女神の試練が終わった翌朝、リンドブルムから王都へ全力ダッシュ。
寮でチャーハンを作って、一晩ゆっくり休んで。翌朝、王都の朝市で朝ごはんを済ませてから実家へ、またしても全力ダッシュ。
結果、到着したのはお昼過ぎだった。
見せられる程度に速度を落として屋敷に繋がる一本道を駆けると、ようやく見えた。
久しぶりの我が家だなぁとしみじみ感じつつ、門前にいた使用人の人がパタパタと屋敷へ駆けていくのが見えた。
……連絡してなくてごめんなさい。
また速度を落としてゆっくり歩く。玄関に着くと、扉が開かれた。
「おかえりなさい、シェイ、シド」
出迎えてくれたのはお母さんだった。
「お母さんただいま」
「ただいま母さん」
ふと、屋敷の中からこちらに近づく気配を感じた。シドの手を取る。
「お昼は食べた?」
「帰ってくる途中で食べた」
「あらそう、それじゃあ夕飯まで好きにしてていいわよ」
「はーい」
私がお母さんと話す間、シドは私の手から逃れようと小刻みに手を震わせたりしているが、そんなの私に通じると思うなよ。
そうこうしてるうちに……あ、来た。
「おかえりなさい」
その声はとても静かで穏やかで。これヤバイくらいブチギレてるなと思った。
「お姉ちゃんただいま」
「ええ、シェイはいい子ね」
近くまで来て頭を撫でられる。その感触を楽しんでいると、お姉ちゃんの手がシドの肩に移された。
「た、ただいま姉さん」
「ええ、おかえりなさい」
掴まれた肩からはギシギシと鳴っている。お姉ちゃんの顔は笑ったまま。
「来なさい」
「はい」
一言だけ告げてシドを屋敷内に連れていく。目線で助けを求められたので、頑張ってねーと手を振った。
あれは全面的にシドが悪いし、そろそろガス抜きしないと爆発した時がこわい。
お姉ちゃんたちを見送る。お母さん、お姉ちゃんときて、次は……
「シェイ! 帰ってきたのか!」
そう、お父さん。バタバタと駆けてきて抱きつかれる。
「お父さんただいま」
「おかえり〜、会いたかったぞ〜」
「あーうん、私も会いたかったよー」
「友達はできたか? 学園生活で困った事はないか? クレアもいるから大丈夫だと思うが、父さんは心配で心配で……」
「だいじょぶだいじょぶ、友達もちゃんとできたよ。心配してくれてありがとね」
困った事はたくさんあったが、それを言うと面倒なので後回しにする。
「うぅ〜、シェイはいい子だなぁ。学園に行っても変わらなくて良かった……!」
「身長も止まっちゃったしねー」
そういうことじゃない。知ってる。
お父さんにぎゅうぎゅうと抱かれながら、適当に相槌を打つ。しばらくして、感動の再会タイムが終わった。
ただ放してはくれないようで、顔だけ出してお母さんを見る。
「シェイ、手紙読んだわよ。大変だったわね」
「…うん、大変だった」
「しっかり休みなさいよ」
「割と休めたから、もう平気」
「それならいいわ」
お母さんがお父さんを見た。私へ向ける柔らかい眼差しから一転、呆れたものに変わる。
「それであんた、イイ歳こいたハゲが恥ずかしくないわけ?」
「俺の全醜態を晒してシェイを可愛がれるなら本望だな」
ちょっと低くなったその声は、シャドウになった時のシドと似ていてカッコいい。さすが親子、やってる事がしょうもないとこまでそっくりだ。
「シェイもいい加減付き合わなくていいのよ?」
「あはは、まあ嫌じゃないし大丈夫だよ」
私もスキンシップは好きだし別に気にしてないが、それ以上に可哀想というのもある。
お母さんにハゲと罵られ、お姉ちゃんに雑に扱われ、シドに背景のように思われ……結果、普通にしてるだけの私が可愛くて可愛くて仕方ないらしい。
それに、お父さんも私にまで嫌われたくないのか、加齢臭対策はばっちり。お風呂はもちろん、食事や睡眠まで気をつけてるとか。このまま健康であってほしい。
たまに頬擦りもするからスキンケアもばっちり。口髭だけは立派に残してるから、そのこだわりも伝わってくる。
お姉ちゃんはお母さんそっくりで、シドのこだわりの強さとカッコいいしょうもなさはお父さんから来てて、私はお母さんとお父さんを半分こした感じかな……そんな風に幸せになれるから、この時間も結構気に入っている。
