ああもうほんとむかつく。
なにが『シェイに勝てるのは、僕だけだ』だ。
都合のいいときだけそんなこと言って。それにセリフの裏を返せば、シドなら私に勝てるってことだ。ほんとむかつく、むかつくのに。
(やばい、ニヤけちゃう)
だめなのに、そんな場合じゃないのに、ニヤニヤが止なまい。
まあでも背中向けてるからバレないし……
「何を笑っているんだ」
「うるさいハゲ」
お前のせいで台無しだ。一気に冷めた頭で状況を整理する。
目の前にいるハゲ、ネルソン大司教代理。こいつがここにいるということは、アルファたちは調査を終えて聖域を離脱済み。
私の相手は英雄オリヴィエ、コピーとはいえ実力は折り紙付き。対する私は魔力が使えないし、武器は最近作った短剣。一度でも剣を合わせたら即アウト。普通に考えたら『くそげー』だけど。
(十分だね)
本当は断っても良かった。だってシドの方が強いから。
極限まで研ぎ澄まされた剣技はもはや芸術の域だし、それをフルに生かした超攻撃的な戦い方は、本当にカッコよくて、理想的で、華があって……魔剣士なら一度は憧れる戦い方だ。
筋肉の動きを、武器のブレを、視線の向きを、魔力の揺れを、それら全てを
そんな人間離れした戦い方、シドにしかできない。
兄は天才なのだ。
でも、求められてしまったから。
たとえ兄が準備万端で、兄に任せた方が確実だとしても。その信頼がどうしようもなく嬉しいのだから。
エルフさんと目が合った。アルファに似た水色の瞳は綺麗なのにどこか空虚で、ガラス玉みたいだなって思った。
(ねえ、あなたを見せて)
瞬間、エルフさんから魔力が溢れだす。
──視線が動いた。柄を握る手に力が込められた。膝が曲げられ、身体が沈んだ。
認識すると同時、身を翻す。風が吹いた、右腕から血飛沫が舞った。
(いっつ……)
皮が裂け、肉も斬れたが、骨には届いていない。全力は難しくとも剣は振るえる。だけど痛いものは痛い、思わず顔をしかめる。
追撃が来る。意識を集中する。
今のでエルフさんの身体能力、魔力操作は何となくわかった。
数十、数百、数千。可能な攻撃は数え切れないほどある。
でも、その間合い、構え、視線、スピード。目の前の『エルフさん』をちゃんと見てあげれば、膨大な選択肢は限りなく絞られる。
そして。
「っ……!」
少し掠った。紙で指を切ったような鋭い痛み。もう次の剣が迫ってきている。
だけど……
(本当に、胸糞悪い)
流れるまま身を翻す。今度は掠りもしなかった。
「は……?」
ハゲの声が聞こえた。間抜けな声だ。でもエルフさんは止まらない。
瞬きよりも速く、背後を取られた。聖剣が振り下ろされる。反撃も、防御も、回避も、全てが間に合わない──はずだった。
だけど当たらない。くるんと回ることで、剣が私を避けるように振るわれた。
「なぜだ」
ハゲが呟く。独り言のようなそれに、エルフさんの攻撃が止んだ。超速でハゲのもとに戻っていく。
「なぜ貴様はまだ生きている、なぜオリヴィエの攻撃を躱せる」
追撃がないことを確かめて、ハゲを睨む。
「このエルフさんはなに」
「…何を言っている?」
「エルフさんが見えない、何も感じられない。もう一度聞くね、このエルフさんはなに、なんでここにいるの」
「意味の分からんことをっ。オリヴィエ、さっさと殺せ!」
ハゲの命令を合図にエルフさんが迫ってくる。二度も躱されたにも拘らず、まっすぐ私の命を狩ろうとして来る。
(そうくるよね……うん)
ひらりと躱す、さっきまでよりも余裕ができた。
(次はそっち、それならこう)
観察する。想像する。
避けているだけでは勝てない。回避とは過程、反撃に必要な猶予を作るための手段でしかない。分かっていても避け続ける。
