『陥陣営戦記 ~恋こそ至高!龍牙、乱世を穿つ~』 作:パスカルDX
第五話「黒山賊をチェストせよ!」
袁家の客将となってから数日。
鄴での暮らしは、旅の頃とは比べものにならないほど快適だった。
朝になれば温かい食事が並び、雨風をしのげる立派な屋敷がある。
恋にとっては、毎日肉まんが食べられるだけでも天国だった。
「もぐ……。」
朝食の席でも、恋は幸せそうに肉まんを頬張っている。
その向かいでは龍牙が腕を組み、真剣な表情で見守っていた。
「恋様。」
「?」
「本日は昨日より食欲がおありのようです。」
「うん。」
「健康そのものです。」
「何の報告やねん。」
霞が味噌汁を飲みながら笑う。
「朝から恋観察日記やないか。」
龍牙は至って真面目だった。
「恋様の体調管理も護衛の務めです。」
「そこまで徹底する?」
音々音も苦笑する。
「龍牙殿が恋様のお世話を始めてから、恋様が風邪を引かなくなった気がするのです。」
「当然です。」
「自信満々やな。」
「恋様が健康なら、それで良い。」
恋は龍牙を見て小さく微笑む。
「龍牙。」
「はい。」
「今日も元気。」
「恋様のお言葉……。」
龍牙は胸に手を当てた。
「あと十年は戦えます。」
霞が即座に突っ込む。
「寿命が伸びたり縮んだり忙しいな!」
食堂には笑いが広がった。
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そんな穏やかな朝。
一人の侍女が慌てて駆け込んできた。
「客将の皆様!」
「どうしましたのです?」
音々音が尋ねる。
「袁紹様がお呼びです!」
霞は箸を置いた。
「何やろ?」
龍牙は恋へ視線を向ける。
「恋様。」
「うん。」
「参りましょう。」
「うん。」
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袁紹の執務室。
豪華な机には大量の書簡が積まれ、珍しく袁紹は高笑いをしていなかった。
「むぅ……。」
「珍しいな。」
霞が小声で呟く。
「眉間にしわ寄っとる。」
恋たちが部屋へ入ると、袁紹は顔を上げた。
「ああ、皆さん!」
「何かあったん?」
袁紹は大きくため息をつく。
「困っておりますの。」
「袁紹様が?」
音々音が目を丸くした。
「実は……。」
袁紹は机の上に広げられた地図を指差した。
そこには鄴の北西にある山岳地帯が描かれている。
「この辺りに黒山賊が住み着いておりますの。」
「黒山賊……。」
霞の表情が引き締まった。
旅の途中でも何度か耳にした名だった。
山を根城にし、村を襲い、商人から金品を奪う大規模な賊の集団。
「最近、被害が増えておりますの。」
袁紹は悔しそうに拳を握る。
「村を襲い、荷を奪い、農民を脅しております。」
恋は静かに話を聞いていた。
「……悪い人。」
「ええ。」
袁紹は頷く。
「兵を送っておりますが、山へ逃げ込まれてしまいますの。」
音々音も腕を組む。
「山賊相手では正規軍は動きづらいのです。」
「その通りですわ。」
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袁紹はゆっくり立ち上がる。
「そこで。」
恋たち四人を真っ直ぐ見つめた。
「皆さんのお力を貸していただけませんこと?」
部屋が静まり返る。
恋は龍牙を見る。
龍牙も恋を見返した。
「恋様。」
「?」
「いかがなさいますか。」
恋は少し考えた。
「……困ってる?」
袁紹が頷く。
「はい。」
「村の人も?」
「はい。」
恋は小さく頷いた。
「助ける。」
龍牙は深く頭を下げた。
「恋様のご意思、この龍牙、命を懸けてお守りします。」
霞も立ち上がる。
「ほな決まりやな。」
音々音も元気よく拳を握る。
「黒山賊退治なのです!」
袁紹はぱっと笑顔になった。
「ありがとうございますわ!」
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だが、その直後。
龍牙が真剣な顔で手を挙げた。
「一つ質問があります。」
「何ですの?」
「黒山賊は。」
「ええ。」
「恋様のお昼ご飯を邪魔しますか?」
部屋が静まり返る。
霞はゆっくり顔を覆った。
「始まった……。」
袁紹は戸惑う。
「え、ええと……。」
音々音が説明した。
「村を襲っておりますから、お食事どころではなくなるかもしれないのです。」
龍牙の目が鋭くなる。
「つまり。」
龍眼斬の柄を握る。
「恋様のお食事を妨げる。」
「理屈はそうなるな。」
霞が苦笑する。
龍牙は静かに頷いた。
「ならば。」
そして力強く宣言する。
「黒山賊。」
「?」
「チェストです。」
「結局そこかーーーい!」
霞の豪快なツッコミが執務室中に響き渡った。
恋はその様子を見ながら、くすりと笑う。
「えへ。」
その笑顔を見た龍牙は、いつものように胸へ手を当てるのだった。
「恋様の可愛さが至高。」
翌朝。
鄴の城門が開くと同時に、恋たち四人は黒山へ向けて出発した。
春の日差しは暖かい。
しかし、北へ進むにつれ景色は少しずつ険しく変わっていく。
