戦う事しかできないのが、琉球エージェントなのです。
窓に光を灯した、オフィスビル。
船着き場に並んだ、無数の倉庫。
光と闇の狭間に佇む、東京湾沿いの埠頭。
宮原葵、桜井悠、比嘉理々庵は、植え込みの陰に身を隠していた。
もう、かなりの距離を走ってきていた。
鬼鎮神社は、目と鼻の先だ。
鬼祓いの秘技を使えば、人払いの結界で隠された入り口から、境内に入れるだろう。
植え込みの陰から顔を出し、道の向こうを伺った。
問題は、あいつだ。
――オ゛ロロン。オ゛ロロン。オ゛ロロロン……!
傷ついた絶鬼の影が、誰かを追いかけるように歩いていく。
しばらく行くと、ぴたりと止まり、元いた場所へ戻っていく。
また、気づいたように追いかけ、走っていく。
ぴたりと止まって、戻っていく。
「どうやら、効いてるみたいね」
「よかったあ……」
「私がダメージを与えただけはあるよ」
三人は、ほっと胸を撫で下ろす。
「お姉さんに頼るしかないと思ったよう。『封』の符は通じないし。『隠』も見破られちゃうし」
「『祓』までダメだった時は、どうしようと思ったわ。せっかく描けるようにしておいたのに」
三人の肩に貼られているのは、『祓』の符だ。
弱い鬼を近づけない効果を持つ。
以前、キーチが使っていたという話を聞いて、
古文書をひっくり返して練習しておいたものだった。
アジトの鬼避けとしては使えたものの、絶鬼の影には通じなかった。
そのため、理々庵がまず槍でダメージを与えて……。
――オ゛ロロン。オ゛ロロン。オ゛ロロロン……!
ぼそぼそ言い合う三人の向こうで、絶鬼の影がまた歩いていく。
……走っていく先には、誰もいないのだけれど。
「『幻』まで練習してたなんて、知らなかったよう」
鬼祓いの秘技、『幻』の符は、貼った相手に幻を見せる高等呪符だ。
「これもキーチ君が使ってたって聞いて。あたしだって、って練習しといたの」
「アオイはほんと、負けず嫌いなんだから……」
「ま、キーチ君ほど強力な幻は作れないけど。目晦ましくらいには、なってるみたいね」
「できればダメージを与える符も欲しかったがな」
理々庵は溜息をつく。
絶鬼の影は、何もない宙に幻を見て、追いかけ続けている。
心なしか、苛立っているようにみえる。
しかし、しばらく追いかけると、ぴたりと止まる。
元いたところへ、戻っていってしまう……。
「神社の入り口からは、離れてくれないね」
「祭壇にさえ近づけなければ、それでよし、って事でしょうね。
生まれる前から、性格の悪い鬼だわ」
「封印はできない。追い払う事もできない、か」
「ならば殺すしかないようだ」
「でもその前に、先に、こっちの問題を考えましょうか」
葵は言うと、肩から提げていたポシェットを探り、結界石を取り出した。
「あいつを何とかできたとしても、どのみち結界石が未完成じゃ意味がないもの」
「荒木先生、言ってたもんね。完成した結界石は、光を放つものだって」
試しに、結界石に呪符を巻きつけてみる……やはり、光らない。
「一体、どうしたらいいのかしら……」
葵は腕組みし、唸り声を上げる。
「ヒントは、『必要ナノハ、人ノ強キ心ナリ』か。さっぱり意味が分からないわね」
「君も分からないのか? 珍しいな」
「知識じゃないからね。人工知能が分からないのと同じよ」
「僕は、なんとな~く、分かる気がするけど」
「え、何? どういう意味?」
「そのまんま。きっと、人間が結界石を手にしてさ。なんかこう、わ~っ!!
