着。

歴史に永遠に刻まれる、あまりにも劇的で、あまりにも美しい幕引き。

 

怪我という悲劇を最高の喜劇へと塗り替え、常に王道を歩み続けた美しき女王。

シャペウ。君が見せた金色の奇跡を、私たちは決して忘れない。

 

シャペウ 競走成績

父: スペシャルウィーク 母: メイアルア(母の父:サッカーボーイ)

主な勝ち鞍:

2012年:東京優駿(GⅠ)、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)

2014年:中山記念(GⅡ)、ドバイワールドカップ(GⅠ)、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)、有馬記念(GⅠ・同着)

 

 

そして物語は異世界のその名と魂を引き継ぎ走り続ける。

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