仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
朝になると、FWC4はまず残量を照合する。
起動以来の習慣だった。休止から立ち上がると、体の各所から数字が返ってくる。出力。稼働。そして、残量。組織にいた頃は、夜のうちに満ちた。ここには、満たす手段がない。だから朝ごとに、減った分を把握する。
減りは、迎えが来るまでの必要経費だ。迎えが来れば、また満ちる。それまでの、預かりの数字だった。だから一滴も無駄にはしない。任務以外では動かずに保たせる。そう決めて、ここまで来た。
昨夜の分を引いた数字が出る。誤差の範囲だった。FWC4はそれを把握し、棚へ収めた。
与えられた仮の部屋から廊下へ出ると、結城が研究室の方へ器具を運んでいる。BTG2もそれを手伝っていた。昨夜持ち帰られた残骸に興味があるらしい。BTG2は今日は動かないのだとそれで分かった。休息と、あの男の手伝い。片道の体を、ここで遊ばせている。
FWC4は視線を別のところに向けた。
昨夜、アレの隣を捨てた。同じだと見られない位置へ移った。それで済んでいる。BTG2がどこで何をしていようと、FWC4には関係がない。関係のないものを、わざわざ見にいく算段はなかった。
任務へ出るため立ち上がる。
逃亡犯はまだいる。昨夜の一体は別の手に攫われた。だが、それで終わりではない。的が残っているなら追う。それだけが、FWC4のすることだった。
「銃を」
FWC4は、一文字に言った。
一文字は、食卓で湯気の立つものを口に運んでいた。手を止めて、こちらを見る。
「あ?」
「私の銃だ。返せ」
昨日までは取り返す必要がなかった。任務の的は逃亡犯だ。逃げる人間を捕らえる分には、銃がなくても足りる。銃を取り戻すのにかかるコストと天秤にかけ、見合わないとそのままにしていた。だが昨夜、怪人を見た。肉と機械を継ぎ接ぎした、別種のもの。あれが的の傍にいるなら武器がいる。算段が上書きされた。
「悪いな」
一文字は、湯気のあがる椀を置いた。声は軽いままだった。
「ありゃ預かりだ。返せねえよ」
「任務に支障が出る」
「出ねえように、こっちで何とかするさ」
笑っていた。だが、その目だけは笑っていない。武器を握らせないためだ、とFWC4は処理した。
銃は、向こうの手の中にある。請うても返らないものを、請い続けるメリットはない。乾いた数字のように引いた。奪うという手もあるが、それも今ではない。FWC4の中で、銃のことが片付いた。
「待て」
本郷の声だ。卓の端から静かに立ち上がる。
「一人で行く気か」
「犯罪者を追うのは私の任務だ。同行は要らない」
「そうとも限らん」
本郷は、断じなかった。確かめるように、言葉を一つずつ置く。
「逃亡犯を追っているのは、君たちだけじゃない。あれを欲しがっている手が、別にある」
FWC4は、答えなかった。
「一人で動けば、その手に先に掴まれるかもしれん。君は、目立つ」
保護ではなかった。少なくとも、その音だけではない。状況を読み、最も損の少ない手を選ぶ。そういう声だった。FWC4には、その底に何があるかまでは読めない。読めるのは、表に出た理屈だけだ。理屈は、合っていた。
「……好きにしろ」
FWC4は、受け入れた。
同行が増えれば、目は増える。的を見つける確率は上がる。断る理由がない。それだけのことだった。本郷の声の底にあるものは、相変わらず読めないまま、視界の隅に置かれて転がっている。
***
本郷の操るバイクは速かった。風が真横を流れていく。街が、後ろへ後ろへと消えていく。
人がいた。たくさんいた。歩道に、店の前に。声があり、匂いがあり、光があった。朝の街は、生きている人間で満ちていた。
FWC4の目には、何一つ入らなかった。
入れる枠がなかった。任務の線の上にいない者は、助けるも妨げるもない。それ以前にFWC4の計算には入らない。歩く人間も、立ち並ぶ建物も、流れる光も、すべて線の脇を通り過ぎていく背景だった。FWC4が見ているのは、線の先だけだ。逃亡犯のいる場所。
本郷は、時おり速度を落とした。
何かを見ている。路地の奥。人の流れの淀み。崩れた塀の影。FWC4には、それのどこを見ているのか分からなかった。だが本郷の中では、何かが繋がっているらしい。背中が、そう言っていた。点を線にする男の背中だった。
しばらく走って、本郷がバイクを停めた。
寂れた一帯だった。倉庫が並び、人の気配が薄い。本郷はバイクを降り、辺りを見渡す。
「このあたりを見よう」
何かあると断言したわけではないが、確信に近い声だった。