て、強い想いみたいなものを示すと、光るんじゃないかと思うんだよね」
自信満々に、付け加える。
「ゲームだったら、きっとそうだよ」
「それは安直だろう」
「こういうのは案外、安直なもんだよ」
「そういうものか?」
「じゃあちょっと、試してみましょうか」
「何を?」
「示してみるのよ。その、強い想いみたいなもの」
「それって、どんな想い?」
「そんなの分からないわよ。悠が言ったんじゃない。ほら、試してみて」
葵が結界石を差し出した。
悠は受け取ると、握りしめる。
ちょっと考え、目を閉じ、唱え始めた。
「ゲームが……欲しいです……。
最新のゲーム機と……ゲーミングパソコンが……欲しいです……。
一日中ゲームで……遊びたいです……」
ぶつぶつ呟き、掌を開く。
不思議そうに、首を捻った。
「ピカリともしないよ」
葵が眉を顰める。
「……今、言ってたのが?」
「うん。僕なりの、“人ノ強キ心”」
「いや、ダメでしょ。今のってただの、願い事じゃない」
「七夕じゃあるまいし」
葵と理々庵がダメ出しする。
「願い事じゃダメなの?」
「ダメね。神社の参拝でも、よくある間違いなの。
神様には、お願いをするものじゃない。自分の決意を、宣言するものなのよ」
「なるほど、決意を宣言……。強き心っぽい。それっぽい」
「三人でやってみましょう」
「ああ」
頷くと、悠は結界石を乗せた左手を差し出した。
葵と理々庵が上に、右手を重ねる。
そのまま包み込むように、結界石を握り締めると、一心不乱に、唱え始めた。
「ゲームを、買います……! 最新のゲーム機と……! ゲーミングパソコンを買います……!」
「テストで100点……取ります……! 学年一位を……いえ、全国一位を取ります……!」
「戦いたい……戦いたい……!」
ぶつぶつ、決意を宣言してから、掌を開く。
「……光らないね」
「チカッともしないわね」
「示してるのにね。人ノ強キ心」
「……故障してるのか?」
三人はううんと首を捻った。
重ねた掌を、放そうとして。
……どちらからともなく、そのままにしておいた。
「幼稚園の頃は、よくこうやってたよね」
「大翔も一緒にね」
掌を重ねたまま、顔を見合わせる。
くすっと笑い、地面に足を伸ばして、夜空を見上げると、丸い月が見えている。
「……ねえ、アオイ」
のんびりした調子で、悠は呟いた。
「僕がいなくなっても、泣かないでね」
「それは、あたしのセリフよ」
葵はぶるりと首を振る。
「あたしがいなくなっても、ベソかかないでよね」
「ま、二人ともダメかもしれないけどね」
「そうねえ。大翔が泣くのは、見たかったけど」
言って、クスクスと笑い合う。
絶鬼の影とは理々庵が相手するので、その間に、二人で大鬼門封じを行う。
大鬼門封じだけは、成功させなければならない。
どんな犠牲を払っても。
……たとえ、自分たちが命を落とす事になったとしても。
「ねえ、アオイ」
ぼんやりと夜空を見上げながら、悠は口を開いた。
「僕、時々、思ってたんだけどさあ」
「何を?」
「小6の、運動会の日さあ。鬼ごっこに巻き込まれなかったら……今頃どうしてたかなあ?」
「ううん……。どうかしらねえ」
葵は唸った。
「あたしは多分、受験でもしてたと思うけど」
「僕はのんびり、ゲームしてたかなあ」
「普通に勉強して、平和に日々を過ごしてたんでしょうね」
「こんなに怖い思いは、しないで済んだのかなあ……」
「そうねえ……」
二人は顔を見合わせた。
げっそりと、肩を落とす。
「超能力を使う人達に出会ったりもしなかったろうしさ」
「性格の悪い鬼に、目をつけられる事もなかったろうしね」
「友達の弟が、鬼になろうとする事もなかったろうしさ」
「地獄への穴を封じるために、走り回る事もなかったでしょうし」
