さて、日本帝国軍で78式を開発していた1970年代、戦術機の母国アメリカでも当然新型の開発を行っていた。
だが、この開発計画は初期段階から複雑な政治事情が絡んでいた。
この当時F-4の後継機開発は、陸軍と海軍でそれぞれの要求仕様でそれぞれの資金を用いて行っていた。
そこに待ったをかけたのは当時の国防長官のロバーツ・バクナマラだった。彼は陸軍海軍の次期主力戦術機開発計画の統合し一本化を命じた。
彼は元々産業方面の出身でBATE大戦が始まってから上がり続けている国防費をなんとか抑えようと動いていた。これは決してBATEを軽視していた訳ではなく、自身の経験から出来るだけ既存コストを抑えて兵站を強化することが目的だったと言われている。
しかし、これを命じられた陸海軍は混乱することとなる。
両軍の要求仕様としては航続距離の向上は一致しているものの、陸軍は大量運用の為の操縦難度の低下を求め、海軍は大型レーダーを搭載し艦載数の関係で一機毎の性能も陸軍以上の向上を求めていた。これらの要求を叶える為メーカーは機体の大型化を決定した。
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ゼネラルダイノミクスの設計室は重い空気に包まれていた。
「で、また再設計って突っぱねられたんですか?」
「重量過多だと。要求仕様が夢見すぎと言うか、盛り過ぎなんだよな…」
「これまでで三回、今回ので四回目ですよ。海軍が計画から降りようとしてるって噂はほんとですか?」
「営業部の交渉担当から聞いたが、海軍側はかなり離脱したがってるって話だ。ロバーツ長官がどうにか止めてるって」
「海軍のプライドもわかるけど、少しは譲歩してほしいもんだ。こっちだって好きで陸さんとの共同開発進めてる訳じゃないんだ」
実際、F-4の開発がマグダネルの主導とはいえNCSF-X計画と言う国家計画を元にしたものだったのに対し、今回から開発初期からメーカーに委ねられるものになっていた。
よって今回のコンペティションに開発プランを提出した各メーカーとも冒険はせず、得意な分野の性能を伸ばしつつ戦術機の開発経験を得ることを目的の一つにしていた。
それはコンペを勝ち取ったゼネラルダイナノクスも同様で、有り体に言えばF-4と比較して全ての性能が向上している訳では無かった。
提出計画としては得意な跳躍ユニットのエンジン周りの燃費向上による航続距離の延伸を軸に他の性能は据え置き、または微増程度の物だった。
だが、前述の長官の介入で勝ち取った後からの要望の追加が相次いだ。
新型レーダーと大型ミサイルの搭載、それに伴う重量増加と運動性低下、それを補う為に搭載せれた跳躍ユニットの後退角可変補助翼と当初の計画は完全に吹っ飛んでおり、出てきた性能低下を補う為に多くの新規要素を導入する
むしろこの状態で機体がしっかり仕上がっていることが開発陣営の有能さを証明していた。
しかし、開発陣営の不運はここでは終わら無かった。
1978年、パレオロゴス作戦の失敗である。
知っての通りこの作戦失敗の戦訓として第二世代戦術機は軽量化、装甲の削減と重要箇所への集中、トップヘビーでの運動性の向上など設計トレンドが抜本的に変化していった。
度重なる設計変更と開発遅延によりこの年に量産仕様の最終決定がずれ込んでいたF-111にとってこれは致命的だった。
既に自身でグラナンと開発計画が話し合われている等の不穏な噂のあった海軍は即時の納品受け取りの拒否を表明。
陸軍も受け取り拒否こそしないものの、導入機数の大幅見直しと海軍の要求仕様であった大型ミサイル等の専用機材のキャンセルを要求した。
勿論設計チームは発狂した。
土壇場での更なる設計変更でのオーバーワークは当然として、その仕事内容が今までの努力をぶち壊す物なのだから心情は察して余りある。
これにより結局この機体は多くの事を求められ、機体を大型化したにも関わらずそれらの多くを搭載せず量産される事となった。
同年1978年末に
米国内での評価としては1.5世代機としてはとてもまとまった物にはなっていた。
跳躍ユニットの後退角可変補助翼の整備性が悪いが
ただ如何せん配備開始の時点で戦術機の最新設計トレンドから外れる事になり、軍上層部からも「第二世代機までの繋ぎ」との評価が先行してしまう結果となる。
これによりF-4を置き換える物ではなく、配備数も当初想定を大きく下回る物になってしまった。
意外な事に、この機体を最も評価したのは唯一の国外運用国のオーストラリアであった。
1970年代のオーストラリアはBATE大戦での各種鉱物需要の急激な上昇を背景に経済的な発展を早めていた。
また、欧州やアジア向けのF-5の生産ラインの招致にも成功しており、当初は順当にF-5の運用配備を想定しており実際に配備もされていた。
しかし、ここでオーストラリアの広大な領土が問題となった。
大陸一つまるごと領内かつ、人口の多くがシドニー等の限られた都市部に集中しており各陸軍基地間の距離も離れていたのだ。
勿論当時のオーストラリアで内陸の砂漠地域にまで戦術機を配備運用する能力を持つ必要は無いにせよ、F-5の航続距離に不安感があったのも事実だった。
そこで候補に挙がった来たのがF-111だった。
まぁ米軍での配備機数の大幅削減を受け、メーカーのゼネラルダイナノクスが赤字回避のため必死に営業をかけたのが事実だが、豪軍は本機の航続距離を高く評価し制式配備した。
配備後に編成された「豪軍インド派遣義勇軍」にも装備され豪軍のBATE実戦に貢献した。
部隊では搭載された大型レーダーを用いた戦術偵察を主に行っていた。当時のBETA侵攻が欧州方面に偏っていた事もあり、多少の損害こそあれ、豪軍の想定を上回る期間活動した。
この戦果とオーストラリア自体がまだ前線になる可能性がさほど高くないとの判断から、国外派遣向けに偵察能力を強化したRF-111が製作された。
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また、開発元のゼネラルダイナノクスにも後日談がある。
「つまり今後は小型軽量機が求められるって事だな」
「F-111での失敗もある。機体は極力シンプルな方が良いだろうな」
「ですね。そうすればユニットコストは自ずと低く成ります。それなら今後の他国への売り込みでも有利になるでしょう」
「開発したけど配備されないでは笑えないからな」
この様な考えの元社内での研究開発を水面下で進めていた。ある種の恨みを感じられる程だった。
そしてこの機体は後に米軍の技術研究計画の一つである
後年の取材などで開発陣の人物の多くがこう述べていた。
「F-16はF-111の失敗と恨みの元に我々が鍛え上げた機体である」