仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
子どもが一人、消えている。
十日ほど前の話だ。川向こうの町で、施設暮らしの子が一人学校から戻らなかった。警察は誘拐と見て捜し、まだ何も成果を上げられずにいる。その話は、消えた区画の外れに現れた妙な男の目撃談と共に流れてきた。
この辺りでは見慣れない、痩せた男。日が落ちてからだけ現れ、食い物を抱えて倉庫街の奥へ入る。目撃した者は口を揃えて、歩き方がおかしいと言った。急がないのではない。一歩を惜しんでいる。
一歩を惜しむ。風見はその言い方を記憶と照らし合わせた。……あの手合いだ。
施設暮らしの子、という言葉は別の場所へ落ちた。落ちた音だけを認めて風見は蓋をした。行くと決めるのに、それ以上は要らなかった。
支度をしていると、背後に気配が立った。
「逃亡犯か」
FWC4だった。
「恐らくな」
「なら、行く」
問いの形すらしていなかった。的が任務の線の上にあるなら行く。それだけの理屈で、この子どもは動く。風見は止めなかった。一人で行かせれば、別の手に先を取られる。本郷の理屈だ。風見はそれを借りて、黙って頷いた。
バイクの後ろで、FWC4は無駄なことを一つもしなかった。掴む所を最小限に掴み、風に逆らわず、費やさない。一歩を惜しむ男を追う体が、同じ節約で風見の後ろに乗っている。
***
倉庫街の奥は、日が落ちると人の音が絶えた。
男が入るという一棟は外から見れば他と変わらない。風見は正面を避け、崩れた側壁の隙から中の気配を読んだ。FWC4がその半歩後ろに付く。どちらも足音は立てない。
やがて、男が戻ってきた。
目撃の通りの男だった。紙袋を抱えながら一歩ずつを量って歩く。倉庫の奥、事務室だった小部屋の前で足を止める。扉には外から錠が掛かり、腰の高さに、鉄格子の嵌まった小窓が切ってあった。
男が錠を外す。
「今日はパンだ」
声は、優しかった。
小部屋の中に、小さな子どもがいた。毛布の上に座って、膝を抱えている。男が袋から出した物を差し出すと、子どもは受け取って、すぐに食べ始めた。確かめもしなかった。ねだりもしない。礼も言わない。出せ、とも言わない。
言わなくなるまでに、どれだけかかったのか。
男は子どもの頭に手を置いた。壊れ物に触る手つきだった。
「ここにいれば、誰にも攫われない。俺が守ってやる」
攫われない、と、攫った男が言った。
子どもは頷いた。小さく、癖のように。目は動いていなかった。風見は、その鈍さを知っている。
……保護した直後のビートに、よく似ていた。
男が部屋を出る。錠がかかる。
優しい声と優しい手つきの、最後に必ず錠が来る。この順番を、あの子どもは十日間、毎日聞いている。
「的だ」
FWC4が、囁くほどの声で言った。それだけだった。檻にも、子どもにも、何も言わない。
風見は、側壁の隙から身を起こした。
***
正面から入った。
男は紙袋を畳んでいる途中だった。振り向いて風見を見て、それからFWC4を見た。袋が手から落ちる。
「……追っ手、か」
声が掠れた。男は後ずさり、錠の掛かった扉の前に、庇うように立った。
「私の任務はお前の回収だ」
FWC4が言った。
「来い」
「……任務」
男が、その語を口の中で転がした。怒りは湧かなかったらしい。代わりに出てきたのは、もっと据わりの悪いものだった。
「お前……守るものが、ないだろう」
憐れむ声だった。
「任務、任務って、空のまま走って。……哀れなもんだ。俺には、この子がいる。お前は空のまま走って、空のまま――」
言い切る前に、壁が破れた。