(これはこう……これも……)
観察する。想像する。
彼女の仕草を。彼女の心を。
もっと鋭く、もっと深く。視ろ、考えろ。
(あっ、思ったより伸びてきた……)
剣先が服に掠った。少し危なかった。想定が甘い、修正。
それと同時に嬉しかった。完全じゃない、解ってない、奥がある。私が見えていないだけで、ソレはきっとあるはずだから。
「何をしているオリヴィエ! さっさと殺せぇ!」
うるさいハゲだ。気が散るから黙っててほしい。
(次はこう…うん、それで次……違う、修正……次、そっちだよね……次も……)
観察する。想像する。
無数にある選択肢から何を選ぶか。どうしてその択を選んだのか。
剣先の揺れ、視線の向き、足の運び。意識が及ぶ範囲はどこまでか。
不意の力み、瞬きのタイミング、息遣いの間。無意識の領域へ。
一挙手一投足、見逃さない。
剣は使い手の写し鏡だ。それを知るため全霊を尽くすのが、私なりの誠意。
アルファの剣は揺るがない。自分が優れていることを知っている、積み重ねてきた修練を知っている、何よりシャドウの剣を信じている。だからアルファの剣はまっすぐで、最適解を迷いなく選べる強さがある。
お姉ちゃんは過程を重視するタイプだ。間合いに角度にリズムに、その全てが最後の一撃に向けた布石。あと気が強いのも特徴で、ここぞという時には一番難しい選択肢を自信満々に選んでくる。
アレクシアは真面目だ、バカ真面目とまで言える。理想をなぞって、一歩一歩詰めていくような戦い方は見てて好ましい。でも不意を突かれると力任せになる癖がある、根が短気なのだ。
シドの剣は自由だ。洗練されて無駄がないからこその自由。その場の思い付きを実行して、相手の反応を楽しんで、子どもみたいに遊んでいる。
ベータは臆病で、デルタは本能の赴くままに、イプシロンはようやく掴んだ特別を手放せなくて、ゼータは気まぐれだけどやっぱりシドの剣が大好きで……みんなそれぞれ個性があって。
エルフさんにも、そうあってほしかったのに。
(……もう、いいや)
彼女と目を合わせた時からうっすら気づいていたけれど、認めたくなかった。
同じ囚われの身でも、ヴァイオレットさんみたいに笑って、隠し事をして、驚いて、心配して。そんな感情があってほしかったのに。
エルフさんには、何もなかった。
何もないから何も見えない。何もないから変わらない。変わってくれない。
虚しかった。
──視線が動く。柄を握る手に力が込められる。膝が曲げられ、身体が沈む。
その一瞬前、私も動き出す。
──今……この角度、このタイミング、この位置で。
「──うん」
◆
〜アウロラ視点〜
血飛沫が舞う。
オリヴィエの姿がぶれた次の瞬間、少女の腕が斬りつけられた。
それを見て最初に浮かんだのは、驚愕だった。
──何故、少女は生きている
胴体が真っ二つになるはずだった。オリヴィエが放った横薙ぎは、少女の命を狩り取ったはずだ。なのに何故少女はまだ生きている。
理解を超えた一瞬の攻防が、少女を行かせてしまった後悔を消し去った。
追撃が少女を襲う。もはや闘いとは呼べない、一方的に命を奪うだけの一撃。
しかし当たらない。それどころか、今度は掠っただけで血が舞うこともなかった。
「どうして……」
ポツリと漏れた言葉。「て」の響きが消えるより早く、オリヴィエが少女に迫る。
また同じように……いや、違う。少女がひらりと身を翻すと、オリヴィエの剣が空を斬った。あり得ないと否定したそれが、次の瞬間さらに上書きされた。
「なぜだ」
ネルソンが呟いた。オリヴィエの攻撃が止み、超速でネルソンのもとに戻った。
「なぜ貴様はまだ生きている、なぜオリヴィエの攻撃を躱せる」
