吾輩は猫である、ただしゴジラが来たせいで飼い主に置いてかれて死にそうです 作:よよよーよ・だーだだ
わたしは海から来たでかいものを見た。
濡れた黒い体。岩の牙のような背中の棘。太い足。地面を押さえつけるような重さ。海の水を体中から落としながら、そいつは焼けたショッピングモールと灰色の街のあいだに立っていた。
ソーセキはあれを『ゴジラ』だという。
ゴジラという名前は前にも聞いたことがある。外に出たばかりのわたしにジャックが教えた名前だ。街を壊し、人間を逃がし、犬を狂わせ、わたしの家からさとみを消したものの名前である。
だが、わたしがゴジラだと思っていたものは、いま焼けたショッピングモールの瓦礫の上で怒り狂っている。濡れた鱗と細い体と長い牙を持ち、卵と子供を地下に隠していた、あのでかい爬虫類である。
わたしは、海から来た方を前足で指した。正確には指をさそうとしたが、猫の指は人間のように一本だけ伸ばすのに向いていないのでそちらへ少し体を向けた。
わたしはジャックに訊ねた。
「海から来たあいつはなんだ」
「ゴジラだ」
と、ジャックは言う。わたしは続けて訊ねた。
「では、あの爬虫類のでかいのはなんだ」
「ゴジラだ」
海から来た奴も、爬虫類のでかいのも、ジャックはどちらもゴジラだという。わたしはジャックを見た。
「ゴジラというものは、二匹いるのか」
「いるんだろ」
わたしは二つのでかいものを見比べた。
爬虫類のでかいのは、細い。長い。濡れていて、すばしこく、怒っている。焼けたショッピングモールの残骸の上で、首を低くし、尾を揺らし、牙を剥いている。あれは大きすぎるトカゲであり、大きすぎる犬であり、大きすぎる飢えた獣だった。
海から来た方は違う。太い。重い。濡れているのに、濡れているというより岩が海から上がってきたようだった。急いでいない。焦っていない。怒っているのかどうかもわからない。ただ立っている。立っているだけで、空気の方が少し低くなるような風格がある。
これらを同じ名前で呼ぶのは、少々雑なのではなかろうか。
「見た目が全然違うぞ」
「でかいだろ」
「でかければ同じなのか」
「だいたい同じだ」
いくらなんでも雑すぎる。
猫は本来、分類に厳しい生き物だ。食べられるものと食べられないもの。寝てもよい場所と寝るべきではない場所。さとみの膝に乗る気分の日と、乗る気分ではないがさとみの膝を使われるのは腹が立つ日。そういう違いを、猫は正確に見分ける。
それなのに、ジャックはでかいものを全部ゴジラにしてしまうらしい。犬と猫をまとめて「毛のある獣」と呼ぶくらい乱暴な分類である。
「違うよ」
横からソーセキが言った。
「あとから現れたのが、本物のゴジラだ」
「海から来たのが本物のゴジラか。じゃあ、あっちの爬虫類のでかいのは偽物のゴジラなのか」
わたしが瓦礫の上の爬虫類のでかいのを見やると、ソーセキは少し考えてからこう答えた。
「偽物というより、別のものだね。人間は、あれをZILLAと呼ぶ」
「じら」
「ZILLA」
「じら」
「ズィラ、かな」
「言いにくい」
「人間のつける名前は、だいたい猫の口に合わないよ」
それには同意した。
さとみという名はまだよい。柔らかいし、呼ぼうと思えば呼べる。呼ばないだけである。だが、じらだの、じーふぉーすだの、しょっぴんぐもーるだの、人間は口の中で転がしにくい名前をつけすぎる。
ジャックが鼻を鳴らした。
「どっちだっていい」
「よくないよ。名前を間違えると、物語の筋が変わってしまう」
「筋なんざどうでもいい。でかいのが二ついる。それで十分だ」
「なるほど、君にとってでかいのは皆ゴジラ、というわけだね」
「そうだ」
ジャックは胸を張った。誇るようなことではない。
ZILLAとゴジラ。名前を聞いても二体が似てくるわけではなかった。
ZILLAは細く長い。低く、すばしこく、怒りをそのまま鱗にしたような姿だった。焼けたショッピングモールの瓦礫の上で、首を低くし、尾を揺らし、牙を剥いている。子を失った匂いが、煙と火に混じってこちらまで届いていた。
