「さてそろそろ良いかな」
それから一刻くらいが過ぎた頃、流水は霧の中から現れた。
「まだ捕まえてませんよ?」
咲夜が首を傾げると流水はにこりと笑う。
「そうだね。でも甲凱くんがもう限界みたいだ」
そういって淀水の方に目を向けるとそこには全身ボコボコに打たれ、顔すら腫れ上がった淀水が地面でぴくぴくと倒れていた。
「・・・な、なんで俺ばっかり・・・師匠・・・」
「君が隙だらけなのがいけない。彼女のように常に私の位置を感知できていたなら私だってここまではしなかったよ」
「・・・咲夜お前・・・師匠の位置分かってたのか?」
「・・・?捕まえないといけないんだから位置がわからないと」
さらりと言われた淀水は何も言えず苦笑いしかできなかった。
「さてじゃあ甲凱くんが回復するまで君に“全集中の呼吸”のことを教えようか」
そういって流水は咲夜の前に立った。
「まず初めに言っておきたいんだけど君の体はすでに呼吸を最大限に使えるくらいには鍛え上げられている。それどころか会得したら他の隊士よりも長く呼吸を続けれるだろうね」
流水はそう言いながら少し難しい顔をした。
「だがこれはあくまで会得できたらの話だ」
「?どういう意味?」
「君のその鍛え上げられた肉体はあくまで“常人より優れているだけ“であり“呼吸に適した肉体”になっていないということだよ」
流水のいったことを咲夜はあまり理解できなかった。
「先ほどの鬼ごっこ・・・その中で君をみていたが君は無意識なのか気配を薄くするためなのか呼吸を浅くする癖がある。それは今から教える呼吸と真逆のものだ」
「真逆・・・」
「我々が使う全集中の呼吸とは“大量の空気を肺に送り込み、身体中の血の巡りと鼓動を上げることによって生まれる熱と力が人の肉体を強固にし強靭な鬼の肉体と同じくらいに引き上げる”。そんな技法だ」
「そ・・・れは」
そのやり方を聞いて咲夜は動揺した。その方法は確かに流水がいうように咲夜の鍛えられた肉体とは真逆の鍛錬だった。
咲夜の肺は宵の訓練で確かに鍛えげられている。
しかしそれはあくまで酸素を多く取り入れるためではなく、むしろ酸素を極限まで取り込まなくても行動できるようにしたものだ。そうすることで心音を抑え、気配を希薄にしつつ身体機能を維持したまま相手を屠るもの。
すなわち鬼殺隊の呼吸とは真逆。
宵の呼吸は“無呼吸での活動”を前提としている反面、鬼殺隊の呼吸は“呼吸による爆発力”を前提としたものだった。
これを知った咲夜は動揺を隠せなかった。
流水のとこに来るまでに日輪刀を入手するにはそもそも鬼殺隊に入らないといけない。
甲凱が今回、日輪刀を持っていたのはあくまで体調を崩していた師匠の代わりに鬼退治をするため無理を言って貸してもらったものだった。だから彼自身も自分の日輪刀を持っていない。
そして鬼殺隊に入るためにはそもそも呼吸が使えなければ入隊できない。
つまり咲夜は今から今までと違う戦い方を身につけなければいけないことになる。
「大丈夫だよ」
そんな咲夜の心を見透かしたかのように流水は穏やかに言った。
「人の体はね。私たちが思っているよりもっと柔軟にできているんだ。だから君が今から真逆のことを体に叩き込んだとしてもちゃんと体は受け入れてくれる」
そう言って流水は咲夜にやり方を伝えていく。
「まずは酸素が全身の細胞にまで行き渡るように長く深い呼吸を心がけなさい。そうすることで体の自然治癒力と精神の安定化と活性化をはかるんだ」
咲夜は緊張した面持ちで流水の話を聞く。
「まず上半身に力を込めすぎず肩の力を抜きなさい。そして腹の下に力を込めるように」
咲夜は言われたようにしていく。
「では息を深く吸いなさい」
そう言われ、咲夜は大きく息を吸い込み吐き出そうとするが流水はそれを止める。
「まだ吸いなさい」
そう言われ咲夜はさらに息を吸い込むが大量の空気に慣れていない肺は驚きのあまり大量の空気を異物として認識してしまい、咲夜は大きく咳き込んでしまう。
「ゲホッゲホッ、がはッ」
慣れない呼吸で大きく咳き込み、えずきながら地面に倒れ伏した。
流水はしばらくその様子を見つめていたがやがて咲夜のえずきが治まると再度やるように促す。
咲夜は文句一つ言わず、もう一度その呼吸を繰り返すが先ほどと同じようになってしまった。
「咲夜さん。今日からのあなたの鍛錬はこの呼吸法を毎日続けること。いいですね?」
「は・・・い」
咲夜は口元に流れ出たよだれを軽く拭うと今度は自主的に再度その呼吸を続けるのだった。