「幽霊」と一口に言ってもたくさんの種類がいます。動物か人間か、生きている人を守るのか呪うのか、それは生きている人間にはわからないことでしょう。しかし、幽霊の声を聞ける人がいたならばわかるはずです。これはそんなお話です。
あるオカルト系編集部には開かずの金庫があった。オフィスを引越すということで、ちょうどいいからと鍵開け師の人を呼んで開けてもらった。中には薄汚れていて読めない書類と「お蔵入り」と書かれたケースに入るDVDが入っていた。編集部は二手に分かれ、書類の汚れを取り除くチームとDVDを確認するチームに分かれた。DVDをセットし、再生ボタンを押した。すると、薄暗い部屋が映った。次の瞬間、画面中央にスポットライトが当たり、椅子に座っている男性が映った。片手でマイクを持っている。どうやらインタビュー動画らしい。
「本日は忙しいところ時間を割いていただき、誠にありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。それで、まず何を話せば良いのでしょうか」
「カメラに向かって自己紹介をしてください。」
「わかりました」
みなさんこんにちは。怪奇現象専門の探偵事務所、「田中怪奇探偵事務所」を営んでいる、
「こんなところでよろしいでしょうか」
「ええ、大丈夫です。では次に過去最恐の事件についてお話しください」
「わかりました」
これは1ヶ月前の、一番最後に受けた依頼の話です。あの日は雨が降るか降らないかの曇り空でした。ちょうど午後のティータイムをしようかというところでその依頼はドタバタと階段を上り、インターホンを押してやってきました。
「すみません、予約していないのですが。依頼を受けて欲しいのです」
その依頼主の男性はやけに急いでいて怯えた様子でした。ティータイムを邪魔されてちょっとだけイヤな気分にはなりましたが、仕事ですので、
「ええ、もちろんです」
と、微笑んで事務所の中に招き入れました。事務所中央のソファに座っていただいた。事務所の中に入っても目は後ろを気にしていました。よく見ると彼の頬が、しかも左の頬だけ濡れていました。ハチミツのような唾液のようなもので濡れていたのです。
「紅茶でもいいですか? ちょうどティータイムの時間ですし」
その頬のことは後で聞こうと思い、お茶を出すことを優先しました。うちには事務員や秘書はいないので、もてなしも自分でするのです。その日は予約がなかったのでティータイムのことしか考えておらず、毎度依頼人のために揃えていた飲み物もありませんでした。そこで、紅茶でもいいか聞いたのです。
「あ〜カフェインが入ってるので……あっでもいいのか。紅茶で大丈夫です」
「ノンカフェインのもありますけど」
「じゃあ一応それで」
その時は、カフェインに弱い人なのか? とか、それでは「一応」の意味がわからないよな、とか色々考えていました。その後、私と彼の二人分のティーカップにノンカフェインの紅茶を注いでソファと私が座る用の椅子の間にある机に持って行きました。彼は少し震えた手でティーカップを持つと一気に飲み干しました。少しリラックスした表情になった彼を見て少しホッとしました。私も一口紅茶を飲んで、彼の依頼を聞くことにしました。
「では、名前から教えてください」
「
「犬間さんは仕事は何をされているんですか?」
「登山家としていくつか本を執筆したり、ツアーガイドをしています」
それを聞いて私はすごく驚きました。彼は私の想像する登山家像とはかけ離れていて、腕も足もガリガリで筋肉らしい筋肉はなく、服から出ている手や首は青白いのです。失礼ですが、不健康そのもののように見えました。
「では怪奇現象はその登山中に?」
「登山中、といえばそういえますね」
「というと?」
「僕ともうひとり、相棒と趣味で登山していた時に、心霊スポットのトンネルを見つけました。見つけてしまっただけで、意図しては行っていないです。心霊スポットとわかったのも後からです。それで、面白そうだからと相棒と一緒に入りました。今思えば相棒はトンネルに入ることを嫌がっているようにも見えました。それなのに僕はあいつを無理矢理……」
