ウマ娘ONE PIECEダービー~黄金の浮沈船は大海原を駆ける~ 作:武藤 桜
第1話 青鼻のトナカイと二人の異端者
ドラム島の山頂にそびえ立つ、かつての王城。
その一室で、ナミはベッドの上に横たわっていた。
「……う、うぅ……ここは……?」
重い瞼を開いたナミが最初に目にしたのは、見慣れない天井だった。
身体にはまだ熱が残っている。頭も少し痛むが、先程までのように意識が朦朧とするほどではなかった。
どうやら、ようやく峠を越えたらしい。
「おや? 目が覚めたかい?」
「ひゃあっ!?」
ベッドの傍らから声がした。
ナミが飛び上がりかけて振り向くと、そこには白衣を着た茶色い髪の少女がいた。目を輝かせ、手には何やら見慣れない器具を持っている。
「素晴らしいねぇ! 高熱による意識障害からの回復過程を観察できるとは! いやはや、人体というものは実に興味深い!」
「ちょ、ちょっと! あんた誰よ!?」
「おや、自己紹介がまだだったか。私はアグネスタキオン。しがない科学者さ。まあ、しがないというには少々、探究心が旺盛すぎるかもしれないがねぇ!」
「科学者……?」
ナミが眉をひそめる。
その時だった。
「タキオン! 患者さんが起きたなら、まずは安静にしてもらわないと!」
もう一つの声。
振り向いたナミは、今度こそ完全に固まった。
そこにいたのは、青い鼻をした小さなトナカイだった。
しかも、二本足で立っている。
「……え?」
「お、おはよう! 具合はどう?」
「…………」
「えっと……?」
「…………」
「……もしかして、怖がらせちゃったか?」
トナカイが耳を伏せる。
ナミは数秒間、目の前の光景を凝視していたが、やがて恐る恐る口を開いた。
「……トナカイが……喋ってる……?」
「うっ……!」
トナカイの身体がびくりと震えた。
その反応を見たタキオンが、面白そうに目を細める。
「ははぁ。どうやら君は、この島の住人から聞いた話を知らないようだねぇ。彼はトニートニー・チョッパー。れっきとした医者だよ」
「医者ぁ!?」
「そ、そうだぞ! おれは医者だ! まだまだ修業中だけど、病気や怪我を治すために頑張ってるんだ!」
「そ、そう……」
ナミは戸惑いながらも、チョッパーの言葉を聞いた。
その時、扉が勢いよく開いた。
「ナミーっ!!」
「ナミさん!!」
「おおっ! 目ぇ覚ましたか!」
飛び込んできたのは、ルフィ、サンジ、そしてゴールドシップだった。
ルフィはベッドに駆け寄り、ナミの顔を覗き込む。
「おい! もう大丈夫なのか!?」
「う、うん……。なんとかね……」
「よかったぁーっ!!」
ルフィは満面の笑みを浮かべた。
サンジも胸を撫で下ろし、ナミの手をそっと取る。
「ナミさん……! ああ、よかった……! このサンジ、もう二度とあなたを病気になど……!」
「はいはい。ありがと、サンジ君」
ナミは苦笑しながら手を引っ込めた。
その横で、ゴールドシップはチョッパーをじっと見つめていた。
「……なあ、ルフィ」
「ん?」
「この島、ついに喋るトナカイまで出てきたぞ」
「おお! すげぇな!」
「いや、そこは驚くところじゃないだろう!?」
チョッパーが思わず突っ込む。
ゴールドシップはニヤリと笑った。
「おっ、いいツッコミだ! 気に入ったぜ、トナカイ!」
「だ、だからトナカイじゃなくてチョッパーだ!」
「おう、チョッパー! よろしくな!」
ルフィが屈託なく笑い、チョッパーの頭を撫でた。
「うわっ!? な、何するんだよ!」
「いや、なんとなく!」
「なんとなくで撫でるな!」
チョッパーは怒鳴りながらも、どこか嬉しそうに身体をくねらせた。
「べ、別に嬉しくなんかねぇぞ! コノヤロー!」
「おおっ! 照れてる照れてる!」
「照れてねぇ!!」
その光景を見て、タキオンは興味深そうに顎へ手を当てた。
「ふむ……。どうやら、この海賊たちは実に愉快な連中らしいねぇ」
「お前も大概だと思うけどな」
ゴールドシップが即座に返す。
「おやおや。初対面の相手に対して、なかなか失礼じゃないか」
「初対面だから言ってんだよ。お前、なんか面白いこと考えてる顔してるし」
「ほう? 君は人間観察の才があるようだねぇ」
「いや、こいつは単に勘がいいだけだ」
ルフィが笑いながら言った。
その後、チョッパーの診察によってナミの容態が安定していることが確認された。
タキオンは医療器具を片付けながら、興味津々といった様子でナミの身体の回復経過を記録している。
「ところで、タキオン。お前は何者なんだ?」
ルフィが尋ねた。
「私は科学者だよ。医学も研究対象の一つだが、特に興味があるのは未知の現象でねぇ。この島には珍しい生物も多いし、雪山という特殊な環境もある。研究材料には事欠かない」
「へえー。じゃあ、お前も船に乗るのか?」
「……まだ君たちの船に乗ると決めたわけではないのだがねぇ」
タキオンは眼鏡を押し上げた。
「ただ、君たちのような予測不能な人間と行動を共にすれば、興味深い現象を観察できそうではある」
「つまり、乗りたいってことか!」
「話を最後まで聞きたまえよ!」
ゴールドシップが腹を抱えて笑った。
