『陥陣営戦記 ~恋こそ至高!龍牙、乱世を穿つ~』 作:パスカルDX
第二十話「濮陽の策謀、兗州の新たな主」
濮陽の朝は静かだった。
昨夜降った小雨のおかげで石畳はまだ湿り気を帯び、町を行き交う人々の足音だけが心地よく響いている。
市場では商人たちが店を開き、焼きたての饅頭の香りが町中へ漂っていた。
そんな賑わいとは対照的に、張邈の屋敷では一つの密談が始まろうとしていた。
広間には地図が広げられ、その上には兗州一帯の城や街道が細かく書き込まれている。
張邈は地図を見つめながら静かに息を吐いた。
「乱世は終わる気配を見せませんな……。」
その独り言に応える者はいない。
だが、その胸の内には一つの思いがあった。
(この乱世を終わらせる者は誰なのか。)
これまで数え切れないほどの武将を見てきた。
武勇に優れた者。
知略に長けた者。
人望を集める者。
しかし、そのすべてを兼ね備えた人物にはまだ出会っていなかった。
――濮陽であの少女を見るまでは。
「呂布……。」
張邈は静かにその名を口にする。
河北で名を轟かせた天下無双。
だが、彼の印象に残ったのは武ではない。
戦場を離れた時に見せる穏やかな笑顔。
仲間たちが自然と集まる空気。
高順、張遼、陳宮が心から信頼を寄せる姿。
(あれほど武に優れながら、人を威圧しない。)
(あれほど強いのに、驕らない。)
張邈は小さく笑った。
「……もし。」
「もしあの方が兗州を治めれば。」
その先は言葉にならなかった。
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その日の昼。
恋たちは濮陽の町を散策していた。
恋は露店に並ぶ果物を眺めている。
「甘そう。」
龍牙は店主へ声を掛けた。
「一番甘いものを。」
店主は笑顔で果物を差し出す。
恋は一口かじると、ぱっと表情を明るくした。
「おいしい。」
龍牙も嬉しそうに頷く。
「恋様がお喜びで何よりです。」
「本日も笑顔が素敵です。」
霞は苦笑する。
「もう毎日聞いとるな。」
音々音も笑った。
「龍牙殿の日課なのです。」
恋は照れながら果物を半分に割る。
「龍牙。」
「半分。」
龍牙は少し驚いたあと、恭しく受け取った。
「ありがとうございます。」
「恋様から頂けるとは。」
霞が肩をすくめる。
「もう顔が緩みっぱなしや。」
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その頃。
張邈は屋敷へ音々音を招いていた。
「陳宮殿。」
「お忙しいところありがとうございます。」
音々音は静かに一礼する。
「いえ。」
部屋には二人だけ。
外には誰も近づけないよう配慮されていた。
張邈は単刀直入に切り出す。
「先日のお話。」
「呂布殿こそ天下人に相応しい、と。」
音々音は迷わず頷く。
「はい。」
張邈はゆっくりと地図を広げた。
「私は……。」
指先を濮陽へ置く。
「この兗州にも新しい時代が必要だと思っています。」
音々音は地図を見つめる。
「……。」
「もし。」
張邈は静かな声で続けた。
「呂布殿が兗州の主となれば。」
「民は安心して暮らせるのではないでしょうか。」
音々音は目を閉じた。
恋はそんなことを望まないだろう。
玉座よりも、仲間との旅を選ぶ人だ。
だからこそ、慎重でなければならない。
「張邈殿。」
「恋様は無理に王になろうとするお方ではありません。」
張邈も頷く。
「承知しています。」
「だからこそ、焦るつもりはありません。」
彼は窓の外を見つめた。
「ただ……。」
「乱世はいずれ、大きな決断を迫るでしょう。」
「その時、民が呂布殿を望むのであれば。」
「私は、その力になりたい。」
音々音はしばらく黙っていた。
やがて静かに口を開く。
「私も。」
「恋様が望まれる未来ならば、その知略を尽くします。」
張邈は穏やかに微笑んだ。
二人の思惑は一致した。
しかし、それは野心からではない。
乱世を終わらせ、民が安心して暮らせる世を築いてほしいという願いから生まれたものだった。
その頃、町では何も知らない恋が新しいお菓子を見つけて目を輝かせていた。
「これも、おいしそう。」
龍牙は財布を取り出しながら微笑む。
「もちろんです、恋様。」
「恋様のためなら、喜んで。」
霞は苦笑し、音々音が戻ってくる方向を見つめた。
濮陽の地では、表では穏やかな旅が続く一方で、水面下では新たな時代へ向けた静かな策謀が動き始めていた。
濮陽の夕暮れ。
西の空は茜色に染まり、町には仕事を終えた人々の穏やかな笑い声が響いていた。
表向きは、いつもと変わらない一日。
