PROTOCOL FILE.01:プロローグ 〜殉職からのリスタート!〜
東京の治安を守る警視庁、その中でも最前線と言える刑事部捜査一課強行犯捜査三係に、その男は所属していた。
男の名は、平良悠助。
年齢は、35歳。
階級は、警部。
大学を卒業してから、地道に現場で実績を積み上げてきた、いわゆる「ノンキャリア組」の叩き上げ刑事である。
外見は、どこにでもいる冴えない中年1歩手前の男だった。
いつも、少し型崩れしたスーツを着て、寝不足気味の隈を、目の下に浮かべている。
しかし、鋭い眼光と、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた特有の風格だけは、一介の公務員ではない事を物語っていた。
捜査一課の同僚や部下からは、仕事に対して実直で頼れる先輩として、それなりに慕われている。
だが、そんな平良悠助には、職場の誰にも明かしていない裏の顔、いや、極めて個人的な趣味があった。
彼は、筋金入りのサブカルチャーオタクだったのだ。
「はぁ……、今週のコナンも展開が熱いな。やっぱり、警察学校組のエピソードは、何度読んでも泣ける」
深夜、誰もいない自宅の6畳1間で、悠助は、缶ビールを片手に、漫画雑誌をめくっていた。
彼の部屋の壁は、アニメのポスターや、フィギュア、そして山の様に積まれたライトノベルや、漫画本で、埋め尽くされている。
特に、『名探偵コナン』や『シティハンター』といった、警察や、探偵、裏社会のプロフェッショナルが、活躍する作品が、大好きだった。
劇中の格好いい刑事や、スイーパー達の姿に憧れ、現実の厳しい警察職務の活力にしていたのである。
しかし、現実は非情だ。
オタ活に全力を注ぐあまり、悠助のプライベートは、完全に寂しいものとなっていた。
35歳、独身。
それどころか、女性と、まともに付き合った経験すらない、純度100%の「童貞」である。
毎日の様に、凶悪犯を追い詰め、取調室で怒号を浴びせる男が、プライベートでは、恋愛の「れ」の字も知らない、アニメオタクなのだから、人生とは分からないものだ。
「俺の人生、このまま事件と、オタ活だけで、終わるのかなぁ……。せめて、ラノベみたいに、可愛い女の子と、大恋愛する様な、華やかなイベントの1つでもあればいいんだけど……?」
贅沢な愚痴をこぼしながら、悠助は、ビールの残りを飲み干した。
翌日も、朝から容疑者の張り込みが控えている。
刑事としての責任感と、オタクとしての充実感。
その2つを両天秤にかけながら、彼は、また、代わり映えのしない明日を迎える筈だった。
しかし、運命の歯車は、彼の想像もしない方向へと、急回転を始めようとしていたのである。
※※※
その夜は、いつも以上に、不穏な空気が、都内に満ちていた。
深夜の新宿区歌舞伎町。
綺羅びやかなネオンの裏側、細い路地の奥から、突如として、激しい怒号と、金属音が響き渡った。
非番の帰り道、偶々、近くの深夜書店で、限定版の漫画を買い求めていた悠助は、その異常な音を鋭く聞きつけた。
長年の刑事の勘が、脳内で、警報を鳴らす。
足音を殺して、路地裏を覗き込んだ悠助の目に飛び込んできたのは、最悪の光景だった。
「おい、てめぇら! どこの組のもんだか、分かってやってんのか!」
「うるせぇ! ここは、俺たちのシマだ。生きて帰れると思うなよ!」
それは、かねてより、対立していた広域暴力団同士の、大規模な抗争の現場だった。
しかも、驚くべき事に、男達の手には、鈍く光る本物の拳銃が、握られていた。
日本の中心地で、繰り広げられる、白昼堂々ならぬ、深夜の銃撃戦。
既に、数人の男達が、血を流して倒れている。
「チッ、なんて数だ……! 本庁に応援を要請している時間はないな!」
悠助は、懐から警察手帳と、愛用の拳銃を取り出し、即座に、身を隠した。