「お母さんもどう? くる?」
「……仕方ないわね」
お母さんはお父さんの正面に来て、私を抱きしめる。お父さんは一旦腕をほどいて、私とお母さんをまとめて抱きしめ直す。
なんだかんだ、お母さんもお父さんの事は好きなんだなぁと思う。
私はしばらく、夫婦の間に挟まっていた。
◆
翌日、お姉ちゃんは跡継ぎとしての挨拶で出掛け、シドは勉強に苦戦(フリ)していたので、私はひとりアレクサンドリアに向かった。
野外で戦闘訓練をしているラムダと世間話をして、イプシロンの部屋にお邪魔して、寝ているベータに栄養ドリンクを差し入れして……デルタはいないっぽい、突撃してこないし。
そして今は執務室でアルファから調査の結果を聞いている。口頭だと半分くらいしか理解できないけど、それでもわかることは……
「仮説は正しかったと」
「ええ、災厄の魔女アウロラ……またの名を、魔人ディアボロス」
「そっか」
つまりはシャドウが女神の試練に乱入したからこそ、彼女の記憶が私たちを呼び寄せたわけで。
『聖域に眠りし古代の記憶を解き放つ』
テキトウに言った言葉がその通りになっちゃうんだから、つくづく運命に愛されたアホだ。
その他にもあの日の詳細を聞いて、元々の目的と照らし合わせて、聖域を消滅させたことに問題がない事を再確認する。よかったよかった。
「ちょっと待ってて」
そう言って、アルファが部屋を出る。5分くらいして戻ってきた彼女は一人の女性を連れていた。
ああ、元気になったみたい。
「久しぶりだね、エル」
「はい、お久しぶりです。シェイ様」
そう言って微笑む銀髪の美人、ミリアさん──改めエルだ。
アレクシア誘拐事件で教団の実験から解放された彼女は、ここアレクサンドリアに移されていた。私も事件の後ここに来て、心身共に弱りきった彼女と話をした。
その時の彼女からの言葉は、正直堪えた。
『なんで』『どうして』
『もっと早く来てくれなかったの』『お父さんを殺したの』『アナタならできたはず』
『つらかった』『くるしかった』『おそい』『おそすぎる』『なんでいまさら』『あきらめてたのに』『いつ死んでもいいって思ってたのに』『死にたいって思ってたのに』『殺してくれるって思ってたのに』『ようやく終われるって嬉しかったのに』
『なんで私を助けたの』
涙すら流さない彼女に、私が泣いた。ごめんって、ごめんなさいって、縋り付いて泣いた。
私の選んだ道だ。
まだ見ぬ苦しんでいる人たちのために。そんなのは無理だから。見て見ぬ振りをした。
『なんでアナタが泣くの』『泣きたいのはわたし』『つらかったのはわたしなのに』『ねえ、答えてよ』
ただひたすらに謝った。ごめんって、ごめんなさいって。
『だからっ、なんでアナタが謝るの……』
彼女の声が震えた。顔を上げようとすると、ぎゅっと抑えつけられた。
『ごめんなさい』『助けてくれたのに』『ごめんなさい』『わかってるの』『ごめんなさい』『どうしようもなかったって』『ごめんなさい』『でもどうしようもないじゃない』『ごめんなさい』『ごめんなさい』『ごめんなさい』『ごめんなさい』『ごめんなさい』『ごめんなさい』『ごめんなさい』
そして、彼女はシャドウガーデンのメンバーになることを拒否した。
正確に言うと、ガーデンとして世界の陰と戦うのではなく、私の傍にいたいとのこと。
結果、ニューの補佐として王都に来ることに決まった。商会の実務をサポートする他、私への連絡係も兼ねているとのこと。
今はラムダの指導の下、魔力やスライムの使い方、学園寮に侵入する際の隠密技術などを学んで──叩き込まれての方が近いかもしれない──いるはずなんだけど。
「ラムダから聞いたよ、もう合格したんだって?」
「はい、先日ラムダ教官より王都行きの認可をいただきました」
最低半年はかかるだろうと予想されていた訓練、エルは1か月ちょっとで合格をもぎ取った。
『戦闘員として育てれば、近い将来ナンバーズにも届くでしょう』
とはラムダ鬼教官の言。あのラムダが手放しに褒めるなんて、本当にすごいことだ。
それとエルの命名は私。正式な構成員じゃないから、番号で呼ばれることはない。理由は理解できるけど、私あれ嫌いだし。
ニューの補佐になると聞いて、ガーデンの皆と近い名前にしたくて……そんな風に考えて思い出した。