しかし、その賑やかなやり取りの中で、チョッパーだけは少し離れた場所から彼らを眺めていた。
楽しそうな声。
自分を怖がることなく、当たり前のように接してくれる人間たち。
それは、チョッパーにとって、あまりにも眩しい光景だった。
そして同時に――。
(……もし、おれが本当の姿を見せたら……)
胸の奥に、忘れられない恐怖が蘇る。
人間から化け物と呼ばれ、石を投げられ、追い払われた記憶。
チョッパーは小さく俯いた。
その様子を、タキオンは横目で見ていたが、今は何も言わなかった。
彼女もまた、科学者としてではなく、一人の観察者として、この小さなトナカイの心に何があるのかを見極めようとしていた。
第2話 ドクター・くれはが語る、青鼻のトナカイの過去
ナミが目覚めてしばらくした頃。
城の廊下から、カツカツという足音が響いてきた。
「おやおや。ようやく目を覚ましたかい、泥棒猫」
現れたのは、巨大な注射器を片手に持った老女だった。
長い髪をなびかせ、年齢を感じさせないほど堂々とした足取りで部屋へ入ってくる。
「ド、ドクター・くれは!」
チョッパーが慌てて駆け寄った。
「患者の容態は?」
「熱は下がってきてる。まだ安静が必要だけど、もう危険な状態じゃないよ」
「そうかい」
くれははナミを一瞥すると、口元を吊り上げた。
「まったく、こんな吹雪の島まで病人を連れてくるとはね。あんたたちも相当な無茶をする連中だ」
「そ、それは……」
ナミが苦笑する。
「でも、助けてもらったのは本当よ。ありがとう」
「礼なんていらないさ。医者としてやるべきことをやっただけだよ」
くれはは豪快に笑い、チョッパーの頭を軽く小突いた。
「それに、こいつも随分と張り切っていたからね」
「なっ!? べ、別におれは……!」
「患者のために夜通し薬を調合していたのは誰だったかねぇ?」
「ううっ……!」
チョッパーは顔を真っ赤にした。
「おやおや、また照れてるぜ」
ゴールドシップが囁く。
「照れてねぇ!!」
チョッパーの叫びが城に響いた。
ひとしきり笑いが起きた後、くれはは椅子に腰掛けた。
「さて。あんたたちには、こいつのことを少し話しておいた方がいいかもしれないね」
チョッパーの表情が変わった。
「く、くれは……」
「黙ってお聞き。いつまでも過去から逃げているわけにはいかないだろう?」
くれはは静かに語り始めた。
かつて、この島にヒルルクという医者がいたこと。
医者としての腕は決して優れていなかったが、病に苦しむ人々を救おうとし続けた男だったこと。
そして、ある日。
雪山で傷つき、倒れていた青鼻のトナカイを拾ったこと。
「ヒルルクは、そいつをチョッパーと名付けた。人間からもトナカイの群れからも拒絶されていたこいつをね」
くれはの声は、いつもより少しだけ低かった。
「チョッパーは悪魔の実を食べて、人間の言葉を話し、二本足で歩けるようになった。だが、その姿のせいで、どちらの仲間にもなれなかった」
チョッパーは俯いていた。
ルフィたちは黙って話を聞いている。
「それでもヒルルクは、こいつを息子のように扱った。医者としての知識を教え、病人を救うことの意味を教えた」
「……」
「だが、ヒルルクは病に侵されていた。チョッパーはあいつを救おうとして、危険なキノコを薬だと思い込んで持ち帰った。結果は……言うまでもない」
ナミが息を呑んだ。
チョッパーの小さな身体が震えている。
「ヒルルクは、チョッパーの気持ちを知っていた。だからこそ、あいつは最期まで、こいつを責めなかった」
くれはは窓の外へ目を向けた。
白い雪が静かに降り続いている。
「ヒルルクは、自分の命が尽きる前に、国を救うために城へ向かった。だが、ワポルの罠にかかり、最期は自ら命を絶った」
「……!」
ルフィの表情が険しくなる。
ゴールドシップも、普段のふざけた笑みを消していた。
「チョッパーは、その一部始終を見ていた。そして、ヒルルクの死を自分のせいだと思い込んだ」
「……おれが……」
チョッパーが、震える声で呟いた。
「おれが、もっとちゃんとした医者だったら……。あのキノコが毒だって気づいていれば……!」
「チョッパー!」
くれはが鋭く声を上げた。
「その話は何度もしたはずだよ。ヒルルクは、あんたを恨んじゃいない。あいつが最期に何を思っていたのか、あんたなら分かっているはずだ」
「でも……!」
「でもじゃない!」
くれはは立ち上がった。
「あいつは最後まで、医者だった。そして、あんたを息子として愛していた。それだけは、何があっても変わらないんだよ!」
チョッパーは唇を噛み締めた。
涙が零れ落ちそうになるのを、必死に堪えている。
その時、ルフィが口を開いた。
「……なあ、チョッパー」
「……なんだよ」
「お前、医者なんだろ?」
「……ああ」
「じゃあ、すげぇじゃねぇか」
「……え?」
あまりにも単純な言葉だった。
チョッパーは呆気に取られた。
ルフィは真っ直ぐにチョッパーを見ていた。
「お前は人を助けたいんだろ? だったら、これからも助ければいいじゃねぇか」
「……!」
「過去に何があったかなんて、今のお前が何をしたいかとは関係ねぇだろ」
ゴールドシップが、ルフィの肩をぽんと叩いた。