本来なら、応援を待つべき状況だが、路地の奥には、運悪く抗争に巻き込まれたと思われる一般人の若い女性が、恐怖で腰を抜かして震えているのが見えた。
あのままでは、彼女が巻き添えになるのは、時間の問題だ。
「警察だ! 全員、武器を捨てて、大人しくしろ!」
悠助は、声を張り上げ、敢然と飛び出した。
刑事としての本能が、1人のオタクとしての恐怖を、完全に上回っていた。
彼は、正確な射撃で、女性に、銃口を向けようとした暴力団員の腕を撃ち抜き、無力化する。
「おい! そこのお嬢さん、早く逃げろ! 走るんだ!」
悠助の叫び声に、我を取り戻した若い女性は、涙を流しながら、大通りへと、走り去っていった。
一般人の救出には、成功した。
しかし、それによって、悠助は、興奮状態にある十数人の犯罪者達のターゲットにされてしまった。
「ポリ公が! 邪魔すんじゃねぇ!」
「殺せ! ぶち殺せ!」
一斉に放たれる銃弾の雨。
悠助は、必死に遮蔽物へと、身を隠したが、多勢に無勢だった。
激しい衝撃が、彼の身体を襲う。
1発、2発、そして、激しい流れ弾が、彼の胸部を、深く貫いた。
「がはっ……!」
鮮血が、口から溢れ、視界が、急激に暗くなっていく。
身体から、力が抜け、地面に倒れ込んだ。
暴力団員達が、逃走していく足音が、遠くに聞こえる。
(嘘だろ……、俺、ここで、死ぬのか? 嘘だろ……、まだ、あの漫画の最終回も、読んでないのに……。っていうか、35歳まで、独身で、童貞のまま、殉職とか……、笑えねぇよ……?!)
薄れゆく意識の中で、悠助は、強烈な無念を抱いていた。
もっと、生きたかった。
もっと、格好いい警察官になりたかった。
そして、愛するサブカルの世界の様な、劇的な人生を送ってみたかった。
そんな激しい未練を抱えながら、平良悠助の意識は、深い闇の底へと沈んでいった。
※※※
暗闇の中で、どれほどの時間が経ったのだろうか。
激痛は、消え去り、代わりに、奇妙な浮遊感と、全身を包む、温かい感覚があった。
(俺は……、死んだ筈だよな。天国って、こんなに、ぬるま湯みたいなのか?)
そう思った瞬間、突然、激しい光が視界に飛び込んできた。
同時に、肺が強烈に収縮し、自分の意思とは関係なく、大きな泣き声が、口から飛び出した。
「オギャア! オギャア!」
(は!? なんだ、これ、俺の声か!? っていうか、身体が、動かない!)
パニックになる悠助だったが、視界が、次第にクリアになるにつれて、信じられない光景が、広がっていた。
見知らぬ豪華な部屋、白い衣服を着た医師や、看護師達。
そして、疲れ果てながらも、慈愛に満ちた目で、自分を見つめてくる絶世の美女。
彼女は、悠助を優しく抱き上げ、涙を流しながら、微笑みかけた。
「おめでとうございます、奥様。元気な男の子ですよ?」
「ああ……可愛い我が子。貴方、この子の名前は……?」
「桜庭の家を背負って立つ男だ。名前は『幸村』にしよう?」
傍らに立つ、威厳に満ちた高級スーツの男性が、力強く頷いた。
その対話を聞き、更に、自分の小さな手を視界に入れた瞬間、悠助の脳内で、全ての事実が、結びついた。
(これって……まさか、異世界転生!? ラノベで、何百回も読んだ、あの現世の記憶を持ったまま、生まれ変わるってやつか!?)
悠助は驚愕した。
前世の記憶、35歳までの刑事としての知識や、オタクとしての記憶が、そっくり、そのまま残っているのだ。
しかも、周囲の会話や、カレンダー、部屋に置かれた新聞の文字から、更に、衝撃的な事実が、判明する。
現在地は、東京都「米花町」。そして年は、前世の記憶にある『名探偵コナン』の原作が開始される、まさに、23年前の世界だった。
(米花町!? コナンの世界かよ! しかも、原作の23年前って……、まだ、誰も死んでない、誰も悲劇に遭っていない時代じゃないか!)