鉄板ごと側壁が内へ弾け、埃の向こうから、それが入ってきた。獣の面。肉と機械の溶けた継ぎ目。肩から胸へ打ち込まれた板。そして両腕に、蔓のように束ねられた管。管の先端が、見覚えのある形をしていた。端子だ。繋ぐための、口。
回収する側の手だ、と風見は読んだ。
管の束が持ち上がる。先端の向きが、割れた。半分は、男へ。残る半分は――錠の掛かった小部屋へ。
材料はどちらでもいい。そういう向け方だった。
「変身ッ!……V3ァ!」
風が巻き、装甲が全身を包む。風見は男と怪人の間へ割って入り、伸びてきた管の束を蹴り払った。
重い。払った足に、痺れが残った。
作りは前のものと同じだ。獣の面、溶けた継ぎ目。だから同じ読みで入った。軌道は素直で、躱した先を読んでこない――あの手のものだと。
しかし、違った。
躱した先に次が来ていた。風見は仰け反って管の先を流し、跳んで間合いを切る。頬のすぐ横を、風が抜けた。
(――読んでくる)
前のものは風見の先手に対応が追いつかなかった。これは、追いつく。力も上だ。継ぎ目で鳴る駆動音が太い。作りが、体に馴染み始めている。
馴染むということは、注ぎ込まれているものが増えている。技術か、力の元か、その両方か。どこかで何かが、前より潤沢に流れ込んでいる――この、短い間に。確証はない。だが、斬り結ぶ体で分かる種類の答えだった。
拳と管が交錯し、浅く掠り合って離れる。互いの重さを量り終えた間合いで、風見は問うた。
「貴様らは、何だ」
獣の面が、こちらを向く。
「デストロンのようだが……デストロンではないな。何が目的だ」
面の奥で、何かが軋んだ。笑ったのかもしれなかった。
「目的だと」
管の擦れるような声だった。
「貴様の知ることではない。だが名だけはくれてやる、刻んで死ね――我らは、アコナイト」
アコナイト。
聞いたことのない名だった。だが、続けて噴き出した声には、聞き覚えのある温度があった。
「V3ィ……よくも、よくも我らがデストロンを……! 貴様だけは、貴様だけはこの手で葬ると……!」
憎悪だ。
デストロンを壊滅させた張本人へ向く、あの燃え方。骨が知っている憎悪と、寸分違わない。なのに、名乗る名だけが違う。残党の憎しみの上に、知らない名が被せてある。誰が被せた――金の髪と緑の目が一瞬よぎり、風見はそれを引いた。今は、目の前を見る時だ。
管の束が周りを薙ぐように振り回される。
狙いは風見だけではなかった。
薙いだ束が男を掠めて壁へ叩きつける。男の口から悲鳴の鳴りそこないと空気の音が漏れる。束はそのまま勢いを殺さず、小部屋の扉へ――鉄格子の小窓へ、向かった。
その時、視界の端で、FWC4が止まっていた。
動かない、のではない。視線が走っていた。崩れた男。小窓。怪人。順に測っている。あれは、測っている間だ。測って、答えが出て――それでも。
踏んだ。
FWC4の体が扉の前へ滑り込み、小窓と管の間へ、自分を差し込んだ。管の先を抱きかかえるようにして押さえ込む。FWC4は、退かなかった。力を入れている分だけ、あの体からは戻らない何かが減る。本人たちが、そう言っていた。減ると知っていて、差し込んだ。
風見は怪人の腕を強引に引き寄せ、体勢を崩してから跳びあがる。
「V3キィーック!」
蹴りが胸の板の中心を捉えた。金属の裂ける手応え。怪人が吹き飛び、木箱の山を潰して沈む。
前のものなら、これで爆ぜていた。
沈んだ影が、起き上がった。
胸の板が割れ、継ぎ目から火花を噴いている。それでも、立つ。管の束を引きずり、獣の面がこちらへ向き直る。
「……V3ィ……!」
執念だけでは立てない。体が保っているのだ。作りが厚い。
風見は跳んだ。高く。宙で体を捻り、回転の全てを踵へ乗せる。
「V3回転キィィーック!」