「おう。医者がいるってのは心強いぜ。航海中に食いすぎて腹壊す奴もいるしな!」
「それ、主にお前だろ!」
サンジが即座に突っ込んだ。
「何を言う! ルフィもだぞ!」
「俺は腹壊さねぇぞ!」
「そういう問題じゃない!」
部屋に、再び笑い声が広がった。
チョッパーは目を瞬かせた。
この人たちは、自分の過去を聞いても、化け物を見るような目を向けなかった。
それどころか、医者としての自分を認めてくれた。
胸の奥に、ずっと閉じ込めていた感情が込み上げる。
嬉しい。
でも、怖い。
もし、この人たちも自分の本当の姿を見たら。
もし、自分が化け物だと知ったら。
それでも、同じように笑ってくれるのだろうか。
チョッパーは答えを出せず、ただ俯いていた。
そんな彼を見ながら、タキオンは静かに呟いた。
「……なるほどねぇ」
彼女は科学者だ。
だが、目の前にあるのは科学だけでは説明できないものだった。
恐怖と、後悔と、それでも消えない人を救いたいという願い。
タキオンは、そんなチョッパーの心に興味を抱いていた。
そして同時に、自分自身もまた、この奇妙な海賊たちの旅に同行すれば、まだ見ぬ未知に出会えるのではないかと考え始めていた。
第3話 雪山を越える者たち
一方、その頃。
ドラム島の町へと戻ったゾロ、タマモクロス、ウソップ、ビビ、そしてドルトンたちは、ワポルの部下たちを捕らえていた。
「さて、と」
ゾロが腕を組み、目の前の男を見下ろす。
「お前ら、さっき何を話していた?」
「だ、誰が教えるか!」
「そうか」
ゾロは刀の柄に手を掛けた。
「じゃあ、もう少し丁寧に聞いてやるか」
「ま、待て待て待て! 話す! 話すから!」
男は慌てて両手を上げた。
「ワポル様が……城へ向かった海賊どもを追っているんだ! あいつらを捕まえて、城を取り戻すつもりなんだよ!」
「城を取り戻す?」
ビビが眉をひそめた。
「ワポルは、もうこの国の王ではないはずよ」
「そんなこと、あいつが認めるわけねぇだろうな」
ドルトンが苦々しげに言った。
「ワポルは自分の権力しか考えていない。国民がどうなろうと、あいつには関係ないんだ」
「ほな、ルフィたちが危ないやないか!」
タマモが声を上げる。
「病人抱えて山登っとるんやろ? そないなところにワポルの連中が押しかけたら……!」
「急ぐぞ」
ゾロが歩き出した。
「おい、ゾロ! どこへ行くんだよ!?」
ウソップが慌てて後を追う。
「決まってんだろ。ルフィたちのところだ」
「いや、方向はそっちじゃない! 山頂の城は反対だ!」
「……あ?」
ゾロが立ち止まった。
タマモが額を押さえる。
「なんでやねん! さっきまで山から下りてきたばっかりやろ!」
「うるせぇ。分かってる」
「絶対分かっとらんやろ!」
その様子を見て、ドルトンは思わず苦笑した。
「……君たちは、実に騒がしいな」
「そら、船長からして騒がしいからな」
タマモは肩を竦めた。
「まあ、悪い奴らを放っとけんのは、うちらも同じや」
ビビが頷いた。
「急ぎましょう。ルフィさんたちを助けなきゃ!」
ドルトンは町の人々へ短く指示を出し、自らも武器を手に取った。
「俺も行く。ワポルを止めるのは、この国の人間である俺の責任だ」
「おう、頼もしいやないか!」
タマモが笑う。
こうして、ゾロたちはドルトンと共に山頂の城へ向かって動き出した。
彼らを待ち受けるのは、かつて国を支配していた男との決着だった。
第4話 科学者の二刀流
山頂の城。
その正門前に、複数の人影が現れた。
「へへへ……! 見つけたぞ!」
先頭に立っていたのは、巨大な口と奇妙な身体を持つ男――ワポルだった。
「この城は俺様のものだ! 俺様こそがドラム王国の王! あの小僧どもを追い出し、城を取り戻してやる!」
その背後には、チェスとクロマーリモが控えている。
門の内側では、ルフィたちが身構えていた。
「……来やがったな」
サンジが煙草を咥え、足を構える。
「ナミさんはまだ安静が必要だ。これ以上、騒がせるわけにはいかねぇな」
「へっ、ちょうどいいじゃねぇか!」
ゴールドシップが金属製の棍棒を肩に担ぐ。
「山頂まで来てくれたんだ。歓迎会くらい開いてやろうぜ!」
「お前の歓迎会は絶対に碌なことにならねぇ!」
サンジが怒鳴る。
その隣では、白衣姿のタキオンが二本のナイフを手にしていた。
刃には、彼女が自前で調合した麻痺毒が薄く塗られている。
「ふむ。あれがワポル君か。聞くところによると、悪魔の実の能力者らしいねぇ」
「お前、戦えるのか?」
ルフィが尋ねた。
「当然さ。私は科学者だが、未知の現象を前にして、ただ観察するだけで満足するほど大人しくはないのでねぇ」
タキオンは愉快そうに笑った。
「それに、実験器具を持ち歩く以上、身を守る術くらいは必要だろう?」
「……その実験器具がナイフ二本って、どういう科学者だよ」
ゴールドシップが呆れたように呟く。
「合理的だろう? 軽く、扱いやすく、毒を塗れば相手の動きを封じられる」
「いや、科学者の説明じゃねぇよ!」
そんなやり取りをよそに、ワポルが大声を上げた。
「貴様ら! この俺様に逆らった罪、思い知らせてやる!」
ワポルが口を大きく開く。
「バクバクファクトリー!」