そう言いながら、彼は思い出してしまったのか目には涙を浮かべていました。私はズボンにあったハンカチを彼に差し出しました。彼は今にも消えそうな声で「ありがとうございます」と言ってハンカチを受け取った。彼は涙を拭き終えて私にハンカチを返すと、続きを話し始めました。
「僕が相棒とトンネルの中を歩いてちょっとした後に奥に一人分の人影が見えました。何やら道の真ん中で立ちすくんでいるようで、ハイになってたのもあって面白半分で近づきました。近づいてよく見てみると長い黒髪の女性であることがわかりました。でも、そのヒトおかしかったんです。首があらぬ方向に曲がってるんです。もう怖くなっちゃって、その場に座り込んでしまったんですよ。その女の人を見つめたまま。相棒は僕を正気に戻そうと声をかけ続けてくれたんですけど、何もできなくて。しばらくしたら動けるようになったので、立とうとしたその瞬間でした。女の人がこっちを振り向いたんです。振り向いたその顔は泥や血やらでぐしゃぐしゃであまりに怖すぎて今にも叫んでしまいそうでした。そして、こっちに向かって走ってきたのです。足が滑ってうまく立てず、このまま捕まってしまうことを悟ったその時でした。相棒が俺とそのヒトの間に立って守ってくれました。言葉は交わしませんでしたが、その背中は俺のことはいいから行けと言っていました。あいつのおかげで僕は逃げられましたが、あいつはいつになっても帰ってきませんでした。その後、警察に連絡して捜査してもらうと、顔がぐしゃぐしゃになった相棒の死体が見つかりました。」
彼は話し終えるまでほとんど息継ぎをしませんでした。素早く滑らかに話してくれました。恐怖体験をした後とは思えないほどの落ち着きでした。
「話してくれてありがとうございました。それで、その霊が今あなたに取り憑いているわけではないようですが。何か怪奇現象が?」
「ええ、家で物が動いたり、大きな声で喋りかけてきます」
「ちなみにどんなことを?」
「不明瞭でよく聞こえないのですが、多分『絶対逃さないからな』って言っているんだと思います」
「なるほど、不可視呪い型幽霊ですね」
「不可視型呪い幽霊……なんですかそれ?」
「不可視呪い型幽霊です。呪い主が呪いの対象に対して不可視の呪いを起こす幽霊です。ある特定の条件を満たした時に幽霊が対象に対して起こします」
怪談でよく語られる、「足音が聞こえる」や「物が動く」がこの型の幽霊に当てはまります。窓に赤い手形がついたり、幽霊の姿が見えたりするのは可視呪い型です。また、幽霊の姿が見えるパターンで本体がきていた場合は憑き纏い型です。他にもいくつか型がありますが正直、呪い型はどれも成仏に手間がかかりすぎて面倒なんですよね。
「じゃあ相棒が僕を憎んで呪って殺そうとしているってことですか?」
「いえ、そうとは限りません。呪いが発動するのは一番最後に見たものなので、あなたの姿をその相棒さんが死んだ後に見たのかどうかということになります」
まったく気の毒なことですけどね。仲のいい相棒に死んでから呪われて。で、大体の経緯を聞いたので次に、祓うための情報を聞いたんです。
「相棒さんが生前好きだった食べ物とかってありますか?」
「割となんでも食べましたけど、一番は牛肉ですね」
「では、牛肉を用意してください。今日のうちに祓ってしまいますか?」
「ええ、なるべく早く」
「では、夜の十八時ごろに事務所に来てください」
「了解です」
そう言うと、彼は私に電話番号を渡して、部屋を出ました。私は紅茶を飲み干して片付けてから、夜のために仮眠をとりました。
夜十七時に起きて準備を始めました。昔、山での依頼を担当したときに使った山登り用の服や靴がこんなところで役立つとは思いませんでした。山登り用の服を着て、数珠を腕につけ、彼に電話をかけました。
「そろそろ時間ですが準備の方はどうですか?」
「いけます。今からそちらに向かいます」
電話を切った後事務所の前で彼を待ちました。十分ほどして彼は大きな車で迎えに来てくれました。
「どうぞ乗ってください。あそこまでは私が案内します」
「それではお言葉に甘えて」
国道を逸れて山へ向かうと、まだ十八時だというのに真っ暗でした。街灯も通る車も人の気配もない違う世界へ来たようでした。その山は刺々しい木をまとっていて、心霊スポットへ行く恐怖をより一層引き立てていました。今までにたくさんの依頼を受けたが、心霊スポットに対する恐怖は変わらないし、今回の依頼はどれよりも嫌な予感がしていました。登山入り口の前で彼は車を止め、外に出た。
