声をかける暇もなかった。
異様な雰囲気を放つその男は美しい顔を一切崩さないまま、吉郎の後頭部から額にかけて腕を貫通させる。
私はすぐに刀を抜き放つと吉郎の体に隠れるように姿勢を低く、その男に斬りかかろうとした。
しかしその男が放ったただの蹴り、その1発だけで私は大きく吹き飛ばされた。
「が・・・は!」
目の前がチカチカと光り、口に苦い味と血の味が広がる。
腹部から広がるあまりの痛みに意識を手放しそうになるが、それでも即座に立ちあがろうともがく。
今の一撃だけで理解してしまった。
目の前にいるこの男は、人の皮を被った何かだと。
そしてこの男は私を殺さないように手加減したのもすぐにわかった。
私が立ち上がるとその男は私に目を向け、微笑を浮かべながら何か言っている。
しかし意識が半分飛びかけている私の頭には、その言葉は届いていなかった。
吉郎の体は大きく変異し、肉のような何かに変わる。
(吉・・・ろ・・・う)
男は興味なさげに吉郎だったものを踏み潰しながら、意識が混濁している私に向けてその手を私の喉目掛けてゆっくりと伸ばした。
その腕を止めてくれたのは・・・雉のお面を被った先生だった。
先生は伸ばされた腕目掛けて刀を振り下ろしたが、その腕はまるで岩で出来てるとでもいうように微動だにしなかった。
「猿!!」
先生がそう叫ぶとその傍から飛び出してきた黒い影が私の体を抱き抱え走り出した。
「せ・・・ん・・・せ?」
焦点が定まらない私の目を先生は一瞬見たが、何も言わず走り続けた。
そしてその脇をみんなが通り過ぎていく。
誰も何も言わない。
ただ一瞬だけ私に笑顔を向け、みんなあの男のもとに走っていく。
「だ・・・め・・・いか・・・ないで・・・」
声が出てこない。
行っても死んでしまうだけだとわかるから。
行かないで欲しいのにその言葉を出せなかった。
しばらく走っていた先生だったがやがて私を1つの岩の前に下ろす。
そしてその岩をありったけの力を込めて押すと下に続く梯子が現れた。
先生に頬をパシパシと叩かれ、少しずつ意識がはっきりしてくる。
「先生・・・みんなは・・・?」
先生は何も言わず、紙を私の服の中にねじ込み、赤い石を握らせた。
「この石を八百屋の婆さんに渡せ。それで伝わる。いいな?」
「・・・先生は?」
「わしはここに残る」
「先生・・・無駄死にはだめって・・・いつも・・・」
「これは無駄ではない。・・・お前が生きるからな」
「・・・私じゃなくて・・・先生が・・・」
「もう潮時なんだ。わしは」
そう言って先生はじっと私を見つめていた。
いつも厳しい目が見えるそのお面の目には優しげな目が見えた。
「生きろ、咲夜。生きて、役目を果たせ」
「・・・役目」
「そうだ。新しい“宵“であるお前が・・・」
そう言った先生は言葉を途中でやめてしまう。
「・・・せんせ?」
「いや・・・咲夜。これがわしからお前への最後の頼みだ」
そう言って先生は私の手を優しく包み込む。
「・・・生きろ」
先生はそう言って私を穴の中に入れた。
穴の中はどこかにつながっているらしく、真っ暗な中を空気だけが流れていた。
私は先生の方に顔を向けるが先生はもうそこにいなくて、少しずつ穴の中に差し込んでいた光が消えていった。
痛みでしばらく動けなくなっていた私は、その穴の中で夜を過ごすと朝になってから山を降りて行った。
山を降り、先生に言われた通り八百屋に向けてよろよろと歩く私を町の人たちは驚いた顔で遠巻きに見ていた。
「へい。らっしゃ・・・あんたその格好・・・!」
八百屋に着くと、奥から出てきたおかみさんが驚いた顔をして、私を見ている。
その時になって自分がどんな格好をしていたかに気づいた。
全身泥だらけなうえ、ボロボロになった黒装束からはところどころ素肌がのぞいていた。
おかみさんはすぐに私の手を取ると店の中に連れ込んだ。
