『陥陣営戦記 ~恋こそ至高!龍牙、乱世を穿つ~』 作:パスカルDX
第八話「出陣! 陥陣営と天下無双」
前編
朝靄が鄴の城を包み込んでいた。
夜明け前にもかかわらず、城内は慌ただしい。
鎧を身に着けた兵士たちが行き交い、武器庫からは槍や弓が次々と運び出されていた。
兵たちの表情は真剣そのもの。
ついに、公孫瓚軍との決戦へ向けた出陣の日がやって来たのである。
しかし――。
そんな張り詰めた空気とは無縁の場所が一つだけあった。
客将用の屋敷。
そこでは恋が朝食の肉まんを両手に持ち、幸せそうに頬張っていた。
「もぐ……。」
龍牙はその姿を満足そうに眺めている。
「恋様。」
「?」
「本日は三個目です。」
「うん。」
「食欲旺盛。」
「うん。」
「素晴らしいです。」
霞は味噌汁を飲みながら呆れた。
「朝から報告会か。」
音々音も笑う。
「龍牙殿の中では重要事項なのです。」
龍牙は真顔で頷いた。
「恋様が朝食をしっかり召し上がる。」
「うん。」
「勝利は約束されました。」
「どういう理屈や!」
霞の鋭いツッコミが飛ぶ。
恋は小さく首を傾げた。
「勝つ?」
「もちろんです。」
龍牙は胸を張る。
「恋様がお元気だからです。」
「ぶれへんなぁ。」
---
そこへ屋敷の扉が勢いよく開いた。
「皆さん!」
袁紹家の伝令兵だった。
「出陣準備が整いました!」
霞が立ち上がる。
「いよいよか。」
音々音も荷物を背負う。
「忘れ物はありません!」
龍牙は恋を見る。
「恋様。」
「うん。」
「お忘れ物はございませんか?」
恋は少し考えた。
「……。」
「肉まん。」
「はい。」
龍牙は懐から包みを取り出した。
「非常食です。」
恋の目が輝く。
「ありがとう。」
霞は思わず吹き出した。
「持っとったんかい!」
「恋様が途中でお腹を空かせる可能性は七十八・四%。」
「細かい!」
音々音も笑いを堪えられない。
「計算していたのですか!」
「当然です。」
「当然なんや……。」
---
城門前。
数千の兵士が整列している。
槍が朝日に照らされ、一斉に輝く。
袁紹は豪華な馬に跨り、高らかに笑った。
「おーっほっほっほ!」
兵士たちが姿勢を正す。
「河北の勇士たち!」
「はっ!」
「今日の戦は袁家の威光を天下へ示す戦ですわ!」
「おおーーっ!」
歓声が響く。
恋たちも隊列へ加わる。
すると兵士たちがざわつき始めた。
「あれが呂布か。」
「本当に小柄なんだな。」
「でも虎牢関では……。」
「天下無双だ。」
その視線に恋は少しだけ困ったように龍牙を見る。
「龍牙。」
「はい。」
「みられてる。」
「恋様がお美しいからです。」
「違うやろ!」
霞が即座に突っ込む。
「強いからや!」
「それもあります。」
「それもて。」
---
その時だった。
若い兵士が恐る恐る龍牙へ近付く。
「あ、あの。」
「何でしょう。」
「本当に……。」
兵士は目を輝かせる。
「戦う時に『チェストー!』って叫ぶんですか?」
龍牙は真剣に頷いた。
「はい。」
「おお!」
周囲の兵士まで集まってくる。
「どうしてです?」
龍牙は腕を組んだ。
「気合いです。」
「それだけ!?」
霞が笑い転げる。
「もっと深い理由あるやろ!」
「ありません。」
「ないんかい!」
音々音まで吹き出した。
「潔いのです!」
---
そこへ袁紹がやって来る。
「皆さん!」
「はい。」
「そろそろ出陣ですわ!」
兵士たちが一斉に武器を掲げる。
「進軍!」
「おおーーっ!」
大軍がゆっくりと動き始めた。
土煙が舞い上がり、数千の足音が大地を震わせる。
恋は歩きながら肉まんをもぐもぐ食べていた。
「おいしい。」
龍牙はその横を歩く。
「恋様。」
「?」
「お飲み物です。」
「ありがとう。」
「歩きながらでは危険です。」
「うん。」
霞は肩を震わせる。
「遠足ちゃうねんぞ!」
「恋様の水分補給は重要です。」
「そこだけ本気やな!」
音々音も笑顔だった。
「緊張していた兵士たちも笑顔になっているのです。」
実際、周囲の兵士たちは笑っていた。
「客将殿、面白いな。」
「戦場とは思えん。」
「何だか安心する。」
龍牙は首を傾げる。
「何か変でしたか?」
「いや、そのままでええ。」
霞が笑った。
---
こうして袁紹軍は北へ向かって進軍を開始した。
その行く手には、公孫瓚軍の陣営が待ち構えている。
まだ誰も知らない。
この戦いが、河北の勢力図を大きく揺るがす戦いになることを。
そして龍牙が、戦場でもいつも通り「恋様の可愛さが至高」と叫び、兵士たちを呆れさせることになるのを。
街道を埋め尽くす袁紹軍は、ゆっくりと北へ進軍を続けていた。
