消えてゆく鬼の安らかな表情を見ながら、咲夜は自分の取った行動に戸惑っていた。
いつものように処理するつもりだった。
声をかけ、こちらを向かせた瞬間に頸を落とす。
それだけのはずだった。
相手の命を奪う時は、せめて最後は笑顔で奪う。
それが幼い時からの咲夜の中での決まり事だった。
だからこの鬼の命を奪う時も、いつもの笑みを見せただけなのに。
だがそれを見た鬼は、幼い子供のような泣き顔を浮かべた。
その表情を見た瞬間、咲夜は何かを求めるように伸ばされた手を、思わず取っていた。
鬼へ不用意に近づくなど、ひとつ間違えば取り返しのつかない行為だ。
そんな危険を承知していたはずなのに、咲夜はその手を離せなかった。
手を取られた鬼は、わずかに表情を和らげた。
「おっかあ・・・?」
不安げに尋ねるその言葉を聞いた時、咲夜は町中で見かけた母親たちを思い出し、できる限り優しい声を作った。
「もう帰りましょう」
その言葉に、鬼はどこか安心したような表情を浮かべた。
「やっと・・・帰れる・・・」
その言葉に、咲夜の胸の奥で何かが重なった。
(・・・あなたも帰りたかったのね)
その辛さを知っているからこそ、せめて最期だけは苦しませたくなかった。
その場に残された咲夜は、鬼がいなくなったその場所に少しだけ視線を落としていたが、やがて淀水達の場所に戻るため歩き出そうとした。
「おい!」
その足を止めるように声が響いた。
わずかに満たされていた咲夜だったが、その声を聞いた瞬間、うんざりした表情を浮かべた。
咲夜がちらりとそちらに目をやると、先ほど鬼に襲われて青ざめていた顔と違い、また嫌な顔でこちらを見て薄ら笑いを浮かべていた。
「俺のこと助けにきたんだろ?今腕が動かないから立てそうにないんだよ」
「・・・それで?」
「はぁ?立てないって言ってるんだからわかるだろ?立たせてくれって言ってるんだよ」
この状況で、さも当然のように男が命令できるのか。
咲夜にはまるで理解できなかった。
「申し訳ありませんが、私にとってあなたが立とうが立たまいがどうでもいいことです。早く戻らないといけませんので、私はこれで」
「はぁ!?おいおいおいおい!何言ってるんだよ!」
男は、本気で理解できないという顔で咲夜を睨みつけた。
「俺のこと連れて行かなかったらお前らも安心できないんだろ?だから──」
「いいえ?むしろ邪魔だったあなたが消えて良かったと思います」
「・・・なんだと?」
男の顔が今度は怒りに変わる。
「じゃあなんでこんなとこまで来たんだよ!?」
「私が来たのは、先ほどあなたを襲っていた鬼を討伐するためです。あの鬼だけは知性がある動きを初日からしていましたので」
「なんでそんなことがわかるんだよ?」
「少しでも周囲の気配を探っていれば分かることです。それすらしていなかったのですか?」
この男が逃げたのは、自らを囮にしてあの鬼を誘い出すためだと、咲夜は考えていた。
しかし本気の逃走だったことに咲夜は思わずため息をついてしまった。
これ以上、この男と付き合う時間がもったいない。
咲夜はそう判断し、その場を去ろうと歩き出す。
「!!おい、待て!」
「好きに騒いでいてください。どうぞご勝手に」
咲夜は喚き続ける男を無視して去ろうとするが、思い出したようにくるりと男を見た。
「あぁ。そういえばあなたがどうなるかちゃんと見る話でしたね」
咲夜はそう言って笑みを浮かべる。
男はその笑顔を見て、ゾッとした。
こちらを嘲笑うような笑みを浮かべながら、その瞳には何も映っていない気がした。
「申し訳ありません。あまりにも価値がなかったのであの言葉は撤回しますね」
そう言って咲夜がまた歩き出すのを見て、男は必死に立ち上がろうとしたが、傷ついた脚では体を支えきれず、無様に地面へ倒れ込んだ。
「それでは、名も知らない方、どうかご武運を。夜はまだ長いのですから」
薄い笑みを残し、咲夜は夜の闇に消えていった。