自らの身体を使い、食べた物を合成する能力。
ワポルは口から金属を取り込み、奇妙な武器を生み出した。
「へぇ……」
タキオンの目が輝く。
「摂取した物質を体内で変換し、異なる形状へと再構成する……! これは興味深いねぇ!」
「おい、タキオン! 見とれてる場合か!」
ゴールドシップが叫ぶ。
ワポルの部下、チェスが弓を構え、クロマーリモが拳を振り上げた。
「王様に逆らう愚か者どもめ!」
「まずはお前らからだ!」
サンジが床を蹴った。
「悪いが、ここから先は通さねぇ!」
サンジの蹴りがチェスの弓を弾き飛ばす。
同時に、ゴールドシップが棍棒を振り回した。
「ゴルシ式・黄金バットォォォ!!」
「ぎゃあああっ!?」
クロマーリモが吹っ飛び、城の外壁に激突する。
「よし、まず一人!」
「いや、まだ二人いるだろうが!」
サンジが叫んだ。
その時、ワポルが巨大な口を開いて突進してきた。
「食ってやる! 貴様ら全員、俺様の腹の中に入れてやるぞ!」
「おっと、それは困るねぇ」
タキオンは軽やかに横へ跳んだ。
「科学者たるもの、未知の現象を自分の身体で直接体験するのは、できれば避けたいところだ!」
彼女は二本のナイフを逆手に構えた。
「では、まずは神経系への影響を確認させてもらおうか!」
タキオンが地面を蹴る。
「タキオン式・麻痺毒刃――ツイン・パラライズ!」
二本のナイフが、ワポルの腕と肩を狙って閃いた。
「ぐおっ!?」
ワポルが腕を振り回すが、タキオンは身を捻ってかわし、間合いを離れる。
「ふむ。皮膚の厚さは予想以上だねぇ。だが、毒が浸透すれば動きは鈍るはずだ」
「き、貴様ぁ! 俺様の身体に何をした!」
「なに、ほんの少し神経の伝達を妨げる薬剤を塗布しただけさ。致命傷にはならないよう調整してある。実験対象を壊してしまっては、研究が進まないからねぇ!」
「誰が実験対象だァァ!!」
ワポルが怒り狂い、口を開いてタキオンへ飛びかかった。
タキオンは身を翻し、ナイフの柄で相手の手首を打つ。
「タキオン式・二重刺突――ニューロン・ブレイク!」
ナイフの刃が再び閃く。
ワポルは腕を押さえ、わずかによろめいた。
「ぐっ……! 身体が……動かん……!」
「おや。効き始めたようだねぇ」
タキオンは満足そうに頷いた。
「ただし、麻痺毒は万能ではない。効果が出るまで時間がかかるし、体格や代謝によって効き方も異なる。実に興味深い個体だ」
「戦いながら解説すんな!」
ゴールドシップが叫んだ。
その隙を突いて、チェスが再び弓を拾い、矢を放つ。
「タキオン、危ない!」
ルフィが叫ぶより早く、タキオンは身体を低くして矢をかわした。
「タキオン式・残像歩法――ラピッド・ステップ!」
彼女は素早く間合いを詰め、ナイフの柄でチェスの顎を打ち抜く。
「ぐっ……!」
チェスが倒れた。
「ふむ。思ったよりも良い運動になったねぇ」
タキオンは白衣の裾を払い、楽しそうに笑った。
「君、見かけによらず強いんだな!」
ルフィが目を輝かせる。
「お褒めにあずかり光栄だよ。だが、私の本領は戦闘ではない。ここからが本番さ」
タキオンは倒れたワポルへ目を向けた。
「さて、ワポル君。君の能力について、少々詳しく調べさせてもらおうか」
「ふ、ふざけるな! 俺様は王だぞ!」
「王であることと、研究対象として興味深いことは別問題だねぇ」
「貴様ぁぁぁ!!」
ワポルが吠えた。
その瞬間、ルフィが前へ出た。
「おい、ワポル」
その声には、いつもの陽気さがなかった。
「……お前、さっきから何を言ってやがる」
「な、なんだと?」
ルフィの目が、ワポルの背後にある旗へ向いた。
ワポルが持ち込んだ海賊旗。
その旗を見て、ワポルは鼻で笑った。
「こんな布切れに何の意味がある! 旗など、俺様が食い破ってやる!」
ワポルが口を開き、海賊旗へ食らいつこうとする。
その瞬間――。
「……やめろ」
ルフィの声が、低く響いた。
「海賊旗を……バカにするんじゃねぇ」
空気が変わった。
ゴールドシップが棍棒を下ろす。
サンジが煙草を口から離す。
タキオンもまた、興味深そうな表情を消し、ルフィを見つめた。
ルフィは、海賊旗を見つめたまま拳を握り締めていた。
「旗は……命を懸けて掲げるもんだ」
そして、ワポルを睨みつけた。
「それを笑う奴は、俺が許さねぇ!!」
「ひっ……!」
ワポルが怯んだ。
次の瞬間、ルフィの腕が大きく伸びた。
「ゴムゴムのォ――!」
拳が唸りを上げる。
「バズーカァァァ!!」
両手の掌底が、ワポルの身体を真正面から捉えた。
「ぶべらぁぁぁぁぁっ!?」
ワポルの巨体が宙を舞った。
城の屋根を越え、山頂の空を越え、雲の彼方へと飛んでいく。
その姿は、あっという間に小さな点となり、やがて見えなくなった。
静寂。
そして――。
「……飛んでったな」
ゴールドシップが呟いた。
「飛んでったねぇ」
タキオンが頷く。
「いや、あれはもう飛行というより、弾道運動だろ……」
サンジが額を押さえた。
ルフィは拳を下ろし、いつもの笑顔に戻った。
「よし! これで終わりだ!」
その声を聞き、城の中にいた人々が歓声を上げた。
かつて国を恐怖で支配していた王は、ついにこの島から追い払われたのだった。