しかし、その裏では静かに歴史の歯車が動き始めていた。
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張邈の屋敷。
応接の間には、張邈と音々音だけが残っていた。
机の上には兗州一帯の地図。
濮陽を中心に、城や街道、各地の豪族の名が細かく書き込まれている。
張邈は静かに地図を見つめながら口を開いた。
「陳宮殿。」
「私は武で天下を治められるとは思っておりません。」
音々音は黙って耳を傾ける。
「強さだけでは、人は従いません。」
「恐怖だけでも長く続きません。」
張邈はゆっくりと視線を上げた。
「ですが、呂布殿には違うものがあります。」
音々音は小さく微笑む。
「恋様のことでしょう。」
張邈は頷いた。
「ええ。」
「町を歩く姿を見ていました。」
「子どもが笑いかければ笑い返す。」
「老人が困っていれば自然に手を貸す。」
「武名を鼻に掛けることもない。」
「だから人が集まる。」
音々音は静かに答えた。
「恋様は、そのようなお方です。」
「だから龍牙殿も、霞殿も、私も、お仕えしているのです。」
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張邈は地図の上へ指を置く。
「兗州。」
「この地は今、様々な思惑が渦巻いています。」
「誰もが力を求め、領土を求める。」
「ですが民が求めているのは、安心して眠れる日々です。」
音々音も頷いた。
「その通りです。」
「恋様も、戦そのものはお好きではありません。」
「守るために戦っておられるだけなのです。」
張邈は静かに笑う。
「だからこそ。」
「私は呂布殿を兗州の主にしたい。」
その言葉には野望ではなく、確かな願いが込められていた。
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音々音は少し考え込む。
恋は玉座など望まない。
むしろ自由な旅を好む。
それを誰よりも知っている。
「張邈殿。」
「恋様へ、この話を直接なさらないでください。」
張邈は驚いたように目を瞬かせた。
「理由を伺っても?」
音々音は優しく笑った。
「恋様は、人の期待に応えようとして無理をなさるお方です。」
「まだ旅を続けたいと願っておられます。」
「その願いを私は守りたい。」
張邈は深く頷いた。
「……失礼しました。」
「焦り過ぎましたな。」
「今は見守ることにいたしましょう。」
二人は静かに茶を口へ運んだ。
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その頃。
恋たちは市場を歩いていた。
恋は串焼きを手にしながら幸せそうな顔をしている。
「おいしい。」
龍牙は満足そうに頷いた。
「恋様。」
「お気に召していただけて何よりです。」
霞は笑う。
「今日はよう食べるな。」
恋はこくりと頷く。
「旅すると、おなかすく。」
「いっぱい歩いた。」
龍牙は真剣な顔で言う。
「恋様。」
「栄養補給は大切です。」
「もう一本いかがでしょう。」
霞は思わず突っ込む。
「太らせる気か!」
龍牙は首を横に振る。
「恋様は何を召し上がってもお美しいです。」
「そして。」
少し胸を張る。
「可愛さが至高です。」
恋は照れながら笑った。
「えへ。」
霞もつられて笑う。
「もう毎日聞かな落ち着かんようになってきたわ。」
「それは良いことです。」
「何がやねん!」
四人の笑い声に、通りを歩く町人たちまで笑顔になった。
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その様子を、少し離れた茶屋の二階から張邈が見つめていた。
「自然と人を笑顔にする……。」
「やはり、この方には不思議な力がありますな。」
その隣へ音々音が立つ。
「恋様は、ご自分では気付いておられません。」
「だからこそ、多くの人が惹かれるのです。」
張邈は静かに頷く。
「私は急ぎません。」
「いつの日か。」
「民が自ら呂布殿を望む日が来たなら。」
「その時は、この張邈も力を尽くしましょう。」
音々音もまた、小さく頷いた。
「その時は、私も恋様を支えます。」
夕陽が濮陽の町を赤く染める。
旅はまだ始まったばかり。
だが、その旅路の先には、乱世を揺るがす大きな運命が静かに待ち受けていた。
そして遠く、曹操軍の本営でもまた、新たな英雄たちの噂が少しずつ広まり始めていた。
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