無職転生×異伝   作:からし明太子

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第十三話 三人の稽古

 

 

 ルーデウス・グレイラットがボレアス家へ来てから、屋敷の朝はさらに騒がしくなった。

 

 以前は、エリスがレンの部屋へ突撃してくるだけだった。

 

 今は違う。

 

 エリスがレンの部屋へ突撃し、レンがそれを受け流し、二人が庭へ向かおうとしたところで、ルーデウスが教材を抱えて待っている。

 

「おはようございます、エリス様。今日の午前は読み書きからです」

 

「嫌よ。先に剣!」

 

「昨日、先に剣をやって、その後に字が全部斜めになりました」

 

「字なんて斜めでも読めればいいでしょ!」

 

「読めなかったので問題です」

 

「じゃあ、レンからやらせなさい!」

 

「俺?」

 

 急に巻き込まれたレンは、木刀を持ったまま首を傾げる。

 

 エリスは当然のように胸を張った。

 

「レンが先に勉強してる間に、私は身体を温めるわ!」

 

「それ、エリスが逃げてるだけだよね」

 

「作戦よ!」

 

「逃げる作戦?」

 

「うるさい!」

 

 拳が飛んできた。

 

 レンは首を引いて避ける。

 

 それを見て、ルーデウスが苦笑した。

 

「朝から元気ですね」

 

「元気じゃないわ。勉強の話をされたから腹が立ってるの!」

 

「それを元気と言うんだと思います」

 

 ルーデウスの返しは柔らかい。

 

 だが、妙に逃げ道を塞ぐ。

 

 エリスが怒鳴っても、殴ろうとしても、完全には怯まない。

 

 そこが面白かった。

 

 エリスは強い相手には噛みつく。

 

 だが、ルーデウスの強さは剣ではない。

 

 魔術。

 

 言葉。

 

 相手を見て、先回りする頭。

 

 それはレンがこれまであまり触れてこなかった強さだった。

 

 ギレーヌは廊下の端から三人を見ていた。

 

「エリス様。午前は授業です」

 

「ギレーヌまで……」

 

「約束です」

 

「分かってるわよ!」

 

 エリスは乱暴に言い、足音を響かせて授業部屋へ向かった。

 

 レンとルーデウスは顔を見合わせる。

 

「大変だね」

 

 レンが言うと、ルーデウスは小さく笑った。

 

「ええ。でも、分かりやすい人です」

 

「分かりやすいかな」

 

「はい。嫌なものは嫌。悔しいものは悔しい。強くなれると思えば食いつく。そこを間違えなければ、ちゃんと聞いてくれます」

 

「聞いてる時はね」

 

「そこが一番難しいです」

 

 ルーデウスはそう言って、教材を抱え直した。

 

 その仕草は子供らしい。

 

 だが、言葉の選び方はやはり子供らしくない。

 

 レンはその違和感を胸の奥に置いたまま、授業部屋へ向かった。

 

 ◇

 

 授業は、最初から戦いだった。

 

 机に座ったエリスは、剣を持っていないのに、まるで敵を睨むように板を睨んでいた。

 

 ルーデウスが板に文字を書く。

 

「今日は手紙の読み方です」

 

「手紙?」

 

「はい。貴族には必要です。誰かから届いた手紙を読めないと困ります」

 

「読める人に読ませればいいじゃない」

 

「その人が嘘をついたら?」

 

 エリスの眉が動く。

 

「嘘?」

 

「たとえば、手紙には『今日の午後、庭で会いましょう』と書いてあるのに、読んだ人が『町の外へ一人で来い』と言ったら?」

 

「殴る!」

 

「嘘だと分かれば殴れます。でも読めなければ、嘘かどうか分かりません」

 

「……なるほど」

 

 エリスは少しだけ前のめりになった。

 

 ルーデウスはすぐに続ける。

 

「だから、字が読めると騙されにくくなります」

 

「じゃあ読むわ!」

 

 単純だった。

 

 だが、効果はあった。

 

 エリスは渋々ながら文字を追い始める。

 

 隣ではギレーヌも座っていた。

 

 彼女もまた、読み書きと算術を学んでいる。

 

 剣王級の剣士が、真剣な顔で板の文字を見つめている姿は、不思議な迫力があった。

 

 エリスが唸る。

 

「この文字、昨日も見たわ!」

 

「はい。昨日の肉串の計算にも出ました」

 

「肉串なら分かるのに、手紙だと腹が立つわね!」

 

「では、肉串屋からの手紙ということにしましょう」

 

「そんな手紙あるの?」

 

「作ればあります」

 

 ルーデウスはさらさらと文章を書き換える。

 

 肉串屋から、エリス様へ。

 

 昨日の肉串代について。

 

