結論から言うと、めぐみんの妹はその後あっさり見つかった。
「こめっこちゃん!?ここにいたのね!……大丈夫?怪我とかしてない?」
「あ、やっぱしゆんゆんだ!………後知らないお兄ちゃんもいる」
暗闇の中、こめっこと呼ばれた女児は目を輝かせて泥まみれの顔を上げる。
「(ホントめぐみんによく似てんな〜)」
彼女はまさにめぐみんのミニチュア版とでも言うべき容貌だった。ただ姉と比べて顔の輪郭は丸く、ふっくらしたほっぺたはりんごのように赤い。どこかリスのような小動物を思わせる。
明らかに丈の長すぎるマントを羽織っているが、これは姉のお下がりだったりするのだろうか?
「君がこめっこ?そこからずっと出られなくて辛かったろ……すぐ助けっから!」
今このミニめぐみんは、顔も服も見渡す限り泥まみれだ。
何故彼女が泥まみれなのか…それは落とし穴にはまっていたからだ。
森の中に仕掛けられたこの落とし穴はゆうに2メートルを超える深さ。大人でも落ちてしまえば、自力で這い出るのは難しいだろう。ましてや、底部分が泥とはいえ幼い子供が落ちたのに大した怪我も無いのは奇跡と言って良い。
ほっと胸を撫で下ろして、キルアが穴の中に飛び降りると、
「じゅるり……はじめましてのお兄ちゃんの頭、なんかフワフワしててうまそう」
「………………え?」
「ダメよ、こめっこちゃん!人にそんなこと言っちゃ…」
あまりに衝撃過ぎる一言に彼がぽかんと口を開けて固まる中、穴の上から見ていたゆんゆんは慌ててこのおてんば娘をたしなめる。
「おなか空いた〜ゆんゆん、何か食べれる物持ってなーい?」
「あ、ビスケットなら持ってきてるわよ!こめっこちゃんがお腹空かせてるだろうと思って」
「わーい!」
「……………。」
己のように物心付く前から地獄のような修行の日々を送っていたわけでもない普通の幼子なら、間違いなくピーピー泣くであろう状況。それでもたくましく食料をねだるこめっこ。
「(一体、どこのどいつだ?……こんなクソみてぇなマネしやがったのは!)」
キルアは唸る。
未だ自分を…というか自分の頭を見つめている幼子に目線を合わせた。ぎゅっと力強く、それでいて壊れ物を扱うように優しく、その子を抱きしめる。
──己の行動に説明不能の既視感を覚えながら。
「……もう大丈夫だからな。お兄ちゃんにしっかり掴まってろ」
「うん!」
キルアは彼女を大事に抱き抱えたまま、一足飛びに落とし穴の外側に向け跳躍する。
「うわっ!お兄ちゃん、すっげぇ〜!!!!」
あまりにも酷い罠だ。名前を口々に呼ぶ声を聞き取ったこめっこが大声で叫び返しことで、キルアとゆんゆんは森の中にいる彼女の居場所を何とか見つけることが出来た。
しかし、もし自分達もしくは他の捜索隊が誰も落とし穴の近くを通りかからなければ、最悪こめっこは穴から出られないまま餓えていたかもしれない。
無垢な子供に誰がこんな仕打ちをしたのか…。
「あの……私、この落とし穴作った犯人知ってるかも」
「何!? 誰だ?誰がこんなもん仕掛けやがったんだ!?」
食い気味になるキルアにゆんゆんは気まずそうに目を逸らす。
「ああ、いや、その……これは…………」
「ん…何だよ?何か言い辛い事情でもあんのか?」
何やら歯切れの悪い彼女の様子をキルアが訝しんだ時、
「おーい君達!」
「あっ!ニートのぶっころりー!!」
「だからぁ!俺は
こめっこが指差した方から一人の男性が現れた。長髪が特徴的な青年で、案の定瞳の色は紅い。
「(こりゃ紅魔族だな………名前がぽいし)」
安心した顔で駆け寄ってくる青年をキルアが何の気無しに見つめていた中、
「……………。」
ゆんゆんは拳を震わせ、ぷるぷると震えていた。その瞳は烈しく攻撃的な光を放っている。その光は怒り、否、殺意と形容しても過言ではないかもしれない。