オタクとしての知識が、フル回転する。
警察学校組の5人、そして、宮野明美。
前世で、彼が涙した、あの魅力的なキャラクター達が、まだ、この世界のどこかで、子供として、或いは、若者として、生きているのだ。
(神様が、俺に、この命をくれた理由は、分からない。だけど、前世で、童貞のまま、無念の死を遂げた俺に、もう1度チャンスをくれたんだ。なら、やる事は、1つしかねぇ!)
幸村、いや、かつて、平良悠助だった赤ん坊は、小さな拳を強く握りしめた。
(俺は、この世界で、ゼロからやり直す。英才教育でも、何でも、受けて、前世の知識を、フル活用して、最強のキャリア組刑事になってやる! そして、未来に待つ、あの悲劇の運命を、俺の手で、全部ブチ壊して、全員、救い出してやるんだ!)
生後、僅か数日の赤ん坊の瞳に、熱い宿命の炎が灯った。
※※※
平良悠助が、転生した先は、常人の想像を、遥かに絶する桁外れの環境だった。
彼の新しい家名は「桜庭」。
ただの金持ちではない。
日本はおろか、世界を裏から動かすと言われる世界最大財閥【桜庭財閥】のトップ、代表取締役会長一族だったのだ。
幸村の父親は、桜庭家4代目当主である桜庭昌幸。
冷徹なビジネスマンとしての顔を持ちながらも、家族には、深い愛情を注ぐ人物である。
この圧倒的な財力と、権力を持つ家庭に生まれた時点で、幸村の人生は、所謂、「超イージーモード」になる筈だった。
何もしなくても、一生遊んで暮らせるだけの富が、約束されているのだから。
しかし、幸村の目的は、あくまで「最強の刑事」になり、未来の悲劇を変える事だ。
その為には、財閥の力さえも、利用するつもりだった。
そして、この桜庭家において、幸村の今後の人生に、最も、強烈な影響を与える存在が、もう1人いた。
「幸村ぁ! お姉ちゃんですよ! ほら、こっちを向いて笑って!」
幸村が、ハイハイを覚えた頃、毎日、彼に猛烈な勢いで、抱きついてくる美少女がいた。
彼女の名前は、桜庭愛魅。
幸村より5歳年上の、実の姉である。
愛魅は、幼少期から、その天才的な頭脳を発揮し、周囲の大人達を、驚かせる程の神童だった。
大人びた容姿は、将来、絶世の美女を約束されており、桜庭家の誇りとも言える存在である。
だが、そんな完璧な天才美少女である愛魅には、致命的な特徴があった。
彼女は、弟である幸村を、異常なまでに、溺愛する、極度の「ブラコン」だったのである。
「もう、どうして、こんなに可愛いの!? 幸村は、将来、お姉ちゃんと、結婚するんだからね! 悪い虫は、全部お姉ちゃんが、排除してあげるから!」
(う、嬉しいけど、重い……! 姉貴、窒息するって!)
幸村は、いつも、姉の抱擁に、嬉しい悲鳴を上げていたが、同時に、彼女の天才的なサポートは、彼の人生において、これ以上ない武器になると、確信していた。
幸村が、3歳になった年、彼は、自ら父、昌幸に願い出た。
「父さん、僕に、家庭教師をつけてください。学問も、護身術も、帝王学も、全て学びたいです!」
3歳児とは、思えない理路整然とした要求に、昌幸は、驚きつつも、我が子の並外れた才覚を喜び、即座に、国内外から、超1流の専門家を、呼び寄せた。
こうして、桜庭家の圧倒的な財力を背景にした、幸村の「最強刑事への英才教育」が、本格的にスタートした。
前世の大人の精神を持つ幸村は、スポンジが、水を吸う様に、知識と技術を吸収していく。
米花町という、いずれ、世界の中心となる混沌の舞台で、後に「史上最強」と、呼ばれる男の基礎が、この桜庭家で、着々と築かれていくのだった。