少女がネルソンを睨んだ。
「このエルフさんはなに」
「何を言っている?」
「エルフさんが見えない、何も感じられない。もう一度聞くね、このエルフさんはなに、なんでここにいるの」
「意味の分からんことをっ。オリヴィエ、さっさと殺せ!」
ネルソンが叫ぶ。反撃など許さない無慈悲な攻めが少女を襲う。
「ははっ」
隣で少年が笑った。
「あなたっ、何を笑っているの! 妹さん死んじゃうわよ?!」
「え? ああ、大丈夫だよ。シェイの勝ちはもう決まった。それより僕は、あのエルフさんに感謝してるんだ」
「勝ちは決まった? それに感謝って……」
「あれはしばらく続く。外からあの子の本気を見るなんて、初めての機会を作ってくれたんだ。感謝してもしきれないよ」
「心配じゃ、ないの?」
「ないよ、シェイが勝つんだから」
少年が正面の攻防に視線を戻したので、それに倣う。
超速の攻撃をひらりひらりと、ただそれだけ。風になびく少女を避けるように剣が通る。示し合わせたかのように、同じ光景が繰り返される。
ふと、声が聞こえた。
「…………うん」
小さく、だが確かに頷く声。
「うん……………うん…………」
少女が回避する寸前、微かに聞こえるその声。
「うん………うん………うん……」
頷きが加速していく。
「シェイには感謝してるんだ」
少年が呟いた。
「あの子のおかげで、僕はひとりじゃなくなった」
少年の目は、まっすぐ少女へ向けられていた。
「あの子はずっと僕の隣にいて、ずっと僕を見てきた。この世の誰よりも、もしかしたら僕自身よりも僕のことを知っているかもしれない」
「シェイが本気で強くなろうとしたのは2年前なんだけどね。それからたった半年で、僕はあの子に負けたんだ」
「最初はギリギリの勝負で負けた。正直その時は嬉しかった、力も技も魔力も、何もかも僕の方が上なのに届かない。尻もちをついて、剣を突き付けられて……ゾクゾクしたよね」
「だけど、2回、3回と続くうちに、全く歯が立たなくなってさ……悔しかったよ。悔しくて悔しくて、身につけたあらゆる攻撃を使った。空手、ボクシング、柔道、総合格闘技……あの子に見せたことのない、あの子が知るはずのない技を使って、プライドも何もかも捨てて、勝つことだけを目指した……でも届かなかった」
「複雑に織り交ぜて、フェイントも入れて、ときには引いてみて。どれだけランダムにやっても、そのほとんどが読まれる。読み合いなんて運も混じる勝負を、シェイは当て続けるんだ……まあシェイが言うには少し違うらしいけど、そんなのはどうでもいい。僕はあの子に負けたんだ、完膚なきまでにね」
「そこで気づいたんだ。こんな事をしても無駄だって。笑えてきたよ、ほんとにね」
「小手先の技術じゃ意味がない。シェイに勝つには、シェイの中にいる僕を超えるしかない。昨日の自分を超える……いや、超え続けなくちゃダメなんだ。力も速さも技も魔力も、限界だと思った場所からさらに先に進まなきゃいけない。見つけ出して、作り出して、研ぎ澄まして……あの子に勝つにはそうするしかない」
「死ぬ気で修行した。どうしても成し遂げたい夢も、あの時ばかりは頭から消した。あの子に勝つ、ただそれだけのために強くなった。ようやく勝てたときはそれはもう嬉しかった、嬉しすぎて煽りに煽ったよね。ぷっ、あの時のシェイの顔は見物だったなぁ」
「まあそれからもシェイは本気で勝ちにくるし、僕もそれに応える。楽しい時間だったよ」
「もしまた知らない世界に飛ばされるなら、次の世界でもあの子がほしい。シェイがいれば、僕はどこまでだって強くなれるから」
狂ってると思った。
性格悪いなとも思った。