「ゆんゆん?一体どうし──」
キルアが声をかけようとした、その時…
「ボトムレス・スワンプ!!!!」
ゆんゆんの口から怒号のような呪文が飛び出した。
「なっ…!?」
すると、ぶっころりーの足元の地面が一瞬で沼地に変わる。
「やめてくれ、ゆんゆん!何をするんだ!?俺が一体何を……」
泥沼へ塗り替えられた地面はズブズブと容赦無くその身を沈めていく。
「何をしたというんだあああああああっ!!!!」
「あるえの言ってた通り、あなたは胎児から人生をやり直せばいいと思います………今度は真人間になれるといいですね?」
「バイバイぶっころりー、次はニートになっちゃダメだよ?」
半狂乱になって藻掻くぶっころりーを絶対零度の眼差しで見下ろすゆんゆん。その声に一切の慈悲は無い。こめっこも彼を気にかけることなく無邪気に手を振る。
キルアは首を傾げつつゆんゆんに問いかけた。
「なあ、そいつがこめっこを罠にはめた犯人だってのか?そんな風には見えなかったけど…」
「ちょちょっ、ちょっと待ってくれ!俺はこめっこに罠を仕掛けた覚えなんて一切無いぞ!」
確かに先程落とし穴から救出されたこめっこを見た時の彼は、心から安堵を浮かべていたようにキルアの目には見えた。
自分が罠にはめた相手から声をかけられてもあそこまで完璧に取り繕えるほど、俳優顔負けに芝居が上手いということなのだろうか?そもそもゆんゆんは何を根拠にぶっころりーを犯人と断定したのか。
なお「あるえ」という名前に関しては、こちらもネーミング的に紅魔族の誰かであろうと察せられたので敢えて触れる気は無い。
「まず言っておくと、ぶっころりーさんがそこの落とし穴を作ったのは私の学生時代…もう一年以上前よ!」
「一年以上前ぇ…!?どーゆーことだよ…何のために掘ったんだ?」
「それは本人に説明してもらうわ。いいですよね?……ぶっころりーさん!」
ゆんゆんはビシッと言い放つなり魔法を解除した。
「……っ!?…………ハァ、ハァ」
地面が元に戻り、ぶっころりーは荒い息を吐いて地に膝を付いている。その顔は、恐怖からか罪悪感からか見るに堪えないほど青ざめている。
「お、れは…ハァッ……悪…気は………」
「あ、息が落ち着くまで喋んなくていいから。あんたがこの子を狙って罠張ったわけじゃないなら、そんな責めるつもりはないし」
「……………ふぅ…もう大丈夫だ。外から来た少年、君もこめっこを助けるのに協力してくれたんだね?本当にありがとう。こめっこも怖い思いをさせて本当に申し訳無かった…」
「ゲリラ部隊ごっこが意外に楽しめるって事実を発見できたから特別にゆるーす」
深々と頭を下げて感謝と謝罪を示すこの男、やはりキルアからすればどうにも悪い奴とは思えない。こめっこも別に彼のことを嫌っているわけではないようだ。
一方ゆんゆんは変わらず厳しい顔付きのまま、腰に手を当てて仁王立ちしていたが。
「で、結局何で? 一年以上前、どうしてこんな危ないもん作ったのさ?」
だからこそ事件の裏にある真相を知らねばならない。
「それはね…」
男は語る。誇らしげに、哀愁も漂わせつつ、真剣な面持ちで熱弁する。時折、身振り手振りも合わせて叙情的に…クネクネと。
「そけっとは実に美しい……その美しさは、紅魔族随一の美人などという陳腐な二つ名では到底表しきれない。かの霊峰ドラゴンズピークの断崖に咲く一輪の華の如き気高さと儚さを──」
ぶっころりーの話を要約するとこういうことらしい。
彼にはそけっとという名の片想いしている女性がいる。ぶっころりーは彼女と親密になりたかったものの、中々その機会を得られずにいた。