 そんな題材になった瞬間、エリスの集中力が少し戻った。

 

 レンは横で計算をしながら、その様子を見ていた。

 

 ルーデウスは教え方がうまい。

 

 ただ正しいことを言うだけではない。

 

 相手が何に反応するかを見て、そこへ言葉を置く。

 

 剣で言えば、相手の構えを見て打つ場所を変えるようなものだ。

 

 これも戦い方の一つなのだろう。

 

 授業の途中、ルーデウスがレンの紙を見た。

 

「レン君は、計算がかなり早いですね」

 

「前に少し覚えたから」

 

「道場で?」

 

「うん」

 

 嘘ではない。

 

 道場でも最低限は学んだ。

 

 ただ、それだけではない。

 

 前世の知識がある。

 

 九九も、簡単な算術も、文字を覚える感覚も、完全にゼロからではない。

 

 ルーデウスはそれを見抜いているのか、時々こちらを見る目が鋭くなる。

 

 だが、踏み込んではこない。

 

 レンも踏み込まない。

 

 互いに、まだ言わない。

 

 そう決めているような距離があった。

 

 エリスが机を叩いた。

 

「また二人で変な顔してる!」

 

「してない」

 

 レンが答える。

 

「してましたね」

 

 ルーデウスが余計なことを言った。

 

 

「ほら!」

 

 エリスが勝ち誇る。

 

 レンはルーデウスを見る。

 

「何で認めるの」

 

「嘘はいけません」

 

「そういう時だけ正直」

 

「先生ですから」

 

「先生なら、エリスを止めてくれ」

 

「それはギレーヌさんの仕事です」

 

 ギレーヌは無言でエリスを見た。

 

 エリスは不満そうに席へ戻る。

 

 授業は騒がしい。

 

 だが、少しずつ進んでいた。

 

 ◇

 

 午後は庭での稽古だった。

 

 これが三人にとって、一番自然な時間になりつつあった。

 

 ギレーヌが見る。

 

 エリスが木剣を振る。

 

 レンが木刀で応じる。

 

 ルーデウスは少し離れた場所で見学し、時々魔術を使う。

 

 最初は、剣と魔術の距離を知るためだった。

 

 ルーデウスは水弾を小さく作り、的へ撃つ。

 

 レンはその動きを見る。

 

 手。

 

 目。

 

 呼吸。

 

 魔力の流れはまだ分からない。

 

 だが、ルーデウスにも完全な無動作ではないことは分かってきた。

 

 撃つ前に、ほんの少し視線が定まる。

 

 指先の向きが変わる。

 

 体の中心が狙いへ向く。

 

 剣士の踏み込みほど分かりやすくはない。

 

 だが、何もないわけではない。

 

「もう一度、お願いします」

 

 レンが言うと、ルーデウスは頷いた。

 

「では、少し遅めに」

 

 水弾が生まれる。

 

 レンはそれを見て、横へ外れる。

 

 水弾は的へ当たり、弾けた。

 

「今のなら避けられる?」

 

 エリスが聞く。

 

「撃つ場所が分かっていて、遅くしてもらえれば」

 

「実戦じゃ駄目じゃない!」

 

「だから稽古してる」

 

「じゃあ、次は私が避けるわ!」

 

 エリスが前へ出ようとする。

 

 ギレーヌが止めた。

 

「エリス様はまだ駄目です」

 

「何でよ!」

 

「避ける前に突っ込むからです」

 

「避けながら突っ込むわよ!」

 

「水弾に突っ込むのは避けるとは言いません」

 

 エリスは唇を尖らせた。

 

 レンは少し笑いそうになる。

 

 だが、エリスの考え自体は間違っていない部分もある。

 

 魔術師相手に、ただ避け続けても勝てない。

 

 どこかで間合いを詰めなければならない。

 

 問題は、いつ、どうやって詰めるかだ。

 

 ルーデウスも同じことを考えているようだった。

 

「剣士に近づかれると、魔術師は困ります」

 

 彼は言った。

 

「だから、足を止める。視界を塞ぐ。地面を崩す。距離を取る。色々考えます」

 

「地面を崩す?」

 

 レンが聞く。

 

 ルーデウスは頷き、庭の土の一部をわずかに盛り上げた。

 

 大きな魔術ではない。

 

 足元に拳一つ分の段差が生まれる。

 

「走っている時にこれをやられると、危ないです」

 

 レンはそこを見た。

 

 確かに危ない。

 

 踏み込みの瞬間に足場が変われば、身体が浮く。

 

 雷電型は特に、重心移動が命だ。

 

 足場を崩されれば、速さそのものが死ぬ。

 

 レンはその場で何度か歩いた。

 

 段差を見ながら、足を置く。

 