ゴジラは違った。ゴジラは太く大きい。海から来たゴジラは、瓦礫の上のZILLAをじっと見ていた。走らない。焦らない。怒鳴り散らさない。ただ、ゆったりと地面を揺らしながら歩いている。背中の大きな棘から水が流れ落ち、太い尾がゆっくり地面をなぞる。その一つ一つの動きで、街の方が身じろぎする。
同じでかいものでも、ずいぶん違う。
先に声を出したのはZILLAだった。
焼けたショッピングモールの上でZILLAは首を伸ばし、口を開けて咆哮を上げた。細長い牙の奥から、濡れた、裂けるような叫びが轟く。
ZILLAの咆哮に、ゴジラが応えるように叫ぶ。ZILLAの声が裂けるような声なら、ゴジラの声は地面の底から出てくるような声だ。海の水も、焼けたショッピングモールも、割れた道路も、鉄の亀の残骸も、その声を聞くために一瞬だけ黙ったように見えた。
二つの声が焼けたショッピングモールと灰色の海の間でぶつかる中、ジャックがぼやいた。
「猫の出る幕じゃねえな」
たいへん珍しいことに、わたしも心の底から同意した。
ゴジラとZILLAの戦いは、ショッピングモールだけでは足りなかった。
考えてみれば当然である。猫ですら、喧嘩をすれば廊下から台所へ、台所から洗面所へ、洗面所からさとみの大事な服の上へと場所を移す。ましてや、あの大きさである。あれほどでかいものが二つもいて、行儀よくひとつの建物の前だけで喧嘩をするはずがない。
ZILLAが横へ跳んだ。
焼けたショッピングモールの壁を後ろ足で蹴り、道路へ飛び出し、低い鉄の亀の残骸を踏み越える。ゴジラはそれを追うように、一歩を踏み出した。
ただ一歩で、道路が割れた。人間が何年もかけて作ったらしい固い道が、猫の爪とぎより簡単に裂けてゆく。人間の作るものは大きいわりに脆い。
ZILLAは素早い。細長い体を低くし、壊れた車の列を蛇のように抜け、横からゴジラの喉元へ飛びかかる。ゴジラはそれを太い前足で受け止めた。あれを前足と呼んでよいのかは知らない。少なくとも、猫の前足ほど上品ではない。
二つのでかいものがぶつかった瞬間、空気が押しつぶされた。
階段の下にいた猫たちは、みな腹を地面につけた。三毛は子猫を押さえ込み、カストルとポルクスは同じ形で縮こまった。どちらがカストルでどちらがポルクスなのか、こうなるといよいよどうでもいい。恐怖は二匹をよく似せる。
わたしも伏せた。これは隠れているのではない。観察である。高貴な猫は、必要に応じて低い姿勢から世界を見てやることもある。
ソーセキが言った。
「これは怪獣同士の戦いだね」
そう語る様子は不謹慎にもどこか嬉しそうである。
「見ればわかる」
「いい場面だ」
「どこがだ。ひとつ間違えばこちらまで潰されるぞ」
「だから、いい場面なんだよ。大スペクタクルだ」
「作家というのは本当にろくでもないな」
ZILLAの尾が、近くの建物を払った。
建物の窓が一斉に割れ、白い破片が雨のように降る。ゴジラが踏み込む。ZILLAが身をひねってかわす。かわされたゴジラの足が道路脇の店を踏み潰す。看板が折れ、火が上がり、どこかで人間の警報が鳴った。
その時、ゴジラの尾の先が光った。
最初、わたしはそれを火だと思った。だが、火とは違う。火なら燃える匂いが先に来る。これは匂いより先に、目に来た。青白い光が、太い尾の先でぼうっと灯ったのだ。
光はそこで終わらなかった。
光は、尾の先から背中へ移った。岩の牙のような背中の棘が、ひとつ、またひとつと光っていく。海の底で眠っていた星を、誰かが順番に叩き起こしているようだった。低い音がした。耳ではなく、腹で聞く音だ。地面が嫌な予感を先に知って震えている。
「なんだ、あれは」
わたしがつぶやくと、ソーセキが息を呑んだ。
「まずいね」
「まずい、ではわからん。もっと役に立つ言葉を使え」
「あれはたぶん、熱線だ」
「熱い線?」
「人間は、放射熱線と呼ぶ」
「人間はまた言いにくい名前をつけたな」
だが、名前が言いにくいことと、それが危険でないことは別である。
光は背中を這い上がり、首へ、頭へと届いていく。ゴジラの口の奥が、同じ色に光った。ZILLAが一瞬、動きを止めたように見えた。
次の瞬間、ゴジラが口を開き、世界が白く裂けた。