第5話 科学者の野望
戦闘が終わると、タキオンはすぐにワポルの残した物品を調べ始めた。
「さて……。彼の能力は、単に物を食べるだけではない。摂取した物質を身体の中で変換し、組み合わせ、再構築する性質があるようだねぇ」
彼女は手帳に次々と記録を書き込む。
「悪魔の実の能力とは、肉体に特殊な法則を付与する現象……。その法則を切り離し、別の肉体へ移植できるとしたら……」
「タキオン」
ルフィが声を掛けた。
「お前、さっきから何してんだ?」
「研究さ。君たちが倒した敵の能力を解析している」
「それって、真似できるのか?」
「単なる模倣ではないよ。私は、能力そのものを分離し、別の人間へ継承させる方法を研究しているのさ」
タキオンは顔を上げ、目を輝かせた。
「悪魔の実の能力を、一人の人間から別の人間へ移す。もし成功すれば、能力の継承は血筋や偶然の再生に頼らずとも可能になる!」
「……へぇ」
ルフィは首を傾げた。
「よく分かんねぇけど、すげぇのか?」
「非常に画期的な研究だよ!」
「そっか!」
ルフィは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、うまくいったら面白そうだな!」
「……君は本当に、物事を単純に考えるねぇ」
タキオンは呆れたように笑った。
しかし、その反応は彼女にとって心地よいものだった。
研究を説明すれば、誰もが利益や危険性を先に考える。
だが、ルフィはただ「面白そうだ」と言った。
未知を恐れるより、未知へ踏み込むことを選ぶ。
それは、タキオンが最も好む人間の姿勢だった。
「ただし、現時点では研究段階だ。能力を完全に分離する方法も、保存する方法も、別の人物へ安全に移植する方法も確立していない」
「じゃあ、これから作るのか?」
「そういうことさ。まずは実験と検証を重ねる必要がある。能力の分離に成功したとしても、継承者の身体が受け入れられるかどうかは別問題だからねぇ」
タキオンはワポルの能力を記録した手帳を閉じた。
「だが、もし完成すれば……実に面白いことになるだろうねぇ!」
ゴールドシップが肩を組んできた。
「おーし、じゃあその時は、アタシにもすげぇ能力を頼むぜ!」
「君の場合、能力を与える前に、その奇行を抑制する薬を開発した方が世のためだと思うがねぇ」
「なんだとぉ!? よーし、勝負だタキオン! どっちが先に空を飛べるか競争だ!」
「その勝負に科学的な意味はあるのかい!?」
再び、城に騒々しい笑い声が響いた。
第6話 バクバクの実、継承
その後、タキオンはワポルの能力を分離するための研究を進めた。
ワポルが空の彼方へ吹き飛ばされる前に残していた痕跡や、能力の発現を観察した記録をもとに、彼女は持ち込んでいた特殊な装置を調整していく。
もっとも、すべてが一度で成功したわけではない。
「むむ……。分離反応が不安定だねぇ。能力の核となる性質が、まだ肉体に強く結びついているのか……」
タキオンは装置を調整し、何度も測定を繰り返した。
そして、ついに。
装置の中に、奇妙な渦巻き模様を持つ果実が現れた。
「……成功、か?」
ゴールドシップが覗き込む。
「いや、まだ断定はできない。能力が完全に分離されたか、保存状態に問題はないか、継承者が安全に受け入れられるか……検証すべき項目はいくらでもある」
タキオンは慎重に果実を取り出した。
「だが、少なくとも、バクバクの実の能力を継承可能な状態に再構成できた可能性は高い」
そこへ、オグリキャップがやってきた。
「タキオン、その果実は食べられるのか?」
「……オグリ君。君は話を聞いていたのかい?」
「聞いていた。能力を別の人間へ渡せるようになったのだろう?」
「そうだが……」
「なら、食べてみたい」
オグリは真剣な顔で果実を見つめていた。
タキオンは数秒間、彼女を観察した。
「……君は、能力そのものに興味があるのかね?」
「それもあるが、食べられるものが増えるなら便利だと思う」
「……実に君らしい回答だねぇ」
サンジが額を押さえた。
「おい、オグリ。悪魔の実は食材じゃねぇんだぞ」
「だが、食べなければ能力は得られないのだろう?」
「理屈はそうだが……!」
タキオンは少し考えた後、真剣な表情になった。
「オグリ君。これはまだ私の研究が完成したわけではない。能力の継承が成功する保証も、身体にどのような影響が出るかも、完全には分かっていない。それでも本当に食べるつもりかい?」
オグリは頷いた。
「私は、仲間の役に立ちたい。サンジの料理を食べることも好きだが、戦いでみんなを守れる力があるなら、それも欲しい」
その言葉に、タキオンは目を細めた。
「……なるほど。君は自分の欲求だけでなく、仲間のために選択するのか」
「もちろんだ」
オグリは真っ直ぐに答えた。
タキオンは果実を差し出した。
「分かった。では、継承実験の第一号だ。異常があれば、すぐに私が観察し、対処しよう」
「よろしく頼む」
オグリは果実を受け取ると、大きく口を開けた。
そして――。
「……ん?」
ひと口。
ふた口。
オグリの表情が曇った。
「……美味しくない」
「そりゃそうだろうな!」