 見えていれば避けられる。

 

 だが、見えなければ。

 

 走っていれば。

 

 魔術で急に出されたら。

 

「厄介だね」

 

「はい。剣士の人は速いので、こっちも必死です」

 

 ルーデウスは苦笑した。

 

 エリスは腕を組む。

 

「なら、そんなの出される前に斬ればいいのよ」

 

「それができれば一番です」

 

「できるようになるわ」

 

「期待しています」

 

「何よ、その余裕」

 

「余裕ではなく、期待です」

 

 ルーデウスの言葉に、エリスはむっとしたが、少しだけ満足そうでもあった。

 

 稽古は続く。

 

 エリスとレンの三本勝負。

 

 ルーデウスの魔術を見てからの回避練習。

 

 ギレーヌの剣を受ける、というより、受けようとして崩される時間。

 

 そのすべてが、少しずつ互いに影響し始めていた。

 

 エリスは、以前より相手の足を見るようになった。

 

 レンは、剣だけでなく魔術の起こりを探すようになった。

 

 ルーデウスは、剣士がどの距離で危険になるのかを学んでいた。

 

 三人はそれぞれ違う。

 

 エリスは前へ出る。

 

 レンは外し、崩し、繋ぐ。

 

 ルーデウスは距離を取り、組み立てる。

 

 違うからこそ、噛み合う。

 

 違うからこそ、ぶつかる。

 

 そのたびに、ギレーヌが短く指摘する。

 

「エリス様、足が先に出ています」

 

「レン、考えすぎて手が遅れた」

 

「ルーデウス、撃った後に立ち止まりすぎだ」

 

 三人が同時に返事をする。

 

「はい!」

 

「はい」

 

「はい」

 

 エリスだけ声が大きい。

 

 レンとルーデウスは少しだけ顔を見合わせた。

 

 エリスがすぐに睨む。

 

「何笑ってるのよ」

 

「笑ってない」

 

「笑いましたね」

 

 ルーデウスがまた余計なことを言う。

 

「やっぱり!」

 

 エリスが木剣を振り上げる。

 

 レンは半歩下がり、ルーデウスはさりげなくギレーヌの後ろへ移動した。

 

「隠れないで!」

 

「戦略的撤退です」

 

「逃げてるだけじゃない!」

 

 庭に声が響く。

 

 ボレアス家の使用人たちは、もう驚かなくなっていた。

 

 ◇

 

 日々は、少しずつ流れた。

 

 原作の流れで言えば、ここからエリスとルーデウスの距離は縮まっていく。

 

 ただし、この世界にはレンがいる。

 

 レンがいるから、エリスは剣の稽古へ余計に熱を入れた。

 

 ルーデウスは、エリスを授業へ引き戻すために、さらに言葉を工夫した。

 

 ギレーヌは、三人を見ながら剣と文字の両方を学んでいった。

 

 レンは、自分が本来この屋敷にいなかった異物なのだと、時々思う。

 

 ルーデウスとエリス。

 

 本来なら、この二人の間で築かれていくはずの時間。

 

 そこに自分が混ざっている。

 

 それが何を変えるのか。

 

 良いことなのか、悪いことなのか。

 

 分からない。

 

 だが、レンはエリスの前に立った。

 

 ルーデウスと魔術について話した。

 

 ギレーヌに打たれ、エリスに打たれ、時には二人を相手にした。

 

 もう、関わってしまった。

 

 なら、半端に離れることはできない。

 

 大亀流の木札は、懐にある。

 

 軽々しく名乗るな。

 

 だが、逃げるな。

 

 玄斎の声が、時々胸に響く。

 

 ◇

 

 ある日の夕方。

 

 授業と稽古が終わり、エリスが礼儀作法のために連れていかれた後、レンとルーデウスは庭に残っていた。

 

 ルーデウスは小さな水球を作り、指先で回している。

 

 レンはそれを見ていた。

 

「どうやってるの」

 

「感覚です」

 

「感覚」

 

「水を作る、形を保つ、動かす。そういうイメージを魔力に乗せる感じです」

 

「剣とは全然違うね」

 

「でも、似ているところもあります」

 

「どこが?」

 

「考えすぎると遅れるところです」

 

 レンは少し笑った。

 

「それは分かる」

 

「レン君も言われますか?」

 

「よく言われる。考えたものを身体に沈めろって」

 

「いい言葉ですね」

 

 ルーデウスは水球を消した。

 

 そして、少しだけ声を落とす。

 

「レン君は、時々変わった言い方をしますよね」

 

 レンは黙った。

 

「剣の話だけじゃなくて。計算も早いし、ものの見方が大人っぽい」

 

「ルーデウスも」

 

