吾輩は猫である、ただしゴジラが来たせいで飼い主に置いてかれて死にそうです 作:よよよーよ・だーだだ
見張りという仕事は、とても不愉快な仕事である。
なぜなら、見張りとは眠ってはいけないからである。猫に眠るなと言う。これはもう、猫に猫であるなと言っているのに等しい。
しかも、わたしたちに与えられた場所は、ショッピングモールの入口であった。
入口、つまり、外に近いところである。雨に近く、風に近く、犬に近く、人間に近く、ついでにあのでかいゴジラとかいう化け物にも近い。要するに、ろくでもないものすべてに近い場所であった。
自動扉は半分開いたまま止まっている。人間の道具らしく、肝心な時に中途半端な働きしかしない。外からは濡れた風が入り、灰色の水が床を細く這っていた。人間の足跡、泥、折れた傘、踏まれてつぶれた紙の箱。遠くでは、まだ何かが崩れる音がしている。
その入口の横、倒れた広告板の陰に、わたしとジャックとソーセキは並ばされていた。
並ばされていた、というのがすでに気に入らない。本来、猫は並ぶ生き物ではない。並ぶのは人間である。人間は列を作るのが好きだ。電車に乗るにも、餌を買うにも、箱から金を吐かせるにも並ぶ。よほど暇なのだろう。
だが今、わたしは並んでいた。しかも、ソーセキの隣に。
ソーセキは床に腹をつけ、前足をゆるく伸ばし、半分だけ目を閉じていた。見張りというより、見張られるべき側の態度である。
「おい、作家」
わたしは言った。
「寝るな」
「寝ていない」
「目が閉じている」
「自らの内側を見ている」
「外を見ろ。見張りだぞ」
「外ばかり見ていると、内側の物語を見失う」
わたしはジャックを見た。
「こいつを噛んでもよいか」
「やめとけ。噛んでも味はしなさそうだ」
そう答えながら、ジャックは入口の外を見ていた。尻尾は低く、耳は風の音に合わせて動いている。彼は本当に見張りをしているらしい。たいへん珍しく、他の猫の言うことを素直に聞いている。
一方のソーセキは、また目を閉じかけていた。わたしは訊ねた。
「おまえはどうして一番下なのだ」
「作家だからさ」
ソーセキが当然のように答えるので、わたしはさらに追及した。
「作家がそんなに偉大なら、もっと高い場所にいるものではないのか」
「高い場所にいる作家もいる。だが低い場所からしか見えない物語もある」
「つまり、役に立たないから落とされたのではないか」
「普通の猫にはそう見えるだろうね」
実に腹立たしい言い方である。
わたしは入口の外へ目を向けた。雨は細くなっていたが、空はまだ重い。遠くの道路には、ひっくり返った鉄の箱がいくつも並んでいる。人間の乗る箱、つまりは自動車である。あれほど大きくて重いものを使わなければ移動もできないのだから、人間はやはり不便な生き物だ。
その不便な生き物たちが消えたあと、ショッピングモールというこの巨大な巣箱には猫ばかりが残った。
ふと疑問に思った。
「ここは、一体何なのだ」
わたしの問いに、ソーセキが片目だけを開けた。
「ここ、とは」
「このショッピングモール、いや、この猫どもの集まりだ。餌を食うのに許しが要る。寝る場所に順番がある。猫が猫を裁く。モモコが高いところで毛づくろいをしている。カストルとポルクスは偉くもないのに自分が偉いような顔をしている。おまえは何もしていないのに作家を名乗っている」
「最後のは関係あるかな」
「大いにある」
ソーセキは、少しだけ体を起こした。雨の匂いを吸い、それから、どこか遠くを見るような顔をした。
「なるほど、物語の始まりを知りたいわけだね」
「物語ではない。事情だ」
「事情というのは、物語から脂を抜いたものだよ」
「いいからとにかく説明しろ」
ソーセキは、ふふ、と微笑んだ。たいへん気に入らない笑い方だった。
「……最初はね、ここはモモコの王国ではなかった」
ソーセキは言った。
「ただの空っぽの人間の巣だった。人間たちは突然いなくなった。走って、叫んで、荷物を落として、扉を開けたまま逃げていった」