「あんな災厄みたいな鬼とやり合う事もなかったし」
「酷いもんだわ」
「ほんとだよ」
深い、深い溜息をついた。
「いつも、と~っても、怖かったよう~……!」
「女の子にこんな事、させんじゃないわよ~……!」
(……何だか、あの子狐とピンクのハリネズミを思い出すな。葵は恋する乙女ではないがな……)
理々庵は悠と葵を見て、心の中でそう思うのだった。
手を繋いで、喋っていると。
このままでは、明日にはもう自分達の住む街が――
いや、地上の全てがなくなってしまうかもしれないだなんて、ウソではないかと思えてくる。
悠は、がっくり肩を落とすと。
「……でもさあ、アオイ」
ニコッと笑って、こう続けた。
「僕、あの日、鬼ごっこに巻き込まれて……よかったなあって、思ってるんだ」
「……その心は?」
「あの日、鬼ごっこに巻きこまれなかったら……僕はずっと、臆病者のままだったと思う」
「悠、職員室に忍び込んだ時、牛鬼に見つかって超ビビってたしね」
「あれはアオイが、僕とヒロトに押しつけていかせるからじゃないか」
「そうでしたっけ?」
「一人だったら、僕は逃げちゃってたよ。
きっと、ずっとそうしてたと思うし、それ以外の道を一生知らないままだったと思う」
悠は呟いた。
「でも、みんなについていくうちに、僕はちょっぴりだけ……強くなったよ」
「そうね」
「いつもとっても怖かったけど、頑張ってきたよ。
知らない人と出会って、色んな想いを知ったよ。
のんびり過ごしていたら、知らなかった世界を知れた」
悠は呟く。
「……ヒロトとアオイに、ついてきてよかった」
「それを言うなら、あたしもね」
葵が片手で膝を抱えた。
「あの日、鬼ごっこに巻き込まれなかったら、あたしは、
ずっと勉強やテストの点数ばかり気にしてる、頭でっかちな子のままだったと思う」
「今だって気にしてるじゃないか」
「今はいいの。他に大事な事があるのは分かった上で、気にしてるから」
「そうだね」
「一人だったら、それしか知らなかった。
ずっと、狭い世界の事ばかり気にして、生きてったと思う。
でも、みんなが突っ走るから、頭でっかちなあたしでも走ってこられた。
広い世界を知れた。何より大事な、勉強ができた」
葵は呟く。
「……大翔と悠に、ついてきてよかった」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
「みんながいたから、頑張ってこれたよ」
「ここまで歩いてこられたわ」
「怖い思いもたくさんしたけど」
「楽しい事もたくさんあったよね」
「アオイ、ありがと」
「悠、ありがとう」
素直に話せた。
歳を重ねるうちに少しずつ、言えない言葉も、明かせない気持ちも、増えてきたけれど。
まるで、もっとずっと小さな頃、
お互いの手を握り締めて笑い合っていた幼稚園の頃のように、素直な想いが口から零れた。
二人は気づかない。
掌の中で、結界石が、うっすらと光を放ち始めた事に……。
「宮原っ! 桜井っ! それにオレンジ頭も! 無事かっっ!?」
声が響いた。
振り返ると、走ってくるのは……。
「荒木先生!」
「先生は、南久遠に行ったはずじゃ?」
悠、葵、理々庵は、きょとんとする。
「急遽、こっちに来る事になったんだっ!」
「それはお粗末だったな」
荒木先生は全力疾走で駆けてくると、悠と葵の肩をがっしと掴んだ。
「話は後だっ! もう、大丈夫だっっ! 俺が何とかしてみせるっっっ!」
「は、はあ」
きょとんとする三人を見やり、鼻息荒く頷きかける。
「お前達子供は、俺が守るっっっっ! 俺はお前らの――先生だからなっっっっ!」
「私はもう成人してるぞ」
ヤカンのように頬を上気させ、ゆっさゆっさと肩を揺さぶってくる。
(……先生、なんか、テンションがハイすぎない?)
