仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
潰れた端子は、指で読むしかなかった。
第一と、第二。縁がめくれ、芯まで潰れている。計器は応答を拾わない。応答の無いものは、指で読む。結城の指は金属の潰れ方を覚えている。外から潰されたもの、爆ぜて焼けたもの、そして自分の指で握り潰したもの。壊れ方が、違う。
三つ目は、無傷だった。
襟足の一番下で、体温と同じ熱を持って残っている。この端子の繋がる先は、この世界のどこにも無い。
結城は指を離し、布を替えた。
九日目の朝だった。
数字は、毎朝落ちる。
フォウの落ち方は規則を保っている。本郷の言った通りだ。微弱で、規則的で、そして毎朝、昨日より低い。上がる経路は無い。受け取る口が、もう無いからだ。結城にできるのは、湯を替え、布を替え、息の通る角度を保つことだけだった。
兵器を組んでいた手だ、と思う。
骨に金属を打ち、肉と機械を馴染ませ、人を作り替える設計をした。その手がいま、湯の温度を計っている。直してはいない。ただ、保っているだけ。
この手は――
結城はその続きを伏せた。伏せ方だけが、上手くなっていく。
卓の隅で六人分の図面が待っている。端子の除去は、まだ終わっていない。めくる手が、ここ数日はそちらへ回らない。図面は急かさなかった。急かさないものだけが、卓に残っていた。
フォウの右手は、まだ手順を覚えている。
意識が浮くたび、その手は襟足へ這おうとする。三つ目へ。止める命令も、続ける命令も、どこからも出ていない。ただ手順だけが、手の中に残っている。浮いて、這って、沈む。それを一日に、二度か三度。
手首は、風見が押さえていた。
交代を申し出た本郷に「慣れたので」とだけ返して、離さない。折れない強さで、フォウの手首を握っている。
一文字は、壁際に座っていた。
膝に肘を置いて、動かない。台所に立つのは本郷の番が増えた。冗談も笑顔も、あの朝から一つもない。彼の怒りは、行く先を無くしている。潰したのは、潰された本人の手だ。殴る先が、無い。行く先の無い怒りは、外へ出ずに深く深く沈んでいく。
沈む前の怒りを、結城は久しく見ていない。自分のそれをどう始末したのかは、思い出せる。ただ、思い出せるだけだった。
戸口には、小さな影がひとつ立つ日があった。
敷居の外で止まって、入らない。手は、上がらない。結城は声をかけなかった。ビートにはビートの考えがあり——それはきっと、結城の思考よりもフォウに近いところにいる。
***
数日後の夜、結城は数字を卓に置いた。
「この落ち方だと……十日、保たない」
言ってから水を一口呑んだ。言う前に呑むと、声が湿る。そう感じるくらい、報告に慣れていた。
「端子は、戻せません。第一と第二は芯まで潰れている。仮に形だけ戻しても、繋ぐ先が無いのは変わらない。受け取る口の無い体に、入れてやれるものが……俺の手には、ない」
本郷は手帳を開いていた。開いたまま、書かなかった。
「買える時間は、買いました。ここから先は、できることがもう――」
「……なあ」
一文字が口を開いた。久しぶりに聞いた声は、ひどく掠れている。
「減ってくだけなら、よ。……減らねえように、しとくことは。……眠らせるみてえに。そういうのは……なしか」
途中で三度、詰まった。提案の形をしていなかった。栓の緩んだところから漏れたような音だった。
結城の中で、数字が動きはじめる。
消費を、零に近づける。体温を落とす。息だけ、一番低い火だけを残す。落とす手順なら――割り出せる。図面と、これまでのデータがあれば。冷やす機材は、山二つ向こうに在る。ヨハンが送った設備の残りではない。人を動かす装置でもない。ただ熱を奪い、消費を限りなく落とすための冷却系だ。
「……止める手順は、組めます」
ただ、止めたとしてもその先は。