 レンが返すと、ルーデウスは苦笑した。

 

「そう見えますか」

 

「見える」

 

「……お互い様ですね」

 

 庭に風が吹いた。

 

 言葉はそこで止まる。

 

 日本。

 

 前世。

 

 転生。

 

 そのどれも、まだ口には出ない。

 

 だが、二人の間には、薄い紙一枚のような距離でそれが置かれていた。

 

 破れば、向こうが見える。

 

 でも、破れば戻れない。

 

 レンは木刀を握る。

 

「今は、聞かない」

 

 ルーデウスは少し目を見開いた。

 

 それから、静かに頷いた。

 

「僕も、今は聞きません」

 

「うん」

 

「でも、いつか話すことになるかもしれませんね」

 

「その時は、その時」

 

「ですね」

 

 二人はそれ以上、踏み込まなかった。

 

 その距離が、今はちょうどよかった。

 

 ◇

 

 その夜。

 

 フィリップに呼ばれたのは、ルーデウスだけだった。

 

 レンは廊下ですれ違った時、ルーデウスの表情が少し硬いことに気づいた。

 

「どうしたの」

 

「フィリップ様に呼ばれました」

 

「怒られる?」

 

「だとしたら、心当たりが多すぎて困りますね」

 

 冗談めかして言ったが、目は笑っていなかった。

 

 レンは少しだけ違和感を覚えた。

 

「何かあったら言って」

 

 ルーデウスは一瞬だけ驚いた顔をした。

 

 そして、微笑む。

 

「ありがとうございます。大丈夫です」

 

 そう言って、彼はフィリップの部屋へ向かった。

 

 レンはその背中を見送る。

 

 何かが動いている。

 

 そんな気がした。

 

 だが、まだ分からない。

 

 その夜、エリスはいつものようにレンの部屋へ来た。

 

 扉の前で一応声をかけるようになったのは、少し成長だった。

 

「入るわよ」

 

「どうぞ」

 

 エリスは部屋に入り、床に座る。

 

「ルーデウス、父様に呼ばれてたわね」

 

「うん」

 

「何かしたの?」

 

「分からない」

 

「ふうん」

 

 エリスは少し不満そうだった。

 

 ルーデウスが何かを隠していることに、彼女も気づいているのかもしれない。

 

 ただ、それをうまく言葉にできないだけで。

 

「明日も授業よね」

 

「たぶん」

 

「逃げたら怒られるわよね」

 

「逃げるつもりだったの?」

 

「少し」

 

「少しならいいと思ってる?」

 

「駄目なのは分かってるわよ!」

 

 エリスは怒鳴る。

 

 だが、以前ほど本気で嫌がっているわけではない。

 

 読み書きも、算術も、少しずつ意味を感じ始めている。

 

 ルーデウスの教え方がうまいのだ。

 

 レンはそう思った。

 

 エリスは天井を見上げる。

 

「あいつ、変よね」

 

「ルーデウス?」

 

「うん。弱そうなのに、たまに強そう」

 

「分かる」

 

「何考えてるか分からない時がある」

 

「それも分かる」

 

「でも、嫌いじゃないわ」

 

 エリスは小さく言った。

 

 その声は、いつものように大きくなかった。

 

「勉強は嫌いだけど」

 

「そこは変わらないんだ」

 

「当たり前よ」

 

 レンは少し笑った。

 

 エリスはむっとしたが、今日は殴らなかった。

 

 代わりに立ち上がる。

 

「明日、授業の後で三本勝負よ」

 

「うん」

 

「ルーデウスにも見せる」

 

「うん」

 

「それで、魔術も避ける」

 

「ギレーヌさんが許したら」

 

「許させるわ」

 

「どうやって」

 

「頼む」

 

「普通だね」

 

「普通で悪い!?」

 

「悪くない」

 

 エリスはふんと鼻を鳴らし、部屋を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 レンは木刀を膝に置き、静かに目を閉じた。

 

 ルーデウスが来た。

 

 エリスが少しずつ変わっている。

 

 三人の稽古が始まった。

 

 だが、その裏で、何かが動こうとしている。

 

 流れを知る者がいれば、ここから先に待つ出来事を思い出すだろう。

 

 信頼を得るための荒療治。

 

 貴族の屋敷の内側で仕組まれる、小さな事件。

 

 だが、この世界にはレンがいる。

 

 大亀流の木刀を持つ少年が、そこに混ざっている。

 

 それが何を変えるのか。

 

 まだ誰にも分からない。

 

 レン・クロガネは目を開ける。

 

 怖くても、動く。

 

 だが、動くためには、まず気づかなければならない。

 

 次の朝、屋敷の空気がいつもと違うことに、レンはまだ気づいていなかった。

 

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