吾輩は猫である、ただしゴジラが来たせいで飼い主に置いてかれて死にそうです   作:よよよーよ・だーだだ

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1、ゴジラが来たせいで飼い主に置いてかれて死にそうです

 わたしは猫である。名前はサリー。

 

 首には赤い首輪があり、小さな金色の鈴がついている。もちろんわたしが望んでつけたものではない、人間が「かわいい」と言って勝手につけたのだ。

 人間は本当に勝手である。自分の首に鈴をつけられたらどう思うのか、人間も一度試してみるべきだ。わたしの鈴はわたしが歩くたびに、ちりん、と鳴る。高い棚へ跳ぶ時も、寝返りを打つ時も、人間の足元を静かに横切ってやろうとする時も、ちりん、と鳴る。鬱陶しいことこの上ない。

 

 わたしの同居人であるさとみは、わたしのことを『自分の猫』だと思っている。

 人間というものは思い上がりが激しい。あの体の大きくて愚図な生き物は狩りもできず、高い棚にも登れず、暗闇ではすぐに足の小指をぶつけて奇妙な悲鳴をあげている。

 人間の爪は丸い。耳は鈍い。鼻などほとんど飾りである。そんな間の抜けた生き物がどうしてこのわたしを飼っているなどと思えるのか、まったく理解に苦しむ。

 そもそもここはわたしの家である。窓辺のいちばん日が当たる場所も、ソファの背のくぼみも、洗濯物の上のやわらかな巣も、夜になるとさとみが横たわって眠る大きなベッドも、すべてわたしのものである。さとみはそこに住まわせてやっている大きな生き物、わたしの同居人にすぎないのだ。

 

 

 朝のさとみは、たいてい壊れている。

 朝の暗いうちから鳴りだす小さな箱を何度も叩き、布団の中でうめき、外が明るくなってようやく起きたかと思えば部屋中をばたばたと歩き回る。湯気の立つ苦い水を飲み、白い皿に乗った焦げたパンをかじり、髪を結び、ほどき、また結ぶ。玄関まで行ってから「あ、スマホ」と言って戻ってくることも珍しくない。

 今日もさとみは少し壊れていた。

 さとみが大きな音を立てて引き出しを開け、床に鞄を放り出し、部屋の中を何度も行ったり来たりしていてもわたしは特に驚かなかった。

 

「……サリー!」

 

 朝のさとみはよくわたしの名前を呼ぶ。その多くは「そこどいて」か「コード噛まないで」か「お願いだから今吐かないで」の意味である。

 そういうときのわたしはいつも返事をしなかった。猫には、返事をする時としない時を選ぶ権利がある。特に今朝はダメだ。

 

「サリー、どこにいるの? 出ておいで。いい子だから……」

 

 さとみは押し入れから灰色の箱:キャリーを持ち出していた。

 あの箱をわたしはよく知っている。病院の匂いがする箱である。知らない犬の息、消毒液、さとみの緊張、そしてわたし自身の怒りが染みついている。あれに入れられると必ずろくなことがない。腹を触られたり、尻に鋭いものを刺されたり、知らない人間に「かわいいですねえ」などと言われたりする。

 さとみはキャリーの扉を開けた。

 

「サリー、お願い、出てきて……!」

 

 お願い、という言葉を使う時のさとみは信用ならない。

 わたしは身を低くしてベッドの下へ滑り込んだ。そこはわたしの砦である。人間の太い腕は奥まで届かない。掃除機という怪物だけがこの砦を脅かすが、今朝の敵は掃除機ではなく、灰色の箱だった。

 部屋の隅ではテレビがついていて、わたしはベッドの隙間から画面を見た。画面の中で、真ん中に映った人間が早口で何かをまくしたてている。

 

〈速報です。午前六時五十八分ごろ、東京湾沖の海上に、巨大生物が出現しました。生物は沖合の海中から浮上したのち、高波と激しい地鳴りを伴って海岸線を越え、現在、沿岸部から市街地へと侵入を続けています……〉

 