声ではない。火でもない。雷とも違う。青白い光の柱が、ゴジラの口からまっすぐ吐き出された。空気が焼け、雨上がりの湿った匂いが一瞬で消え、代わりに石と鉄と何か焦げたものの匂いが押し寄せる。
ZILLAは跳んだ。
さっきまでいた場所を、青白い熱い線がなぎ払った。道路が溶け、鉄の亀の残骸が赤くなり、倒れていた信号機が飴のように曲がる。建物の壁が音もなくえぐれ、そのあと遅れて、ばらばらと崩れた。
わたしのひげが熱でちり、と鳴った気がした。
ZILLAは瓦礫の上に着地したが、さっきまでの勢いはなかった。尾を低くし、首を引き、ゴジラを睨んでいる。怒っている。だが、その怒りの奥に、別の匂いが混じった。
焦りだ。
ZILLAは初めて後ろ、海の方を見た。
ゴジラの背中の棘は、まだかすかに光っていた。もう一度あの熱い線が来るかもしれない。ZILLAにもそれがわかったのだろう。細長い体を低くし、爪で道路を掻いた。
ジャックが言った。
「逃げる気だ」
「逃げる?」
わたしはZILLAを見た。
さっきまで街を踏みにじり、ショッピングモールを壊し、人間も猫もまとめて足元のものにしていた爬虫類のでかいのが、逃げようとしている。あんなでかいものにも、逃げるという考えはあるらしい。
ZILLAはゴジラへ向かってもう一度吠えた。だがそれは噛みつく前の声ではなく、距離を作るための声だった。怒りを投げつけ、その間に自分だけ後ろへ下がる声だ。
次の瞬間、ZILLAは壊れた車の列を踏み越え、海の方へ走り出した。ゴジラはゆっくりと、その後を追う。
二匹の戦いはショッピングモールの前から大きな道路へ移り、さらに海の方へずれていった。
ZILLAは逃げているようにも見えたし、誘っているようにも見えた。細い体で左右へ動き、ゴジラの重い一撃をかわしながら、時々牙を立てる。ゴジラは急がなかった。急がないのに、少しずつ距離を詰めていく。
速いものと、重いもの。どちらも猫の近くに来てほしくない。
「海へ向かっている」
ソーセキが言った。
「海とは、飲めない大きな水だな」
「そう」
「なぜそんな役に立たない方へ行く」
「ZILLAは、海へ逃げようとしているのかもしれない」
ジャックが鼻を鳴らした。
「逃げられりゃな」
ZILLAが吠えた。
それは、さっきよりも高い声だった。怒りだけではない。焦りの匂いが混じっている。ゴジラが低く吠え返す。その声で、遠くの海面まで震えたように見えた。
ZILLAは防潮堤の方へ走った。海とのあいだにある、長いコンクリートの壁である。人間は水にまで壁を作るらしい。水がそれで遠慮すると思っているのなら、たいへん人間らしい思い上がった考えである。
ZILLAはその壁の上へ足をかけた。
ゴジラが追いついた。
二つの巨体がぶつかり、防潮堤が鳴った。
ごん、という音ではない。ばき、でもない。もっと低くてもっと嫌な、骨が地面の奥で折れるような音だ。
ZILLAがゴジラの肩に噛みついた。ゴジラがZILLAの首を押さえる。ZILLAの尾が海を叩き、水が白く跳ねた。
次の瞬間、二つのでかいものは、もつれたまま海へ落ちた。
海が跳ね上がった。いや、跳ね上がったなどという可愛いものではない。水そのものが怒ったかのようだった。灰色の海が白く砕け、壁を越え、港の鉄の塔を飲み、道路へ向かって広がってくる。
わたしは耳を立てた。
音が違う。雨でもないし、川でもない。水飲み皿をひっくり返した音でもない。もっと大きく、もっと低く、たくさんのものを押し流す音である。
海が、こちらへやってくる。
「まずい」
ジャックが言った。
その言葉を聞く前に、わたしもわかっていた。鼻に塩の匂いが濃く刺さる。足元の水たまりが、こちらではない方へ震えた。階段下の埃が湿った風で舞い上がる。
歩道橋の階段下は、もう安全ではない。
上には道がある。人間がわざわざ道路の上を渡るために作った、回りくどい道。
回りくどいが、高さがある。今だけは、その回りくどさを評価してやってもいい。
「上だ」
わたしは言った。
カストルとポルクスが、同時にわたしを見た。
「上?」
「ここではない。階段を上がれ」
「でも、モモコが……」
「モモコはもういない!」
自分で言って胸の奥が少し冷えたが、言わなければならなかった。