割れた胸板の、その芯へ。
今度こそ貫いた。爆音と閃光が倉庫を白く抜いた。
***
煙の下で、男が這っていた。
小部屋へ。錠へ。震える手が鍵を回し、扉を開け、毛布ごと子どもを掻き抱く。立ち上がろうとして、崩れ、また立つ。逃げる気だ。子どもを抱えたまま。
風見は変身を解き、その前に立った。
「連れては、行かせない」
「返せ……」
男の声は、もう擦り切れていた。
「それだけなんだ。俺には、それだけ……この子も、独りだった。俺と同じで。だから……」
訊いてもいないのに、説明が垂れ流される。風見はそれを黙って受けた。
男の腕の中で、子どもが動いた。逃げようとしたのではない。男の胸に、顔を寄せた。十日間、錠を掛け続けた胸に。
風見は手を伸ばした。
男の腕から子どもを抜き取る。力は要らなかった。男の腕には、もう子ども一人を留める力が残っていない。子どもは風見の腕の中で、抗わなかった。抗わずに――男の方へ、手だけを伸ばした。
その手の震えが、一番堪えた。
男は空になった腕を見ていた。それから風見を見て、FWC4を見る。そしてよろめきながら、破れた壁の方へ退がっていく。
追えば届くだろう。
風見は追わなかった。
FWC4は、男の逃げる線の上に立っていた。手を伸ばせば届く位置だ。任務の的が、目の前を横切っていく。
手は、伸びなかった。
男はその脇を抜けて夜に落ちた。足音が一歩ずつ惜しみながら遠ざかり、消える。
風見は自分が追わなかった理由なら、言える。あの男はもう保たない。子どもを取り上げた上で、残りまで取り上げる理由が、風見にはなかった。
FWC4が動かなかった理由は――訊かなかった。
腕の中の子どもは、男の消えた闇を見ていた。泣かなかった。泣かないことが、震えながらも伸ばされた手の次に堪えた。
***
子どもは町の交番へ預けた。施設の名を出すと巡査の顔色が変わった。捜していた子だ。あとは国の手続きが引き受ける。
アコナイトという名と、注ぎ込みが増えているという読みは、持ち帰って本郷へ渡す。残骸は、結城が読むだろう。
帰り道は歩くことにした。バイクを押す。FWC4は並ばず、半歩だけずれてついてくる。
「あの子どもは」
FWC4が、口を開いた。
「敵に回収されるところだった。渡せば、敵の材料が増える。防いだのは任務の内だ」
風見は、答えなかった。
「出力の消費は、その分の対価だ。勘定は、合っている」
二つ目の理屈が出た。一つ目と同じことを、別の言葉で言い直している。
風見はこの子どもが自分から理屈を差し出すところを初めて見た。突き返す側の子どもだ。差し出す側ではない。卓の上の名も、粥も、押し返してきた。その子どもが、誰にも問われていない理屈を、二度、差し出した。
風見が返さずにいると、FWC4は口を閉じた。
閉じてから、自分の手を見た。一瞬だった。見て、すぐ前へ戻した。
フォウ、と。
その音が、風見の中で立ち上がりかけた。
卓の上で突き返された名だ。押し返させるだけだと、あの時風見は測って、踏み込まないと決めた。その決めが、今、軋んでいる。測り終えて、それでも踏んだ子どもを、番号のまま呼び続けることが、正しい距離なのか。それとも、もう。
風見は、その音を下ろした。
まだだ、とは思わなかった。もういい、とも思わなかった。どちらとも測れないまま、ただ下ろした。この子どもが番号に置いている価値が崩れる時は、いずれ自分で崩すだろう。風見が先に崩すことでは、ない。
「戻るぞ、FWC4」
風見は言った。番号は、まだこの子どものものだ。
FWC4は頷いて歩き出した。来た時と同じ、一歩を惜しむ歩き方で。
惜しんでいるのに。今日、一度だけ惜しまない一歩を踏み込んだ。
風見は確かに、それを見た。