 画面の下の方を赤い帯が走り、同じ映像が何度も映った。海。煙。逃げる車。倒れる建物。

 

〈政府はこの巨大生物について分析を進めており、Gフォースが現地へ出撃したとの情報が入っています。現在、湾岸防衛線付近ではGフォースによる迎撃準備が進められていますが、周辺地域の安全は確保されていません。周辺地域にお住まいの方はただちに避難してください……〉

 

 そしてテレビの中では、灰色の空の下で山のように大きな影が街を闊歩していた。

 ……大きすぎるものには興味がわかない。わたしたち猫にとって獲物というのは前足で押さえられる大きさでなければならず、画面の中で動く山のような影はその条件を大きく外れている。ベッドの下でわたしはあくびをして、前足の毛づくろいに戻った。

 

「サリー、出てきて。お願い。早く」

 

 ベッドの下のわたしに気づいたのか、さとみの膝が床についた。手が伸びてきて、指先がわたしのひげの少し手前で止まった。

 わたしはさらに奥へ下がった。

 外で長い音が鳴った。

 それは時々町に響く救急車の声に似ていたが、もっと多く、もっと遠く、もっと焦っていた。テレビの人間がさらに早口になった。さとみの黒い板が耳障りなアラートを鳴らしながら震え続けている。

 玄関の外から誰かの声がした。

 

「さとみさん、早く!」

 

 さとみの手が止まった。

 わたしは暗がりの中で、その指を見ていた。いつもわたしの背を撫でる指。袋を開ける指。夜、わたしの頭をそっと触ってから眠る指。今日はその指の先が少しだけ震えていた。

 

「サリー……」

 

 さとみはもう一度、わたしを呼んだ。

 わたしは動かなかった。だってキャリーは嫌いだ。

 

 さとみはしばらく床に伏せていたが、やがて立ち上がる音がした。台所の戸棚が開く。袋の破れる音。皿に粒が落ちる音。ひとつ、ふたつ、みっつ。水の匂い。プラスチックの器が床に置かれる音。トイレの砂を足す音。いつもより多いような気がして、わたしは少しだけ悪くない朝だと思った。

 さとみが言った。

 

「……ごめんね」

 

 人間はよく、ごめんねと言う。足を踏んだ時。しっぽに触った時。帰りが遅くなった時。わたしを抱き上げようとして逃げられた時。

 玄関の方で、鍵の鳴る音がした。

 

「すぐ戻るからね」

 

 扉が開いて、外の匂いが一瞬だけ部屋に流れ込んできた。わたしは鼻をひくつかせる。

 ……変な匂いだ、と思った。焦げた匂い。雨の前の土の匂い。知らない人間たちの汗の匂い。それから、遠くで何か巨大なものが泥を踏みつけたような、湿った重い匂い。窓を開けた時とは違う匂いだった。

 

 扉が閉まり、さとみの足音が外の廊下を走っていって、途中で一度止まった気がした。戻ってくるのかと思ったが、足音はまた遠ざかり階段の方へ消えた。

 部屋は静かになり、テレビだけが喋っていた。画面の中で、山のような影がビルの向こうに首をもたげている。

 わたしが首を動かすと、鈴が小さく鳴った。ちりん。いつもならその音を聞いてさとみがこちらを見るが、今は誰も見なかった。

 

〈繰り返します。巨大生物はすでに市街地に侵入しています。生物が上陸した沿岸部および海岸には絶対に近づかず、警察、消防、自治体職員の指示に従い、指定された避難所、または高台へ避難してください。窓から様子を見たり、撮影のために屋外へ出たりしないでください。ただちに、ただちに避難を開始してください……〉

 

 わたしはしばらくベッドの下にいたが、やがて安全だと判断して外に出た。キャリーは開いたまま床に置かれていて、わたしはそれを遠巻きに避けて台所へ向かった。

 台所の床に置かれたわたしの皿には、いつもの三倍ほどのキャットフードが盛られている。

 

 ……人間にしては気が利いている。

 わたしはそう思いながら、かり、と一粒を噛んだ。




続きます。
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