「ここで待っても誰も許しを出さない。餌の順番もないし、寝床の順番もない。今あるのは、水が来るということだけだ。とにかく上に上がれ。子猫や年寄りを先にしろ、足の悪い猫は手伝え。カストルとポルクス、おまえたちは左右を見ろ。犬が来たら鳴け。爬虫類が来たらもっと鳴け。作家、おまえは変なことを言うな。道だけ言え」
なぜ、わたしがこんなことを指図しているのだろう。わたしはモモコではない。高いところへ行けと言っているわたしの声が少しだけモモコに似て聞こえて、わたしは自分の喉が気に入らなかった。わたしは高いところから命令するために生まれた猫ではないはずだ。
だが、水は待ってくれない。海は、猫が自分の立場を確認しているあいだにやってくる。
「聞こえなかったのか!」
わたしは牙を見せた。
「上がれと言っている!」
最初に動いたのは、三毛だった。子猫の首の後ろをくわえ、階段へ走る。次に首輪跡のある灰色の猫が続いた。年寄りの猫が震える足で上がる。ソーセキがその横に並び、珍しく役に立つ声を出した。
「右側は崩れている。左から上がるんだ。子猫を落とさないで。物語の途中で落ちるには、まだ早い」
「最後が余計だ!」
「努力しているさ」
カストルとポルクスはまだ固まっていたので、わたしは二匹を睨んだ。
「おまえたち」
二匹が同時にびくりとした。
「モモコの名前を呼ぶ暇があるなら、他の猫を手伝え」
「だ、だが……」
「だが、ではない。押せ。落ちそうな猫がいたら噛んででも上げろ。鈴を咎めるより簡単だろう」
カストルとポルクスは顔を見合わせ、ようやく動いた。
黒い二匹は、濡れた猫を左右から押し、階段へ追い立てた。片方が「こっちだ」と叫び、もう片方が「急げ」と叫んだ。声はまだ震えていたが、ちゃんと前へ向いていた。
悪くない。とても腹立たしいことに、少しだけそう思った。
「サリー!」
ジャックが叫んだ。
水が見えた。道路の向こうから、白く泡立つ水が押し寄せてくる。壊れた車を浮かせ、看板を転がし、鉄の亀の残骸を揺らしながら、こちらへ来る。
海とは、どうやらたいへん無遠慮な水であるらしい。
「行くぞ!」
「わかっている!」
わたしは最後に階段へ跳んだ。肉球が滑る。足が痛い。鈴が鳴る。ちりん。ちりん。少しだけ気がまぎれて、今度ばかりはその音が少し役に立ったように思った。
前を走る猫たちが振り返る。わたしがまだ下にいるとわかる。ジャックが一段上からこちらを見た。
「遅えぞ、鈴つき!」
「鈴つきと呼ぶな!」
言い返しながら、わたしは跳んだ。
その直後、水が階段の下へ流れ込んだ。さっきまでわたしたちがいた暗い隙間が、濁った水の流れに飲まれる。古い靴の匂いも、油の匂いも、埃も、全部一緒に押し流される。
猫たちは歩道橋の上へ上がった。高い道の上で、みな腹をつけ、息を荒くしていた。三毛は子猫を離さず、カストルとポルクスは濡れた黒い毛を逆立て、ソーセキは倒れ込むように座った。
「……生きているな」
ジャックが言ったので、わたしは答えた。
「見ればわかる」
海へ落ちたゴジラとZILLAの姿は、もうよく見えない。灰色の水と煙と火の向こうで、何か巨大なものがまだ動いている気配だけがあった。
やがて咆哮が聞こえた。
「――――――――――――ッ……!」
ZILLAかもしれない。ゴジラかもしれない。二つが混ざった声かもしれない。どちらの声なのか、わたしにはわからない。
ソーセキが何か言いかけた。
「あれはきっと……」
「説明しなくていい」
わたしから制止されて、ソーセキは口を閉じた。猫にとって大事なのはどちらが勝ったかではない。でかい奴らの足元から逃れて、踏み潰されないことだ。
わたしたちは生き延びた。今はそれだけで十分だった。
好きなキャラクター
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サリー
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ジャック
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モモコ
-
ソーセキ
-
カストルとポルクス
-
さとみ
-
Gフォース隊員