(ううん。これは、覚えがあるなあ……。あの感じだよ……。ほら、運動会の時とかの……)
(ああ……。行事の時に先生が、やたら燃えてハイになっちゃうあの感じか……)
(うん……。流石にそこまで燃えなくてよくない? って生徒が引いちゃうあの感じだよ……)
(地上の危機と学校行事を、一緒にしないでほしいわね……)
ぼそぼそ言い合う二人の脇で、荒木先生は、ぐぐっ! と拳を掲げている。
「絶鬼の影は、あいつだなっっっ!? 先生に、任せろっっっっ!」
「いや、私がやる」
そう言って理々庵は大砲を創造し、続けて槍を創造する。
理々庵は幻相手に追いかけっこしている、絶鬼の影に向き直った。
「琉球エージェント、No.2……いざ、参る!」
戦いはあっさりと決着がついた。
琉球エージェントの一人である理々庵は、超能力を使って絶鬼の影を圧倒したのだ。
「あ、悠。でも、見て」
ようやく、葵は気づいた。
「結界石が……光ってる!」
「あ、ホントだ!」
悠がきょとんとする。
「え、なんで?」
「え、ひょっとして……」
ぽかんとして、二人、顔を見合わせる。
「今ので……光ったの……?」
「あれが……あれが、人ノ強キ心、だったの……!?」
とにかく、悠、葵、理々庵、荒木先生は、人払いの結界を解き、鬼鎮神社の境内へ入った。
境内にあるのは、朽ち果てた神社だ。
潜り戸の中に祭壇があり、古い結界石が砕けて散らばっている。
光を放つ結界石を、祭壇に祀った。
「これでよし。後は、みんなが揃うのを待つだけね」
「でも、荒木先生。北西の頂点は大丈夫なの?」
荒木先生は、元々、北西の頂点――南久遠の町へ行くはずだった。
青児の用意した乗り物の燃料が足りなかったため、
急遽、距離の近いこちらの手助けに来る事になったらしい。
「大丈夫だ。そっちは、助っ人を頼んできたからな」
「助っ人って?」
「あの、不思議な力を使って結城光哉を殺した奴らだ」
「そっか。……光哉君、あの人達に殺されちゃったもんね……」
三人は頷いた。
脳裏によぎるのは、ハロウィンの日。
原宿で会った光哉の事だ。
あの時の光哉の、虚ろな目。
親に邪険にされて、傷ついた顔。
「もう二度と、仲直り、できないよね……。紫鬼と」
南久遠での顛末は、大翔から掻い摘んで聞いていた。
光哉は、友達を捨てるよう迫る紫鬼に、反抗したという。
紫鬼はそれで、物凄く怒ったという。
しかし和解する間もなく、二人は琉球エージェントに殺されてしまったのだ。
「せめて、光哉君を殺した罪を、償ってもらわないと……」
「降伏しろ! オレ達はお前と戦う意志はない!」
「ギー! ギギィー!」
狼王は鬼に降伏勧告をするが、鬼達は降伏する意思など全くなかった。
何が何でも絶鬼を守るために寄せ集めされた連中であり、
とてもエージェントと戦えるような鬼ではなかった。
「ギギィー! ギギギギィー!」
「攻撃をすれば、降伏してくれるかもしれないわね……」
鬼達はあくまで、抵抗する気のようだ。
狼王は溜息をつき、仕方なく鬼の群れに仲間と共に挑むのだった。
琉球エージェントというのは、22人の強力な超能力者と、
78人の微弱な超能力者で構成された「正義」の組織だ。
だが正義といっても実際のところは「秩序」の組織であり、
秩序に反する者はたとえ子供であっても容赦なく命を奪う。
力に飲み込まれて鬼になった者は、同じエージェントが殺した。
人間を裏切って鬼に味方する者も、たとえ誰であれ殺した。
秩序のために、正義のために、彼らは多くの血を流してきた。
たとえそれが鬼由来の力であっても、彼らは躊躇わずに力を振るった。
日常に戻れなくなるリスクを抱えながら。
力を使っていくうちに、彼らは何のために戦ってきたのか、分からなくなっていった。
琉球エージェントは確かに超能力で鬼を討伐する組織である。
だが、地獄を治める法は存在しない――弱肉強食の無法地帯である。
一方、琉球エージェントは「正義と秩序」を名乗っているが所詮は一組織の独善に過ぎない。
彼らは天涯孤独で、魔から身を守る聖なる加護を持たない。
だから鬼から授かった超能力によって、同じ鬼を倒していく。
やっている事は、鬼と同じなのだ。
数々の鬼が超能力の前に倒れていく中で、織美亜は、鬼の死体を見やる。
エージェントに立ち向かった鬼達は、
強力な超能力が使えるエージェントの相手にはならなかった。