そこで彼は考えたのだ。森の中の、そけっとがよく魔法の修行をしているエリアに落とし穴を仕掛けることを。もちろん狙いは、その落とし穴にはまった彼女をぶっころりーが颯爽と助け出して好感度を稼ぐこと。
とはいえ落とし穴の口を入念に偽装した所で、優秀なアークウィザードとして観察眼にも優れた彼女の目を欺くのは本来難しい。それでも雷撃魔法の練習をした日は、強烈な光を何度も目に焼き付けたことで視界が悪くなっている可能性がある。
「──というわけでだ。あの頃俺は、合法的にそけっとの手を握るため汗水垂らして必死な想いで落とし穴を次々と掘っていたわけさ。俺は自慢じゃないが里の中で一番暇があるんだ…ならばその暇な時間を愛する女性のために使うのは当然の話。愛においてすべきことは、二人の間を遮る障害を取り除き、誰よりも深い関係になるための努力……」
ここでぶっころりーは、にへら…と恍惚とした笑みを滲ませる。そのだらしなく緩んだ唇は、自制心の欠如を示すかのように、顎の両脇に向かって放物線を描いていた。
紅目がギラッと鈍く光り、ゆんゆんはヒッと小さく悲鳴をあげてこめっこを遠ざける。
「俺はっ!そけっとのためならっ!何だって出来るっ!何にだってなれるっ! 愛に生き愛に殉じる男は………」
天を仰ぎ、吠える。
「無敵なのだあああああああっ!!!!」
その叫びは暗く静まり返る森を震わせる。バサバサと鳥が羽ばたき去るような音すらどこかから聞こえてきた。
拳を固く握りしめるぶっころりーの瞳には、もう微々たる恐怖も罪悪感も残っていない。ただ(彼の脳内で勝手に描き出された)守るべき人の笑顔だけが、その背中を力強く押し出していた。
「そっか………頑張って想いを遂げてくれよな。
ずっと黙って聞いていたキルアは、そんな
「え…?…………いや、ちょっと待って!君は何を!?」
その肘を掴み、そのまま落とし穴に向けて無造作に放り投げた。本当なら、めぐみんの爆裂魔法の餌食にしてやりたい所だが、今ここにはいないので仕方あるまい。
「あぐぅっ!?………着地し損ねて足を挫いたぁっ!」
「ふんっ…」
キルアはつまらなさそうに鼻を鳴らす。突然投げ込まれたぶっころりーは、やはり体を痛めたようだが、キルアにとっては死ぬほどどうでもいいことだった。
「ゆんゆん、行こうぜ?こめっこはオレがおぶってくから」
「うん!里に着いたらキルアくんの肩の傷も治療しないといけないしね」
二人は気を取り直して歩き出す。
「た、頼むよ二人共!助けてくれ! ゆんゆんは知ってるだろうけど、俺前にも自分で掘った穴に落ちてそれっきり落とし穴恐怖症なんだ!だからこんなとこじゃ落ち着かなくて、まだ覚えたてのテレポートなんか上手く発動できないよ!これじゃ俺は誰かがここから引き上げてくれるまで出られない!何でもするからどうか俺をここから出してくれよぉ……お金が欲しいなら親から小遣いもらってくるから!! な?いいだろ!?」
「(ありゃダメな大人の見本だな…ある意味うちのブタくんより終わってら)」
「(そけっとさんと付き合いたいからって私とめぐみんが協力してあげたのに全然成長してないじゃない…)」
何やら耳障りな雑音が穴の中から聞こえてくるが、キルアもゆんゆんも一切気にも留めない。こうやってギャーギャー喚く体力気力も早く消え失せればいいのに、としか思わなかった。
下手に騒げば騒ぐほど余計に助けてやりたくなくなるのが人情だということを、土壁に囲まれた暗闇の世界で学んで欲しいものだ。
「待って、ゆんゆん、お兄ちゃん」
そんな血も涙も無い二人をこめっこが制止した。
「どした?」
「ぶっころりーのこと助けてあげて」
耳元のこめっこの言葉にキルアは立ち止まる。
「………いいのかよ?あいつのせいでお前はあんなとこに閉じ込められたってのに」
キルアは落とし穴の方を振り返って顎で示す。
