『陥陣営戦記 ~恋こそ至高!龍牙、乱世を穿つ~』 作:パスカルDX
第十五話「黒山の狼、最後の策」
河北の空を覆っていた灰色の雲がゆっくりと流れていく。
幾日にもわたる戦で、大地はすっかり荒れ果てていた。
踏み潰された草原。
折れた槍。
砕けた盾。
それでも袁紹軍と公孫瓚軍はなおも向かい合い、互いに一歩も退く様子はない。
そして、公孫瓚軍の右翼。
黒い旗を掲げる黒山賊の陣では、張燕が静かに地図を見つめていた。
周囲には古参の配下たちが集まっている。
「頭領。」
「今日で決めますか?」
張燕は口元を歪めた。
「ああ。」
「これが最後だ。」
部下たちは顔を見合わせる。
「最後の策……。」
張燕は指先で地図をなぞった。
「呂布は真正面からじゃ止まらねぇ。」
「高順も張遼も厄介だ。」
「だから正面は捨てる。」
彼は地図の端を叩く。
「公孫瓚軍を囮に使う。」
「その隙に俺たちは袁紹軍の本陣へ回り込む。」
「軍を混乱させ、戦場そのものを崩す。」
部下の一人が不安そうに尋ねた。
「公孫瓚は納得しますか?」
張燕は肩をすくめる。
「納得しなくてもやる。」
「俺は俺の戦をするだけだ。」
黒山賊たちは一斉に笑った。
「さすが頭領!」
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一方、袁紹軍。
恋は朝から肉まんを食べていた。
「もぐ……。」
龍牙は嬉しそうに頷く。
「恋様。」
「?」
「本日も食欲旺盛。」
「うん。」
「素晴らしいです。」
霞は呆れたように笑う。
「朝の恒例やな。」
音々音もくすくす笑う。
「龍牙殿は安心すると必ず褒めるのです。」
恋は肉まんを食べ終えると、小さく微笑んだ。
「おいしかった。」
龍牙は胸へ手を当てる。
「恋様の笑顔。」
「本日も可愛さが至高です。」
霞が額を押さえる。
「まだ朝やで!」
「朝だからこそです。」
「意味分からへん!」
周囲の兵士たちから笑いが起こる。
戦場へ向かう前とは思えない穏やかな空気だった。
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その頃、本陣では音々音が敵の配置を確認していた。
「……変なのです。」
霞が地図を覗き込む。
「どないした?」
「黒山賊の陣形が昨日と違います。」
「また策か?」
音々音は頷く。
「恐らく。」
龍牙も視線を向けた。
「張燕……。」
恋は静かに尋ねる。
「また来る?」
「はい。」
龍牙は頷いた。
「ですが。」
恋を見つめる。
「恋様がおられる限り。」
「負けません。」
恋は小さく笑う。
「うん。」
---
法螺貝が鳴り響く。
ブオオオォォーーッ!
戦いが始まる。
両軍がゆっくりと進軍し、平原の中央で激突した。
しかし、その中で黒山賊だけは違う動きを見せる。
「左右へ散れ!」
張燕の号令で、黒山賊は正面へ向かわず、森沿いへ大きく迂回し始めた。
音々音が目を見開く。
「やっぱり!」
「本陣狙いなのです!」
霞が叫ぶ。
「汚い手ぇや!」
龍牙は龍眼斬を握り締めた。
「恋様。」
「?」
「黒山賊が回り込みます。」
恋は静かに方天画戟を構える。
「追う。」
「はい。」
その時、張燕は馬上から笑った。
「来い、呂布。」
「来い、高順。」
「これで終わりだ。」
だが張燕はまだ知らなかった。
その「最後の策」が、天下無双の恋にはまったく通じないことを――
戦場の右翼。
張燕の号令とともに、黒山賊は森の中へ雪崩れ込んだ。
「急げ!」
「袁紹軍の本陣を叩くぞ!」
黒山賊たちは木々を縫うように駆け抜ける。
奇襲。
攪乱。
それこそが黒山賊最大の武器だった。
張燕は馬を走らせながら口元を吊り上げる。
「これで呂布も高順も振り回される。」
「戦は頭を使った奴が勝つんだ。」
部下たちも笑う。
「頭領の勝ちですね!」
「袁紹軍は大混乱ですよ!」
しかし――。
森を抜けた瞬間。
張燕たちは足を止めた。
「……は?」
目の前には、赤い髪を風になびかせた少女が静かに立っていた。
方天画戟を手にした恋である。
その隣には龍牙が龍眼斬を肩に担ぎ、霞と音々音、そして陥陣営の兵たちが整然と並んでいた。
まるで黒山賊が現れることを最初から知っていたかのような布陣だった。
張燕は目を見開く。
「何で先回りしてやがる!」
音々音が小さく胸を張る。
「張燕殿なら、この道を選ぶと思ったのです。」
霞は笑いながら槍を構えた。
「読み勝ちや。」
龍牙は静かに一歩前へ出る。
「張燕。」
「恋様の前に策は通じません。」
張燕は苦笑した。
「いや、それは呂布じゃなくて陳宮の読みだろ。」
龍牙は首を横に振る。
「恋様がおられるからこそ、皆が力を合わせられるのです。」
霞が肩をすくめる。
「結局そこへ戻るんやな。」
---
張燕は大きく息を吐く。
「なら力尽くで突破する!」
「全員突撃だ!」
黒山賊が一斉に襲い掛かる。
恋は静かに前へ出た。
「……。」
方天画戟が大きく弧を描く。
ブオンッ!