「逃げる者は人混みに紛れるか、人気のない所へ潜るか。この時間を考えると――」
理屈が、組み上がっていく。FWC4には、その組み上がり方は分からない。分からないが、結論だけは受け取れた。このあたり。FWC4は、線の先をそこへ向けた。
そして、見つけた。
倉庫の影に、一つ。何かが動いていた。痩せた人影が、壁伝いに、ゆっくりと。
FWC4の中で、何かが照合された。
あの動き方を、知っている。出力を惜しんでいる動きだ。最小限で、保たせる動き。減ってきた者の歩き方だった。残りが乏しくなり、一歩ごとに目減りを気にしている。FWC4は、その目減りの速さを読んだ。自分の残量を朝ごとに把握するのと、同じ要領で。
あの個体は、もうじき――
「動き方が……」
言いかけて、FWC4は止めた。
止めた、というより、続きが照合できなかった。なぜ自分が、的の残量を読んでいるのか。的が尽きるかどうかは、FWC4には要らない情報だった。捕らえればいい。尽きるかどうかは、捕らえた後のことだ。
妙な読みだった。
本郷も同じ方向へ目をやって、影を捉えていた。
「いたか」
「ああ」
FWC4は、短く答えた。
影は、倉庫の中へ消えていく。FWC4はその後を追った。
***
倉庫の中は、暗かった。
高い天井から細い光が何本か落ちている。埃がその光の中で漂っていた。床には木箱や錆びた機械が転がる。そして奥の壁際に、痩せた人影が一つ。
逃亡犯だった。
壁に背を預けて、座り込んでいる。立てないのだとひと目で分かった。逃げる気配もない。ただ、そこにいた。
本郷も、続いて入ってきた。FWC4のすぐ脇に付く。一人にすれば狙われる――そう言って付いてきた男だ。その言葉どおり、間合いを離さない。だがその目は、FWC4だけに向いてはいなかった。床に転がる物。光の落ち方。出口。暗がりの方々へ、目が配られている。何を警戒しているのかは、FWC4には分からない。分からないが、警戒していることだけは、その構えから伝わってきた。
男の傍らに、線が落ちていた。
ケーブルだった。何かに繋がれていたものが、断たれている。切り口が、新しい。男は、これで繋がれていた。そして、切って、逃げた。FWC4は、それを拘束具の類として処理した。捕らえられていた者が、外して逃げる。よくあることだ。
本郷の視線がその切り口に留まっていた。切られた線を辿り、男の首の後ろを気にしている。FWC4には本郷がそこに何を見ているのか、分からない。
分かるのは男のほうだ。
あの個体はもう動けない。残量がほとんど無い。さっき影で読んだ乏しい数字。それが今、底に近い。立てないのも、逃げないのも、それで説明がつく。動く分が残っていない。
男が顔を上げる。
吼えなかった。昨夜の男のように、怒鳴りもしない。声はか細く、止まりかけていた。
「追っ手か……」
FWC4を見る目に熱はなかった。憎しみも恐れもない。物を見るように、FWC4を見ている。
「お前も、道具だな」
耳を澄ませてようやく聞こえるような声で男は言った。
「俺も道具だ。お前も道具だ。繋がれて、奪われるだけ――」
男の喉がヒュウと鳴る。
「罰は……受けた。あれより先は、もう、罪の分じゃない……」
昨夜とは別物だった。屑、と吐き捨てるような怒りがない。怒りなら、撥ねのけられる。的の怒りに、意味はない。
だが、これは違った。
罵られたのではない。お前も道具だと言われた。同じだ、と。怒りでも侮蔑でもなく、ただ、同じものとして数えられた。そして――奪われる、と。
奪われる。その語が、FWC4の記憶に引っかかった。残量。目減り。朝ごとに把握している、あの引かれていく数字。『奪われる』を、FWC4はそうとしか照合できない。何を、誰に奪われるのか――そこは、男は言わなかった。言いかけて、より声が細くなっていく。
FWC4は、それを怒りと同じく端に寄せようとした。的の言うことに、意味はないのだと。
寄せられた。寄せられたが――いつもより重く、嵩があった。
***
本郷が、男の前に片膝をつく。
顔を男の高さに合わせる。聞こうとしていた。この男にはまだ言うべき続きがあると――そう信じている構えだった。
「――それで」
本郷が先を促した。
男がゆっくりと口を開く。続きを言おうと、している。
しかし、FWC4は読んでいた。
続きは来ない。あの残量では一文を言い終える前に止まる。
「また奪われる、から……」
そこで途切れた。
男の体から力が抜ける。背を預けていた壁から、ずるりと傾く。横へ。床へ。
その時、FWC4の体が動いた。
算段する前に出力が走り、傾いた体の下へ滑り込む。落ちる男を腕で受け止めた。
咄嗟に受け止めて――それきりだった。