「ぶっころりーを助ければテレポートであっという間に里に帰れる。その方がみんなハッピー」
「こめっこちゃん…確かにそうだけど………」
「ま、それもそうか。その方がオレ達にとってもメリットあるしな」
こめっこだってぶっころりーに全く腹が立っていないわけが無い。それでも、幼くして合理的な選択を優先する聡明さをキルアは気に入った。
そして会話に耳を傾けていたらしいぶっころりーも賛同の声をあげる。
「そうだよ、こめっこの言う通りだ!早く俺をここから出して!」
「わかったよ。ただ一つ……こっちから条件を付けさせてもらうぜ?これは取引だ」
「じょ、条件…取引…?」
キルアのドスの効いた声にぶっころりーは怖々と聞き返す。顔が見えなくても彼が震え上がっているのは明らかだった。
「オレ達を紅魔の里まで送り届けたら、夜が明ける前にこの辺に戻ってきて落とし穴を全部埋めるんだ。あんたが足挫いてるとかそんなの関係ねえ。もし明日の朝、この辺の落とし穴が一つでも残っているのをオレが見つけたらあんたはもっと酷い怪我を負うことになる。………約束だ、いいな?」
「…………わかった。約束する」
ぶっころりーにキルアの持つ力は分からない。されど逆らうことなど絶対に許さない圧を、言葉そのものが恐ろしい凶器と錯覚し得るような圧を、キルアの声は孕んでいた。
そもそもぶっころりーとて、また同じような事故が起きてしまうのは本意ではない。反逆の意思は微塵も湧きようが無かった…。
***
「キルアくん、今日は本当にありがとう」
紅魔の里の中央に位置する大きな家──族長邸の前でゆんゆんは礼を言う。ここは族長を父に持つゆんゆんの実家だ。
「別に礼言われるようなことはしてねーよ。むしろオレがいなきゃ、紅魔族のゆんゆんはあいつと関わらずに済んだろうに悪かったと思ってる」
キルアは若干申し訳なさそうに目線を落とす。
「え?爆殺魔人もぐにんにんのこと…?それならどっちみち、誰かが倒さないといけなかったし!」
おろおろしながら慌ててフォローするゆんゆん。
「(言えない…実は一緒に戦っててちょっと楽しいと思ってしまったなんて。キルアくん、死ぬような目に遭ってもあんな必死に戦ってくれてたのに)」
かつてめぐみんと共にアクセルの街を目指して旅し、肩を並べて戦ったあの頃(ほとんどの敵はゆんゆんが倒していたが)。
あの頃の冒険で味わったのと同質の高揚感をゆんゆんは今日噛み締めていた。
「ねえ、キルアくん…」
「ん?何?」
「あー……」
喉元まで出かかっていた言葉を彼女は全て呑み込んだ。
「ご、ごめんなさい!……何でもないから!」
ちぎれんばかりに両手を振り、ぎこちなく笑って誤魔化す。
「あっそ…んじゃ、ゆんゆん。お前も今日は疲れてるだろうからちゃんと休めよ? じゃ、また明日な!」
「………うん、おやすみなさい」
キルアは去っていく。
こめっこを家まで送り届けたぶっころりーからの伝言によれば、こめっこの両親は礼としてキルアに食事を振る舞い、そのまま家に泊めたいそうなので、そちらに向かうのだろう。
「(聞きたいことたくさんあったのに…)」
もう深夜なのに彼の足を止めてしまったら嫌われるかと思って聞けなかった。
先程の戦闘中に薄っすら彼の身体を覆っていた光は何だったのか、もし冒険者だと言うなら職業は何なのか、そして…
「(キルアくんはめぐみんとどんな関係なのか………)」
これがゆんゆんにとって何より大事なことだった。
仮に彼がめぐみんと友達だったとしよう。浅い友達ならまだいい。でも、これが親友と呼べるほど深い関係だったなら、今後自分の立ち位置はどうなるのだろうか。
もしも二人がとても仲が良かったとしたら、めぐみんの隣に自分の居場所は無くなってしまうのではないか?