ゴールドシップが腹を抱えて笑う。
「悪魔の実は味が最悪だって有名だからな!」
「そうなのか……」
オグリは残りを一気に食べきった。
次の瞬間、彼女の身体が奇妙に震えた。
「……っ!」
「オグリ!?」
サンジが駆け寄る。
タキオンはすぐさま脈拍と呼吸を確認した。
「落ち着きたまえ。反応は出ているが、生命活動に異常はない。能力が身体に定着しつつあるようだねぇ」
オグリは目を閉じ、しばらく自分の身体の感覚を確かめていた。
やがて、ゆっくりと目を開く。
「……何か、分かる」
「どんな感覚だい?」
「口を開けば……物を食べられる。そして、食べた物を……別の形にできるような気がする」
タキオンの目が輝いた。
「成功だ……! 少なくとも、能力の継承は成立した!」
彼女は大急ぎで記録を取る。
「バクバクの実の能力が、オグリ君の身体に定着した。能力の基本的性質も引き継がれているようだ。だが、まだ細かい制御は未知数……」
「つまり、オグリは能力者になったんだな!」
ルフィが笑った。
「おめでとう、オグリ!」
「ありがとう、ルフィ」
オグリは少し照れたように笑った。
その直後。
「……ところで、タキオン」
「なんだい?」
「この能力で、食べた物を美味しくすることはできないだろうか?」
「…………」
タキオンは黙った。
サンジが天を仰いだ。
「お前、今それを聞くのかよ……!」
ゴールドシップは床を転げ回って笑っていた。
「ぎゃはははは! さすがオグリ! 能力の第一目的が飯かよ!」
「だが、食事は大切だ」
「そこは否定しねぇけどよ!」
こうしてオグリキャップは、バクバクの実の能力者となった。
ただし、能力を使いこなすにはまだ訓練が必要だ。
タキオンは今後、オグリの能力を観察しながら、悪魔の実の継承技術をさらに発展させるつもりだった。
そして、彼女自身もまた、その研究を完成させるために新たな航海へ出る決意を固めつつあった。
第7話 化け物と呼ばれる恐怖
戦いが終わり、城に平穏が戻った頃。
チョッパーは廊下の片隅で、ルフィたちの様子を窺っていた。
ルフィはゴールドシップとふざけ合い、サンジはオグリの能力をどう料理に活かせるかと頭を抱え、タキオンは新しい研究ノートに夢中になっている。
誰もが楽しそうだった。
それでも、チョッパーは一歩を踏み出せずにいた。
(……おれが、みんなと一緒に行くなんて……)
ヒルルクが死んでから、チョッパーはずっと一人だった。
くれはは自分を育ててくれた。
医者としての技術も、知識も、たくさん教えてくれた。
だが、くれははあくまで師匠であり、家族だった。
外の世界には、まだ自分を受け入れてくれる人がいるとは思えなかった。
チョッパーは、自分の蹄を見つめた。
もし、旅に出て。
もし、自分の本当の姿を見せたら。
この人たちも、自分を化け物と呼ぶのだろうか。
「……おい、チョッパー」
突然、ルフィの声がした。
「ひゃあっ!?」
チョッパーは飛び上がった。
「な、なんだよ!?」
「お前、船に乗れよ」
「…………は?」
あまりにも唐突な言葉だった。
「だから、船に乗れって!」
「な、なんでだよ!?」
「お前、医者だろ?」
「そ、それは……そうだけど……!」
「俺たちには医者が必要なんだ!」
ルフィは真っ直ぐに言った。
「俺たちと一緒に来いよ、チョッパー!」
チョッパーの目が見開かれた。
「……で、でも……」
「でも?」
「お、おれは……化け物なんだぞ……!」
声が震えた。
「人間でも、トナカイでもない……こんな姿で……! おれが船に乗ったら、みんなに迷惑をかけるかもしれない……!」
ルフィは首を傾げた。
「……何言ってんだ?」
「え……?」
「お前はチョッパーだろ?」
ルフィは笑った。
「それでいいじゃねぇか!」
チョッパーは言葉を失った。
ルフィは、まるで当たり前のことを言うように続けた。
「お前が化け物だろうが、トナカイだろうが、医者だろうが、そんなの関係ねぇ。お前はお前だろ!」
「……っ!」
チョッパーの目から、涙が零れた。
ゴールドシップが隣へやってきた。
「そういうこった。アタシだって、しょっちゅう変な奴だの、頭がおかしいだの言われてるぜ!」
「それはお前が本当に変だからだろ」
サンジが即座に突っ込む。
「なんだとぉ!?」
「だが、まあ……」
サンジはチョッパーへ向き直った。
「お前が医者として仲間を助けたいなら、歓迎するぜ。船には美味い飯もある。食事の管理はオグリがいるから、食材の心配も……いや、むしろ食材が心配だな」
「食材は大切に食べる」
オグリが真面目に頷く。
「……説得力がねぇんだよなぁ」
サンジは頭を抱えた。
タキオンも研究ノートを閉じ、チョッパーを見た。
「君が同行してくれるなら、医療に関する研究も進みそうだねぇ。君は実際に患者を診ている医者だ。私が見落としている視点を持っているかもしれない」
「……タキオンも?」
「もちろんさ。もっとも、君の身体を勝手に解剖したりするつもりはないから安心したまえ。研究は相互の信頼があってこそ進むものだからねぇ」
「……本当か?」
「本当さ。少なくとも、君が嫌がることを無理やりするつもりはないよ」