それと同時に、羨ましいと思った。
こんなにも誰かに想われてみたかった。対等な相手として認めてもらいたかった。
そんな嫉妬を抱えて、件の少女を見る。ひらりひらりと翻るその姿は、踊っているように感じられた。
「──うん」
ぽつりと漏れたその声は、先ほどまでと変わらないはずなのに、何故か終わりを予感させた。
「だからシェイは負けない」
それに呼応するように、少年もぽつりと呟く。
「シェイに勝てるのは僕だけだ」
オリヴィエの首から血飛沫が舞った。
◇◇◇
エルフさんの首から鮮血が舞う。
その身体がふらりとゆれた。鏡が割れるように粉々に砕け、そのまま消えていった。刀身についた血も同時に消えていく。
「終わったよ、シド」
「うん、お疲れ」
鞘を付けた短剣を袖にしまい、預けていた剣をもらう。勝てると思っていた勝負、お互いに淡白なものだ。
「そ、そんな、オリヴィエが……」
ハゲが呆然と呟く。
「それで、エルフさんは消えましたけど、次はあなたですか?」
「わ、分かった。オリヴィエがやられるとは思わなかった! 君はとても強いようだ、私が悪かった、謝る!!」
ハゲは頭を下げて、そしてクツクツと嗤った。
「……とでも言うと思ったか? 確かに、魔力を使えない小娘がオリヴィエを倒したことには驚いた。運がよかっただけだろうが、それでも勝ちは勝ちだ。おめでとう」
ハゲは頭を上げて、パチパチと手を叩く。形だけ「どうも」と返す。
「だが、質の悪いコピーを1体倒した程度でいい気になるなよ。聖域には計り知れない魔力が眠っている。だからこういうことも、可能だ!」
ハゲが腕を振ると、辺り一面に光が溢れた。光が収まると、そこにはエルフさんがいた。
1人じゃない。遺跡を埋め尽くすように、ざっと数えて100以上。
「嘘……そんな……」
ヴァイオレットさんが慄く。
「うーん。さすがにこれはむりかな」
「フハハ! これが聖域の力だッ!!」
ハゲが得意げに言う。無数のエルフさんが私たちに殺到する。
「それじゃあシド、任せたよ」
「そうだね、今度は僕の番だ」
聖域に入ってからずっと、シドの右目は閉じられていた。
それが今、開く。
紅く染まった瞳、濃密な魔力が溢れ出す。
極めて高濃度の、可視化された魔力。想像を絶するほど研ぎ澄まされた魔力は、ただ美しく輝いた。
全方位から迫るエルフさんをシドが一閃した。その手には漆黒の刀が握られている。
「な、なんだそれは! 魔力の塊、アーティファクト……いや、まさかそれは、スライムか!」
あ、スライムって初見で見破ったんだ。ほんの少しだけ、ハゲの評価を上げた。
「練った魔力が吸い取られるなら、吸い取られないほど強固に練ればいい。少し時間はかかったけど、簡単な話さ」
「簡単……?」
ヴァイオレットさんがバケモノを見るような目で私を見てくるが、全力で首を横に振る。
簡単なわけがない。あんなのと一緒にしないでほしい。
「そんなことは人間には不可能だッ!! オリヴィエ、早くそいつを殺せ!!」
恐怖に引きつった顔で、ハゲが叫ぶ。無数のエルフさんがシドに向かう。
私たちに来ないのは、脅威度が低いからなのか、あのハゲの命令だからなのか。多分後者だ。
「さっきより動きが単調だ、これじゃあただのカカシだね」
迫りくる殺意を一掃するシド。頬が緩むのを感じる。
前に話してた「写〇眼」ってやつの影響か、それとも2年前のオルバさんの影響か、シドはシャドウになるとき瞳を紅く染める。
私の好きなもののひとつだ。
黒目のシドが、紅い瞳のシャドウになる。
「おっと」
シドが傷を負った。肩を浅く斬られたのだ。さすがに数が多い。いくらシドでも多勢に無勢、この環境じゃきつい。
「いいぞっ、そのまま殺せ!!」