結界を張る場所に踏み入れようとするエージェントを止めるために、
エージェントの説得も虚しく鬼達は彼らの前に散っていったのだ。
「……ねえ、アタシ達は、何のために戦ってるの? 今、やってる事は……虐殺じゃない」
「ああ、一方的な戦いだ。これじゃあ、まるで……鬼みたいだな」
地面に転がっていた、結界石に触れる。
その瞬間、結界石が、光を放ち始めたのだ。
清らかな、紫の光を。
織美亜達は息を呑んで、その光を見つめた。
『必要ナノハ、人ノ強キ心ナリ』
「……皮肉なものね。鬼と同じ事をしてきたアタシ達の心が強いだなんて」
織美亜は結界石を拾いながら、そう言った。
街は赤天に閉ざされており、何10kmにも張り巡らされた大結界が、
何人たりとも中へ入る事も、外に出る事も阻んでいる。
倒壊した街のそこここで揺れる、小さな明かり。
今、絶鬼は、その灯火を見下ろしていた。
分厚い卵の殻の中から、これから自身が君臨する世界を確認していた。
そうして、感知していた。
五芒星の各頂点へ置いた護衛の影が、失われていく事を。
鬼ヶ原樹海、土御門美術館、鬼鎮神社、南久遠の町。
次々と消されていく。
人間達の手によって。
何たる不遜な行いであろうか。
人間が、この災厄の王に逆らうなどと。
直ちに報復の命令を下した。
――鬼達よ。街の人間達を、全員、殺せ。
「何だか、おかしいぞ!」
銀華と大翔は、桜ヶ島神社の境内を走っていた。
絵の具をぶちまけたような瘴気の中を、さっきから、進み続けている。
視界は最悪だが、瘴気の向こうには、うっすらと拝殿が見えている。
結界石を祀る祭壇が、あの中にあるはずだ――そこが、ゴールだ。
しかし、いくら走っても、辿り着かない。
鳥居から、こんなに離れているはずがないのに。
「これは、空間干渉です……!」
銀華は声を震わせた。
「絶鬼の仕業です! まさか、こんな事までできるなんて……!」
「どういう事なんだっ!?」
大翔が走りながら、問い返す。
「わたし達と拝殿の間の空間を、膨張させているんです!
わたし達が1m進むごとに、空間も1m延ばされている……。
そうすれば、わたし達は、永遠に辿り着けない事になる……。
宇宙の膨張を局所的に引き起こす……なんて力なの……!」
「なるほど、な……? よく、分かったぜ……」
青ざめて口にする銀華に、大翔は頷いて。
自信満々に、声を張り上げた。
「つまり、『エスカレーターを逆向きに走ってる』! ようなもんなんだな!?」
「え、エスカレーター……?」
銀華はぱちぱちと目を瞬く。
「あっ……! そう、かも、しれません!」
「なら、簡単だ! 俺、よくやるもんね! 向こうが1m延ばす間に、こっちは2m走ろうぜ!
そうすりゃ、辿り着く!」
「流石、大翔君です! 銀華には、思いつきませんでした……!」
銀華はぶんぶん、頷いた。
そうして、ぐっ、と親指を立てて笑いかけてくる少年を、眩しげに見つめた。
(やっぱり大翔君は、とてもステキな人……)
改めて、思う。
(わたしは、ずっとこんな人を、騙し続けてきたんだ……。
あの人が殺意を向けたのも、無理はなかった……)
少し前。
銀華は大翔に、ヒミツを打ち明けていた。
ずっと隠し続けてきた、特大のヒミツを。
もうこれ以上、皆を騙している事に、耐えられなくなってしまったから。
――わたしは地獄からやってきた――“銀鬼”です。
自分が、人間のふりをして中学校に入学した鬼だという事。
黒、白、赤、青、紫、黄の後から地上にやってきた、6匹目の色鬼だという事。
大翔達と知り合った後も、人間のふりをし続けてきた事。
ずっと皆を、騙し続けてきたという事。
結局その秘密もエージェントにバレてしまい、執拗に命を狙われた事。
洗いざらい打ち明けた銀華に、大翔は、きょとんとしていた。
何か言いかけた大翔に、銀華は頼んだ。
全部終わるまでは、何も言わないでください。
最後まで、大翔の力になりたいから。
(そんなの……ウソです……)
ただ、怖かった。
自分が鬼である事を知って――ずっと騙されていた事を知って、
大翔が、皆が、自分の事を、どう思うのか、怖かっただけ。
「あのさっ。銀華ちゃん……」
銀華が見つめていると、大翔は目を反らした。
ぼそりと、呟く。
「俺、やっぱり……」
その時、不気味な鳴き声が響き渡った。
――オ゛ロロン。オ゛ロロン。オ゛ロロロロロロロロロン!