先頭の黒山賊たちの武器が一瞬で弾き飛ばされた。
「ぐあっ!」
「武器が!」
恋は止まらない。
二歩、三歩と踏み込み、最小限の動きで次々と敵を制していく。
柄で打ち、穂先で武器を払う。
誰一人、恋へ触れることさえできない。
「あ……あり得ねぇ!」
「何なんだ、この強さは!」
黒山賊たちの隊列は、みるみるうちに崩れていった。
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その横では龍牙も龍眼斬を構え、黒山賊を押し返していた。
「チェストォォォォォーーーッ!!」
地鳴りのような雄叫びが森へ響く。
陥陣営の兵たちも続く。
「おおおっ!」
龍牙は敵を押し返しながら恋を見る。
恋は変わらぬ表情で黒山賊を制圧している。
その姿を見た龍牙は感動に打ち震えた。
「恋様……。」
胸に手を当てる。
「天下無双。」
さらに満面の笑みで叫ぶ。
「そして可愛さも至高です!」
霞は敵兵を蹴散らしながら大笑いした。
「こんな時まで言うんか!」
音々音も苦笑する。
「龍牙殿らしいのです。」
恋は少しだけ振り返り、小さく微笑んだ。
「えへ。」
その笑顔を見た龍牙はさらに気合いが入る。
「チェストォォォォォーーーッ!!」
黒山賊たちは、その勢いに完全に飲まれていた。
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張燕は周囲を見回す。
部下たちは次々と武器を落とし、戦意を失っていく。
「頭領!」
「もう無理です!」
「呂布が止まりません!」
「高順も突破できません!」
張燕は悔しそうに歯を食いしばった。
「……ちっ。」
ここで無理をすれば、黒山賊は壊滅する。
それだけは避けなければならない。
彼は槍を高く掲げ、大声で命じた。
「撤退だ!」
「黒山へ戻るぞ!」
部下たちは一斉に馬首を返した。
「退け!」
「森へ!」
黒山賊は蜘蛛の子を散らすように森へ消えていく。
張燕も最後に一度だけ振り返った。
恋と龍牙が並んで立っている。
張燕は苦笑した。
「呂布。」
「高順。」
「今回は俺の負けだ。」
「だが黒山はまだ終わっちゃいねぇ。」
そう言い残すと、馬を走らせて森の奥へ消えていった。
黒山賊は公孫瓚軍から離脱し、そのまま黒山へ退却していく。
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張燕の撤退を見届けた公孫瓚は、遠くから静かに呟いた。
「黒山賊が退いたか……。」
副官が尋ねる。
「戦を続けますか?」
公孫瓚は首を横に振った。
「いや。」
「今は兵を休ませる。」
「今日の戦はここまでだ。」
法螺貝が鳴り響く。
両軍はゆっくりと兵を引き始めた。
袁紹軍では歓声が上がる。
「黒山賊を退けた!」
「勝ったぞ!」
恋は方天画戟を肩に担ぎ、小さく息を吐いた。
「終わった。」
龍牙は恋の前へ進み、深く一礼する。
「恋様。」
「本日も天下無双のお働き、見事でした。」
恋は少し照れながら微笑む。
「ありがとう。」
龍牙は満足そうに頷く。
「恋様の可愛さも、本日が最高記録です。」
霞は吹き出した。
「毎日更新されとるやん!」
戦場には兵士たちの笑い声が響く。
こうして黒山賊は河北の戦場から姿を消し、張燕は黒山へと退いた。
だが、公孫瓚との戦いはまだ終わってはいない。
新たな局面を迎えた河北の戦は、なおも続いていくのだった。
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