目を血走らせた鬼たちが男に迫る。
森に背を向けていた男は、慌てて振り返り、迫る鬼の口を刀で受け止めた。
しかし1匹ではなく複数の鬼の襲撃。
淀水も男のせいで判断が遅れてしまったため、後手に回ってしまい援護することができず、男の足に別の鬼の牙が食い込む。
「いだッ!」
男のふくらはぎに鬼の牙がミシミシと食い込み、やがて嫌な音と共に着物の一部ごと肉を食いちぎられた。
男は悲鳴を上げながら転げ回るが、それで鬼が待ってくれるはずもなく、鬼の牙が再び男に襲い掛かろうとした。
その時男の目の前に金色の髪が広がり鬼の前に立ち塞がる。
「ふっ!」
ユラが短い呼吸音を吐いたあと、刀の鍔が鳴り鬼の首が斬り落とされていた。
ユラに守られ命拾いした男だったが、森の方からまた複数の鬼が現れるのを見て悲鳴をあげ、足を庇いながらもその場から逃げ出していく。
「えっ!?」
「前!」
男のあまりの行動にユラの集中が切れそうになるが、それを咲夜が止める。
ユラはかろうじて目の前の鬼たちに集中を切らさず、鬼たちの襲撃を防いでいく。
咲夜は淀水に群がろうとしていた鬼の首を斬り落としながら、男がいなくなったことで、ひとまず態勢を整えられそうだと安堵した。
強襲を受けて後手に回ったものの、鬼たちに連携はない。
それぞれが欲望のまま、獣のように襲いかかってくるだけだ。
混乱さえ収まれば対処できると、咲夜は冷静に見切っていた。
咲夜は淀水の死角から襲い掛かろうとしている鬼を処理しつつ、残され尻餅をついたまま怯えている男に目を向けた。
「いつまでそうしているつもりですか?」
男は咲夜の言葉には答えず、震えながら無理だと言わんばかりに首をブンブンと横に振った。
その様子に咲夜は苛立ちを隠さず、男を睨みつけると男は咲夜の方を見てガタガタと震え出した。
「あなたは昨日言ったはずです。今日は自分の力で生き抜くと」
その言葉に男は青ざめた表情を浮かべる。
「いつまで甘えるつもりなの!!」
普段物静かな咲夜の怒号に、3人ともびくりと反応する。
その隙をついて鬼がユラたちに迫ろうと飛びかかる。
咲夜の呼吸音がヒュゥゥゥゥと鳴り、ユラと淀水の間を咲夜はすり抜けて鬼たちの前に立つ。
「水の呼吸:参ノ型:流流舞い」
まるで舞っているような流れる足捌きで鬼たちの爪や牙を躱わしながら、鬼の首を斬り落とした。
前に立った咲夜は呼吸を落ち着けると、ユラに振り返る。
「ユラ、少しの間ここをあなたに預けます。お願いできる?」
それを聞いたユラは少し驚いた顔を浮かべるも、すぐに力強く頷いた。
咲夜はそれを見届けたあと、出てくる鬼を斬りながら森の奥へ1人で消えてしまったのだった。
ユラは咲夜に任されたあと、一歩前に出る。
そして静かに目を瞑り、姿勢を低く刀に手をかけながら息を整える。
(お姉ちゃんが鬼を倒してくれてるからこちらにくる気配も少ない・・・なら)
ユラの呼吸音がシィィィィィと変わっていく。
鬼たちが飛び出した刹那、ユラの刀がギラリと閃いた。
「雷の呼吸:弐ノ型:稲魂!」
雷光のような五つの斬撃が半円を描き、鬼たちの頸を正確に切り裂く。
あまりの速さに鬼たちは悲鳴一つあげることなく灰となって消えていった。
「大丈夫・・・ここは私が守る!」
ユラはそう言い、改めて気合を入れるのだった。
逃げた男は咲夜たちのもとからだいぶ離れると、木に手をつき、荒い呼吸を落ち着かせようとしていた。
「くそ・・・くそくそくそくそくそ!!」
悪態をつきながら忌々しげに木の幹を叩く。
最終日まで生き残ったことで膨れ上がっていた、「自分は強い」という自負。
その自負を、異国人めいた金色の髪を持つ、それも女であるユラに助けられたことで、踏みにじられた気がした。
木の幹を叩いた衝撃が負傷した足へ響き、男はその場にうずくまった。
その時だった。
がさりと音がし、男は一瞬で身構えながら上を見るが、そこには何もいない。
次は近くの茂みが揺れ、男はそちらに切先を向ける。
しかしどこを見ても何もいない。
男は木を背にしながら辺りを見渡すが、今度は訪れた静寂に我慢できず声を荒げる。
「だ、誰だ!?お、鬼じゃないんだろ!さっきの女か!?ど、どうせお前も逃げてきたんだろ!?姿を見せろよ!」
喚き散らす男は、それでも何も動かない状況に今度は怒りを覚え始める。
「く・・・くそくそくそ!バカにしやがって!」
そうやって刀の柄頭を木に叩きつけた時だった。
不意に足元の土が舞った。
次の瞬間、何かが胸に突っ込んできて背中から木へ叩きつけられた。
