仮面ライダー 帰れない子どもたち   作:青信号

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本編
第一話 三つの端子


 遺体置き場の冷気は、本郷が知っているどの冷たさとも少し違っていた。

 

 蛍光灯が低く唸っている。ステンレスの台が三つ並び、そのうちの一つに布が掛けられていた。検死官が手前で何か言っているが、本郷は半分しか聞いていなかった。視線は布の輪郭を追っている。痩せた男だ。背は高い。それ以外のことは、まだ何も決めつけないことにした。

 

「いいか」

 

 検死官が布を引く。

 一文字が、ひゅっと短く息を吸う音が、本郷の左で聞こえた。

 

 男は俯せに寝かされていた。普通はそうしない。仰向けにするものだ。検死官がそうしなかった理由は、背中を見ればすぐに分かった。

 

 背骨に沿って、まっすぐな線が走っている。傷ではない。切って、また閉じた跡だ。きれいすぎる。事故でこうはならないし、喧嘩でもこうはならない。誰かが時間をかけ、道具を選んで、この男の背中を開けて、また閉じた。それも一度ではない。線の上に、古い線と新しい線が重なっている。

 

 本郷は手袋をした指で、首の付け根に触れた。

 

 そこに、三つの円があった。

 

 すべて金属で縁取られている。皮膚がその縁を覆おうとして、覆いきれずに引き攣れている。その穴は骨まで届いていそうな深さに見えた。指の腹で縁をなぞると、内側は空洞だった。これは何かを差し込むためのものだ――そう考えてから、本郷は考えを止めた。何のためにか分からないものに、用途を当てるべきではない。

 

「三つだ」

 

 一文字の声にはいつもの軽さがない。

 

「……前のも、三つだったか」

「ああ」

 

 本郷は短く答えた。検死官が手元の書類を繰る。同じ痕を持つ身元不明の遺体は、これで四体目。人為的な改造を疑った現地当局から連絡を受け、本郷と一文字がニューヨークへ来て三日が経っていた。発見場所はばらばらで、共通点は身元が割れないことと、背中と首のこれだけだ。死因も判然としない。外傷らしい外傷はなく、ただ衰弱して止まったように見える。

 検死官は言葉を選んでいた。電池が切れるみたいに、とは言わなかったが、本郷には今その比喩が浮かんだ。浮かんだだけで、口には出さなかった。

 

 一文字はさっきから黙っている。本郷は横目でそれを確かめた。よく笑い、誰とでもすぐ口をきく男が、台の上の男から目を逸らしていた。逸らして、もう一度見て、また逸らす。怒る前の顔だ、と本郷は思った。一文字のこの顔を、本郷は数えるほどしか見たことがない。だいたい、自分たちと同じ作りをした何かを前にしたときだ。

 

「本郷」

 

 一文字が、台の縁に手をかける。

 

「これ、生きてる間は、どうしてたんだと思う」

 

 問いの形をしていたが、答えを求めていないのは分かった。

 

 本郷は首の三つの円に、もう一度視線を戻した。何かを差し込む口。差し込まれている間、この男はどうしていたのか。差し込まれたままで、歩けたのか。歩けなかったのなら――抜けば、歩けたのか。

 

 仮定が一つ、また一つと積み上がっていく。確かめる材料は、目の前の冷えた身体にしかない。本郷はそれ以上を組み立てるのをやめた。組み立てすぎた推論は、たいてい間違える。

 

 ただ一つだけ、確かなことがあった。

 

 これを作った者がいる。事故でも、病でもない。誰かが設計し、誰かが施工した。背骨の線も、首の三つの口も、目的があって付けられている。目的があるなら、必要としている者がいる。必要としている者がいるなら――四体で終わる理由がない。

 

「増えるな」

 

 本郷がそう言うと、一文字が布を戻す。男の背中が、また見えなくなった。

 

「だろうな」

 

 蛍光灯が、もう一度低く唸った。

 

***

 

 外に出ると、午後の光が目に刺さった。

 

 地下の冷気が肌に残っているせいで、六月の街は妙に暑く感じられた。検死局の建物を背に、一番街を北へ少し歩く。救急車のサイレンが二つ、別々の方向で鳴っていた。片方は遠ざかり、片方は近づいてくる。歩道はいつも通り混んでいる。この中の誰も、地下の台の上に何が寝かされているかを知らない。