シドが言っていた、アルファたちの名前の由来とその別の呼び名。ニューの場合は確か……エルだかエムだかエヌだか、なんかそんな感じ。エルにした理由は響きが一番かわいかったから。
「これからよろしくね、エル」
「はい、シェイ様」
◇◇◇
〜アレクシア視点〜
王都にあるミツゴシ運営の温泉施設には、本日貸切の貼り紙が貼られていた。
施設を利用しているのはアイリスとアレクシア。ミドガル王国の王女姉妹だ。ただ、二人は施設を純粋に楽しめてはいなかった。
「ではやはり……」
「はい、聖教そのものが怪しいと言わざるを得ません。殺された大司教も、殺して後釜に座った司教代理も、ディアボロス教団の手のものだった」
アレクシアが聖地での出来事に語るにつれて、アイリスの表情も曇っていった。
「シャドウガーデンはディアボロス教団と敵対していました。それに悪魔憑きを利用し、さらなる力を得ようとする教団に対して、シャドウガーデンは悪魔憑きを治療する手法を確立しているようでした」
「そして、王都で暴れていたあの怪物も、教団の実験体だったと」
「はい。アルファという女から直接言われたので間違いないかと」
記憶の中の施設を巡り、あまりに惨い光景を目にして。そんなアレクシアにアルファが言ったのだ。
『以前アイリス王女と対峙した巨人も、教団の実験体だったひとりよ。今は元の体に戻って元気に暮らしているわ』
アレクシアはその巨人と共に数日を過ごし、助けられたのだ。その彼女の快報を聞いて、シャドウガーデンは少なくとも敵ではないのではと推測している。
アイリスも今までの事件の詳細と、自身の騎士団員を助けられたことで、完全な敵対関係とは思っていない。
「でもそれ以上はわかりません。証拠は隠蔽され、彼らが聖域と呼んでいた場所へもう一度入る手立ても見つからない……あれほどの施設、表の影響力が無ければ隠し通せるものではありません」
「そして、実際にそれだけの力と影響力を持った組織が……」
「強引でもいい、聖教を調査すべきです。王都での事件を併せて、原因究明を旗に掲げれば、奴らだって無視は……!」
言い募るアレクシアに、アイリスは首を横に振った。
「同様の事を私もお父様…陛下に提案しました。ですが返答は動くなの一点張り」
「そんな……」
「事なかれ主義の陛下らしい。同盟国であるオリアナ国王の来賓を控えて、聖教を相手に余計な騒ぎは起こしたくないのでしょう」
「余計だなんて……」
「陛下を動かすには、明確な証拠を揃えるか、あるいはあらゆる国難を突破せしめる力があると証明するしかありません……そういう意味では、武神祭の開催が今年であったのは幸いでした」
「武神祭」
「武神祭連覇という肩書は、騎士団からさらなる支援を引き出すのに最適です。国民からの支持も盤石になる。そうすれば、陛下も王宮も私の意に耳を貸さないわけにはいかなくなる」
「ですが姉さま、もしまたシャドウガーデンやディアボロス教団が何か仕掛けてきたら……大きな催しの裏では常に彼らが動いていました。もしかしたら武神祭でも……」
そこまで言って、アレクシアは違和感を覚えた。アイリスから一言も返ってこない。見ると、アイリスは苦い顔をしていた。
「アレクシア……貴女は聖域でアルファと名乗る女と会ったと言いましたね」
「え、ええ」
「……私とあの女、どちらが強いと思いますか?」
「それは……」
アレクシアが言い淀んでいると、アイリスがふぅと天井を見上げた。
「いいのです。あの女は強かった。アーティファクトを使っているかは知りませんが、あの時私は勝てなかった」
「姉さま……」
「敗北というのは、苦いものですね」
笑おうとして笑えず、歪に歪んだ表情。アイリスがこんな顔をするのを、アレクシアは初めて見た。
「ですが、負けるわけにはいきません。勝つことでしか、私が道を切り拓く方法は無いのですから」
表情を引き締めて、きっぱりと言い切る。
その表情が緩んだ。
「それに今回は私は一人ではありません。私と同等の力を持つシェイさんもいます」
ん? とアレクシアは首を傾げた。
「彼女の実力であれば上位入賞は堅いですし、組み合わせによっては二人で優勝と準優勝というのもありえます」