そして急いで他の女性たちを呼び、男連中を全員店の中から追い出した後、井戸の水で私の体を拭いてくれた。
綺麗になった私をおかみさんは上に呼び、そこで向かい合うように座った。
「それで何があったんだい」
私はその言葉に返事する代わりに、先生に言われた通り、服の中にねじ込まれていた紙と握っていた石を見せた。
その石を見たおかみさんは今まで見たこともないような驚愕に染まった顔をし、額から汗が滲み出る。
おかみさんは震える手で私の手から赤い石と手紙を受け取るとカサリと紙を左右に開いた。
そして真剣な表情でその内容を読んだ後、天を仰いだ。
「なんて・・・こったい。こんなあっさり・・・」
おかみさんはしばらく黙っていたが、私を残して机の前に座り直すと紙に何かを書き、窓に止まっていた雀の足に何か括り付けると、そのまま飛ばした。
それを数回続けていた後、もう一度私の前に座り、頭を抱える。
「いいかい。よくお聞き」
しばらく黙っていたおかみさんだったが意を結したのか口を開いた。
「この紙には宵が任務で使うための全ての隠し財産の位置が書かれている。そしてこの赤い石はその隠し財産を使うための鍵だ。これを持っているのはあの猿野郎しかいないが・・・これを持っているということはおそらく猿があんたに渡した。そういうことでいいんだね?」
私は何も言わず、こくんと頷いた。
「・・・そうかい。・・・じゃあ今いる宵はあんただけになるね」
「・・・え」
その言葉の意味がわからない。
だって
まだ燕も
鉄心も
私以外に2人いるはずだから
「燕は死んだよ。・・・鉄心のやつもね」
その言葉を聞いた時、私の心のどこかで何かが鈍い音を立てて崩れたような気がした。
「咲夜・・・あんたが最後の宵だ。あんたには私たちを使う権利がある」
「・・・どういう・・・」
「あんたが望むなら今すぐにでもあんたを帝都に送るってことさ」
おかみさんはそういうとたんすをゴソゴソと漁り、丁寧に布で包まれた物を取り出した。
その包みを開くとそこには大金が入っていた。
「あんたの中で私たちはただ情報をくれる人間程度だったろうが、これからはあんたが私たちを使う立場になるからよく覚えておきな」
そう言っておかみさんはいつもと違う鋭い眼光で私の目を見て話し始めた。
「私たちは『明鳥』。あんたたち宵を支援するための組織さ。情報提供はもちろん、金銭管理からあんたたちが潜伏できる宿の管理、武器調達まであんたたちが速やかに仕事をこなせるように場を整えるのが私たちの仕事だ」
今そんなことを言われても、私は何も考えられなかった。
「・・・なんで・・・私の名前」
「新しい勤め人の名前を知らないはずがないだろう。まぁ・・・あのジジイにしては随分可愛らしい名前をつけたとは思ったがね。それで?今からどうするんだい?」
「・・・少しだけ考えさせてください」
「・・・わかったよ。でも数日以内に決めな。しばらくはこの部屋を使っていいよ」
そう言っておかみさんは部屋から出て行った。
その後、女将が下に降りると男たちが待っていた。
「伝えたのか?」
「・・・いや。それよりでかい問題が出た・・・隠れ里が壊滅した」
その言葉を聞いた男たちの顔に動揺が走る。
「壊滅って・・・あの宵が?まさか・・・信じられねぇ。あそこにいた連中は子供でも化け物みたいな強さだったはずなのに」
「事実だよ。それでそっちは?問題は片付いたのかい?」
「あぁ。情報網の再整備は滞りなく、抜かれたと思う情報もかなり少ない。少なくとも俺たちの実態を知られることはない」
「そうかい・・・とりあえずはかすり傷で終わったかい」
「でも本当に伝えなくてよかったのか・・・その・・・鉄心が裏切ったことを・・・」
「今は・・・伝えなくていい。それに少し不可解な点が多いからね・・・こっちでよく調べてから伝えることにするよ」
その言葉を聞いた男たちは無言で頷くとスッと別々の方向から店を後にしたのだった。