「ついてきてください。案内します」
「わかりました。危険だと思ったらすぐに言います」
「お願いします」
その登山道は獣道と変わらないほど荒れていました。木の根は飛び出してきて、大きな岩があちこちに転がっていました。どこからか犬の鳴き声がしていました。野犬かと思っていたその時です。ゾワっと鳥肌がたちました。より強い呪いの発信源に近づくとそういうことがよくあります。足元が危なかったので足元を見続けていたのですが、ふっと前を見ると口を開けたかの様な大きな穴のトンネルがありました。
「ここです。ここが相棒の死んだトンネルです」
「案内ありがとう。牛肉を出してくれるかな」
「どうぞ、こちらです」
「オーケー。じゃあ僕はトンネルに入るから君はここで待ってて」
彼がくれた牛肉はもう冷めてしまっていましたが、よく焼けていました。私はその牛肉に清めの塩をふりかけて皿にのせ、懐中電灯を持ってトンネルに入って行きました。トンネルの中では私の靴の音だけが透き通った高い音で響いていました。しばらく歩いて、入り口も出口も見えないぐらいの場所に来ると、後ろから人の声が聞こえました。振り返ると犬間がこちらへ向かってきていました。
「待っててって言ったじゃないか!」
「すみません、でも体が勝手に動いて」
その言葉を聞いてある呪いを連想しました。強制執行型です。霊に特に関係の深い生き物に対してある行動を強制させる型で、外部から強い力、大人が二、三人で押さえるくらいの力を加えないと止まらないんです。非常にまずい状況だと思いました。それが起こるのは霊が近くにいる証拠ですから。近くにいればいるほど強い呪いが発生します。彼を逃さなければと近づいたその時、さっきまでシーンとしていたトンネルに
「ワン!」
という犬の鳴き声が響きました。そして彼は私にこう言ってきました。
「相棒です、相棒がここにいます」
私は一瞬理解できずにいましたが、すぐにわかりました。犬の鳴き声が、敵意剥き出しの唸り声が、相棒を取られたかのような嫉妬で吠える声が、そこかしこから聞こえるのです。正直、死んだなって思いました。私は今までの人生で動物の霊の声を聞いてきていないわけじゃないです。ただ、どれだけ言葉を尽くしても意思疎通がはかれないのです。なので、動物の霊だけは成仏させられませんでした。私は膝をついて動けなくなっていました。前を見ると黒いモヤがこちらに飛びかかってきていました。走馬灯が見えそうなすんでのところで彼が、犬間が前に飛び出していました。
「早く逃げてください! ここは俺が食い止めます!」
彼は私にそう伝えて、その黒いモヤにつかみかかりました。助けようと思いましたが、彼の勇姿を無駄にしないように必死で逃げました。そして山を駆け下りて麓の交番に入りました。
「助けてください! 殺される!」
そのあとは警察官と一緒に山に登ってトンネルに入り、そして犬間の死体を見つけました。事情聴取も何も頭に入らないでそのまま家に帰りました。最近は事務所にも行ってなくて、仕事もできていません。
「これが私の過去最恐の事件です」
いやにやつれた彼の顔はその事件の恐怖を物語っていた。
「いや〜めっちゃ怖い事件ですね。ニュースでもちょっとやってましたね」
「はい、最恐ですし、最悪ですし、最哀です」
「確かに依頼人が死んでしまったのは悲しいですね。では、最後に動画の締めをお願いします」
「これは後日談なのですが、最近毎日犬間の首があらぬ方向に曲がっていて、こちらを向いている夢をよく見ます。で、朝起きたら周りのものが散らかっているということが起きています。彼に呪われているのかもしれません。なのでこのインタビューの後に私の彼女、彼女も霊能力者なんですけど、一緒にあのトンネルへ犬間の霊を祓いに行こうと思っています」
ブツっとビデオが切れた。編集長が電源を切ったらしい。みんなすっかりビデオに釘付けになっていたらしく書類の汚れを取るのがもう終わってしまっていたそうだ。書類ではその後田中は行方不明になっていたらしく、雑誌には載せずにお蔵入りとなったそうだ。窓の外を見ると空はもう赤く染まっていた。ヒグラシの鳴く声に混じって犬の鳴き声が聞こえる。