あ、やばい。アレクシアは思った。
「あの、姉さま……言いにくいのですが……」
「なんですか?」
姉の純粋な瞳がアレクシアを見る。ここにいない師匠に、何してくれてんだと内心文句を浴びせる。
「その……武神祭の学園選抜はシェイじゃありませんよ?」
「えっ?」
◇◇◇
〜ローズ視点〜
雨の音が聞こえる。
ローズは外から響く水の音色に、気がそれた。
呼吸を整えながら、練習用の細剣を下す。顔に滴る汗を片手で拭い、そのまま乱れた髪を整える。
薄暗い道場にはただ雨の音だけが響いている。
ローズはしばらくの間、目を閉じてその音に耳を傾けた。彼女は湿った空気を胸いっぱいに吸い込む。
水の音は、いつ聞いても美しい。
ローズは芸術の国オリアナの王女として生まれた。幼い頃から様々な芸術に触れて、美に対する意識は高い。
幼いローズは数々の芸術に対して高い関心を示したが、そこから何か一つを選ぶことができなかった。
絵画も、音楽も、演劇も、服飾も、彫刻も、何もかもが美しく、そこから一つを選ぶことなんて彼女にはできなかったのだ。だから彼女はすべてを嗜んだ。そして、そのすべてで高い評価を得た。
ローズが将来どの道に進むのか、オリアナ王国の芸術家たちは誰もが注目していた。
しかし、ローズが選んだのは剣の道だった。
それも、ある日突然、今まで嗜んでいた芸術をすべて捨てて、剣一本に絞ったのだ。
誰もがローズに、なぜ剣を選んだのか問うた。
ローズは多くを語らなかった。ただ、剣に美を感じたと答えた。
ローズの心には、ある美しい剣が刻まれている。
それは誰にも語ったことのない、彼女だけの大切な思い出。彼女が剣の道に進むことを決めた理由は、一人の剣士への遠い憧れだ。
ローズはあの日見た剣の美しさを忘れない。
いつの日か、あの美しさを自分の剣に宿すことが、彼女の生涯の芸術なのだ。
オリアナ王国では剣は野蛮なものとして蔑まれている。彼女の芸術を認めてくれる人は誰もいなかった。
ローズは家族の制止を振り切って、ミドガル魔剣士学園に留学した。自身が信じる美を追い求めて、自分の道を進むために。
しかし先日、ローズのもとに一通の手紙が届いた。
「父上が、今年の武神祭に来る……」
オリアナ国王が武神祭の観戦に来るのは異例のことだ。世間では様々な憶測が飛び交っているが、まず間違いなく、ローズを連れ戻すためだろう。
ミドガル魔剣士学園に入学して1年半、ローズは何もなし得ていない。入学してからずっと二番手に甘んじており、直近の学内選抜大会でも敗れた。
クレア・カゲノー
ローズが入学した当時、彼女は2年生ながら学園のトップに君臨していた。そこから今に至るまで彼女は学園最強を守り続けている。
去年まではそれでもよかった。クレアが卒業すれば学園最強はローズとなる。王族として最低限の面子は保てただろう。
しかしふたりの新入生によって、その前提は完全に崩れた。
ここ半年で急激に力を伸ばしているアレクシア・ミドガル。
そして、そのアレクシアが師と仰ぎ、学園テロ事件とその後の模擬戦において真の学園最強と認知されたシェイ・カゲノー。
今やローズは学園三番手……いや、四番手の可能性すらある。国中の期待を裏切ってまでここにいる成果として、胸を張れるわけがない。
それに気になる噂もある。
ローズの婚約者が内定しているらしい、と。
ローズはその噂を聞いて、その日のうちに実家に手紙を出して問いただした。だが返事はまだこない。
ローズには心に決めた相手がいる。死をいとわない、熱く美しい心をもつ彼こそが、人生を共に歩むパートナーなのだ。
だからこそ、ローズは父に認めさせなければならない。
まずは己の剣で。
ローズは練習用の細剣を構え、思い浮かべる。
ぼんやりとした記憶を、鮮明に。自分が持つ剣をそれに近づけていく。
ブシン祭には出場できずとも、父に自分が磨いた剣を見せるため。願わくば認めてもらえるよう……
そうして剣を振ろうとして、ローズの胸に鋭い痛みが走った。
最近よく感じる痛みだが、少しずつ強く、そして頻度が多くなってきている。恐る恐る胸元を広げると、そこにはどす黒い痣があった。
「は、ははは……」
ローズは天を見上げ笑った。