緩やかな街道はいつしか獣道となり、木々が空を覆い隠していた。
黒山。
その名の通り、昼間でも薄暗い山だった。
「何や、不気味な場所やな。」
霞が飛龍偃月刀を肩に担ぎながら呟く。
音々音は地図を広げる。
「この辺り一帯が黒山賊の縄張りなのです。」
恋は周囲を見回した。
「静か。」
龍牙は恋の一歩前を歩きながら、龍眼斬に手を添える。
「恋様、お足元にお気を付けください。」
「うん。」
「石があります。」
「ありがとう。」
「木の根もあります。」
「うん。」
霞が苦笑した。
「恋は子どもちゃうねんで?」
「恋様のお怪我は許されません。」
「ぶれへんなぁ。」
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その頃。
黒山の奥深く。
巨大な岩山を利用して築かれた砦では、多くの山賊が酒を飲み、大声で笑っていた。
「がははは!」
「昨日奪った酒はうめぇ!」
「次はどこの村を襲う?」
そんな喧騒の中、一人だけ静かに腰掛ける男がいた。
長い黒髪。
鋭い眼光。
笑みを浮かべているのに、その目だけは少しも笑っていない。
男の名は──
張燕。
真名は時雨。
黒山賊を束ねる頭領だった。
「頭領。」
部下が駆け寄る。
「袁紹がまた兵を動かしたそうです。」
時雨は退屈そうに欠伸をした。
「へぇ。」
「今度は客将らしいです。」
「客将?」
「元・董卓軍の呂布とか。」
その瞬間だけ。
時雨の口元が吊り上がる。
「……呂布?」
「はい。」
「天下無双って呼ばれてる嬢ちゃんか。」
部下が頷く。
時雨は面白そうに笑った。
「退屈しなくて済みそうだ。」
彼は立ち上がる。
「でもな。」
部下たちを見る。
「真正面から戦うほど俺は馬鹿じゃねぇ。」
「では?」
「力で勝てないなら。」
時雨は指で自分の頭を軽く叩いた。
「頭を使う。」
「へへっ。」
「それが黒山流だ。」
部下たちは不敵に笑った。
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一方。
恋たちは山道を進んでいた。
「恋様、お疲れではありませんか?」
「大丈夫。」
「喉は?」
「かわいてない。」
「空腹は?」
「ちょっと。」
龍牙の表情が一変する。
「休憩です。」
霞がすぐに突っ込む。
「早い早い!」
「恋様がお腹を空かせています。」
「さっき朝飯食べたやろ!」
「三時間前です。」
「十分や!」
音々音も笑いを堪えながら言う。
「少し休みましょうなのです。」
恋は岩へ腰掛ける。
龍牙は素早く布を敷いた。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
「水です。」
「うん。」
「干し肉です。」
「うん。」
霞は呆れながら笑う。
「ほんま完璧やな。」
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その時だった。
ヒュンッ!
一本の矢が龍牙の足元へ突き刺さる。
全員の空気が変わった。
龍牙はゆっくり立ち上がる。
「……恋様。」
「うん。」
「私の後ろへ。」
恋は素直に移動する。
森の中から笑い声が響いた。
「ははは。」
「誰だ!」
霞が叫ぶ。
木の枝へ一人の男が座っていた。
黒い外套。
鋭い笑み。
時雨だった。
「よう。」
恋たちを見下ろしながら笑う。
「歓迎するぜ。」
音々音が顔色を変える。
「あいつが……!」
霞も武器を構える。
「張燕!」
時雨は肩をすくめた。
「そんな怖い顔すんなよ。」
恋を見る。
「へぇ。」
「……。」
「本当に呂布なんだな。」
恋は静かに頷く。
「恋。」
時雨は笑った。
「よろしく。」
龍牙が一歩前へ出る。
「恋様から離れろ。」
「お?」
「これ以上近付くなら。」
龍眼斬を抜く。
ズズン……
「容赦しない。」
時雨はその巨大な剣を見ても表情を変えなかった。
「なるほど。」
「……。」
「お前が高順か。」
龍牙は答えない。
「噂どおり忠犬だな。」
その一言だった。
龍牙の目が鋭く細くなる。
「訂正しろ。」
「ん?」
「私は。」
静かに龍眼斬を構える。
「恋様の忠臣だ。」
時雨は口元を歪めた。
「そうか。」
「なら──」
枝から飛び降りる。
「その忠義、どこまで通じるか試してやる。」
そう言い残すと、森の奥へ姿を消した。
霞は舌打ちする。
「逃げた!」
龍牙は追おうとした。
だが恋が袖を掴む。
「龍牙。」
「恋様?」
「……罠。」
龍牙は動きを止めた。
恋は静かに森を見つめる。
「いっぱい、いる。」
その瞬間。
ガサガサガサッ!
四方八方の茂みが揺れた。
黒山賊たちが、一斉に姿を現す。
龍牙は恋を背に庇いながら、ゆっくりと龍眼斬を構えた。
そして口元に、不敵な笑みを浮かべる。
「恋様。」
「うん。」
「少々、暴れて参ります。」
恋は小さく頷いた。
「がんばって。」
その一言で十分だった。
龍牙は力強く地面を蹴る。
「陥陣営の高順──龍牙。」
龍眼斬を天高く掲げる。
「チェストーーーーーーッ!!」
その雄叫びが、黒山全域へ轟き渡った。