チョッパーはしばらく黙っていた。
そして、震える声で尋ねた。
「……おれが……みんなと一緒に行っても、いいのか?」
ルフィは大きく頷いた。
「ああ!」
「……おれが、みんなの仲間になっても……?」
「ああ!!」
「……おれが……化け物でも……?」
「だから、何度も言わせんなよ!」
ルフィは笑った。
「お前はチョッパーだ!」
その瞬間、チョッパーの中で何かが弾けた。
「う……ううっ……!」
涙が溢れ出す。
「うわああああああああん!!」
チョッパーは泣きながら、ルフィたちへ駆け寄った。
「おれ……おれ……! みんなと一緒に行きたい!!」
「おう!」
ルフィはチョッパーを抱き上げた。
「よろしくな、チョッパー!」
「うわあああああん!!」
チョッパーは泣きじゃくりながら、何度も頷いた。
こうして、青鼻のトナカイは、麦わらの一味の船医となることを決めた。
そして、その隣では。
「……さて、私も同行させてもらおうかねぇ」
タキオンが、実に楽しそうな笑みを浮かべていた。
「お前もか?」
ルフィが尋ねる。
「もちろん。悪魔の実の能力継承技術を完成させるには、研究対象も、実験の機会も必要だ。君たちと行動を共にすれば、未知の能力者や珍しい現象に遭遇する可能性が高い」
「つまり、面白そうだから来るってことだな!」
ゴールドシップが笑う。
「……否定はしないよ」
タキオンは眼鏡を押し上げた。
「それに、チョッパーと共に医療や科学の知識を深めるのも楽しそうだ。私はまだ、この海について知らないことが多すぎるからねぇ」
「よーし! じゃあ、タキオンも仲間だ!」
「……君は本当に、決断が早いねぇ」
タキオンは苦笑した。
だが、その顔には隠しきれない期待が浮かんでいた。
彼女は科学者として、未知を追い求めている。
そして今、その未知へと続く航路が、目の前に開かれたのだ。
第8話 桜色の雪
翌日。
ドラム城の前には、チョッパーの旅立ちを見送るため、くれはが立っていた。
チョッパーは小さな荷物を背負い、何度も振り返っている。
「……くれは」
「なんだい?」
「……おれ、本当に行ってもいいんだよな?」
「何度同じことを聞くんだい、このバカトナカイ!」
くれはは豪快に笑った。
「ヒルルクの夢を、あんたが受け継ぐんだろう? だったら、外の世界を見てきな。たくさんの人間を見て、たくさんの病気を知って、立派な医者になっておいで!」
「……うん!」
チョッパーは力強く頷いた。
くれはは一度、城の奥へ戻った。
そして、しばらくしてから、一本の瓶を抱えて戻ってきた。
その中には、奇妙な薬が入っていた。
「……それは?」
チョッパーが尋ねる。
「ヒルルクが、あんたのために残していたものさ」
「……ヒルルクの……?」
くれはは瓶を掲げた。
「ヒルルクが夢見た、万能薬。その研究の成果だよ。まだ完全な万能薬とは言えないがね」
チョッパーの目が見開かれた。
「……そんなものが……!」
「ヒルルクは、いつかこの国の人々の心を救うことを夢見ていた。あいつの夢は、ただ病気を治す薬を作ることじゃなかったんだ」
くれはは、瓶をしっかりと握り締めた。
「人々の心に希望を与えること。それこそが、あいつの目指した医療だった」
そして、くれはは瓶を空へ掲げた。
「だったら、最後くらい派手に送り出してやろうじゃないか!」
薬が、雪の中へ放たれた。
次の瞬間。
ドラム島の空に、鮮やかなピンク色が広がった。
白い雪が、桜色に染まる。
風に舞う花びらのように、ピンク色の雪が城の周囲へ降り注いだ。
「……あ……」
チョッパーは空を見上げた。
それは、かつてヒルルクが見せたかった景色だった。
病に苦しむ人々を救いたい。
絶望に沈む人々へ、希望を与えたい。
その夢が、今、目の前に広がっている。
「……ヒルルク……」
チョッパーの頬を、涙が伝った。
「おれ……行ってくるよ……!」
くれはは笑った。
「ああ。行っておいで!」
ルフィたちは、誰も茶化さなかった。
ゴールドシップも、いつもの冗談を口にしなかった。
タキオンも、研究ノートを開くことなく、ただ静かに空を見上げていた。
ピンク色の雪が、チョッパーの鼻先に舞い降りる。
それは、彼の新しい旅立ちを祝福する雪だった。
やがて、チョッパーは涙を拭い、くれはへ向き直った。
「……くれは! ありがとう!」
「ふん! 礼なんていらないさ!」
くれはは背を向けた。
「さっさと行きな! いつまでも泣いているんじゃないよ!」
「……うん!」
チョッパーは走り出した。
仲間たちの待つ船へ。
そして、未知の世界へ。
彼の背中を、桜色の雪がいつまでも追いかけていた。
第9話 新しい仲間、新しい航路
ドラム島の港。
ゴーイングメリー号の甲板には、すでにゾロ、タマモクロス、ウソップ、ビビ、そしてドルトンが戻っていた。
「おう、ルフィ!」
ゾロが片手を上げる。
「無事だったか」
「当たり前だろ!」
ルフィは笑いながら船へ飛び乗った。
「それより、紹介するぜ! 新しい仲間だ!」
「……新しい仲間?」
ウソップが首を傾げた。
その視線が、ルフィの腕に抱えられた小さなトナカイへ向く。
「……え?」
チョッパーは緊張した面持ちで、皆を見つめていた。
