「74式の戦力化!?」
1976年になり来年に77式激震の採用が内定しようと言う時期に巌谷に陸軍工廠の人間から相談があった
「はい。上層部は軍の戦術機運用を一気に推し進める気だそうで、ライセンス認可も下りていて数も調達しやすい74式を前線配備したいと…」
「
この年アメリカはT-38タロンを改修したF-5フリーダムファイターを開発し欧州への輸出に回し始めていた。
しかし、F-4導入の技術獲得やらなにやらのため篁祐唯を含めた多くの技術者は渡米していた。
「T-38がF-5に改修できたんですから74式だって…」
「その論法は戦術機開発舐めすぎだ。F-5が実戦機になっているのは機体を完全に理解した開発メーカーと設計者がいるからだ。そもそもの積み上げた期間が違う」
とはいえ軍上層部と政府がその気になってしまっている以上、従わなくてはならないのが軍人の悲しい実状だ。
そのような経緯で開発されたのが78式「隼」である。
開発期間がその後の帝国機開発に比べ極端に短くなっているが、これは本機がベースとなる機体のある改修機である事と、開発陣の技術不足が最大の要因と言われている。
ぶっちゃけて言ってしまうと弄れるだけのノウハウがなく、初期生産型など装甲を増やしただけだったと言われている。
技術陣の擁護のために述べるが、彼らが決して機械工学的に大きな遅れを取っていた訳ではない。ただ新概念兵器且つ、実戦での対BETA戦の戦闘経験無し、となるとそもそも何処を改修すべきかのデータも全く蓄積されていなかった。
案の定、この初期生産型隼を配備された評価試験部隊では大きな混乱が巻き起こった。
「テスター2よりCP 機体が重すぎる。加速の延びも最高速度も悪化している」
跳躍ユニットの主機出力が上がっていないことによる機動性能の低下は当然起こり
「CPよりテスター3 予定通過時刻を15秒超過。 機速を上げろ」
「テスター3よりCP 想定よりずっと重量バランスが悪い。これ以上機速を上げると機体姿勢が崩れる」
装甲追加の影響による機体バランスの悪化も発生した。
もちろん整備面での問題も起こり
「班長、コイツの膝関節もう耐久限界ですよ!」
「装甲増えた分のフレーム強度もっとほしいですよ!」
「肘や肩関節も磨耗が早すぎです。これだとまともに長刀振れませんよ」
特に関節系は顕著で、唯でさえ重量の増加で負担が増えた所に帝国の長刀運用がそれに拍車をかけていた。
その後の帝国機が軒並み関節を重点的に強化しているのはこの時の経験が大きい。
これらの問題はもちろん上層部に上げられてはいたのだが、正式採用を急ぐ形で78年に配備された。
そのためメーカーや工廠の技術陣は生産ロット毎の改良を強いられてしまった。
これがまた兵站としての問題が発生してしまった。
78式は最終的に大きく分けて、初期生産型・中前期型・中後期型・後期型・最終生産型の5ブロックになる。
本機の生産が82式瑞鶴の開発・生産により1982年に終了したため、5年間の間に多くの生産ロットを産み出すこととなり、先の問題を解決するためロット毎の構造変化がかなりあった。
また改良を早めるため各ロットの生産数も少なく、部隊には少なくとも3ロット分が混在していた。
だがロット毎の細かな微改良と言う名の変化が多く、整備班と兵站管理の人間は、同じ78式なのに個体毎に使える部品や整備方法を把握しなければならず発狂していた。
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「で、78式どうするんだ?77式の拡充でかなり戦術機の総数は確保できたろ」
巌谷は後に82式となる試験機の試験の合間にメーカーの技術者に世間話として声をかける。
「まぁ生産ラインの関係でこの試験機が採用されると78式のラインは閉まるのはほぼ確定ですからね。陸軍の皆さんはどうにか処分したがってますね」
「最初は数増やす為に作ったのに世知辛いな」
そこに別の技術者が寄って来た。
「自分78式の担当なんで噂を耳にしたんですが、海軍が名乗りをあげているららしいですよ。」
「海軍?なんでまた?」
「自前の戦術機部隊を持ちたいと構想が上がっているそうで…」
「
「さぁ?そこまではなんとも」
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当時海軍は
その時問題に上がったのは上陸後のA-6は制圧能力は随一だったが、跳躍ユニットに類するものがなく、機動力に難があった事だった。
よって、「『護衛機』のようなものが必要なのでは」と言う案が出ていたのだが、連携の問題もあり陸軍部隊より自前の部隊が必要との予想も出ており、そこまで現実的な案とは思われていなかった。
そこに出てきたのが、陸軍の78式早期部隊縮小の話題である。それどころか陸軍は処分したがっているとのこと。
海軍は思った。「これ、78式引き受ければ初期投資を最小限に自前の戦術機部隊を持てるのでは?」と。
もちろん人員教育など多くの予算が他でかかるのも事実だが、今なら陸軍も78式を早期退役させて『予算の無駄使い』等と議会や政府から叩かれるより、「装備の海軍への移転」の方が議会向けの言い訳が立つので比較的協力的だった。
これらの理由で多くの78式が海軍に移管され、海軍戦術機部隊が発足した。
これらの部隊は先に述べた磨耗やフレーム強度問題を最小限にするため、長刀を装備せず突撃砲四門装備の米軍式の『機動砲兵的運用』になっていった。
以降の海軍の戦術機運用がこのときの経験と敵前強襲上陸時の面制圧の為、陸軍や近衛軍と異なり『砲火力重視』の道へと進んで行く。