それはわたしにもわかる。さとみもそうだった。あのときさとみは急いでわたしをキャリーに入れようとしたが、入れられずに餌と水を置いて行った。人間は逃げるとき、持ち切れなかった物を残してゆく。
ソーセキは続けた。
「最初に入ってきた猫たちは、さぞや驚いたろうね。餌の袋が山ほどあり、缶詰めもあって水もあった。毛布もベッドも、砂も、爪とぎもあった。犬用の大きな寝床まであった。あれは猫には少し大きすぎるが、まあ、悪くない」
「それはわかる。ここは最初、わたしの新しい家にふさわしいと思った」
「みんな、そう思ったのさ」
ソーセキは言った。
「最初は、食べ放題だった。強い猫も、弱い猫も、古い猫も、新しい猫も、みんなでこぞって袋を破って食べた。吐くまで食べたやつもいた。寝たいところで寝た。毛布の山に埋まった猫もいた。ペットベッドを三つ占領した猫もいた。あのころは、みんな自分が王だと思っていた」
「愚かな猫どもだ」
わたしがつぶやくと、隣でジャックが小さく鼻を鳴らした。
「おまえも店に入ってすぐそうなってただろ」
「わたしの場合は正当な資質があった」
「餌の袋に顔突っ込んでたやつが言うことかよ」
「黙れ」
ソーセキは、わたしたちを見て少し嬉しそうにした。
「いいね。対話は物語を進める」
「物語を進めなくていいから続きを言え」
「そうだね」
ソーセキの声が少しだけ低くなった。
「しかし、食べ放題は長く続かなかった。袋は減る。床にこぼれた餌は湿る。水は濁るし、食べ散らかした匂いに虫が寄る。外から犬やカラスも来る。強い猫が餌場の近くに陣取れば、弱い猫は近づけない。子猫は押しのけられて、年寄りは階段を上がれない。怪我をした猫は、寝床を奪われる」
「………。」
わたしは黙った。
家の皿を思い出した。最初はたくさんあった餌が、少しずつ減っていく。さらに埃の浮いた水。開かない冷蔵庫。餌は、勝手には増えない。
「それでも、猫たちは食べた。争ってひっかきあい、逃げても結局戻ってきた。ここは外より安全だったからね。外には雨と犬と飢え、そして空より大きな足音があった」
ソーセキは入口の向こうを見た。
遠くで、低い音がした。雷か、ジャックのいうゴジラか、わたしにはわからない。どちらにしても猫には不愉快な音である。
「そのころ、モモコが来た」
「最初からあんなふうだったのか」
「いや」
ソーセキは首を振った。
「彼女は最初、汚れるのをとても嫌がった。濡れた床を歩かない。缶詰のふたを開けられないことに怒る。袋を破るのも下手だった。ずっと毛づくろいばかりしていたよ。彼女はたぶん人間の膝と、柔らかい布と、きれいな皿でできた世界から来たんだろう」
「わたしと同じか」
そう言ってから、わたしは少しだけ嫌な気持ちになった。
そんなわたしをソーセキは否定しなかった。
「そうだね。君と似ている」
「似ていない」
「そう言って強情を張るところも含めて似ているよ」
わたしはソーセキをにらんだが、ソーセキは平然としていた。作家というものは、にらまれても餌が減らないと思っているのかもしれない。
ソーセキは続けた。
「モモコは混沌が嫌いだった。汚れることも嫌いだった。飢えることも嫌いだったし、自分の毛布を奪われることも嫌いだった。けれど、ただ怒っているだけでは何も変わらないと気づいた。そこで、ある日こう提案したんだ」
「何を」
「順番を決めよう、と」
ソーセキの声が、モモコの真似のように少し静かになった。
「袋は一日にこれだけ、水場は汚さない、子猫と怪我猫を先にする。入口に見張りを置いて、犬が来たら知らせる。寝床は争わない。餌場で喧嘩をした猫は次の食事を最後にする」
「ずいぶん偉そうだ」
「でも、その時は必要だった」
ソーセキは言った。
「実際それで助かった猫もいた。子猫が餌をもらえたし、年寄りが柔らかい場所で眠れた。犬が入ってきた時、見張りが鳴いたおかげでみんな逃げられた。無駄に袋を破る猫も減った」
「つまり、最初は悪くなかったのか」
「最初の一文だけなら、悪くない物語は多いさ」
「また物語か」
「作家だからね」
そのときジャックがぼそりと口を挟んだ。