 

 一文字が車道に向かって手を上げかけ、やめた。

 

「歩くか」

 

 本郷は頷いた。一文字が黙って歩きたがるのは珍しい。

 

 二人はしばらく無言で南へ向かった。すれ違う人波の中で、本郷は無意識に背中の高い男を探していた。痩せていて、首の詰まったシャツを着ている男。さっきまで見ていた痕が、この街のどこかで、まだ動いているかもしれないという考えが、頭から離れなかった。

 

 四体は全員、死んでいた。

 

 だが、と本郷は思う。四体とも、外傷で死んだのではない。衰弱して止まった。止まる前は――動いていたはずだ。あの背中と首を持ったまま、この歩道のような場所を、現に歩いていたはずだ。

 

「なあ本郷」

 

 一文字が、人波を縫いながら言った。

 

「妙なことを聞いてもいいか」

「なんだ?」

「あの首の穴な。あれ、何か挿さってたら、歩けると思うか。それとも、抜かなきゃ歩けないと思うか」

 

 本郷は答えなかった。同じことを、地下で考えていた。

 

 挿さっている間は歩けない。抜けば歩ける。――そう仮定すると、辻褄は合う。あの四体は、何かを抜いて、自分の足でどこかへ向かおうとして……途中で止まった。そう考えると、衰弱の説明もつく。抜いてしまった状態では、もう何も補えなかったのかもしれない。

 

 仮定の上の仮定だ。確かめる材料はない。

 

「材料がない」

 

 本郷は声に出した。

 

「今の話は、全部当てずっぽうだ」

「当てずっぽうでも聞きたいんだよ」

 

 一文字が振り返る。そこに笑顔はない。

 

「お前の当てずっぽうは、だいたい当たるからな」

 

 そのとき、本郷の上着の内側で、無線が短く震えた。

 

 取り出して耳に当てる。市警の連絡係の声が、ダウンタウンの方で妙な通報があったと早口の英語で告げていた。高架下の、人気のない区画。男が一人、誰かに追われているように走り回っている。様子がおかしい。何度も背中を気にしている、と通報者は言っているらしい。

 

 背中を気にしている。その言葉に、本郷は無線を握り直した。

 

「一文字」

「聞いてた」

 

 一文字はもう、縁石から車道に踏み出していた。さっきとは別人のように動きが速い。

 

「まだ生きてる」

 

 黄色いタクシーが一台、一文字の上げた手の前で滑るように停まった。

 

***

 

 高架の影が、午後の光を縞に切っていた。

 

 タクシーを降りた区画は、街の音が急に遠ざかる場所だった。頭上を時折、電車が通り、鉄骨がそのたびに低く鳴る。落書きで埋まった支柱が等間隔に並び、その向こうに金網のフェンス。人通りはない。通報者が人気のない区画と言ったのは正しかった。

 

 男は、三本目の支柱のそばにいた。

 

 ひどく痩せていて、背が高い。首の詰まった上着を着ている。本郷が人波の中で無意識に探していた輪郭に、それはあまりによく似ていた。男は壁に背を貼りつけるようにして、首を細かく左右に振っている。誰かが来るのを待っているのではない。誰かが来ないことを、確かめている。

 

 一文字が先に出ようとするのを、本郷は腕で制した。ゆっくり、両手を見えるところに上げて、近づく。

 

 男がこちらに気づいた。

 

 逃げる、と本郷は身構えた。だが男は逃げなかった。逆だった。壁から身を剥がし、もつれる足でこちらへ向かってきたのだ。何か言っている。英語ではなかった。

 本郷の知らない言語だ。早口に、すがるように、同じ言葉を繰り返している。聞き取れない。だが、すがっているのは分かった。助けを求める声に、言語はいらない。

 

 男が本郷の腕を掴んだ。骨が浮くほど痩せた手だった。掴む力は弱い。けれど必死だった。

 

「落ち着け」

 

 本郷は言った。通じないと知りつつ、声の調子だけは伝わると思った。

 

「ゆっくりでいい」

 

 男が一度、深く息を吸った。

 

