はぁはぁはぁ!───
薄暗い夜道を1人の女が駆けていく。
着物は乱れ、長い髪を振り乱し、怯え切った表情で目には涙を溜めながら、振り返りもしないで誰もいない山道を無我夢中で走っていた。
側から見ればまるで山賊に追われているのかと思うが後ろには誰もおらず、ただ闇が広がるばかりで、誰も追ってくる様子がない。
それでも女は脇目も振らず逃げていた。
ガッ──
「あっ!」
女が短い悲鳴をあげると同時に、その体は宙を舞い無様に地面に倒れ伏した。派手に転んだ女は少しの間地面に顔を伏せていたが立ち上がろうとよろよろと身を起こす。
そして呼吸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。
「鬼ごっこはもう終わりかい?」
「ひっ・・・」
その言葉を聞いた女は、ヒュッと息を詰まらせるとガタガタと震えながらゆっくりと後ろを向いた。誰もいなかったはずのそこには中年の男が1人ニタニタと嫌な笑みを浮かべ、女を見下ろしていた。
「・・・あ・・・あ」
女は恐怖のあまり震えながら後ずさりしていく。
男はその様子を嬉しそうに見ると女の姿を舐め回すように見つめ舌なめずりをした。
乱れた着物から覗くさらしで押さえつけられている胸元、普段なら見れない白い太もも、そして何よりもその整った顔立ち。
「ひひっ!いい眺めだなぁ〜」
男はたまらないとばかりに息を荒げながら、女に近づこうとする。
「い・・・いや・・・来ない・・・来ないで・・・・」
女は小さく首を振りながらなんとか胸元を隠しつつ逃げようと地面を這った。
しかしその行動すら男の欲情を煽ってしまう。
「たまらないなぁ〜すぐに食っちまうのは勿体無いなぁ〜まずは裸に剥いてじっくりと鑑賞してからじわじわと食おう。そうだ!そうしよう!」
男はそう叫ぶと目を血走らせ、女に覆い被さった。
「嫌!やだ!やめて!」
女が必死にもがくが男の力はまるで人ではないほどに強くどうしようもなかった。
「ヒヒッ!ほら大人しくしろ!」
そう言って男が女の首筋に舌を這わそうとした時だった。
ドスッ!という音と共に男の頭に衝撃と異物感が走る。
「んえ?」
男が変な声をあげると、首下に腕をねじ込まれぐるりと体が入れ替わっていた。
「ふぅ・・・」
女は先ほどまでとは打って変わり、冷静に着物を整えると男の頭に刺さった短刀を引き抜いた。そして髪を後ろに結びながら、今まさに血を流している男に向けて冷たく言い放つ。
「さっさと起きなさい。それとも地面がそんなに気持ちいいのかしら?」
そう言われた男はギョロリと目を動かすと、身なりを整えている女に動揺しながら声をかけた。
「な、なんだお前。なんで俺が生きてるって・・・頭に刃物刺さってたんだぞ俺は!普通死んでるって思うだろ!?」
「えぇそうね初めてだったら少しは驚いてあげれたかも・・・ごめんなさい。ご期待に応えられなくて」
そう言いながら女は手袋の紐を口で咥えキュッと結んだ。
そして身なりを整えた女は、男の目の前まで顔を近づけその瞳を覗き込む。
月光を溶かしたような薄紫色の瞳で見つめながら女が髪をかき上げる仕草に男はごくりと喉を鳴らした。
「ふふっやっぱり」
女は軽く微笑むと男の横を素通りする。
「な、なんだよ・・・オエっ!」
男が言い終える前にその首にいつの間にか巻きついていた何かで男は引き摺られていた。
──“鉄糸”
細く長い鉄でできた糸。それを手袋の中に仕込み、対象を拘束するために使われる。
「“鬼“でしょう?あなた」
「!?なんで・・・ウェ!」
女がぐぃっと引っ張ると鬼の体はいとも簡単に動いた。
(こ・・・こんな・・・なんで!?それにこの糸びくともしねぇ)
鬼は必死にジタバタと暴れるがズルズルと引き摺られ、大きな木の近くまで連れてこられると次の瞬間、再び鬼の頭に短刀が突き刺さった。
「あがっ」
脳を貫かれた鬼は一瞬また意識が飛ぶ。
その隙に女は首に巻き付いた鉄糸とつながる手袋をギュッと力強く握り締めると鉄糸はさらに肉に食い込み、たやすくその首を切断した。
女は慣れた手つきで後頭部に刺さった短刀を抜くと、今度はその首を放り投げ木にその首を縫い付けた。
「ガッ!」
鬼が短く悲鳴を上げるが、女は慣れた様子で動こうとした鬼の足を踏み潰し、袖に隠していた苦無を暴れる上半身の背中から心臓目掛けて振り下ろした。
どすりという鈍い音が響き、しばらく暴れていた鬼の体はやがて動かなくなっていた。
そして女はその苦無を引き抜きつつ、今度は鬼の首下目掛けて投げつける。
苦無は今まさに再生しようとしていた体の中心に深々と突き刺さり再生が止まってしまった。
「さてと・・・じゃあお話ししましょうか」
「は・・・はなし?」
「えぇ。みなさんとっても奥手みたいでして全然話して下さらなかったの。だからあなたはたくさんお話ししてくださると私もとっても嬉しいです」
女は先ほどの怯え切った表情でも冷酷な表情でもなくコロコロとした可愛らしい笑顔で鬼を見つめた。
「なにが聞きたいんだヨォ?」
鬼はその笑顔に不気味さを感じつつも話を聞くことに決めた。
「まぁ!お話ししてくださるんですね!ふふっとっても嬉しいです。とはいえそう難しい質問ではないんですよ。あなたたちがどうやって鬼になれたのか知りたいんです」
「・・・!?お、お前も鬼になりたいのか?」
「えぇ。とっても興味があります。どうやってなれたんですか?・・・私でもなれますか?」
「も、もちろん!あの方に頼めば!」
「あの方ですか?よろしければお名前を教えていただいても?」
そう尋ねるが鬼は急にガタガタと怯え出す。
「い・・・言えない」
「言えない・・・それでは私はどうやったら鬼になれるんですか?そんな意地悪なさらないで教えてくださいよ」
「い・・・言えないんだ!絶対に・・・言えない!」
「・・・では致し方ありませんね」
女はそう呟くとゆっくりと鬼に近づきその目に指を深々とねじ込んだ。
「い・・・いぎゃあああ!」
「痛みがあって本当によかったです。こういうお話の聞き方もできますから」
女はそう呟きながら、その指をぐりぐりと動かす。
「い・・・いだい・・・やめ・・・」
「大丈夫ですよ。あなたがお話ししてくださるか、こうして夜明けまで私と遊びましょう?」
その闇を感じる笑みを見た鬼は手を出してはいけない女に手を出してしまったと後悔していた。
「あ・・・ああ・・・・あああああ!」
──数刻後。
ボロボロになった鬼の頭は悲鳴もあげず、陽の光によって灰となって消えていった。
「結局・・・収穫なしですか。致し方ありませんね」
女はそういうと立ち上がり、土汚れを払うと今きた道を戻って行った。