「作家のくせに書けねえけどな」
「構想中だ」
「一生してろ」
「ああ、一生をかけて傑作を作るさ」
ジャックの皮肉に対し、ソーセキは傷つかなかった。彼の面の皮は、たぶん言葉に対してだけ妙に厚いのだろう。
ソーセキは続けた。
「猫たちは、モモコの機嫌を窺うようになった。袋を破っていいか。水を飲んでいいか。どこで眠ればいいか。誰が見張りに立つか。誰を先に食べさせるか……何もかもすべてモモコが決めた。最初はみんな助かったから従ったが、助かるために従うのか、従うために助けられているのか、そのうちわからなくなった」
入口の風が、わたしの首の鈴を揺らした。ちり、と鳴りかけたので、わたしは慌てて首を止めた。
鳴らすな、と言われている。実に腹立たしい。わたしの首で鳴るものを、わたし以外の猫が決めるなど。
「裁判も、そのころに始まったのか」
「そうさ。最初はただの確認だった。誰が袋を破ったのか、誰が水場を汚したのか、犬を呼んだのは誰か……被告の匂いを嗅ぎ、見た猫が報告してモモコが決める。それだけだった」
「今はずいぶん大げさだ」
「大げさなものほど、権威があって続いているように見えるからね」
ソーセキは入口の外ではなく、ショッピングモールの奥を見た。
「カストルとポルクスが来てからもっと形が整った。彼らは自分では何も決めないけれど、決まったことを大きな声で言うのは得意な猫だ。モモコが少し目を動かせば、二匹が走る。モモコが黙れば、二匹も黙る。そうやってモモコは自ら爪を出さずに済むようになった」
わたしはカストルとポルクスの得意げな顔を思い出した。
奴らはモモコの尻尾についている鈴のようなものかもしれない。ただし、たいへんうるさく、役に立たない鈴である。
「では、モモコは最初から女王だったわけではないのだな」
「女王にならなければ、生きられないと思った猫だ」
モモコをそう評するソーセキの言い方が、少しだけ気に入らなかった。
「まるで、あいつが哀れな猫みたいに言う」
「哀れだよ」
「どこがだ。高いところに座って、餌を先に食べて、毛づくろいをして、他の猫を見下ろしている支配者ではないか」
「だから哀れなんだ」
ソーセキは、ゆっくり瞬きをした。
「高いところから降りられなくなった猫は、哀れだよ」
わたしは返す言葉を探した。
猫にとって高いところは良い場所であり、猫は高いところにいるべきである。下々の者どもを見下ろし、何者も手の届かないところで毛づくろいをし、気が向いた時に降りる。それは正しい。
だが、降りられないとなると少し違う。
わたしは、さとみの家の冷蔵庫の上を思い出した。登ったはいいが、降りる時に少し困ったことがある。もちろんそこまで困ってはいない。さとみが椅子を持ってきたので仕方なく降りてやっただけである。
「モモコは、ここを守っているつもりでいて、本当はここに守られている。ここがなくなったら、彼女は自分が何者かわからなくなる。だから順番を守るし、餌場を守って裁判をする。たとえ嫌でもずっと支配者で居続けなきゃならないんだ。哀れだろう?」
ジャックが低く言った。
「面倒くせえな」
「権力というものは、だいたい面倒くさいものさ」
ソーセキの言葉に、ジャックは訊ねた。
「おまえ、そういう言葉はどこで覚えた」
「作家の机の上だよ。ぼくと暮らしていた人間は、よく作品を作りながらそういう言葉を吐いていた。上手く作れない時ほど、難しい言葉を吐くんだ」
「やっぱり猫に似て、役に立たねえ人間だな」
「たぶんね。でも、ぼくは彼のことが好きだった」
ソーセキは、少しだけ目を細めた。
その顔は、先ほどまでのぼんやりした顔とは違った。眠そうではある。だがただ眠いだけではない、人間を好きだった猫の顔であった。
その顔を見てわたしは、なぜかさとみの指を思い出した。床に伏せて、ベッドの下へ伸びてきた指。震えていた指。わたしに届かなかった指。
……わたしは首を振った。
今は見張りである。感傷などという、人間が雨の日にやりそうなことをしている場合ではないのだ。
そしてわたしたちは見張りに戻った。