「……トニートニー・チョッパーだ。医者だぞ!」
ルフィが胸を張る。
「……トナカイ?」
ゾロが呟いた。
「喋っとる……」
タマモが目を丸くする。
「す、すげぇ! トナカイが喋ってるぞ!」
ウソップが叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待て! なんだこいつ!? まさか、怪物か!?」
「……っ!」
チョッパーの身体が強張った。
その瞬間、ルフィが大声を上げた。
「違うぞ! こいつはチョッパーだ! 俺たちの仲間だ!」
その言葉に、チョッパーは目を見開いた。
タマモがすぐに頷く。
「なんや、医者なんか! そら頼もしいやないか!」
「そ、そうだぞ! 医者がいるなら安心だ!」
ウソップも慌てて取り繕った。
「いや、別に最初から怪物だなんて思ってないぞ! うん!」
「お前、さっき言っただろ」
ゾロが呆れたように突っ込む。
「うるせぇ!」
そのやり取りを見て、チョッパーの顔に少しずつ笑顔が戻っていく。
その隣で、タキオンが甲板へ上がった。
「私はアグネスタキオン。科学者だ。これからしばらく、君たちと同行させてもらうことになった」
「……科学者?」
ゾロが眉をひそめる。
「そうさ。悪魔の実の能力を解析し、能力を分離・保存して別の人間へ継承させる技術を研究している。今回、ワポル君のバクバクの実の能力をオグリ君へ継承させることに成功した」
「……は?」
ウソップが固まった。
「ちょ、ちょっと待て! 悪魔の実の能力を、別の人間に渡したって!?」
「そういうことだねぇ」
「そんなことができるのか!?」
「現時点では、まだ成功例は限られている。安定性も含めて、今後の研究が必要だ」
タキオンは楽しそうに笑った。
「だからこそ、旅に出る価値があるのさ。未知の能力者と出会い、能力の法則を調べ、研究を進める。これほど愉快な航海はないだろう?」
「……お前、絶対に変なことするなよ」
ゾロが釘を刺す。
「おやおや。私を何だと思っているのかねぇ?」
「変なことを考えている奴」
ゴールドシップが即答した。
「お前が言うな!」
サンジの突っ込みが響く。
甲板に笑い声が広がった。
その時、ビビが一歩前へ出た。
「……皆さん。私は、ここでお別れです」
空気が変わった。
ビビは、アラバスタ王国の王女として、自分の国へ戻らなければならない。
故郷では、反乱の火種が広がっている。
彼女には、果たさなければならない使命があった。
「本当は、皆さんと一緒に旅を続けたい。でも……私には、帰らなければならない場所があるんです」
ルフィは、ビビを真っ直ぐに見つめた。
「……そうか」
それ以上、無理に引き止めることはしなかった。
ゴールドシップがビビの肩を軽く叩く。
「おう、ビビ。アラバスタに着いたら、思いっきり暴れてやろうぜ!」
「ゴールドシップさん……!」
「なにせ、アタシらは黄金の浮沈船だからな! 沈まねぇし、浮かび上がるし、最後には大暴れだ!」
「それ、意味が分からないわよ……」
ナミが呆れたように言う。
だが、ビビは笑った。
「……はい。皆さんと一緒なら、きっと大丈夫です」
ルフィが拳を握り締める。
「よし! 出発だ!」
船員たちがそれぞれの持ち場へ散っていく。
ゾロとタマモが帆を確認し、ウソップが船体を点検する。サンジとオグリは食料の管理を始め、ナミとフェスタは航路を確認した。
チョッパーは医療道具を抱え、少し緊張しながら甲板を歩いている。
タキオンはその隣で、航海中に必要となる研究器具を整理していた。
「ところで、チョッパー君」
「な、なんだよ?」
「君は医者として、どのような薬を作るのが得意なのかねぇ?」
「え? えっと……怪我の治療薬とか、風邪薬とか……」
「なるほど! では、航海中に発症する特殊な病気についても研究してみたいねぇ!」
「と、特殊な病気!?」
「そうさ! 未知の病原体、異常な代謝、悪魔の実の能力による生理的変化……!」
「ちょ、ちょっと待て! そんなの、おれも全部知ってるわけじゃねぇぞ!」
「だからこそ研究する価値があるんじゃないか!」
「うわあああ! こいつ、くれは以上に面倒くせぇ!」
チョッパーの悲鳴が甲板に響く。
その様子を見たゴールドシップが、腹を抱えて笑った。
「ぎゃははは! こりゃあ、退屈しねぇ旅になりそうだぜ!」
ルフィも笑った。
「そうだな!」
そして、船首に立つと、前方の海を指差した。
「次はアラバスタだ!」
ナミが海図を広げ、風向きを確認する。
「進路よし。帆を張って! アラバスタへ向かうわよ!」
ゴーイングメリー号の帆が、風を受けて大きく膨らんだ。
ドラム島が、ゆっくりと遠ざかっていく。
雪に閉ざされた島で出会った、新しい仲間たち。
青鼻のトナカイ、トニートニー・チョッパー。
未知を追い求める科学者、アグネスタキオン。
そして、悪魔の実の能力を新たな人間へと継承させる、前例のない研究。
その全てを乗せて、麦わらの一味は次なる海へと進み始めた。
黄金の浮沈船は、今日も沈まない。
どれほど荒れた海でも、どれほど予測不能な嵐でも。
仲間と共に、前へ進む。
それが、ゴールドシップたちの航海だった。