「起こす方法がありません。潰れた口の代わりを作って、人を炉にせずにこの体を動かす技術――そんなものは、まだこの世界のどこにも無い。あの男の図面も、頭の中身も、人を炉にする前提でしか組まれていない。いつできるかも、できるかどうかも、分からない」
「保証は」
本郷の問いに、結城はゆっくりと首を振る。
「ない、としか。俺にできるのは、止めて……待たせることだけです」
長い沈黙が辺りを包んだ。
「決めるのは、この子だ」
本郷は手帳を閉じた。そこには何が書かれているのか、結城には推測することもできない。
***
機材は二日で運ばれ、三日で組み上がった。
運んだのは風見とビートだった。行きも帰りも、報告は短かった。組んだのは結城の手だ。人を作り替えるために引かれた線が、止めて保たせるための数字を出した。
フォウをカプセルに横たえ、冷却系が低く唸り始めた夜、フォウの意識がゆっくりと浮いた。
意識が浮く間隔は、日ごとに長くなっている。次に浮くのがいつになるのか、数字は教えてくれない。今夜を逃せば、次は無いかもしれなかった。それも、数字は言わない。言わないことだけを、正確に示す数字だった。
一文字が、枕元に膝をついた。
「フォウ。……聞こえてるか」
薄く目が開いた。焦点は遅れて合う。
「……お前を、冷やして止める。眠らせる。……そんだけだ。治んねえ。どれだけかかるかも、分からねえ。目を覚ます保証も……正直、ない」
そこで、声が詰まった。詰まったまま、右手が上がって、途中で止まった。差し出す形の、途中だった。
「……それでも、いいなら。……待てるなら、よ」
続きは、出てこなかった。
フォウの右手が、動いた。
部屋の空気が一瞬固まった。その手の行き先を全員が知っている。風見の体に力が入るのが見えた。
しかし、風見の手は少しずつ力を緩めていく。端子に伸びる手を押さえ続けた指が、この局面で放された。
自由になった右手が上がる。襟足へは行かなかった。宙で止まっていた一文字の手のひらの上へ、落ちて、閉じた。
結城はそれを分析する。
ただの反射ではない。反射で動ける閾は、とうに下回っている。握力が戻ったわけでもない。計器の数字は、落ちたままだ。残っているものが、行き先を変えただけ。手順の残った手が、別の宛先へ動いた。それだけの――それが全部の、一挙動だった。
「……たい、き」
掠れて、割れて、それでも音になった。
命令は、どこからも出ていない。
一文字が大きく息を吐いた。不格好な笑顔を作り、フォウの手を握り返す。
「…………おう。待ってろ。どれだけかかっても……絶対だ。絶対、起こす」
「……もう、押さえは要らないな」
風見はそう言うと、立ち上がって一歩下がった。握り続けた指を、袖の中へ仕舞うように。
本郷が、枕元に屈んだ。
「助けられた、とは思わない。……前に言った通りだ。この子は終わっていない。――終わらせない」
ビートの小さな影が、一歩だけ、敷居の内に入っていた。
入ったきり、止まっている。手は、上がらなかった。
フォウの命を示す数字が、階段を一段ずつ降りるように落ちていく。
落とし方は、結城の手が決めている。心拍。体温。系統の火を、一つずつ、消えない高さまで。冷却系の唸りが、温度を連れて下がっていった。
フォウの目は、途中で閉じた。眠りに落ちる速さと、数字の落ちる速さが、しばらく並んで、やがて数字だけが残った。規則を保ったまま、低く、低く、一定になる。
霜が、カプセルの縁に薄く咲き始めた。
襟足の一番下で、三つ目の端子が、無傷のまま白く曇っていく。繋がる先は、まだこの世界のどこにも無い。
助かった、と言った者は、いなかった。
治る、と言った者も、いなかった。
起こす手順は、これから作られるのかもしれず、作られないのかもしれない。確かなことは、どこにも書けなかった。
書けないまま――
それでもフォウは、待っている。