何も変わらなかった。残量は尽きている。支えても、立たせられはしない。減っていく数字をFWC4は腕の中で読んだ。止めようがなかった。減って、減って――
ついにゼロになった。
糸の切れた人形のようだった。痩せた体がFWC4の腕にすべての重さを預けて動かなくなった。電池が切れるように。FWC4の中のまだ名前のついていない場所が、その止まり方に反応した。
FWC4は男を支えたまま動けなかった。
「……あの四人と同じ止まり方だ。これで五体目、か」
本郷はすぐ傍らに片膝をついている。FWC4の腕の中の男を見ていた。声は低く短い。それ以上は、言わなかった。言うべきことが他に無いというより、言わないと決めた顔だった。
本郷の手が伸びる。
男の開いたままの目へ。指でそっと瞼を下ろしてやる。それだけの所作だった。本郷は、死んだ男を最後まで一人の人間として扱っていた。
FWC4にはその所作の意味が掴めなかった。
止まった体は用済みだ。回収されるか消されるか、どちらかの。FWC4の中ではそう処理されている。なのに本郷は、用済みの体の瞼を下ろした。なぜ。
五体目。FWC4には、その意味の半分しか分からなかった。一、二、三、四――何かが、四まで数えられていた、ということだけ。本郷の中では、それが線になっている。FWC4の知らない線が。本郷はそこに何かを認めた。
FWC4は男をそっと床へ下ろし、自分の腕を見る。
なぜ、受け止めたのだろう。
この個体はターゲットだった。捕らえるべき標的。止まる的を支えても手柄にはならない。落ちるなら落ちるに任せればよかった。なのに体は落ちる前に動いた。受け止めた。誰からも命じられていないのに。
計算が、合わない。
受け止めるために出力を使った。残量を削った。止まる的を支えることに何の意味があった。照合できない。
誤作動だ。
FWC4は、そう処理した。体が、命令の手順を飛ばして動いた。出力系統の、一時的な誤作動。上書きして、訂正すべきもの。なぜそれが起きたかは――読めなかった。
削れた残量のことは、勘定に入れなかった。誤作動の方を片付けるので、手一杯だった。
***
立ち上がった本郷が切られたケーブルを手に取る。切り口を検め、繋がっていた先——男の首を検める。それから、床へ下ろされた男の腕へ目を留めた。
腕に何かが巻かれていた。
本郷が腕時計のようなそれを外す。文字盤の代わりに暗い面がある。動いていない。本郷はそれをしばらく眺めてから懐へ収めた。男に刺さっていたケーブルも抜き、ひとまとめにして。
FWC4の目がそのケーブルに一瞬留まった。
だが――
そこで切れた。FWC4は、目を逸らした。本郷が拾った物が何であれ、FWC4の任務には関わらない。本郷が何か拾った。それだけのことだった。意味は本郷の側にある。FWC4には閉じている。
***
帰り道、FWC4はもう一度残量を照合した。
変わることのない習慣だ。組織がFWC4をそう作った。常に把握しているように、と。
数字が返ってくる。
帳尻が、合わなかった。
朝に把握した数字から、移動と探索の分を引く。それで出るはずの数字より、残りが少なかった。どこかで、勘定にない出力を使っている。把握していない消費が、ある。
FWC4は、それを確認しようとした。
移動。探索。立ち回り。一つずつ引いていく。どれも、勘定に入っている。なのに、足りない。差分の出どころが、読めなかった。
誤記だ。
FWC4は、そう処理した。把握の手順のどこかで、記録を取り損ねた。あるいは、計測の誤差。次の照合で、整合させればいい。今は、合わない数字を、合わないままにしておく。
削れた残量と、誤作動した体。
二つは、FWC4の中で、別々の棚に乗っていた。一つは、出力系統の誤作動。もう一つは、勘定の誤記。並べて照合する算段は起きなかった。片方がもう片方の代価だとは、FWC4は思い至らなかった。思い至る手順が無かった。
風が真横を流れていく。街が後ろへ消えていく。人がたくさんいた。FWC4の目には、何一つ入らない。
繋がれていた線のこと。奪われる、と言った男のこと。腕の中で止まった体のこと。本郷が拾った、腕の物のこと。合わない数字のこと。
全部、棚へ寄せる。寄せ場の山が、また高くなった。
高くなっても、構わない。迎えが来れば、山ごと用済みになる。回収される。こんな余計なものは一つ残らず消える。合わない数字は整い、全て訂正される。形の定まらないあの重いものも――きっと、消える。
だから、FWC4は、前を向いた。
まっすぐ前を見て、迎えを待つ。残りを一滴も無駄にせず。
余計なものは棚に押し込んで、閉じた。
閉じたはず、だった。