 そして、たどたどしい、聞き取れる言葉に切り替えた。発音は崩れていたが、英語だった。一語ずつ、喉から押し出すように。逃げてきた、と男は言った。連れ戻される、とも。あれに繋がれるくらいなら、と言いかけて、男は首の後ろに手をやった。本郷の視線が、その手の下へ吸い寄せられる。襟の縁から、円い金属の縁が一つ、覗いていた。

 

 地下の台で見たものと、同じだ。それの持ち主が今、生きて、動いて、喋っている。

 

「ここは」

 

 男が本郷の目を覗き込んだ。

 

「ここは、お前たちの――」

 

 それ以上は、続かなかった。男の頭が、不自然に横へ跳ねる。

 

 音は、遅れて届いた。乾いた短い破裂音が一発。それが何の音か本郷の頭が判ずるより早く、体が動いていた。男の崩れる身体を抱き留めながら、本郷は支柱の陰へ転がり込んでいた。腕の中で、痩せた身体から急速に力が抜けていく。腕をつかんだあの必死の握力が、消えていく。

 

「本郷!」

 

 一文字の声に答える代わりに、抱えた身体を見た。撃たれた場所は正確だった。たった一発、完璧に狙って当てている。喋らせないために。

 すがっていた手が、本郷の袖をまだ弱く掴んでいた。しかしそれもすぐにほどける。

 

 頭上を電車が通る。鉄骨が低く鳴って、破裂音の残響を塗りつぶしていった。

 本郷は男の身体をそっと地面に下ろし、撃たれた角度から弾の来た方向へ視線を上げる。

 

 高架の上だ。射手は、まだそこにいた。

 

 高架の側道へ駆け上がる階段を、一文字はほとんど三段飛ばしで上っていった。本郷は遅れた。男の身体を地面に残してはいけない気がして、一拍迷ったのだ。その一拍の差が、結果として本郷を下から見上げる位置に留めた。

 

 階段の途中で、本郷は足を止める。

 

 上では一文字が誰かと組み合っていた。

 

 逆光が高架の縁に立つ二つの影を浮かび上がらせる。一つは一文字。もう一つは――小さな影。一文字の胸ほどまでしかない。最初、本郷はそれを子どもを巻き込んだのかと思った。射手とは別の、たまたまそこにいた子ども。

 

 ——否、違う。

 

 その小さな影が抱えているものが目に入る。それは紛れもなく銃だった。小さな身体に対して、明らかに長すぎる一丁。子どもの腕では、構えて当てることなど不可能に見える長さの、精密射撃用の銃。さっき、一発で男を黙らせたもの。

 

 一文字がそれを奪い取り、子供の腕を背に捻り上げた。

 

「やめろ!」

 

 少年とも少女ともつかない子どもが叫ぶ。甲高い、けれど芯のある声だった。

 

「任務の邪魔をするな! あいつは犯罪者だ、私は――」

 

 そこで言葉が途切れたのは、一文字が押さえ込んだからではなかった。

 

 本郷は見上げる位置から、それを見ていた。一文字の腕に力が入る。一気に、ありったけの力が。戦闘員を素手で投げ飛ばす男の全身が、たった一人の子どもを地面に押さえつけるために軋むほど力を込めていた。一文字の足が、踏ん張りで高架の床を擦る。

 

 その子どもは、押さえ込まれていなかった。むしろ——一文字を、押し返していた。

 

 本郷の頭が、冷たく動き始める。一文字は手加減をしていない。あの背中だ、本郷には分かる。あれは全力の背中だ。その全力が、子ども一人を辛うじて床に留めているだけだった。留めきれてすらいない。一文字の膝がじりっと浮きかけて、また踏み直された。

 

 逆算は、単純だった。

 

 一文字隼人を本気にさせ、なお押し返す出力。それを出しているのが、十かそこらに見える痩せた身体。

 

 普通の人間の身体から、この力は出ない。

 

 本郷はようやくその名前にたどり着いた。地下の台に寝ていた男も、今この高架の上で一文字と拮抗している子どもも、すがって死んだ痩せた男も――全部、同じものだ。誰かが設計し、誰かが施工した。背骨に線を引かれ、首に口を空けられた。

 

 改造人間。人を、こう作った者がいる。

 

(まだ、人を使う者がいるのか)

 

 頭上で、また電車が通る。鉄骨が長く鳴った。逆光の中で、一文字と子供の影が拮抗したまま動かなかった。

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