春の風が無数の旗を揺らし、鎧の擦れる音と兵士たちの足音が規則正しく響く。
黒山賊討伐とは違う。
今回は同じ乱世を生きる諸侯との戦である。
兵士たちの顔にも、自然と緊張の色が浮かんでいた。
しかし、その緊張感をものともしていない人物が一人いた。
「もぐ。」
恋である。
馬の上で肉まんを食べていた。
龍牙は隣を歩きながら頷く。
「恋様。」
「?」
「美味しそうで何よりです。」
「うん。」
「その笑顔だけで士気が上がります。」
「そんなわけあるかい。」
霞が苦笑する。
「恋はいつも通りやな。」
音々音も笑った。
「これだけ自然体なのは恋様くらいなのです。」
恋は最後の一口を食べると、小さく手を合わせた。
「ごちそうさま。」
龍牙はすぐに水筒を差し出す。
「お飲み物です。」
「ありがとう。」
その様子を見ていた若い兵士が仲間へ囁いた。
「あれが噂の高順殿か。」
「うん。」
「護衛というより、お世話係だな。」
「でも、あんなに嬉しそうに世話をしてる人は初めて見た。」
龍牙の耳に届いたらしい。
振り返って真顔で言う。
「違います。」
兵士たちが姿勢を正す。
「は、はい!」
「恋様専属のお世話係です。」
「そこ強調するんですか!」
霞のツッコミに隊列のあちこちから笑いが起こった。
重苦しい空気が少し和らぐ。
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昼過ぎ。
袁紹軍は小高い丘へ到着した。
「停止!」
号令とともに大軍が止まる。
袁紹は丘の上へ進み、遠くを見渡した。
「……見えましたわ。」
恋たちも丘へ登る。
その先には広大な平原。
そして、その向こうには無数の軍旗が翻っていた。
白い旗。
整然と並ぶ陣営。
数え切れないほどの兵。
霞が目を細める。
「もう来とるな。」
音々音も地図を広げる。
「間違いありません。」
「公孫瓚軍なのです。」
恋は静かに眺めていた。
「いっぱい。」
龍牙は恋の隣へ立つ。
「恋様。」
「?」
「いかがでしょう。」
恋は少し考えてから答えた。
「強そう。」
「はい。」
「でも。」
恋は方天画戟を持ち直す。
「負けない。」
龍牙は深く頷いた。
「恋様がおられる限り。」
龍眼斬へ手を添える。
「私は負けません。」
霞は苦笑した。
「その自信はどっから来るんや。」
「恋様です。」
「はいはい。」
---
その時。
前方から一騎の伝令が駆けてきた。
「報告!」
「申してみなさい。」
袁紹が答える。
「敵軍はすでに布陣を完了!」
「総攻撃の準備を進めています!」
袁紹は腕を組む。
「早いですわね。」
音々音が地図を見ながら言う。
「こちらも急いで陣を整えるべきなのです。」
「その通りですわ。」
各部隊へ次々と命令が飛ぶ。
兵士たちは慌ただしく動き始めた。
恋たちも持ち場へ向かおうとする。
その途中。
龍牙が急に立ち止まった。
「恋様。」
「?」
「少々失礼します。」
恋の肩に何かをつまむ。
小さな葉っぱだった。
「取れました。」
「ありがとう。」
「戦場へ葉っぱを付けたままではいけません。」
霞が頭を抱えた。
「今それ気にする!?」
音々音も笑いを堪えている。
「龍牙殿らしいのです。」
恋は少し嬉しそうに笑った。
「えへ。」
その笑顔を見た龍牙は、静かに胸へ手を当てる。
「恋様。」
「?」
「本日も可愛さが至高です。」
霞は思わず空を仰いだ。
「もう好きにしてぇ!」
周囲の兵士たちまで笑い始める。
「高順殿、平常運転だ。」
「戦場でも変わらないな。」
「逆に安心する。」
---
夕暮れ。
両軍は互いの陣営を見据えたまま、一日目を終えようとしていた。
今日は睨み合いだけ。
本格的な戦は明日。
龍牙は恋の天幕の前で見張りをしている。
霞が近寄ってきた。
「休まへんの?」
「恋様がお休みになるまでは。」
「律儀やなぁ。」
「当然です。」
天幕の中から恋の声がした。
「龍牙。」
「はい。」
「寒くない?」
龍牙は優しく微笑む。
「私は大丈夫です。」
「うん。」
「恋様こそ、お身体を冷やされませんよう。」
「わかった。」
その短いやり取りだけで、龍牙の表情は穏やかになった。
霞は小さく笑う。
「ほんま、この二人見とると戦の前って気がせぇへんな。」
音々音も頷く。
「でも、それが恋様たちらしいのです。」
夜空には無数の星が瞬いていた。
その星空の下、袁紹軍と公孫瓚軍は静かに夜を迎える。
明日の夜明けとともに、河北の運命を懸けた大戦が始まろうとしていた――。
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