続けて腕をすごい力で捻り上げられながら木に何度も叩きつけられ、痛みのあまり男は悲鳴を上げ、刀を手から離してしまった。
男がもう抵抗できないと確信したのか、鬼は互いの鼻先が触れそうな距離で姿を現した。
突如目の前に現れた醜悪な鬼の姿に、男は声も出せないほどの恐怖を覚えた。
男の怯えた様子を見て、鬼は満足そうに笑った。
「ひひ・・・うまくいった・・・うまくいった・・・」
鬼はそう呟きながら、男の肩に置いた手に力を込める。
するとバキバキと嫌な音を立てて、男の肩がだらりと垂れ下がった。
男が悲鳴を上げようとしたが、鬼は空いている手でその口を覆い、声を封じた。
「ほ・・・他の馬鹿に・・・声かけた・・・かいあった。俺に気づいてた女・・・今頃・・・馬鹿たちの腹の中・・・俺は・・・丸々1匹食べられる・・・」
心底嬉しそうに臭い息を男の鼻先で撒き散らしながら、鬼は上機嫌に喋る。
それを聞いていて男は悟った。
こいつは、多くの人間を喰らって力をつけた鬼だ。
そして先ほどまで姿が見えなかったのも、強い鬼が使うという“血鬼術”に違いない。
鬼は長く喋るつもりはないのか、大口を開けて男に迫る。
「ひひ・・・じゃあ・・・いただきま──」
「あぁ・・・なるほど・・・そういうことだったんですね」
突如、背後から聞こえた声に鬼は男から飛び退き、隠れるため木の上に行こうと飛び上がる。
しかし、鬼が逃げようとした先には、恐れていた女がすでに迫っていた。
「水の呼吸:弐ノ型:水車」
咲夜はそう呟き、体を回転させながら鬼の腕を斬り落とす。
鬼の腕が地面にぼとりと落ち、鬼の体も木にぶつかり地面に落ちる。
鬼は腕を再生しようとするが、すでに咲夜が目の前に立っていた。
鬼は忌々しげに咲夜を睨みつけた。
だが優しげな笑みを浮かべて自分を見つめる女の顔に、遠い記憶がよみがえった。
それは、人間だった彼が生涯求め続けた、優しく見つめてくれる誰かの顔だった。
鬼の目から、涙があふれた。
「・・・助けて・・・おっかあ・・・」
それは鬼がまだ人間だった頃の記憶。
彼は歪な体を持って生まれた人間だった。
腕は異常に太く、脚は赤子のように小さい。
左右で形の違う目も、潰れたような鼻も、その姿は人々から醜いと蔑まれ、彼は誰からも愛されなかった。
親でさえ彼を嫌っていたが、それでも彼は、両親から愛されることを求め続けた。
その姿を晒す度に殴られ、石をぶつけられ、罵倒され続けた彼は自分の姿を人に見せないよう隠れながら、それでも人々を見ていたくて、毎日木の上から皆を眺めていた。
そんな彼が鬼になってしまう出来事が起きたのは、親に言いつけられ水辺の近くで服を洗っていた時だった。
初めて親に必要とされたことが嬉しくて、大量に渡された服を人に見つからないように夜中に洗っていた。
洗い終えた服を持って帰ろうと振り向くとそこには両親が立っていた。
迎えにきてくれた。
そんな思いで嬉しくなった彼は、両親のもとに手を使って駆け寄ろうとしたが、それは父親の手によって防がれた。
どんっ。
押された衝撃で彼の体は宙を舞った。
時間がゆっくり流れるような感覚の中、彼はひどく怯えた表情で自分を見つめる両親の顔を見ながら、水の中へ落ちていった。
水の中で必死にもがくが手の力だけでは岸にたどり着けない。
「おっかあ・・・助け・・・」
必死に叫ぶ声も口に入る水に消されてしまう。
両親は助けを求める彼を見下ろしたまま、洗い終えた服だけを拾い上げた。
そして何も言わず、立ち去っていった。
(いやだ・・・助けて・・・おっかあ)
もがいて必死に動かしていた手。
冷たい水の中を彷徨っていた手に暖かな手が重なる。
「もう大丈夫」
そんな声が聞こえた気がした。
「おっかあ?」
鬼がそう呟き目を開くと、自分の手に手を重ねてくれていた人間の顔が浮かび上がった。
それは先ほどまで怖いと思っていた女の顔。
自分が持っていないものを全て持って、自分が隠していたものまで、すべて見透かされているような気がして何としても殺したかった人間。
でも今は、その顔を見られたのがとても嬉しかった。
「もう帰りましょう」
女は鬼の大きな手にそっと自らの手を重ね、落ち着かせるように語りかけてくる。
その言葉を聞いた鬼は安心したように目を閉じた。
「・・・やっと・・・帰れる」
鬼がそう言い残したのを見届けると、咲夜は刀を握り直し鬼の首にそっと刀を押し当てた。
「水の呼吸:伍ノ型:干天の慈雨」
水の底へ沈んでいた体を、ようやく誰かに引き上げてもらえた。
そんな安堵と、優しい雨に包まれるような温もりの中で、鬼は静かに灰となっていった。