ハゲが追いつめられた顔で笑う。ヴァイオレットさんは祈るようにシドを見ている。
それなら。
「シド、やっちゃいなよ」
「え?」
「エルフさんを倒して、聖剣を抜いて、鎖を斬って、核を破壊する……面倒でしょ。やっちゃって」
「え、でも……」
珍しく躊躇うシド。何を懸念してるのかは一目瞭然。
あんまり舐めてもらっちゃ困る。
「『核で蒸発しないためには、自分が核になればいい』、だっけ。私もそれ賛成だよ」
核が何かはわからない。でもきっとシドの知る最強がそれだ。
全てを貫き、呑み込み、塵も残さない。アトミックという圧倒的な暴力。その中心にいるシドはそれに耐えているのか。
答えは否。魔力の大爆発であるアトミックが、術者であるシドの魔力を選別し、守護しているだけ。
それなら話は簡単だ。
最強になるため、シドは最強を模した。私は最強に耐えるために、最強を利用してみせよう。
「借りるね」
「ん?」
シドが違和感に首を傾げた。
「は……?」
ヴァイオレットさんが目を見開いて、ポカーンと口が開いたままになっている。
シドを包んでいた魔力が流れ込んでくる。私の身体を青紫のオーラが覆う。
(……うん。ひとによって魔力の使い心地って違うみたい。練習の時よりもずっと扱いやすい)
ふたつの切り傷が塞がる。
「シドの最強は、たった今必殺じゃなくなったよ」
シドに向かって、挑発的に笑ってみせた。
「最高だね」
シドも笑った。
瞬間、青紫の魔力が世界を覆った。
あり得ないほどに膨れ上がったそれは、あり得ないほどに精緻な螺旋を描き、あり得ない密度で刀身に集約していく。
「もう、なによこれ……」
あ、ヴァイオレットさんが放心状態になってる。うんうんわかるわかる、私も初めて見たときそうだったから。
「アイ」
シドがスライムソードを逆手に持って、それを真上に振りかぶる。
「アム」
「な、何だその魔力は!? や、やめ、やめろおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ハゲが叫ぶ。エルフさんが疾走し、シドを襲おうとする。私が防ぐ。
「ジ・オールレンジ」
シドは高らかに口ずさむ。
くるりと回ると、シドと目があった。二人して笑い合う。
「アトミック」
極光が世界を包んだ。
◇◇◇
気が付けば森の中にいた。
辺りを見回してシドがいる事を確認、そして扉に入ったのと同じ場所だと理解する。いつの間にか朝になっていたみたいで、日の光があると印象がだいぶ違う。
「解放された、のかな」
「多分そうなんじゃない」
「ええ、何もかも無くなったわ。あなたたちのおかげね」
背後から声をかけられた。振り向くと、ヴァイオレットさんが立っていた。
「どういたしまして。でもちょっと疲れたね」
シドが空を見上げて息を吐く。その場にあぐらをかいたので、私たちも腰を下ろした。
ヴァイオレットさんの姿は、ちょっとずつ透けてきている。
「消えるんだね」
「そうみたい」
シドの淡白な口調が、今はありがたい。
「貴方を呼んだのは私。嘘つきでごめんなさい」
「いいよ」
「ほかにも、嘘をついたわ」
「いいよ」
ヴァイオレットさんが私を見た。
「貴女は巻き添えにしてごめんなさい」
「いえ、会えて良かったです」
「貴女はきっと、私を知っていたのよね」
「想像も入ってますけどね」
「そう」
ヴァイオレットさんが笑った。その姿も相まって、泣き笑いのようにも見えた。
「ずっと早く消えてしまいたいと思っていた。全てを忘れたかった。でも、忘れたくない記憶がひとつだけできたの。たとえ私が消えても、この記憶だけは忘れずにいたい」