口を開きかけていた大翔は、ハッとして振り向いた。
瘴気の向こうから、半透明に透けた人型が走ってくる。
「あれは――絶鬼の影です! 気をつけて!」
「分かったっ!」
大翔はポケットから『封』の符を取り出し、地面を蹴った。
一息に絶鬼の影の懐に飛びこみ、額に呪符を叩きつける。
「ダメです! 大翔君!」
呪符はたちまち干からび、ポロポロと崩れた。
ブルンと振るわれた触手を、大翔は転がって避ける。
「額に見えているツノは、
銀華は頭のツノに手をやって、目を閉じている。
「左肩です! いえ、脇腹へ……。とても速いです!」
「場所を実況して! 俺が狙う!」
『封』の符をもう1枚取り出して構える。
振り降ろされた触手を、大翔は右に飛び退いてかわした。
地面の上を一回転し、身を起こす。
「右の足先ですっ!」
大翔は飛びかかった。
右の足先目掛けて、呪符を突き出す。
絶鬼の影は、ぐにゃりと形を崩した。
呪符がからぶる。
横薙ぎに繰り出された触手を、大翔は屈んで避けた。
もう一度繰り出されると、体を反らして避ける。
「背中です!」
絶鬼の影が、くるり、と、向きを変えた。
銀華の方へ。
銀華は目を閉じ、集中していて気づかない。
大翔は、ひゅっと息を呑む。
絶鬼の影が、走り始めた。
大翔は追って、地面を蹴った。
後ろに振るわれた触手が胸をかすって、上着がボロボロと崩れた。
構わず、踏み込む。
(言わなきゃ――!)
胸の奥から、泉のように、気持ちが沸き上がってきていた。
(やっぱり、ちゃんと、伝えなきゃ――!)
一直線に踏み込む大翔に。
絶鬼の影が、全ての触手を同時に伸ばした。
「左胸です! 大翔君!」
触手の僅かな隙間を抜けて、大翔は絶鬼の影の懐へ飛び込む。
左胸目掛け、力いっぱい呪符を叩きつけた。
絶鬼の影は、動きを止めた。
ゆっくりと、石になっていく……。
銀華が、ほっと胸を撫で下ろしている。
「やりましたね、大翔君」
「銀華ちゃん!」
石化していく鬼の影なんて、もう気にもならなかった。
大翔は振り返り、声を張り上げた。
「やっぱり、返事、させてほしい!」
「…………」
「さっき、銀華ちゃんが、打ち明けてくれた事!
何も言わないでって、銀華ちゃんは言ったけど……返事、させてほしい!」
銀華は青ざめた。
口を開き、ぶるりと首を振り、頷いた。
「そう、ですね……。自分だけ打ち明けて、楽になろうだなんて、ムシがよすぎますね……」
体の横で、きつく、掌を握りしめる。
怖かった。
――鬼となんて一緒にいられるわけないだろ。
――ずっと騙してたなんて、最低だ。
――あいつらに命を狙われて、当然だ。
そう言われるかもしれないと思ったが、言わなければならない。
心臓の鼓動がドクドクと、自分の耳元で響くのを聞きながら、銀華は言った。
「大翔君の答え、言ってください……! お願いします……!」
「うん……!」
大翔は深呼吸するように、何度も息を吸い込んでいる。
銀華はぎゅっと目を閉じる。
「銀華ちゃん。俺も……」
「…………」
「お、俺も…………」
それきり、なかなか、続かない。
銀華は、ふと、顔を上げた。
恐る恐る、瞼を開く。
大翔の顔は……真っ赤になっていた。
「好きだよ……!」
「……え?」
銀華の瞳を正面から見つめて、体の横で、ぎゅううと拳を握り締めて、大翔は叫んだ。
「好きだよっ! 俺もっっ! 銀華ちゃんの事っっっ!」
中盤のシーンはゲーム「ユグドラ・ユニオン」のバルドーの丘を参考にしました。
帝国軍から祖国を奪還した王国軍が、今度は逆に帝国に侵攻して民兵を虐殺するという、
ゲーム的には楽なステージなのにこれでもかというほどプレイヤーの心を抉るステージです。
多くの鬼や裏切り者を殺してきたオリキャラにも、こういう迷いを入れたくて書きました。