二人がワイワイと言葉を交わし、自分一人だけが会話の輪の外側へやんわりと弾き出される。そして仕方無く、本でも読んだふりをしたまま黙ってチラチラとめぐみんに視線を送る自分の姿。そんな光景がゆんゆんの目にありありと浮かぶようだった。
「(………って何考えてるのよ私!キルアくんはあんな優しくて頼りになる人なのに!!)」
ゆんゆんはぷいぷいと首を横に振る。
余計なことを想像してネガティブな気分になるのはいつものことだが、それでもここまで惨めな気持ちになることは滅多に無かった。まさか自分がこれほど被害妄想を募らせてしまうような人間だったとは…。
「(そのくせ私、キルアくんともめぐみんと同じくらい仲良くなりたいって思っちゃった…)」
………なんてワガママなんだろう、私。
ゆんゆんはちょっとした自己嫌悪に駆られつつ、暖かい我が家に足を踏み入れるのであった。
***
アクセルを発った時点では、よもや実際に立ち寄ることになるとは夢にも思っていなかった紅魔の里。
この里は、小さな農村といった大きさの集落のようだ。人口はせいぜい三百人前後といった所だろう。
ぶっころりーから教わった通りに道を進めば、その家はすぐに見つかった。こぢんまりとした木造の平屋だ。
「(うちのミケの雨避け用の犬小屋でも、もっとデケーぞ?)」
失礼極まりないことを考えながらもキルアは戸をノックする。コンコンっと。
「ごめんくださ〜い、キルアって言う者ですけど?」
ついでに声も付け加えた。インターホンが無い世界というのは実に不便である。
やがて家の中からドタドタと駆けてくる音が聞こえてきたかと思うと、勢い良く戸が開けられた。
「お兄ちゃん!来てくれたんだ!」
「おう!」
笑顔満開のこめっこだった。風呂に入ったのか泥は綺麗に洗い落とされ、清潔な服を着ている。
あどけない丸顔を綻ばせる彼女の後ろから、二人の大人がこちらを見ていた。
「君がキルア君か!この度は娘が大変世話になった。なんと礼を言ったら良いやら……肩に傷を負っているそうだが、大丈夫かね?」
「あ、これ単なる掠り傷なんで…」
「食事を用意していますので、どうぞお上がりになってください。破れた服の方は、お風呂に入ってらっしゃる間にこの前買った魔道具で修繕しましょうか」
「どうも」
こめっこの、そしてめぐみんの両親らしい。
「自己紹介が遅れて申し訳ない。我が名はひょいざぶろー、紅魔族随一の魔道具職人だ。そして、こっちはワシの妻…」
「我が名はゆいゆい、紅魔族随一の良妻賢母。よろしくお願いいたします、キルアさん…」
「あ、こちらこそ……」
あくまで「紅魔族にしては」という但し書きが付くが、あっさり目の自己紹介だった。キルアは柄にもなく頭を下げる。
ひょいざぶろーは厳めしい顔付きの男性だった。柔和な笑みを浮かべてはいるものの、その眼光の鋭さ…そして醸し出す静かな威圧感はキルアの父シルバにも勝るとも劣らない。
「(めぐみんの親父ってくらいだ。このおっさん、本気で戦ったら凄い魔法使ったりすんのかな…)」
一方のゆいゆいは、絹のように滑らかな黒髪を肩下にまで靡かせた淑女。とても十代の子を持つ母親とは思えないほど若々しく美しい。
「(めぐみんとこめっこは母親似ってわけね…)」
紅魔のおてんば姉妹の両親に対するキルアの第一印象は以上である。………もはや名前については内心ですら無粋なツッコミは一言も浮かんでくることが無かった。
「お邪魔します」
家に上がらせてもらったキルアは居間へと案内される。
「ところでキルア君は今幾つなんだね?」
「オレ? 今、十二。後もうちょいで十三」
「ほう〜……ということはめぐみんの一つ下か。おっと失礼、めぐみんというのはうちのもう一人の娘でね…」
………知ってる。でもあんな気持ちの良くない別れ方をしておいて仲間でしたなんて、めぐみんの家族に言う気にはなれない。
「腕によりをかけて作りました。キルアさんのお口に合うといいのですけど…」
正直な所、食事の内容にはあまり期待していなかった。
こめっこがセミを大量に捕まえてきて唐揚げにしようと言い出すほど食に困っている家だと、以前めぐみんは語っていたはず。
めぐみんからの仕送りが多少あるにせよ、家の外観からして劇的に金銭事情が改善されたとも思えない。まともに食べられる物が出てきたなら、それだけでも御の字と言えよう。
そう思っていたのだが…
「(………何だ、この食欲をそそる匂いは!? もしかしてロブスターか!?)」