ヴァイオレットさんが膝立ちになって、私たちを抱きしめる。感触はない、それでも抱きしめられているのだ。
「シド・カゲノー、シェイ・カゲノー。きっと忘れない。大切な記憶を、ありがとう」
耳元で囁かれる。
「僕も楽しかったよ。ありがとう」
「…私も、楽しかったです」
「あなたたちがもし、本当の私を見つけたら……」
そこには彼女の姿はなく、ただ声だけが聞こえた。
「私を殺して、だってさ」
「そうだね」
「困ったね」
「そうだね」
彼女の温もりが消えてしまったから、残された言葉があまりに悲しかったから。少し移動して背中合わせになって、体重を預ける。
どれくらい時間が経っただろう、シドが口を開いた。
「シェイは強くなったね」
「うん、頑張ったから」
「最近は模擬戦もやってなかったけど、学園に入学してからも強くなって……」
シドの台詞が途絶えた。原因は私。
背中合わせの体勢から、シドは仰向けに。私はその上に跨り、マウントを取る。
「私が強くなる理由、知りたい?」
「え、いや別に……」
「知りたいよね?」
「知りたいです」
「教えてあげるね。最初はオルバさんのあれがきっかけだったんだけどさ、その後に超ムカつく出来事があってさ」
「へ、へぇー、そうなんだー」
「心当たりは?」
「……ありません」
うそつけこのやろう。
「私が最初に勝ってから、しばらく私の勝ちが続いて……ようやくシドが勝った時、なんて言ったか憶えてる?
『たった11回連続で勝ったくらいでいい気になってるからだよ。今まで何千敗もしてるのに、今日もまた勝てるなんて、ちょ~っと思い上がりも甚だしいよねー。ということで僕今日は疲れたから、姉さんの相手よろしくね、シェイちゃん』
ってさ。今でも一言一句思い出せるんだよね。あんなことを言われてさ、ニヤニヤと見下されてさ、思ったよね。このまま大人しく引き下がれば、こいつは増長する、間違いなくいい気になる、私のこと舐め腐るって。だから私は、私のプライドにかけて、絶対にボコボコにしてやるって誓ったんだよ?」
悔しそうに剣を振るう姿、手探りで剣を振るう姿。私を倒すために、私だけを見て、私の事だけを考えて。そうして掴んだ勝利、シドは心底腹立つ顔で盛大に煽ってきた。
煽られたこと自体もムカついたが、それ以上にシドのあんな姿は初めて見た。
きっと私がいなくても、そんな大層な変化はないだろう。
シドは変わらずバカで最強で、陰の実力者を目指し続ける。その過程でアルファたちを助けて、シャドウガーデンができる。
それでも、私がいることで、ほんの少し何かが変わるなら。
競い合うことで、シドは私を気に掛けてくれる。そのついでに他の誰かが目に入って、その誰かを大切にしてくれるかもしれない。ガーデンのみんなの心労が軽くなって、世界の巨悪と戦う彼女たちが少しでも笑っていられるかもしれない。
そんな小さな成功があると、そう信じてる。
「これからは月2くらいで模擬戦やるから。いい?」
「はい」
「このままだとしばらく私が勝つと思うよ」
「かもね」
「また私の想像を超えてね」
「わかりました」
「よろしい」
マウントを解いて、シドの隣に寝そべる。
「ていうか、さっきの何?」
「さっきのって、魔力吸い取ったやつ?」
「そうそれ。シェイがあんなのできるって知らなかったんだけど」
「そりゃあテロ事件の後から練習してたからね」
「はぁ」
珍しく呆れたような声。
「みんなそうだけどさ、アーティファクトを神聖視し過ぎなんだよ。技術は進歩するものなんだから……まあ、やり方は私なりにアレンジしてるけど」
それに、アトミックを防ぐ方法はずっと考えていた。魔力の盾、魔力操作の妨害。色々と試してダメだったけど、今回の魔力吸収──シドの魔力を纏うことで、同波長であるアトミックの暴威から逃れることができた。それだけの話だ。
「どうやってるの?」
「うーん、口で説明すると難しいんだけど……その人の魔力を感知して、それと同じ波長で魔力を練って、自然な通り道を作ってあげて、それから引っ張るって感じかな」
「魔力の波長って、見ただけで再現できるの?」
「人によるかな。シドは魔力の波長が似てるから初見でできたけど、イプシロンと練習した時だと触ってないと難しくて」
ふむと頷き、シドが私の手を取る。少しの沈黙の後、手を放した。
「ダメだね、どうやっても自分の魔力に引きずられちゃう」
「向き不向きでしょ。私はそんな強固に魔力を練るのも、アトミックくらい圧縮するのもできないし。ないものねだりってやつだよ」
魔力の圧縮。体内で魔力の圧縮と発散を高速で繰り返すと、本来の魔力量よりも多くの魔力を生成できる。これだけ聞くと便利な技術だけど、言うは易く行うは難しだ。
私も使ってはいるけど、用途は魔力切れ防止。
まず第一にリスクが大きすぎる。もし魔力が暴走した場合、身体へのダメージが半端じゃない。悪魔憑きがいい例だ。私だって一度魔力を圧縮させ過ぎて、身体が内側から破裂するかと思ったほど。
維持だって難しい。私も本気で圧縮すればアルファクラスまで魔力量を上げられるけど、集中力のほとんどを持っていかれるから実用的じゃない。あんなの実戦で使えるのはシドだけだ。
「ないものねだりかぁ、たしかにね」
しばしの沈黙、風の音と小鳥の鳴き声だけが聞こえる。
「チャーハン食べたくなってきた」
「急になに」
「いやなんとなく。世界にはね一億回以上炒められたチャーハンがあるんだよ」
「それって食べられるの?」
「めっちゃ美味しそうだよ」
「はぁ……」
一億回炒めたらもはや炭だろう、意味がわからん。まあ、いつものことだ。
「シェイはさ、聞かないよね」
シドが呟いた。
「聞いてほしいの?」
「そういうわけじゃないけど、あんまりにも聞かれないと、なんだかなぁって思うよね」
「かまってちゃんって事かな?」
「それやめて」
盛大に顔を歪めて、本気で嫌そう。
「まあ話したくなったら話しなよ。どんなに現実味が無くてもちゃんと聞くからさ」
それがいつになるかはわからない。明日かもしれないし、来週かも来年かもしれない、どっちかが死ぬ直前っていうのもあり得る。
でも、なんとなく、それほど遠い未来じゃない。そんな気がした。
「あっ」
「どうしたの?」
「シドが秘密を話す時さ、私の秘密も聞いてよ。交換条件みたいにさ」
「いいね。その時は僕も真面目に聞くよ」
「期待してるね」
勝った。よくやった私。
言質は取った。その時が来たら、私の心労の原因を全部ぶちまけてやる。
ディアボロス教団が実在する事。今までの事件の全容も併せて全部教えてやる。日課だった盗賊狩りも、お姉ちゃんの誘拐も、アレクシアの誘拐も、学園テロも、聖域の事も、アウロラさんの事も、全部だ。
アルファたちの努力も一から十まで懇々と説明してやる。ベータやイプシロンの芸術コンビも、イータの発明も、ガンマの商会経営も、ゼータの諜報活動も、組織をまとめるアルファの事も。
彼女たちの好意は……これは言わない方がいいかな。でもいつか向き合わせてやる。
「それでチャーハンだっけ。帰ったら作ってあげようか?」
起き上がって問いかける。
「いいね。シェイの料理久しぶりだ」
「一昨日も食べたでしょ」
「あれは共同制作だから」
ケチャップかけただけでなにが共同制作だ。
「はい、さっさと起きて。帰るよ」
起きる気配のないシドに手を差し出す。シドはてきとうに返事をして、その手を取った。