鼻腔をくすぐるのは、殻ごと豪快に焼き上げられたロブスターを彷彿とさせる、甲殻類特有の香ばしくも濃厚な香りだった。
不覚にも、ゾルディック家のシェフによるロブスター料理を思い出してしまう。フランベ──ブランデーやコニャックなどの強いアルコールをフライパンに注ぎ、一気に炎を上げてアルコール分を飛ばす調理法──によってエビの臭みを消し、上品な甘みを引き立てたロブスター料理にはキルアも舌鼓を打ったものだ。
「これが我が家のご馳走だ!遠慮せず好きなだけ食べてもらいたい」
「昨日採れたばかりの物なんですよ?さあキルアさん、たっぷりと召し上がってください」
「おお…!」
じわりと口の奥から瑞々しい唾液が込み上げてくる。
期待に胸を膨らませたキルアがテーブルに視線を向けると、そこに並べられていたのは──
***
入浴も済ませ、あてがわれた部屋でごろんと寝転ぶ。
「納得いかねー」
貸してもらった寝間着に身を包み、キルアは独りぽつんと呟いた。
「何であんなに美味いんだよ………ただのザリガニが」
この家の食卓に並べられていたのは断じて高級食材ではなかった。キルアの世界でも川にウジャウジャ生息していたような、何の変哲も無いザリガニだ。
ザリガニ料理を作ったゆいゆいが語る所によれば、一晩ほど水に浸けて泥を吐かせた後、今度は酒にしばらく浸けて臭みを取るのだという。こう聞くと、まともな食材に思えてくるのだから不思議なものだ。
ザリガニのスープを始めとして、網で焼いた塩焼き、そして辛めのソースで作ったエビチリもどき…どれもが絶品。生まれつき一流シェフの料理に慣れ舌の肥えたキルアすら唸らせるものだった。
「(魔道具職人なんかやるよりザリガニレストランでも開いた方が儲かるんじゃねーか?)」
食事中、爆発ポーションのおかげでピンチを切り抜けられたことを製作者のひょいざぶろー本人に伝えるついでに、衝撃で爆発するポーションの欠点もはっきりと説明したのだが、返答は芳しいものではなかった。
ひょいざぶろーはなまじ魔力が高いせいで極端な性能の魔道具しか作れないらしく、あのポーションの欠点を改善しようとすると、今度はデコピン程度の軽すぎる衝撃で爆発するポーションしか作れないのだという。
………彼が作る魔道具がさっぱり売れないわけだ。その軽すぎる衝撃で爆発するポーションも今度売り出す予定とのことだが、果たしてどれだけの人間が買うのやら。
「お兄ちゃん、まだ起きてるー?」
「こめっこか?起きてるけど何?」
がらっとふすまが開くと、そこにはパジャマ姿のこめっこが立っていた。
このふすまも今キルアの布団が敷かれている畳も、元の世界で見覚えがある。
ハンゾーの故郷のジャポンという国に伝わる伝統的な引き戸および敷物だったはずだ。なおゾルディック邸の一室も、父親の趣味でジャポン風に設えられている。
「カードゲームやりたい!今日すっごいカード手に入れたから!」
そう言うこめっこの手にはカードの束が握られている。一枚一枚がきっちりスリーブに入れられていた。
あまり経済的に豊かとは言い難いであろうこの家に、こんな娯楽品をたくさん買うような余裕があるとは思えないが…キルアは少し首を傾げるだけで特に追及はしなかった。
「カードゲーム?まあ、まだ寝る気分じゃなかったからいいけど。てかこめっこ、お前は寝なくて大丈夫か?」
「落とし穴の中でずっとねてた。だから全然ねむたくない!」
「マジか…」
こりゃ大物だ、とキルアは顔を引きつらせて苦笑する。
「カード貸してあげる」
「いや大丈夫。実はお兄ちゃんもカード持ってんだ」
へへへっと笑うと、床に脱ぎ散らかしている普段着のズボンの尻ポケットからカードケースを取り出した。
アクセルの街のカードショップで目を惹かれ買い漁った日々も今では懐かしい。最初の頃は基本的なカードが揃っているスタンダードパックを買っていたものの、いつしか強力なレアカードが封入されたプレミアパックしか買わなくなってしまった。来る日も来る日もまだ見ぬレアカードが出るまで粘り続け、ダブりの内デッキに加える価値も無い物は同じ店の子供達にタダで譲っていたのだ。
それによりキャベツ狩りの報酬の大半が吹っ飛んだせいでテレポート屋は使えなかったが、キルアに悔いは無かった。
いつか気が向いたら、この世界のエルロードというカジノ大国にて開催されるらしい大規模なトレーディングカード大会に出てみてもいいかもしれないとまで思っている。どうせ行く当てのない旅なのだから。
「では、じんじょうに勝負!」
こうしてキルアとこめっこのゲームが始まったのだった。